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贄の王座と侍るもの  作者: 伊空 路地
第六章 神聖悲劇
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187 どん底まで落ちていけ


 空を黒く染め上げる程の羽の落とし子の群れ。それはぐんぐんと落ち迫り、あと何分も無く地上へ到達するだろう。そして、あれほどの数を相手に生き残る術は無い。


 城門から湧き出で続ける鎧の落とし子の群れ。黒い壁を思わせるそれもまた、ゆっくり着実に近づいて来ている。もうすぐそこで、空が落ちてくるよりも先に触れ合う事になるだろう。そして、あれほどの数を相手に戦い勝つ術は無い。


 迫りくる二つの絶望に対し、残された僅かな騎士たちは呆然と待ち受ける事しか出来なかった。


 もはや、彼らに生き残る術は無いように思えた。どこへ逃げようと、もうあの黒い空から逃げ切る事は出来ない。逃げ込めるかと思えたムッスル=ア城の地下へは到達出来ない。前方の鎧の落とし子の群れは未だ城門から増え続け、数体でも苦労する相手をこの寡兵で相手するなど無謀に過ぎる。とても正面からぶつかってはいけない敵だ。


 逃げる事も戦う事も出来ない。騎士たちを支配する絶望は深く濃く、彼らを導くべき指揮官を失った事もそれに拍車を掛ける。


 ただただ呆然と、迫りくる死を眺めている事しか出来ない。――がちゃん、と誰かが銃を取り落とす音が虚しく響いた。


 絶望に囚われているのはシックもまた同じだった。彼の場合、後悔もまた強かった。もう少し自分が指揮官の異常に、“聖女”の悪辣な罠に早く気づけていれば。少なくとも、たった今無為に命を散らした騎士たちは助かった筈だ。






 実際、シックが間際に気づいた事実は正しかった。


 途中で保護した意識不明の女性は罠だったのだ。より正確に言えば、あれこそが“聖女”本体だった。全ての肉を落とし子へと変え、本体たる女性部分だけを道端に置いて罠としたのだ。


 だから、二回目の襲撃時に聞こえた歌声は驚くほど近かったのだ。何せそれは騎士たちのまさに中央、指揮官のすぐ背後から発されていたのだから。歌声の効力が弱々しかったのはわざとだったのだろう。


 何と大胆不敵な罠だろうか。最大の弱点である自分自身を騎士たちにその手で運ばせるなど。


もし途中で誰かがそうと気づいたならば、“聖女”はあっさりと討伐されていただろう。先ほど指揮官と共に鎧の落とし子へ突っ込んで消えたが、まさかあれで死んだ筈も無い。何かしらの術で生き残っているだろう。


 “聖女”を討伐する為にここまでやってきたと言うのに、すぐそこに居た筈の“聖女”はまんまと安全地帯に逃げ込み、シックらは逃げ場の無い窮地に追いやられた。絶望と後悔がシックの胸中を支配し、その心から希望を取り除いてしまったのも、仕方のない話だったろう。






 ――それでも、立つしか無い。


 シックはいつの間にか俯いていた顔を上げると、キッと前方の敵を睨んだ。まだ、死ねないのだ。彼には果たすべき使命があるのだから。


 今、シックにだけ最後の手段が残されていた。一度使えば自分さえもただでは済まない諸刃の剣。それでも、唯一この状況をまるごとひっくり返してしまう可能性を秘めている力。


 もう、ここで使うしか無いのだ。せめてまだ生きている騎士たちを守るためにも、この窮地を脱する為にも。


 怯え、恐怖する。手が震える。それでも、シックは、唯一の切り札へと手を伸ばそうと――。






「ぐああーッ!?」






 突如響く悲鳴。それはシックのすぐ背後から聞こえてきて、彼をひどく驚かせた。


 咄嗟に振り向けば、最も後方に居た一人の騎士が馬から落下していく姿。落下する軌跡には赤い赤い道筋が描かれ、見開かれた両目と共にシックの脳裏に焼き付いた。


 そして彼の背後から一体の落とし子が現れ、飛び掛かってもう一人の騎士の顔面へ喰らいつく。


「むごっ――。」


 死の接吻と相成った落とし子の一撃は、悲鳴すら上げさせずに騎士の命を奪い取った。彼らの口は恐ろしく強靭で、人の肉も骨も簡単に一齧りにしてしまうのだ。


 顔面に落とし子を張り付かせたまま落馬していく騎士。勢いよく血飛沫を上げていて、近くに居た他の騎士をびちゃびちゃと汚した。


「なっ――!」


 気づかなかった。絶望に囚われていた騎士たちも、シックも、気づかなかったのだ。――彼らの背後から、無数の落とし子たちが迫っている事に。


 一頭の馬が悲鳴を上げて崩れ落ちる。上に乗っていた騎士も共に落ちていき、飛びこんで来た落とし子に首を齧り抉られ絶命した。






 また、遅れた。もう少し切り札を使う決断が早く出来ていれば、彼らは助かったかもしれないのに。


 もう迷っている時間など無かった。今度こそ、シックは切り札に手を――。


「うあぁっ!?」


 ふいに、シックの身体が宙に浮いた。背後からわきの下を通し、胸の前でがっちりと組まれた二本の細い腕。


「つかま、って!」


 後頭部の辺りから聞こえる声はくぐもっていて、性別も人間味も感じさせないもの。――どこか、優しい匂いが漂った。


 馬の上からぐいと持ち上げられたシックの身体はあっという間に空高く上がり、そのまま他の騎士たちからぐんぐん離されていく。騎士たちは驚いてシックの方を見上げているが、どうすることも出来ない。最も近かったシュムルなどは手を伸ばしていたが、もう届かない。見開かれた白ひげ騎士の目と目を合わせたまま、シックは空へと連れていかれた。






 そのまま一気に距離を離されてしまい、シックの身体はムッスル=ア城の城壁上に投げ出されるように着地する。


 すぐ傍らではフードで顔を覆った小柄な人物がはぁはぁと息を荒げて両手を地面についている。


 シックは慌てて城壁の縁まで駆け寄ると、離されてしまった騎士たちの姿を探す。それはすぐに見つかった。無数の落とし子に絡みつかれ、必死で抵抗している。しかし既に、数を更に減らし生き残りは僅か10を超える程度。それもどんどん地面に落ちて、落とし子たちに纏わりつかれて見えなくなる。


「あ、あ……。」


 最後まで生き残っていたのはシュムルだったと思う。距離があるので判然としないが、恐らくそうだった。早々に馬を見捨てて走りながら、剣を振るって落とし子たちを薙ぎ払う。しかし、迫る落とし子たちから逃げるという事は、背後に近づいていた別の脅威に自ら接近するという意味だった。彼は知らず近づき過ぎた鎧の落とし子の足に半身を踏み潰されると、そのまま巨躯の大口に覆い隠されて消えた。派手にぶちまけられた血飛沫だけが、とても赤くて鮮やかだった。


「あぁ……。」


 がくり、とシックは膝をついた。もう、立てる気がしなかった。






「……怪我、は?」


 背後から、恐る恐ると言った様子で声がかけられる。無機質で人間らしさを覚えない声だったが、それが自分を案じている事くらいは分かった。


 ありがとう、と言おうとした。だけれど、口から出てきた言葉は違うものだった。


「なんで……ッ!なんで邪魔をした……ッ!!」


 びくり、と“従者”が身体を震わせる。


「今まさに、彼らを助けようと……ッ!みんな、死んでしまったッ!!」


 違う、と思った。それでも、彼が発した言葉に違いなかった。


「……ごめん、なさい。……あなただけでも、と……。」


 項垂れ、そう力無く言う“従者”。その身体には、さっきまで戦っていたのだろう、赤く小さな傷がいくつかあった。


 その姿を見てなお、シックの卑怯な部分は言葉を続けようとは出来なかった。


 ぐっ、とシックの喉の奥がつまる。一度だけ口を開いて、何かを言おうとしたけれど何も言葉にはならなかった。


「……それに、遅くなった。……謝る。」


 確かに、“従者”の合流がもっと早ければ状況はまるで違ったろう。この強力な魔法使いならば城門の鎧の落とし子たちを薙ぎ払えたかもしれないし、あるいは騎士たちの身を守ることも出来たかもしれない。


 だが、どうしてそんな事を責められるだろう。“従者”はきっと、善意の協力者に過ぎなかったのに。


「――ち、ちがう……。ちが、うんだ。おれは……。」


 ようやく絞り出された言葉は酷く無様で、情けない声だった。


 せめて最初の一言で感謝が言えていたなら良かったのに。意図せず口から零れたのは自分の弱さを言い訳する為の(なじ)りだった。お前が悪い、お前が余計な事をしなければ自分は彼らを助けられた、とでも言うかのように。……何とも、卑怯で笑えるではないか。


「……すまない……。お前は何も、悪くない……。助けてくれたのに……。つい、俺は……。」


 震える無様な声で何とか謝る。シックは自分の不甲斐なさと情けなさで泣きたい気持ちだった。どうしてこんなに、自分はダメな奴なんだと、そんな自分を非難する声が頭にこだまする。


 もういっそ、このまま消えてしまえたらどんなに楽か、とそう思った。精一杯に苦しめてくれたらいいと思った。せめて、己の愚かさへの贖罪として。


 場に、きまずい沈黙が降りた。シックはもう何も言えなかったし、“従者”もまた、そんなシックにどう声をかけたらいいか分からないようだった。






「~~♪~~♪~~♪……。」






 だが、“聖女”はそんな二人を慮ってなどくれない。


 高らかに、己の勝利を誇るような、清らかで美しい歌声が空から落ちて、響き渡る。






 「――こっちへ。急いで……!」


 その歌声を聞いた“従者”の反応は早かった。未だ項垂れているシックの手を取ると、強引に引っ張りだす。力無くシックがそれに従って走れば、”従者“は城壁の階段から壁の内へ。


 周囲からの視線が遮られた階段の途中で立ち止まると、“従者”は潜めるような声でシックに言った。


「……この先、右側に地下へ続く階段があります。適当な扉に篭っていれば見つからないはず。そこに隠れていて下さい。」


「え……。いや、お前は……。」


 “従者”は口元に人差し指を立てて当てると、静かにするように合図してきた。怪しげな仮面が、フードの下に見えた。


「魔物は今、私たちを殺したと思っています。証拠に、空が止まっている。私はアレの討伐を。あなたは安全な所へ。」


「俺も……っ。」


「ダメ。とても戦えるようには見えませんし、足手まといです。私にもいくつか切り札がありますから、任せて下さい。」


「……しかし……。」


「お願いします。私に、任せて。……さぁ、行って下さい。地上に居ては危ないですから。」


 それだけ言うと、“従者”は再び階段を駆け上がって行く。そのまま城壁の上に行って見えなくなる。シックは、その背中を眺めている事しか出来なかった。







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