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贄の王座と侍るもの  作者: 伊空 路地
第一章 世界の敵たる孤独な主従
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19 命の天秤


 ばたん、と音がして世界が暗闇に包まれる。


すすり泣く声が聞こえる。声が呟く、ごめんなさい、と。


その声を聞き届ける者は暗闇の世界には誰もいない。






 ――ごめんなさい、ごめんなさい。


繰り返しの呟きは誰かに向けられたものなのか。






 ――ごめんなさい、ごめんなさい。


それとも、誰も聞き届けないことを知っていて、なお呟くのか。






 ――ごめんなさい、ごめんなさい。


それでもきっと、誰かが聞いてくれていると、信じずにはいられないのか。






 ――ごめんなさい。


その呟きに、込められた願いは……決して、実らない。











 じーっと音が聞こえる。何だろう、と意識を向けてみるのだが、それが何だか分からない。


 じー……。何となくその音が不愉快で耳を塞ぎたくなるけれど、両手が上手く動いてくれない。


 もしかすると、これは夢なのだろうか。夢の中では思うように体が動かないなんてことも無いでは無い。


 目を開ける。しかし真っ暗闇だ。


 やはりこれは夢らしい。だって、頭もこんなにボーっとしているから。夢の中で見る夢から目覚めた時、朝が来た、起きないと、と頭が思っているのに身体が動かない。


 どうして、なんで?何が起こっているの?と焦り、必死で身体を動かそうとするのに動かない。腕も指も脚も眠ったまま動かない。


 ただ明晰な意識だけが重い肉の檻に閉じ込められて、自由を奪われている。焦って、動きたくて、動けなくて、必死で、ただ頭痛だけが増していく。


 そして唐突に“夢”から覚めるのだ。


 そして気づく。


 起きたと思ったあの時点ではまだ、夢の中だったらしいと。


 ――今回の夢は、なかなか、覚めないな……。


 夢、のはずだ。


 いいや、違う。気づいている――。


 五感が生々しさを増していく。


 どこかぼんやりとした頭もゆっくりと覚醒していく。





 「……ッ! ハ……、ァ……。ハァ……」


 サンに現実であることを認識させたのは息苦しさだった。だが、分からない。一体何が起こったのか。


 辺りは真っ暗で何も見えない。じー……という耳鳴り以外、何も聞こえない。


 感じる匂いは埃のものだけで、口の中には苦みがいっぱい。


 そして体中に感じるものは、痛み。


 腕が、脚が、胸が、頭が、痛い。


 じんじんと、熱をもって熱くて堪らない。


 サンは必死に記憶を辿る。カフェの席、広げた地図、机の木目……。がやがやとした客たちの声、とんとんと机を叩く音、そして――。


 衝撃。……【衝撃】。


 その時、サンの頭上、遠い遠い場所から獣の咆哮が聞こえる。重くて低いその声はこれ見よがしに『自分は危険だ』とアピールしているように聞こえた。


 サンはその咆哮が頭上であることに違和感を抱く。そして、自分が”埋まっている“という推測を立てた。脳裏に浮かぶのは魔境の城から見える廃墟。カフェの建物が崩れ、そこに埋められてしまったのだ、とサンは答えにたどり着く。


 ならば、聞こえたあの声は【衝撃】のものに違いないだろう。何が起こったかは不明だが、【衝撃】がリーフェンを襲撃し、自分は倒壊した建物に埋められた。


 「はッ……、ハァ……、ハアッ……」


 ――苦しい。痛い。


 自分の状態も把握しきれないが、どうやら死にかけと評しても的外れではなさそうだった。


 両足は痛み以外に感覚が無く、右手はひどく痺れている。頭は重く、何か尖ったものが後頭部に当たっているらしく、鈍い痛みが主張してくる。左手は比較的無事なのか、痛みもそれほどではないし、僅かならば動かす空間もある。やけに熱い背中は大きな傷でも出来ているのかもしれない。


 サンには自分でこの状況をどうすることも出来ない事が嫌というほどに分かっていた。身体もほとんど動かせない状況で、出来ることなど何も無い。


 無事な左手で“土”の魔法を使う事は出来るだろうが、恐らくかえって潰されるのが結果だろう。


 唯一望みがあるとすれば――。


 服の右ポケットに仕舞われている鈴だ。主との連絡に使うもので、鳴らせば主が来てくれる。贄の王の力ならこの状況からサンを助け出すことも容易に間違い無い。


 問題は、鈴を鳴らす術がない事だ。手は届かない。見えず、どこにあるか分からない為【動作】も使えない。


 なお悪いことにただ鳴らすのでは意味が無い。あの鈴は袋から出さなければならないのだ。袋に入ったまま鳴らしても主に伝わることは無かった。一度袋から出して、それから鳴らさないと主には伝わらない。






 やがて――。


 サンは、この状況が“詰み”だと認めざるを得ない。少なくとも、自分の力で脱することは出来ない。主が帰らないサンを探しに来てくれる以外、助かる術は無いのだが――。


 ずずぅん、と地鳴りがして周囲が揺れる。ごごご、と瓦礫がずれて、サンの無事だった左腕を押しつぶした。


「……ッ!! ……うァァ……!!!」


 左肘から先の感覚がぷつりと消え、()()になった肘のあたりに激痛が走る。サンの脳内が真っ赤な痛みだけで満たされる。冷静な思考が一度押し流され、取り戻そうと焦る。


 ――おちつけ、おちつけ、おちつけ……!


 焦ってもどうにもならない、と必死で思考を冷静にさせる。だが冷静さを取り戻していく思考が最初に呟いた言葉は、『無意味』だった。


 当然である。


 サンの身体はますます痛みを増し、無事だった左腕を無くし、流れる血を止める術も無い。主の助けを待つよりも、命が途絶えるほうが早い。


 ならば、諦めるか。命をこのまま捨てるか。


 一度失った命。どうして再び失うことを恐れるだろうか。


 “前回”の死のことをはっきりと覚えている訳ではない。しかし、呪詛に満ちていたことは覚えている。そしてもう一つ、解放にも満ちていたことを覚えている。


 以前にとって生とは苦痛で、死は望んでやまない解放だったからだ。


 サンは覚えている。死に焦がれた時の思いを覚えている。死の解放の喜びを覚えている。


 かつてあれほど望んだ死が再び訪れる。それだけのことだ。


 どうして、怖がることがあるだろうか。


 どうして、恐れるのだろうか。


 どうして――。






 ――どうして、怖いんだろう?


 ――どうしてこんなに、恐ろしいんだろう?


 サンは知らなかった。生と死の重みは釣り合うのだと。


 生が軽ければ死も軽く、生が重ければ死も重い。


 さながら、釣り合う『天秤』のように。






 「は……、ぁ……、ゥ……。うぅっ……」


 苦しみの吐息に嗚咽が混じる。


 冷静な思考が混乱する。――どうして死ぬのが怖いのか、と。あんなに欲しかったじゃないか、と。


 どうして?――だって、まだやる事がある。


 どうして?――だって、まだやりたい事がある。


 どうして?――だって、死なせたくない人がいる。






 ――そうか、私は。


 ――生きたい、のだ。






 サンは決断する。


 このまま、待っていても助かる未来は無い。カフェにいたのはまだ昼前。主が気にかけて探しに来るとしても、まだ半日はある。この状態では、半日は持たない。


 ならば助かる道を模索するしかない。無理やりにでも、死の可能性がずっと高いとしても。何もしないまま、死んでやるなど出来なかった。前回とは違う。もう、生きる目的を見つけたのだ。


 痺れるばかりの右手に魔力を集める。感覚は鈍く、いつもの鋭敏な制御は願うべくも無い。それでも、集める。練って、編む。


 普段よりずっと長い時間をかけて編み上げたのは“土”の魔法。いつもの奇麗な魔法ではなく、歪んだ醜い魔法。だが、精一杯の魔力を込める。無理やりに、命を削って。


「……『我は、大地の、子。怒れる……ままに、振り上げる……。右の、拳が、大地を……砕く。腕を伸ばして、天を……掴む……!【憤怒の、城拳】……!』」





















 崩壊し、未だ舞う粉塵満ちるリーフェンでは、【衝撃】が残された街を踏み荒らしていた。ちょうど建物と同じくらいの大きさをもつ【衝撃】は体当たりで家々を砕き、逃げ惑う人々を踏み潰す。


 壊滅した軍隊の残滓が抵抗を試みるも、散発的なそれらでは【衝撃】を止められない。銃撃で傷を負わせても、巨体ゆえに痛打を与えられないのだ。


 また一人の兵士が蹴り飛ばされて命を散らし、次の一人が踏み潰されんとした瞬間、【衝撃】が慌てて駅のあった方を振り返る。


 すると、瓦礫の山の一角が爆発する。


 正確には、瓦礫の下から噴き出した大量の土砂が瓦礫を天も掴めるかというほどの高さにまで打ち上げていったのだ。吹き飛ばされた瓦礫類は再び重力に引かれて地面に叩きつけられ、粉々になる。


 土砂の風圧で吹き飛ばされた粉塵が再び舞い上がって空を埋める。【衝撃】はじっと土砂の噴き出したあたりを睨みつけ、頭部の角を構えている。


 だが次の瞬間、【衝撃】は地鳴りとともに地に伏せる。その身を地面に叩きつけるような伏せは【衝撃】の恐怖の表れ。


 リーフェンを満たす粉塵が突如晴れる。


 吹き飛ばされ、かき分けられた瓦礫がクレーターを作る中央に、一人の男が立っていた。周囲の盛り上がった瓦礫のせいで誰からもその姿は見えていないが、魔物たる【衝撃】には姿が見えないことなど些細だった。


 その男に名前は無い。


 世界で唯一の存在に、識別のための名前など不要だからだ。


 そのモノこそは、【贄の王】。


 魔物たちが唯一恐れ、跪く存在――。






 男が転移する。その先は必死に大地へ巨体を伏せる【衝撃】の鼻の先。


 ごほぉっ!っと【衝撃】が強風のごとき息をもらす。恐怖に暴れたいのを必死にこらえているのだ。ぶるぶると震える四本の足。その存在の気を損ねてはいけない。嵐が迫ると分かっていて逃げない命知らずでは無かった。


 だがその賢明さは無意味だった。






 そして天から黒い塔が降る。鋭利な先端をもつそれは、巨大な槍と称しても良いかもしれない。


 黒い塔が【衝撃】の巨体を貫いて大地に深々と突き刺さる。


 ――それで終わりだった。







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