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贄の王座と侍るもの  作者: 伊空 路地
第六章 神聖悲劇
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189 黒空の下で踊れ


 空が、揺れ動く。


 東都の空を広く覆っていた羽の落とし子の大群は、今急速に一点へと集いつつあった。


 それは東都の最も高く、美しき頂点。すなわち、大祈祷殿ムッスル=ア城の頂上。


 異教において神聖視される正三角を模った中央塔、その屋上部は平らになっていて、人が上れるようになっている。


 今、その屋上に一つの不気味な影があった。


 大きさは、縦に人が二人分くらい。横にはかなり大きく、人で例えるのは馬鹿らしい。


 全身は真っ黒で、例えるならクモにアリを掛け合わせたような、虫を思わせる姿。足は8本。大きな腹はばかりと割れて中身を晒し、空から集う羽の落とし子たちはその中に消えていく。頭に当たる部分は何も無く、奇妙な欠落感を覚えさせる。


 その外表は金属のような光沢を持ち、無数の人の子供をバラバラにしてパッチワークしたような、不愉快極まる見た目をしている。中にはまだ赤子としか呼べない顔もあり、およそ生気の無い無表情で、ぽかんと口を開けていた。


 その影はまるで命が無いように、ぐったりと力無く伏していた。


 そして、一つの人影がそれに近づいていく。


 それは女。まだ若く、一糸も纏わず薄褐色の肌を晒している。長い黒髪はよく手入れが行き届いて美しく、同じ女性が見たなら羨むようなもの。


 それは閉じられた目のまま歩く。高らかに歌を歌い、まるで何かを誇るようだ。


 そして巨大なクモめいた影の正面、頭が続くはずで何も無い部分に背中から触れる。すると、まるでずぶずぶと飲み込まれていくように女が沈んで行く。腰のあたりが完全に沈み、背中の一部と足先も黒い肉を纏って取り込まれる。


 女は両手をゆっくりと胸の前で組む。まるで、祈るように。


 途端、死んでいたようだったクモのような巨躯が動き出す。8本の足を地につけて、重々しい擬音が似合うような様で、巨躯を持ち上げる。


 ぐるり、と巨躯を馴染ませるように一度回す。ばかりと開いたままの腹には相変わらず羽の落とし子が入り込み続け、どこへともなく消えている。






「オオオオオオオオォォォォォーーーーッ!!!」






 巨躯――いや、“聖女”が異形らしくおぞましい声で叫びを上げる。それは勝利を誇る勝ち鬨のよう。


 すると、その身体がぐぐぐと形そのままに大きくなる。回収した羽の落とし子の一部を己の肉体へと還したのだ。ばくん、と腹が閉じ、羽の落とし子たちは中へと入り込むのをやめる。


 一回りほど大きくなったところで止まり、ずぅん、ずぅん、と足を踏み鳴らした。






 ――その時、天高くから一条の光が走った。


 音も置き去りにして、巨大な破壊の力を宿した雷光が“聖女”へと落ちた。やや遅れて、耳をつんざく轟音が鳴り轟く。


 雷の轟音は一時、響き続けていた“聖女”の歌声も吹き飛ばし、東都一帯に轟き渡った。




 そして、落雷に打たれた“聖女”は右側3本の足を根元から落とし、大きな胴体を弾けさせて一部は跡形も無く消し飛んでいた。だが、核たる女性部分は無事に見える。


 その証拠に、“聖女”は再び歌い出した。先ほどまでの高らかに誇るような歌では無く、どこか悲愴さを感じさせる響きだ。


 すると、階下から続く階段の陰から人影――サンが飛びだす。


「魔法の選択、間違えたなぁ……っ!」


 右手に持った拳銃の射程まで近づくと、両手で構えて発砲。一気に続けざま、6発全部を撃ち切る。


 それは明らかな核である女性部分に向けて放たれたが、女性の肉体そのものに命中したのは半分の3発だけ。少々、焦ったらしい。


「オオオオオオオオオオオオオオオオォォォォォォォォォォォーーーーーーーッ!!!!!」


 “聖女”が怒りに満ちた叫びを上げる。魔法の落雷によるダメージで崩れ落ちた格好のまま、残る左側前の足を掲げて威嚇してくる。


 サンが初手、こちらに気づいていない“聖女”に放ったのは一極天の大魔法“龍画(りょうが)”である。四極天『龍』『神』『精霊』『星』のうち『龍』に属し、人工的に落雷を落とす魔法である。


 自然のそれに全く劣らぬその威力は絶大で、大抵の生物なら一撃で撃破せしめる”雷“の魔法である。もしその威力を十全に発揮していれば、如何に”聖女“とて死に至らしめる事が出来る筈であった。


 しかし、サン自身が思う通り、魔法の選択は失敗であったというべきだ。


 “龍画”は強力だが、天から降るという意味で制限がある。この場合、“聖女”と天の間に存在した羽の落とし子の大群が邪魔をしてしまった。“龍画”はその威力の半分近くを途中で拡散させてしまい、“聖女”に直撃しなかったのだ。結果、“聖女”は大きなダメージを受けつつも健在。瀕死にすらなっていない。


 ここに来るまでに魔法を使い過ぎていて、二極天の大魔法は使えなかった。“龍画”はその天から降るという性質から射線を通す必要が無いという利点で選ばれたが、それが裏目に出た事は述べた通り。前衛も居ない状況では身を隠したまま使える“龍画”が最良だと判断したのだが――。






 “聖女”がサンに攻撃を試みるより先に“転移”を発動。足の無くなった右側へ回り込む。


 大きく抉れ、内側から落雷の衝撃で弾け飛んだ胴体部分。如何にも弱点、と見えるがそれは間違いだ。先に女性部分が一人で歩いていたことも考えれば、この巨躯はあくまで鎧。いくら削ろうと死ぬことは無いと思われる。


 布石は既に打った。女性部分に撃ち込んだ“雷”の弾丸はサンの魔法を引き付ける。これを活かせば、即ち必中。“聖女”の核へ確実に魔法を撃ちこむことが出来るのだ。


「『貫き通して焼き尽くす。握るは騎士にあって騎士にあらず。形成す魔、それは形無き鋼鉄の槍、現にあらざる鋼のやじり。火よ、我は命ず。――“赤の弓放たれり”!』」


 サンの手元から赤い力が放たれる。高熱の火は大矢を模り、“聖女”へ向かう。途中、ぐにゃりと不自然極まる曲線軌道を描いて、“聖女”の正面、女性部分に直撃する。


「きゃああああーーーーッ!!」


 それは初めて聞く”聖女“の悲鳴だった。歌を奏で続けていた女性が、歌に代わって苦痛の悲鳴を上げたのだ。


 人間を相手にしている訳では無いのに、その悲鳴があんまりにも悲痛なものだからサンの心が無意味に抉られる。


「悪趣味……っ。」


 一時悲鳴で止んだ歌は再び奏でられ、“聖女”は残る足で身体を引きずるように回してサンの方へ向き直る。その鈍重な動作の隙に、再び発現された火の大矢が“聖女”に叩き込まれる。


「きゃあああぁぁ……ッ!!」


「……っ。もうっ!その声、やめて下さいったら!」


 “聖女”の巨大な柱の如き足が振りかぶられ、振り下ろされる。天を叩き割るような重々しい一撃がサンに迫る。


 しかし、予め発動しておいた“飛翔”を操る事で軽やかに躱す。――ただし、決して高空に出過ぎないように気を付けつつ。


 実のところ、”聖女“が空広くに羽の落とし子を展開しているのはサンの”飛翔“を警戒しての事だった。”聖女“は前回の戦いから、空を自在に舞うサンに有効な攻撃手段が無い事を学習していた。故に、空一帯を羽の落とし子で覆うという強引な手で空を封じたのだ。そしてそれは、極めて有効でもあった。


 サンは頭を常に抑えられて、自由に空を舞う事が出来ない。かといって空を捨てれば“聖女”の攻撃を避けられない。常に動きを制限され続けるというのは、思った以上にストレスなのだった。


「『抉れよ、穿てよ、無形の槍よ。――“土の牙”』」


床がこねられた粘土を思わせるように、ぐにゃりと歪む。次の瞬間、鋭利な先端を持つ槍となって撃ち出され、“聖女”の女性部分を貫こうとする。


「あ、っぐぅぅ……!」


 女性部分の腹辺りに直撃するが、硬質な音と共に弾かれる。“土の牙”の先端は負けて割れ崩れ、“聖女”の方には傷も見当たらない。


「やっぱり、硬い……!」


 短い詠唱では攻撃力が足りない。先ほど放った二度の“赤の弓放たれり”はそれなりに傷を与えているようで、黒く焼け焦げた穴が二つ拳程度に開いている。人間なら一撃で死んでしまいかねない魔法なのだが、“聖女”はとにかく頑丈なようだ。


 次の瞬間、黒い影が視界の上端を通り過ぎた。


「……っ!『炎纏いし、我が身の守り!――“鼠衣”!』」


 火炎が回る鼠の如くサンの身体に纏わって踊り、その身を守る盾となる。それは強力な魔法では無いが、頭上から喰いつこうとしていた羽の落とし子の群れを焼いて寄せ付けないには十分だった。


 ”鼠衣“が消えると同時に”飛翔“を用いて全速の後退。サンが居た場所を、黒い波が通り過ぎた。それは羽の落とし子の群れで、逃げたサンを追わずに上空に戻っていく。


 気づけば、上空の羽の落とし子の大群が幾らか下降してきている。余計動きづらくなった、と思うと同時に警戒を増すサン。消耗もある現状、この大群を一斉に差し向けられると為す術が無い。


 すると、幾筋もの羽の落とし子たちが”聖女“の体に落ちて、外表に溶けるように消えていく。


 同時に、じわりじわりと“聖女”の傷が癒されていく。


 胴体に空いていた大穴がゆっくりと塞がり始め、根元を失って落ちている3本足と再び繋がろうとし始める。


 それはずる過ぎる、と慌てて魔法を唱える。


「『青界の火、大いなる火球、ここに分かたれ、その断片を爆ぜさせん。赤く、紅く、爆炎の花を咲かせ、空と地へその存在と記憶を焼きつけ、断片消ゆるとき、そこに在るものは何も無く、また許されぬ。――“天片滅火”!』」


 単純明快にして強力。引き起こされた大爆発は塞がろうとしていた”聖女“の傷の内側から広がり、その傷の再生を中断させると共に大きく押し広げた。


「オオオオオオオオォォン!!!」


苛立ち交じりの叫びを上げる”聖女“。今度は女性の声では無く、化け物らしい咆哮。口がどこにあるのかは分からないが、発声器官がもう一つあるのかもしれない。


 すると、“聖女”は戦い方を変えた。健在である左側の前足2本を振り下ろすように、自身の核たる女性部分を覆って守る。守られたその内側から歌が響く。勇壮で猛々しい、戦の為の調べ。


 何をする気か、とサンが距離を取って見守る中、”聖女“はその脅威を正しく使用した。


 つまり、天を覆う羽の落とし子の大群へ指示を下したのだ。――目の前の敵を殺せ、と。






 ぶぉぉーん……という重々しく耳障り極まる羽音がひと際大きな音を立てると、その大群が一斉にサンへ向かって襲い掛かる。


 落ちてくる、黒い空そのものの如き大群。千でも万でも遠く足りないその数から身を守るような大魔法を唱える余裕はサンに無い。長い詠唱を完成させるような隙もくれはしないだろう。


 故に、この状況は絶体絶命、と言えるだろう。


 ――サンにその”剣“が無ければ。






 黒い羽根の落とし子の軍勢。黒い空を思わせるそれは、サンの身体を喰い尽くそうと迫り――その何倍も黒く深い波動に薙ぎ払われた。


「本当はあんまり、使いたくないのですが……。仕方がありませんから、ねっ!」


 “神逆の剣”。贄の王より創り出され、サンに与えられた絶大なる力。精々が人に過ぎないサンを決定的に超常の存在へと成り上がらせ、理不尽にして圧倒的な暴力をもたらす。


 “剣”より放たれた黒く黒い“闇”が球状の波動となって、黒い空を大きく穿つ。迫りくる無数の暴虐を、更に塗り替える暴力で叩き落とす。


 その異常なまでの力の顕現には“聖女”もまた驚愕したのか、操る羽の落とし子たちの動きが止まる。


 2本の巨柱の如き足に守られた向こう側、そこに篭る“聖女”の核に向けて、サンは切っ先を持ち上げる。


「あまり、余裕がありません。――即刻、倒されてください。」


 力が、黒い嵐が、“聖女”へ迫る――。







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