172 落とし子通り
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シックはカバスたち現場保存担当の騎士を率いて走る。向かう先は今来たばかりの方、騎士団本部。
「中隊長!本当に良いんですか、現場ほったらかしで!」
「いいんだよ!これから新しい現場が出来たら仕事が増えるだろうが!」
シックを追って走るのは隊長カバスを含めた11名の騎士たち。事件後の現場を担当する筈の騎士たちが全員で騎士団本部へ向けて走っていた。
騎士団本部から事件現場へ向かう途中での出来事。巨大な虫、甘い悪臭の体液、消えた人々、流れる歌声。その状況を聞いたカバスは部隊全てで騎士団本部へ向かう事を即断。現場を半ば放棄するような行動は本来の任務から考えればあり得ない事だった。
「皆さん、気を付けて!そろそろ、さっき俺が巨大な虫に襲われた辺りです!」
背中を振り向きながらシックがそう警告する。それを聞いた騎士たちは皆、気を引き締めて腰に佩びた騎士剣を確かめつつ走る。
事実、周囲から人の姿は消えていた。先ほどまでいくらでも居た民がこの辺りには全く居ない。自分たちの足音と装備が立てる音だけがやけにうるさかった。
「マジで誰もいねぇ……!クソ、お前ら!ここは戦場だと思え!いいか、絶対に警戒を緩めるな!なんも無けりゃ後から笑えばいいんだ!」
カバスは周囲の様子を認めると、部下たちに向けてそう叫ぶ。その切羽詰まった様子にやや戸惑いながらも騎士たちは命令に従う。彼らもまた、先日のシシリーア城防衛戦に参じた者たちであった。
「あー!敵さんこっち来なくてセーフとか思ってたのになぁ!ツイてねぇぞ畜生!」
シシリーア城防衛戦に配備された騎士たちは千を超える人数だったが、実際に“従者”と接敵したのは僅かである。敵がたった一人しか居ないため、近くに居なかった多数の騎士は戦いに参加したという実感は薄かった。
「がッ……!」
その時、突然誰かが奇妙な声を上げた。直後、どしゃぁん!と勢いよく重い物が落ちるような音。
「ァんだよ!?」
カバスが振り返る。音の発生源は後ろだったからだ。
そして目にした。部下の一人が後ろの方で、地面にひっくり返って倒れているのを。……その上に、黒くて丸い虫のような生き物が乗っているのを。
「おい!?……クソが!英雄殿!一人やられたァッ!全員止まれ!背中合わせ二人組!抜剣せよ!敵襲だッ!」
倒れている騎士が部下の誰か即座に判明しなかったのは、顔が見えなかったため。崩れ落ちて背格好も良く分からなかったため。カバスの指示に機敏に従い、二人組で背中合わせを作った部隊の顔を素早く見回し、誰が倒れているのか把握した。
「ザッカ……!死んでねぇだろうなッ!生きてたら奢ってやる、さっさと立ってくれよッ!」
そう言いつつ、カバスは反転すると倒れる騎士ザッカの下へ走る。途中で抜剣し、走りざまに騎士に乗っている黒い生き物を剣の腹で殴りつける。
見た目よりも幾分軽い生き物は簡単に吹き飛んでいき、ぼてぼてと地面を転がって止まる。すると、すかさず立ち上がってこちらへ走り寄ってくる。まさしく虫のような気味悪い素早さだった。
ぬめぬめした口を伸ばしながら単調な動きでカバスへ跳びかかってくる生き物。カバスは騎士剣を振りかぶると打ち返すような軌道で生き物に斬りかかった。
「死ねァーッ!!」
グチャッ!と勢いよく潰れてバラバラになる生き物。辺りに酷く甘ったるい悪臭が広がり、黒く粘る体液がぶちまけられた。
「おい!ザッカ、無事か!?」
部隊の副隊長、カバスとバディを組む騎士が倒れて動かない騎士ザッカへ駆け寄り、その安否を確かめる。しかし、すぐにその顔は憎らし気な表情へ変わり、叫ぶ。
「ダメだ……ッ!クソがッ!ザッカがやられた!中隊長!ザッカはダメです……!!」
騎士ザッカの体をよく見れば、そのうなじ部分が大きく深く抉り取られていた。脊椎が欠け、血を溢れさせる傷は明らかな致命傷。驚きに目を見開いたままの騎士ザッカの表情はまるで自分が死んだことに気が付いていないようだった。
「畜生ザッカの馬鹿が……ッ!何さっさとくたばってやがる!……全員気をつけろ。こいつら弱ぇが、一撃で殺しに来るぞッ!」
カバスが怒鳴る。それは部下をあっけなく殺された怒りを孕んでいた。
先頭から騎士ザッカの亡骸の傍まで寄ってきていたシックは悔し気に顔を歪めると、立ち上がった。
すると、視界の端に映った黒い影を捉えてそちらに顔を向ける。
そこには三体の巨大虫。気味悪い素早さでこちらへ真っすぐに走り寄ってくる。
「敵!三体!俺がやります、皆さんは討ち漏らしに気を付けて!」
周囲へそう言いながら巨大虫へ真っすぐ駆け寄り、シックは跳びかかってくる三体の巨大虫へ剣による剛撃を見舞う。
一撃、先頭の一体を真っ二つに断ち斬り、右の一体の足を一本斬り落とす。
二撃、返す斬撃、下から振り上げるような一閃で左の一体を縦に両断。
三撃、体を反転、空中で自分とすれ違う右の一体へ真っすぐ振り下ろしやはり両断。
斬り落とされたパーツごとにバラバラと地面へ落ちる三体の巨大虫だったもの。鮮やかな動きで三体を瞬く間に死骸へと変えたシック。その目に映るのは、反対の家の屋根から巨大虫が2体降ってくる光景。
シックは間に合わない。しかし、その二体の真下に居る騎士はその存在に気が付いていた。
騎士が両手で持つ騎士剣を振り上げ、一体を迎撃。空中でグチャッと潰れてバラバラになる巨大虫。
だが、もう一体を捌けなかった。振り上げた両腕のうち、左肩に巨大虫が落ちてくる。
「痛ぇぇ……ッ!!離れろォ!」
剣を放した右手の拳で殴りつけるように巨大虫を払い落とす。ひっくり返って地面へ落ちた虫が起き上がるより先に、騎士のバディが足で踏み潰した。
騎士の左肩は巨大虫に喰いつかれ抉れていた。白い骨が垣間見える程に深く、血が噴き出している。
「畜生、痛ぇ……っ。」
左手に騎士剣をぶら下げたまま、右手で傷口を抑える。顔は痛みに歪み、十全な戦いはもう出来そうにない。
そして、その頭上にもう一体。新たな個体が落ちてきた。
「ふっ――!」
それが真っ二つになり、体液の雨をぶちまけながら騎士の傍らに落ちた。
「無事ですか!?」
それはシックだ。駆け寄ってきていたシックには新たに落ちてくる一体が見えており、空中で見事両断して仕留めたのだ。
「ありがとうございます、しかし……。」
次の句は告げられなかった。傷口を抑えつつ周囲を見回したその騎士の目に、部隊長カバスの方に迫る5体が見えたからだ。それはシックの後方で、英雄は気づいていない。
「自分はいい!中隊長を!」
そう聞くなり、見るより先に地面を蹴って反転、カバスへ走り寄るシック。だが、シックが間に合うよりも虫がカバスへ迫る方が早い。
「おらァ!舐めんな、虫ケラがッ!!」
カバスが騎士剣を振るい、二体を打ち落とす。更に続けて飛び掛かる一体をカバスのバディが刺突で貫き止め、残る二体をカバスが剣と拳で打ち払って遠ざけた。
遠ざけられた二体はまたも走り寄ってくるが、それぞれカバスとバディが剣で切り潰して仕留めた。
「英雄殿ォ!走りましょう!本部へ行かないと!」
「……分かった!行こう、本部まで走る!」
カバスたちが自分で五体を対処したことで宙に浮いたシックだったが、カバスの言葉を聞いて強く頷く。
「聞いたな全員!本部へ走り抜ける!一撃で仕留めに来るぞ、周囲や背後には気をつけろッ!」
「「了解ッ!!」」
走る、走る、走る。
シックを先頭に、皆が剣を抜いたまま騎士団本部へ向けて走り抜けていく。
途中、時折飛び掛かってくる巨大虫たちを躱しつつ、一直線に。
「一体何が起こってる!?コイツら、どっから湧いてきやがったんだ!!」
「ええいうるせぇ!どっからでもいいだろ、死にたくなきゃ走れ!!」
「中隊長!何か聞こえます!これは、歌……!?」
「歌ァ!?ァんだそりゃあ?」
「どこからか……女の声です!奇麗な歌声だな畜生が!」
騎士たちの会話を聞いていたシックは、その発言に反応する。
「それ!それです、俺が来る時にも聞こえた!女性の奇麗な歌声!」
「ぜぇーったい、無関係な歌姫でも居る訳じゃねぇだろなぁ……ッ!何だか分からんが歌声には気をつけろよ、お前ら!」
歌声はそのうちどんどんと大きくなり、その出所に近づいているように思えた。それが騎士団本部の方角であることが不穏さを増す。
と、その時。どしゃぁあっ!と何か重い物が落ちるような音が聞こえる。
音の方を見たシックが目にした光景は想像通り、騎士の一人が巨大虫に襲われて倒れている姿。
「あぁ……!また一人!――え?」
次に目に入ったのは、奇妙な光景だった。騎士のうち二人が、ぼんやりと歩いているのだ。走るシックとはどんどん距離が離れていく。一体何を、と思った次の瞬間に巨大虫に襲われて地面に崩れ落ちる。
二人だけでは無い。騎士たちは続々とぼんやりとした様子で走りから歩きに変わり、どんどんシックから離れていく。
思わず足を止め後ろを振り返る。最早騎士たちは全員がぼんやりと歩いており、最も後ろの者は立ち止まってさえいた。そして、そんな無防備な騎士たちに巨大虫が襲い掛かる。
「何で!?皆さん、走って!虫が……!!カバスさんッ!!しっかりして下さい!!」
走り戻って騎士たちに襲い掛かる巨大虫を斬り捨てていく。しかし、いくらシックが強く素早くとも所詮は一人。間に合わない。騎士たちが次々と亡骸に変わっていく。
「くそッ!何が、どうして!?皆さん、走ってください!このままじゃ、全員……ッ!!」
ぼんやりと立ち止まって虚空を見つめるカバス。その様子は、先ほどまで部隊に鋭い指示を飛ばしていた指揮官の面影は無かった。そこに屋根から飛び降りて襲い掛かろうとする巨大虫が二体。
走り寄って、その二体を斬り捨てる。ぶちまけられる黒く粘る体液は甘ったるい悪臭を辺りへ広げるが、既にシックの鼻はバカになって全くそれを感じなかった。
カバスの肩を掴み、揺する。
「カバスさん!カバスさんッ!!しっかり、しっかりして下さい!!」
くちゃくちゃ、くちゃくちゃ。それは騎士たちだった物が巨大虫に貪られる音。いつの間にか、生き残りはカバス一人になっていた。
「あぁ、どうすれば……!背負って、いやでも……!!」
迷う、迷ってしまう。ぼんやりと宙を見つめるカバスはもう騎士剣さえ握っておらず、間違いなく戦力にはならない。手を引いても走ってくれる様子は無く、連れていくなら背負うしかない。しかしカバスは鍛え上げられた男の騎士。いくらシックとは言え、それを抱えて騎士団本部まで走り抜けるのは至難の業だ。
迷う、迷い続ける。シックの中の冷静さが、置いていくしかないと非情に告げる。しかし心優しいシックはその心根ゆえに見殺しにしていく決断が出来ない。どうにかして意識を取り戻させれば、と思いつきもしない手段を模索する。
迷う、迷う、迷う――。
「くッ……。これじゃ、キリがない……!」
既にカバスを狙おうと飛び掛かってくる巨大虫を斬り捨て続けてその数は十を超えている。更に、シックは視界の中、背後の方から現れては迫る巨大な虫たちの姿を確認する。屋根から、壁から、物陰から、開いた窓から、通りの向こうから――。
危機感がどんどんと増していく。シックは強い。だが一人に過ぎない。数の暴力を耐えきるには限界がある。そんな思考をしている間にも、巨大な虫たちはその数を増やし続ける。どんどん、どんどんと、もう数え切れないほどに。
黒い津波のように、無数の黒い虫のような生き物たちが迫る。倒れた騎士たちは既に呑み込まれ見えない。シックの背にじわりと汗が滲んだ。
どこか遠くから、女性の美しい歌声が聞こえてくる――。




