174 聖地守護する騎士たちの誉れ
無数の黒い生き物、巨大な虫を思わせるそれらの襲撃は聖地シシリーア城にも手を伸ばしていた。
威容を誇る鋼鉄の城門も、壁を登り小さな窓からどんどんと侵入してくる落とし子たちには効果的とは言い難い。城門屋上に設置されたままの魔導砲三台は既に撃ち尽くされ、放置されていた。
「怯むな!怯むな!我らは聖地を守護する者ぞ!神聖なる領域に虫どもを一匹たりとて通すな!」
完璧に統制された騎士たちは、その襲撃当初こそ混乱の内に被害を重ねたものの、落とし子たちが単体では決して強くないこと。肉も骨も一齧りに砕く口も鉄までは砕けないこと。そして知能も無いことなどが明らかになるにつれ、無事に防衛線を回復。鉄の武器より木製の訓練用武器や只の箒、大きな酒瓶などの方が取り回しの面で優れ、落とし子たちには有効であることも判明し、騎士たちは目に付いた雑多な獲物を振り回し落とし子らを撃退していた。
「クソッ木剣が折れた!誰かなんか無いか!」
「椅子でも使え!素手はダメだ喰いちぎられるぞ!」
「死に腐れ虫ども!うえっ、ぺっぺっ!口に入った!」
「この現代に鉄甲冑が有効とは笑えるぜ!骨董品に感謝感激だ!」
「おいバカ銃なんか捨てろ!踏んだ方が早い!」
「気色悪ぃんだよこの!おらっ!死ねッ!」
落とし子が出現した地域はどこも喰い荒らされた亡骸だけが転がる地獄絵図と化していたが、この聖地シシリーア城だけは防衛に成功していた。聖地の広場までは侵入を許しながらも、徐々に押し返してさえいた。
「隊長!甲冑部隊到着です!」
「なら前線の奴らと順次変わってやれ!奴らは鉄を噛み砕けん!」
シシリーア城内に保管されていた鉄の甲冑群。薄い鉄板を撃ち抜くライフル銃の登場によりお役御免となったそれらは、むしろ骨董品、歴史的遺物として保管されていたが、この局面においては何よりも頼もしい防具だった。落とし子たちの強靭な牙も鉄まで一齧りには出来なかったからだ。
「三種火球統制発動構え!撃てぇーーっ!!」
「四種雷撃陣よーいッ!目標地点どこでもいい!撃て!撃ちまくれ!」
下級魔法部隊は統制された集団魔術を用い、最も頼りになる火力として機能。無詠唱のみの魔法たちはいずれも弱く人の無力化には至らない威力だったが、落とし子たちには十分な破壊力を発揮した。
「散開!各員、広範囲魔法にて虫どもを撃滅せよ!」
「“土”を得意とする者は城壁の保護に回れ!窓という窓を潰していい!入口を無くせ!」
「“水”だ!一気に押し流して追い払え!」
「“雷”なら威力は要らん!とにかく範囲だ、撃て撃て撃てェ!!」
中級魔法部隊は短詠唱の魔法を駆使してひたすらに範囲攻撃。仲間たちと連携しての大規模魔術よりも、個人が散発的に撃つ範囲攻撃魔法の方が有効だからだ。
「『それは炎の蛇。我の怨敵を食い尽くすなり。――“火炎餓蛇”!』」
「『吠える獅子、舞う鳳。駆けるは狼、うたうは竜!顕現せん、我がしもべ!――“業火の獣”!』」
「『打ち払え、形持たぬ鬼の手よ。――“水鬼鞭”。』」
「『我乞い願う。嵐の王よ、我に息吹を!――“嵐風牙”!』」
上級魔法部隊はその有り余る魔力を普通詠唱にて破壊へと発現。中には中詠唱を唱える者もおり、それぞれが得意分野を生かして戦力の足りない部分へ個人として活躍。戦場の神と称えられる彼らの存在は戦線の士気を底上げしていた。
そして――。
「『我は水龍。うたうもの。我は世界に轟かせん。我のうたを響かせん。今よりこの地に奏でられしは、いと高くいと清くいと強きわが声の調べ。鮮烈にして、劇的にして、完全にして、美麗にして、偉大にして、高貴にして、聖性にして、無欠にして、栄光にして、泡沫にして、朧気にして、慈悲にして、断罪にして、救済にして、終末にして、黎明にして、終局なりし。いざや聞け。大地よ叫びを記憶せよ。――“水龍の息吹”。』」
ピィ――ッ!と甲高い音を立て、魔法使いの両手から一筋の柱が走る。それは“水”。超高圧で撃ち出された水は一条の矛となり、戦場を斬り裂いた。聖地正面の大通り、そこに居た無数の落とし子たちがその体をバラバラに吹き飛ばしながら絶命してゆく。
「『主よ、主よ、偉大なるかな、我らが父よ!御身に仇成す邪悪なりしは彼のものら、我は代わって払いませり。従順なるべき我ら従僕、我と我が身を剣とし、主への信仰を示しませり。愚昧なるかな彼のものら、威光に依りて裁きませり。公明克己、公正跪拝、天命尽身、神聖懸魂!神秘の天秤ここに在り、否!神なる天秤偏在にして唯一無限。天のいと高き御方の手。我その力をお借りしませり!――“天ノ照覧地ノ罪業”!』」
カッ――と、天の一点が太陽の如き光を放つ。そして、光は落ちてくる。眩い雫となって大地に落ちる。すると、バァァァァァァァアアアア……ンッ!!という何か偉大で神聖な楽器を吹き鳴らしたような音が聖地に響き渡る。音と同時に、いや、音よりも速く、大地に広がり渡ったのは”雷“。光る雫の落ちた点より、広く広く球形に通電した超高電圧は数え切れぬほどの落とし子たちを一気に爆発させ、原型など欠片も残さず体液すらもほとんどを蒸発させた。
騎士たちの内の魔法使い。更にその内、格別の才覚に恵まれた神聖魔法部隊の者たち。危機を切り裂き、苦難を砕くその雄姿。常人には叶わぬ大魔法を行使して、戦場にて高らかにその威厳を謳い上げる彼らはまさしく一騎当千の英雄である。
そして、その戦場たる聖地に本当の“英雄”が辿り着いた。
残念ながら個にして伝説の存在は、数にして脅威たる存在には有効打足り得なかった。だが、騎士たちの信頼と信望をその背に受ける一人の少年の到着は、彼らの心に確かな光をもたらした。
「おい、見ろ……!!あれは、シックザール様だ!来てくださった!!」
「シックザール様、シックザール様だ!!お前ら、我らに勝利がやってきたぞ!!」
「あぁ、主よ!なんたるお慈悲、なんたる慈愛!英雄をここに使わして下さった!」
「うぉぉぉぉぉおおおおおおおおおおッ!!!英雄殿に恥じる戦いなんぞ出来ねェぞォ!!傷がなんだ、数がどうしたァ!戦え、戦うぞ!我ら聖地の騎士なるぞォッ!!」
「なんたる戦いぶり!無数の虫どもの中央をたった一人でかき分けてくるぞ!」
「援護しろ!援護だ!英雄様の負担を減らして差し上げろッ!!」
「聞いたな者どもッ!お前らの底力はこんな虫どもに遅れるような物じゃないなッ!?さぁ戦え!撃て!虫どもを一匹残らず殲滅してやれッ!!!」
「「オォォォォオオオオオーーーーーーッ!!!!」」
戦場の士気は最高潮。苦しくも防衛を成していた筈の騎士たちは、いつしか勢力を増し、落とし子たちの軍勢を跳ね返し始めた。防衛だった彼らが攻撃側にさえ回り始めたのだ。
時には聖地の城門から打って出て戦う者すらいる始末。戦いの趨勢は決したと、誰もがそう分かった。
そしてついに、落とし子たちは段々と数を減らし始める。
最初は気付かぬくらいの緩やかさで。その内、誰の目にもはっきりと分かるほどの加速度で、その迫りくる数を減らし始める。
そして、そしてついに――。
「……終わった、のか……?」
「虫が居なくなった……。勝ったのか……?俺たち……。」
聖地シシリーア城から、落とし子たちが姿を消した。後に残るのは、黒く大地を塗り潰す残骸だけ。動く落とし子は一体も見当たらなかった。
じわじわ、じわじわと。騎士たちの胸にその二文字の実感が訪れ始める。最初に叫んだのは、一体誰だったろうか。
「――か、勝った!勝ったぞぉぉぉぉおおおお!!!!」
初めは静寂の中に響き渡る、滑稽さすら感じる叫び。だが、それは急速に戦場へと広がっていく。
「勝った!勝ったんだ!俺たち、勝ったんだぞ!!!」
「おぉ!主よ!我らに勝利をお恵み下さった……!!!」
勝った、勝ったとそれぞれの叫びがぶつかり合い、響きあう。
「勝鬨を上げろォォォォォオオオーーーーーッ!!!」
「「「「「オォォォォォォォォオオオオオオオオオオオオオオオ!!!!!!!!」」」」」
聖地に“勝利”が響き渡る。騎士たちは怪我や汚れも介さずに近い者たち同士で抱擁し合い、手を打ち鳴らし、それぞれに歓喜を叫んだ。長時間の戦闘による疲労も、少なくない死者たちへの哀悼も、今だけは消えていた。無限の勝利への喜びだけが、聖地にあった。
「~~♪~~♪~~♪……。」
だから、しばらくの間はその歌声も聞こえていなかった。彼らの声にかき消されてしまっていたから。
それは幸運だった。彼ら自身の声量に消え、その妖しい力に囚われなかったから。
それは不幸だった。彼ら自身の声量に消え、その接近に気付けなかったから。
「~~♪~~♪~~♪……。」
気づいたときには、もう遅い。
どこからか響いてくる美しい歌声は、聖地にゆっくりと魔の手を伸ばしていた。
「~~♪~~♪~~♪……。」
夢見る女の歌声は、彼らも夢に誘い始める。
苦しみの無い、幸せな夢。みんなみんな、夢の中に沈み始める。
それは、とてもとても幸福なことに違いない。
生きている限り逃れられぬ苦しみは、夢の中には届かない。
それは何より、その女自身が知っているから。
女が残した欠片が覚えているから。
夢の中に、沈んで行く。
幸せな夢の中に。
大晦日ですねー。この物語を読んだ皆さんに良い夢がありますよーに。
ウチの”聖女”さんが幸せな夢を保証してくれますよ、きっと。
魔物ですけど。




