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贄の王座と侍るもの  作者: 伊空 路地
第六章 神聖悲劇
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173 地獄絵図


 無数の黒い生き物たちに迫られ、ようやくシックは決断する。傍らのカバスを背負うと、走り出す。


 大の男一人、鍛え上げられ武装した騎士一人。それを担いで走ることの無謀さはすぐに明らかになった。


「ハァ、ハァ、ハァ……ッ!」


 重い。大柄な騎士を背負うことで無理な負担がかかり、余計な疲労が増す。


 これでは剣を振るうことも出来ない。敵が迫ったとして走って避けるしかないのに、無理な軌道変更は重みに振り回されて転倒しかねない。せめて剣を収めるべきだったと後悔しても遅い。ちらりと振り返り見た背後には、虫めいた素早さで迫りくる無数の生き物たち。


 視界の端に映る、前方の屋根から落ちてくる影。


「ふゥ……ッ!!」


 無理やりな加速で潜り切る。落ちてきた巨大虫が仲間たちの背中に落ちて、一部だけ津波が乱れるが、すぐに持ち直す。


「ハァ、ハァ、ハァァ……ッ!!」


 ――重い。苦しい。疲れた。辛い。それでも、放り出してなんていけない……!


 賢くない事くらい分かっている。どうしてカバスたち騎士が唐突に足を止めたのかは分からないが、この先元に戻る保証も無い。カバスの騎士剣は放棄してしまったので、戦うにしても素手だ。


 それでも見捨てられない。ここで助けられるかもしれない命を一つ捨てていく事など、どうしてもシックには出来なかった。




 故にシックは残酷な優しさに救われる。




 目の前の曲がり角から飛び出してきたのは三体の巨大虫。進路を塞がれ、慌てて地面を蹴って横に避けようとする。それでも三体を避けきれず、内一体を蹴り飛ばして道を開こうとした。


 勢いよく横へズレながら蹴り。普段なら何でも無かったその動作も、背負うカバスの重みに振り回され失敗した。


 一体を蹴飛ばしたところでバランスを崩し、シックはカバスを投げ出しながら転倒。地面に投げ出された。


 強かに腹や顎を打った痛みを堪えつつ、放り出してしまったカバスの姿を探せば、案外近くにいた。――カバスの胸から、勢いよく血を噴き出して、それがシックの顔にもかかった。


「あ……ッ。」


シックが躱した三体の内二体に近い方へ放り出してしまったのが災いした。近くに落ちてきた餌に対し、二体の巨大虫はすかさず襲い掛かったのである。既にその胸は食い破られ、胸骨をばりばりと噛み砕かれている。


 転倒してもなお手放していなかった愛剣。立ち上がってそれを振るおうとするより先に、近い個体が新たにカバスに襲い掛かった。


「離れろォォォーーッ!!!」


勢いよく踏み込んでの横薙ぎ。カバスに乗りかかる三体を纏めて斬り飛ばす。すぐさまカバスを助け起こそうとするが――。


 シックは見た。その胸が大きく深く抉られ大穴が空き、その赤い赤い奥にぽっかりと空洞が出来ているのを。そこには、本来最も重要な臓器のうち一つが収まっている筈で。


 シックの脳裏によぎるのは、西都に起きていた猟奇事件の別名の一つ。『心臓喰らい』というその名前は、被害者の遺体の様子から出来た別名だと言う。


「か、カバス、さん……。」


 ショックに硬直している暇も無く、先に蹴飛ばされた一体がシックに襲い掛かる。それを難なく斬り捨てるシックの目に、すぐそこまで迫った巨大虫たちの黒い津波が。


「くそォ!ごめんなさい、カバスさん……ッ!」


シックはほんの一時、僅かな瞬間だけ迷うと、カバスの亡骸を置いて走り出した。カバスの重みが消えた体は軽く、何とも走りやすかった。その事実が却ってシックの心を荒らす。


 「ごめんなさい、ごめんなさい……!俺が、俺なら、助けられた筈なのに……ッ!!」


 シックは加速する。津波に呑まれて消えたカバスを置いて、ぐんぐん加速。すぐ背後まで迫っていた巨大虫たちとの距離が開き始める。




 たった一人になってしまったシックは、騎士団本部目指して一直線に走り抜けていった。






















 必死で走るうち、気付くと背後の黒い津波は跡形もなく姿を消していた。困惑しながらも足を止められないシックは、そのまま騎士団本部まで辿り着く。


 だが、その光景はシックが望んでいたものでは無かった。


「そんな……。本部が……!」


 シックが幾度も訪れてきた大きな敷地と荘厳な騎士たちの殿堂。それが、窓から黒煙をもうもうと吐き出している。……火事だ。


 全ての窓では無い。シックから見て右手側、東側の窓だけだ。だが、既に煙は最上階である4階からも吐き出されており、火の手の回りは既に手遅れであることを示している。すぐに建物全域に火が回り、やがて全てが火炎に包まれて灰となるだろう。


 消火活動は全く行われていない。では内に居た筈の騎士たちはどうしたのかと言うと、その命運は騎士団本部の敷地入り口を守る門番が示唆していた。


 門番は二人。いや、今は二つ。どちらも胸の上に黒い生き物が乗っており、その内臓を喰われている。当然、命は無い。


「どうして!こんな……っ。どうすれば……。」




「~~♪~~♪~~♪……。」




 聞こえくる、美しい歌声。ありきたりだが、まるで天使が讃美を歌うようだ。とても奇麗で、何より心の底から楽しんで歌っているのだな、歌が好きなんだな、と思わせる無垢な声。


 その歌声が人の行き交う街並み、雑踏に混じっていたなら。


 その歌声が人の祈る教会、その神秘に混じっていたなら。


 きっと素直に称賛出来たのだろうな、と思った。


 ――だが、その出所はどちらでもない。その出所は、もうもうと煙を吐き出す騎士団本部、その敷地内だ。


 その美しい歌声が邪悪なるものであることを、最早疑う余地は無かった。






 ぎり、とシックの奥歯が音を立てる。ぶるぶると震える拳。ぐらぐらと揺れ動く心。


 シックは火が回りきった騎士団本部から目を逸らすと、走り出した。向かうは、聖地シシリーア城。




 助けたかった。本当なら、燃える騎士団本部へ突入して生きているかもしれない人々を救いたかった。あの歌声の正体を確かめて、その邪悪な存在に鉄槌を下したかった。


 だがそれは出来ない。見れば分かるだろう、騎士団本部は手遅れだ。生存者が居たとして、そこら中に潜んでいる筈の巨大虫たちから守り抜く事は難しい。あの場において、シックがやりたい事とやるべき事は一致していなかった。


 悔しかった。自分はこんなにも無力なのか、と涙さえ流した。何のための力だったんだ、と己の至らなさを呪った。


 こうしている今も、あの建物の中では剣を交えた騎士が、共に飯を食った騎士が、杯を傾け笑い合った騎士が、道理を説いてくれた騎士が、燃えている。喰らわれている。


「畜生、畜生、畜生……ッ!」


 どうして彼らが死なねばならない。どうして彼らの体が辱めならねばならない。どうしてその肉体を灰とされねばならない。


 彼らは高潔だった。彼らは敬虔だった。彼らは誠実だった。彼らは善良だった。


 それがどうして、あんな無残な目に合わねばならない。


「くそォォォォォーーーーーーッ!!!」






 どうして自分は、彼らを救えなかったのだ。


 何のために、この力を与えられたのだ。






 シックは走る。聖地シシリーア城へ向けて真っすぐに。




 「~~♪~~♪~~♪……。」




 ――このおぞましい歌声から、少しでも逃れるように。





















 シックが騎士団本部を目指し、その惨状を目にして聖地へ行き先を変えて走る、その最中。


 シックが去った事件現場及び、その周辺では地獄が再現されていた。






「ぎゃああああぁぁぁぁぁーーーっ!!」


 生きたままその胸を食い破られ、その心臓を抉り抜かれる男の絶叫。




「助けてぇぇぇ!イヤァァァーーーッ!!」


 走り寄ってきた落とし子たちに纏わりつかれ、地面へ引き倒される女の断末魔。




「走れ!走れ!殺され――ごぇっ……。」


 なまくらの槍を振りまわし、他者を逃がそうとした勇者の最期の言葉。




「クソ!気持ち悪ィんだよこの!こん畜生どもがァ!!離れろォ!!」


 落ちてきた落とし子を殴りとばそうとして、腕に張り付かれた騎士の怒声。




「逃げて!走るの!!早くぅ!!止まらないでってばぁ!!!」


 我が子を逃がそうと、必死でその手を引く母の悲鳴。




「うあああああああ!!!ええええええええぇん!!わあああああああ!!」


 庇護者を失い、泣きわめく事しか出来ない赤子の声が響く。





 無数の落とし子が人々を喰らい、その背を追い立てて纏わりつき、地獄の中へ引きずり込んでいく。


 落とし子たちは素早い。虫を思わせる体に違わず、細い4本足を忙しなく動かして走る速度は並の人間よりも速い。もちろん運動能力に優れた者ならば逃げ切る事も出来る。だが、民のほとんどはそうではない。一人ならば逃げられる者も、逃げられぬ者を庇おうとしてまた死んでいく。


 何処かから上がった火の手が回り始める。色彩豊かな布に彩られた西都にありふれた建物。それは皮肉にも、必然的にも、あっさりと業火の薪となって沈んでいく。あるいはその火に人も落とし子も呑み込みつつ、その脅威を広げていく。




 落とし子たちは弱い。虫を思わせる体に違わず、細い4本足も丸い胴体も脆くて簡単に潰れてしまう。力自慢どころか非力な女でも叩き潰せてしまうほど。だが、落とし子の脅威はその数。例え一体二体を容易に踏み潰したとしても、十を超える数が群がってくる。素早い動きとその数に翻弄され、ある程度戦いに慣れた者たちさえも徐々に押され、やがて命を散らす。


 僅かに展開していた騎士たちもまた、果敢に剣を振るってはゆっくりと落とし子の群れに沈んで行った。武勇に優れた戦士も、連携に長けた巧者も、戦略眼を有する智者も、皆が一様に消えていく。死んでいく。


 落とし子たちが通り過ぎた後には、内臓だけをすっかり喰らい尽くされた“食べ残し”だけが散らばっている。男も女も、子供も老人も、父も母も子も、皆が皆。死んで骸を晒す様に大した違いは無かった。






 たらふく喰った落とし子たちは餌を追わない。“母”の元へ帰り、その肉体の一部として胎内へ還っていく。そしてその肉を材料として、新たな落とし子が産み落とされる。産み落とされた落とし子たちはまた“母”の胎内へ還るため、餌を求めて走り去る。


 彼らに理性は無い。彼らに知性は無い。ただ本能が突き動かすままに肉を喰らい、また還っていく。


 無数にその数を増し続けていく落とし子たちが西都へ広がっていく。人々を喰らい尽くさんと、人々の背を追い回す。




「~~♪~~♪~~♪……。」




 ”母“の奏でる歌声と、人々の絶叫。相反するハーモニーが重なって、悪魔の調べを作り出す。


 西都は今や、現世に現れた地獄と化そうとしていた。







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