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贄の王座と侍るもの  作者: 伊空 路地
第六章 神聖悲劇
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191 過ぎたる力


 サンの頭上で黒い空がぐわりと歪む。羽の落とし子たちが大挙して急降下。まるで天が触手を伸ばしたような恰好で、羽の落とし子の大群がサンに向かう。


 数千を超える数の羽の落とし子。一体ずつは人の手のひらほどだが、それがびっしりと密集して向かってくる様子は巨大な脚が落ちてくるようだ。


 そしてその大群に触れれば無事では済まない。肉も骨も一齧りにしてしまう脅威の牙でもって、サンの肉体を無残に喰い散らかしてしまうだろう。東都の人々を喰い尽くしてしまったように。


 如何なる生命も瞬く間に喰い尽くす暴食の軍勢だ。




 だと言うのに、今のサンには煩わしい虫に過ぎない。


 右手に持った“神逆の剣”を下に構える。降下してくる羽の落とし子の大群に目を向ける。


 そして思いきりに振り上げた。


 それは、暗黒の嵐だ。黒く暗く深い”闇“が、絶対的な破壊の意志を持って斬撃の先に放たれる。


 荒れ狂う”闇“は羽の落とし子の大群をまるごと呑み込むと、それを消滅(・・)させた。


 光無き水か、明り灯さぬ炎か、地獄の底から吹く風か。その暗い影が通り過ぎた後に羽の落とし子たちは一体たりとも残らなかった。




 そのサンの背後めがけて、またも羽の落とし子の大群が襲い来る。


 しかし、これもまた同じ。“神逆の剣”から放たれた黒い嵐によって跡形も無く消滅させられる。


 今度は二つの大群が迫る。サンを挟み撃ちするように、両側面から包み込むように。


 それでも、サンには届かない。軽々しい二振りで大群は消え去り、脅威は失われた。






 胴体の半分近くを弾けさせ、未だ床に崩れ落ちたままの“聖女”とサンの視線が交差する。


 サンは駆け出す。“剣”を手に、“聖女”を討ち倒さんと一気に間合いを詰めるつもりだ。そして、それを“聖女”は許したくない。




「オオオオオオオオオオオオオオオォン!!!!」




 ”聖女“が雄叫びを上げ、2本の足を高く持ち上げる。


 それはシシリーア城で戦った時と比べれば幾分に小さい足。“聖女”自体があの時より小さくなっているのだから当然だが、それでもやはり人間と比べれば巨大だ。


 大気を叩き割るような勢いで振り下ろされる2本足。直撃すれば圧死は免れない。掠るだけでも重傷だ。


 しかしサンは止まらない。走り続けるまま、“神逆の剣”より力を呼び出す。サン自身の”闇“に呼応して深みを増す”剣“。影が形作るような巨大な刀身が揺らめく。


 そして、天から落ちてくる2本の足、サン自身よりも遥かに巨大なそれらに“剣”を振り上げて真正面から叩きつける。


 ぶつかり合った瞬間、“聖女”の2本足が爆ぜた。


 『打ち砕く』というサンの意志に従い、超常の破壊はまさにそれを叶えてみせたのだ。黒く巨大な刀身は“聖女”の足を『斬る』のではなく『打ち砕いた』。


 2本の足は根本付近と先端付近を残して弾け飛び、辺りに甘ったるく不快な臭いをまき散らした。ムッスル=ア城の屋上に、粘る体液が雨の如く降り注ぐ。




「オオオオオオオオオオッ!?!?」




 “聖女”のその声は明らかに驚愕していた。恐らく、“聖女”は己の肉体の頑健さに強い自信を持っていたのだ。それが信じ難くも打ち砕かれる。この理不尽な超常の力を前に、“聖女”は哀れな羊に過ぎなかった。




「ヤァァーーーッ!!」




 サンが裂帛の気勢と共に“神逆の剣”を振り下ろす。黒く揺らめく巨大な刀身が“聖女”の胴体へ斬り込んでいく。


 “剣”の刀身は“聖女”の女性部分のすぐ脇の辺りを、上から下まで容易く断ち斬った。




「オオオオオオオオオッ――。」




 人の背丈二つ分ほどの“聖女”の巨躯。それが真っ二つに断ち割られ、信じがたい程の鮮血を噴き上げる。魔物たる“聖女”の血は黒い。黒く汚れた雨がサンの身体を不気味に濡らす。


 サンが“剣”を引き抜こうとすれば、揺らめく影のような刀身はするりと綻び実体を無くす。そしてサンが構え直すや否や再形成され、切っ先を“聖女”へ向けた。実体性を自由に付加出来る”剣“の特性は取り回しの上でとても便利だ。


 サンが次なる一撃を見舞おうとした瞬間、ぶぉーんという耳障りな羽音がすぐ背後から聞こえて、サンはその場から勢いよく飛び退く。


 羽の落とし子の群れだ。傷つけられた母を守るため、身を挺してサンへ襲い掛かったのだ。


 サンは煩わし気にその群れを薙ぎ払うが、次から次へと群れが押し寄せて来る。


 右、左、後ろ、前。四方八方から絶え間なく向かってくる羽の落とし子の大群を打ち落としていくが、そちらに気を取られて“聖女”へ攻撃出来ない。


「もう、キリが無い……っ!」


 前方からいくつもの群れが下降してくるのを見て、サンは一旦後退。迫りくる群れたちが合流したところを狙い、一気に薙ぎ払った。






 ――あと、一撃で止めがさせそうなのに……っ!!


 ”神逆の剣“の広い攻撃範囲への対策か、羽の落とし子の群れは決してまとまって襲い掛かろうとはしない。常に絶妙な間合いや方向から迫ってくる。


 打ち落とすのは簡単だが、何しろ手が足りない。東都の空を覆う程の数を殲滅するのも現実的では無いし、とにかく鬱陶しい。


 ――あんまり余裕が無いんだってば……っ!


 シック達の援護で魔法をたくさん使用し、自身の身を守る為に権能を操り、既に一極天の大魔法も使用している。


 それにそもそも、サンはまだ西都で負った傷が完治していない。シックにばっさりとやられた腹と胸の傷は酷く痛むし、“聖女”に強打されて意識を失った時のダメージも消え切っていない。


 サンは全く万全で無かったし、消耗は無視出来ない段階にあった。


 “神逆の剣”は元々からしてサンの身体に負担を強いる。強いだけの力では無いのだ。これ以上戦闘を長引かせるのは得策とは言えない。






 ぐっ、と強く地面を踏みしめる。体重を思いっきり前に倒し、前へ。


 眼前に迫りくる羽の落とし子の群れを薙ぎ払いつつ、サンは強引に勝負をかけに出た。


 これで仕留める。サンの狙いが“聖女”にも伝わったか、両者の間に緊張が走った。


 千を超え万も超える程の羽の落とし子の大群がサンに向かって急降下。母を守る盾にならんとした。




「剣よ。神に仇なす冒涜の刃よ。私に力を貸して下さい……ッ!!」




 ゆらり、と“神逆の剣”がひとつ揺らめいた。笑うように、頷くように。


 “剣”はサンの魂を穢して侵す。その魂を人ならざる”闇“へと沈める。


 より深く、より暗く、より罪深く。


 二度と帰れぬ領域へと落ちていくサンの魂は、しかしそれ故に力を得る。


 “剣”が輝く。それは矛盾した光。照らすにあらず、消して呑み込む。


 常を越える莫大な力が溢れ出す。


 “剣”がサンによって振るわれ、その力を解放した。


 すると――。






 空が、抉れた。






 “神逆の剣”が振るわれた延長線上、上空を覆う無尽蔵の羽の落とし子たちが、力の解放を受けて跡形も無く消え去る。


 結果、アーチ状に黒い空が抉れる(・・・)。


 その信じ難き光景は、まるで神話の顕現であった。






 目の前に向かって来ていた羽の落とし子の大群を一手に薙ぎ払い消し去り、サンの目は真っすぐ通った視界の向こう、歌い続ける“聖女”を捉える。


 祈るように、縋るように、喜ぶように、悲しむように、讃えるように、呪うように。


 “聖女”は歌う。閉じられた目で見続けるのは、今もきっと、幸せな夢。




 今やもう、サンを遮るものは何も無い。


 いざ、哀れな“聖女”に引導を渡さんと、“神逆の剣”を振りかぶり――。










 がくり、と膝が抜けた。











「ぅああああああああああーーーーーッ!!!」


 サンが悲鳴を上げた。


 その場に両膝を突き、“剣”を取り落した両手で自身の胸元を握りしめる。


 それは魂の悲鳴だった。侵されてはならぬ領域にまで“剣”の“闇”が入り込んでしまい、拒絶と崩壊と恐怖が上げさせた悲鳴だ。


 存在の最も深く重い場所に、温度を忘れた冷たさが忍び込んで撫でて来る。その言い様の無い恐ろしさを堪えきれず、発狂するような感覚に支配される。


 全身を流れる血が氷点下まで冷え切り、寒々しく震える。


 まるで心臓を氷に貫かれたような寒さ、冷たさ、苦しさ、恐ろしさ。


 怖い。


 寒い。


 苦しい。


 まるで、世界の全てが唐突に消えてしまって、真っ暗闇の中にたった一人置いていかれたような孤独感。


 どうしようもなく大切な何かが完全に欠けてしまったような欠落感。


 ぽっかりと大穴の空いた胸の内側を、通り抜けた風がくすぐっていく。風は、酷く乾いていた。




「――あ。あ、あ、あ、あ、ああああああああああああ――。」




 無い。


 無くなってしまう。


 消えてしまう。


 欠けてしまう。


忘れてしまう。


 自分が。


 無い。




 目には何も見えない。


 耳には何も聞こえない。


 鼻には何も匂わない。


 口には何も感じない。


 体には何も覚えていない。


 魂には。


 魂には、言葉にし得ぬ寒さ。


 欠落。


 欠ける。


 ――――。


 ――。





















 今まさに自分を仕留めようとしていた存在が突如として停止し、その場で苦しむように膝をついた。


 その瞬間、“聖女”にとってはひどく無理解が広がったに違いない。


 ぼろぼろの肉体はもう動かす事が出来ず、免れない死がそこにあると分かっていた。まさに自分の生命を終わらせようと振るわれる死の指先を感じ取っていた。


 それが、唐突に。何の予兆も無く。どこかへ行ってしまった。


 だが、無理解に困惑し硬直していたのは僅か。


 “聖女”はとにかく好機と見て、落とし子たちに指示を出した。


 一つ、己の肉体に還り、肉体を再生する糧となれ。


 一つ、目の前で停止した脅威を喰らい尽くし、殺せ。




 上空に居る羽の落とし子たちはサンの一撃で大きく削られたが、まだまだ無数と言ってよい程の数が居る。


 黒い空は大きく揺らめき、母の意志を果たそうと動き出す。


 大半の羽の落とし子は“聖女”の肉体に溶けるように消えていき、その一部と還って肉体を再生させる。


 残る羽の落とし子は膝をついて動かなくなった敵へと襲い掛かる。その肉も骨も全て喰い尽くし、母の力とするべく。


 一斉に、動き出した。







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