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贄の王座と侍るもの  作者: 伊空 路地
第六章 神聖悲劇
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188 告白


 城壁の上に続く階段の途中で、シックは力無く座り込んでいた。


 地下へ行くように言われたが、これ以上に逃げる事に気後れして、足が動かなかった。かといって『足手まとい』という言葉を否定出来ず、”従者“を追って戦いに行く事も出来なかった。


「確かに、足手まといだよな……。」


 決して戦うのが恐ろしい訳では無かった。シックは元来勇敢な人間だし、戦いに怯える性質では無い。しかし、今はそれ以上に自分を信じられなかった。今頃“従者”は恐るべき“聖女”と一人戦っているだろう。だが、自分は確実に足手まといになると思った。


 前回“聖女”と戦った記憶が蘇る。自分は終始、確かに足手まといだった。“従者”が一人で戦った方が余程動きやすいだろう。事実、自分を庇って”従者“は戦闘不能に追いやられたのだ。余計な存在が居なければ、”従者“が”聖女“に勝利出来る可能性はむしろ高い。


 失意がシックの胸を支配した。自分は一体、何のためにここまで来たのだろう?自分を守るためだけに死んでいった数多の騎士たちは、何のために命を散らしたのだろう?自分が愚かだったために死なせてしまった命が、罪なき人々が、あまりに多すぎる。


 酷く項垂れて、きつく目を閉じる。






 ――このままでいいのか?


 声が聞こえる。それは自分と同じ声をしていた。




 ――このままでいいのか?


 声が問いかけて来る。




 ――このままでいいのか?


 うるさいな。




 ――このままでいいのか?


 言われるまでも無い。分かってる。




 ――このままでいいのか?


「いい訳無いだろ……っ!分かってるさ、でもどうしろって言うんだ……っ!」






 このままでいい筈が無かった。わざわざこんな所まで来て、あんなに多くの騎士たちを死なせて、今もたった一人に戦わせて、自分はこんなところで(うずくま)っている。それでいい筈が無いのだ。


 そんなことは、誰に言われるまでも無くシック自身が分かっていた。


 シックだって、許されるなら怒りのままに剣を振るい、憎き“聖女”と戦いたい。半ば自棄だとしても、それで皆の想いが果たせるなら、この失意を振り払えるなら、そう思った。


 だが、事実シックは“聖女”に対し『足手まとい』なのだ。


 “従者”にも言われたし、自分でもよく分かる。シックの戦闘能力は対人間の物。あからさまな怪物である“聖女”相手では分が悪すぎるのだ。切り札を用いれば戦えるだろうが、これは本当に奥の手なのだ。とても、気軽に使える力では無い。


 それに何より、今の弱り切ったシックに何が出来るだろう。“従者”には良く分かっていたのに違いない。一度は全力の殺し合いを演じ合った仲だ。今のシックがとても十全の戦いなど出来ない事を見て取っていたのだ。


 端的に言って、シックは怖かった。


 怪物と戦うことが、では無い。負ける事だ。更に言えば、自分のせいで勝てた筈の”従者“まで負けさせてしまう事だ。


 まさに、さっき自分が発した言葉は自分に向けたものでは無かったか。「なんで邪魔をした」などと。


 ――お前さえいなければ、もっと上手くいったのに。


 そんな罵倒が、シックの心を苛むのだ。


 ――そこに居るのがお前でさえ無かったら、誰も死ななかったのに。


 そんな罵倒が、シックの心を傷つけるのだ。






 シックには分かっていた。自分が決断を誤らなければ死ななくて良かった人は余りに多かったのだと。


 最初に西都で歌声を聞いたとき。惨劇に気づいて“聖女”を探していれば、討伐していれば、一体どれほどの人が救えただろうか。


 シシリーア城で“聖女”と相対するとき。”歌声“が持つ能力にもっと早く気が付いていれば、一体どれほどの人が対応出来て、助かっただろうか。


 “聖女”を始めて前にしたとき。初めから切り札を使っていれば勝てたのでは無かったか。あるいは“従者”に全部任せていれば、“従者”は順当に勝っていたのではなかっただろうか。


 東都に向かうとき。騎士たちの護衛を断って一人で来ていれば、彼らは死ぬことも無かっただろう。ここには”従者“も居たのだ。二人だけで身軽に動いていれば、もっと簡単に話は進んでいたのではなかっただろうか。


 東都に着いたとき。自分がさっさと切り札を抜いていれば、皆を守る事が出来たのではなかっただろうか。


 “聖女”の罠にかかったとき。違和感を抱いていたのだから、もっと踏みこんで考えていれば良かったでは無いか。あれが無ければ指揮官は死ななくて済んだのではなかっただろうか。


 城門に鎧の落とし子たちを見つけたとき。真っ先に切り札を使っていれば、残った騎士たちは死なずに逃げ切れたのではなかっただろうか。


 “従者”に助けられるとき。迷わずに切り札を使っていれば、シュムルたち最後の生き残りは助けられたのではなかっただろうか。


 そもそも、シックが東都になど来なければ。


 いや、ターレルにさえ来なければ。


 シックが、最初からそれを手に取りさえしなければ――。






 シックは今や、泣いていた。


 ぼろぼろと熱い涙を流し、両手で目を覆って、小さく殺した嗚咽を漏らして、泣いていた。


 後悔と絶望が彼の胸を支配し、もうどこにもいけなくしてしまっていた。


 苦しかった。


 死んでしまいたいと思った。


 消えてしまいたいと思った。


 しかし、それは出来なかった。彼には使命があった。託された想いがあった。


 悲しんでくれる人も居ると知っていた。


 両親が、友人達が、師たちが、慕ってくれた民たちが、悲しんでくれると知っていたのだ。




 そして何より、一人の少女が居た。




 今どこにいるのか、生きているのかさえ分からないけれど。自分が死んだら彼女は泣いてくれるだろう。


 シックは、この世の誰を泣かせるとしても、あの少女だけには涙を流させたくなかった。


 ――そのためなら、どんな事だって出来ると思った。











「――シック。」


 名を、呼ばれた。






「……シックの行動の理由がどうであれ、最後にその行動を選択したのは神でも教えでもありません、あなたなんですよ。」


 ふと、声が聞こえた。






「……あなたは、ただ教えのままに従っているんじゃなくて、自分の心で決めて来たんです。」


 そう、言っていた。






「だから、ありがとうございます。シック。私を、何度も助けてくれて。」


 そう、言ってくれた。






「シックは、神の教えなんかの為じゃなくて、自分自身の魂のためにこそ戦う人。私は、そう信じます。だからシックも、一緒に信じて下さい。」


 信じてくれると、言った。






「あなたは決して、己の魂を裏切らないって。」


 それは固い信頼だった。






「信じられそうですか?自分自身を。」


 信じる。自分を。






――分からない。でも、やってみるよ。


 ……そう、答えた。











 彼女に言った言葉を、嘘にしたくないな、と思った。




 彼女だけは、裏切りたくないな、と思った。




 それだけは、したくない。




 それだけは――。


























「――フゥーーーーッ……。」


 両手を地面につく。勢いづけて、力を込める。立ち上がる。






 ぐいっと顔を強引に拭う。目を開いて、目の前の壁を睨みつけた。






 もう一度目を閉じて、脳裏に少女の顔を描いた。その顔は、優し気に微笑んでいた。






 ――信じられそうですか?自分自身を。


「――分からない。でも、やってみるよ。」






 シックは今度こそ、はっきりと力を取り戻しつつある瞳で、確かに笑った。


「――ありがとう。……サン。」






 掻き消えるサンの顔。代わりに映し出されたのは、あの日の背中。


 その背中に向けて、シックはあの日と同じ一言だけを呟いた。






「俺は、君が好きだよ。」






 それから、シックは駆け出した。







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