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贄の王座と侍るもの  作者: 伊空 路地
第六章 神聖悲劇
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169 襲撃開始


 その光景が、やけにゆっくりと見える。サンの膝下くらいある巨大なクモっぽい何かが割れてヒルっぽい口を伸ばして跳びかかってくる。理解が遠のく。思考が空白に染まる。


 次の瞬間、反射的に叫びと魔法が放たれていた。




「やだぁぁぁーーーーッ!!!きもちわるいぃーーーッ!!!」




 同時に突き出された両手からそれぞれ“風”と“水”が放たれる。


 一抱えほどもある水球と局所的突風に直撃したクモっぽい何かはひっくり返りながら吹き飛んでいく。


 が、床の上で素早く立ち上がると、今度はわさわさっ!とそれこそ虫っぽい素早さで駆け寄ってくる。


「やだ!やだ!やだ!!どっかいって!どっかいってぇ!」


 悲鳴と共に、サンの両手から“闇”が放出される。黒いその生き物よりもなお深い黒色の闇に包まれ、“破壊”の意思を持ったそれによってクモっぽい何かは弾け飛んでバラバラになる。


 粘り気のある液体をぶちまけながらバラバラに弾け飛んだクモっぽい何か。幸いサンの方には飛んでこなかったが、部屋の中に異様な甘ったるい悪臭が満ちた。






 「うえぇ……。なんなの……?」


部屋の中に飛び散った黒くて光沢のある体液に触れないよう気をつけつつ、部屋から出る。フロントに行くつもりだった。掃除にしろ部屋を変えてもらうにしろ、宿の人間に伝えなければ。


 「ターレルってあんなのが居るんだ……。」


実に奇妙な生物だった。虫っぽいが虫にしては巨大だったし、見たことも無い生物だ。というかどこから入り込んだのだろう。部屋の扉は閉まっていたのだが。


 あぁ気持ち悪かった、と一人身を震わせる。階段を下りてゆき一階に辿り着く。フロントを目指して歩き出す。


 だが、角を一つ曲がったところで広がっていたその光景にサンは呆然としてしまう。


くちゃくちゃ、くちゃくちゃ。


 見てしまえば、もう理解せずにはいられない。くちゃくちゃ、という音が耳に届いている。濃厚な血の匂いが鼻をつく。途端に、気分が悪くなってしまう。


 くちゃくちゃ、くちゃくちゃ。


 人が倒れ伏している。仰向けになって、両手を万歳するみたいに放り出している。その顔は見えない。人の上に乗りかかっている生き物に隠れているのだ。


 くちゃくちゃ、くちゃくちゃ。


 胸の上あたりにいるその生き物は先ほどサンが遭遇したものと同じ。全身が黒色で、まんまるの胴体から細い足が4本。


 くちゃくちゃ、くちゃくちゃ――。


 サンは意外と冷静だった。遭遇したのが二体目であったこと、人が今まさに襲われていることが、サンに冷静であれと叱りつけたのだ。


 左手に魔力を集め、練って編む。それは“風”。右手にも魔力を集め、練って編む。それは“雷”。


「『風よ!』」


左手から生まれた突風の塊が黒い生き物を吹き飛ばす。飛び上がってひっくり返るその生き物は真ん中からぱっくりと割れていて、巨大なヒルのようなぬめぬめした口を出していた。


「『雷よ走れ!』」


右手から放たれた雷が生き物の体を捉え、その体をバラバラに打ち砕く。辺りに飛び散る黒い体液。光沢をもってぬらぬらと粘るそれは不快な甘ったるい匂いを放っている。


 倒れている人の傍へ近づく。急ぎはしない。何故なら、生き物を”風“で吹き飛ばした時にその惨状はもう見えていたから。


 傍らに膝をつき、開きっぱなしの目を閉じてやる。その顔はとても安らかで、夢見心地といった感じだ。苦しまなかったならせめてもの救いだったろう。




 それは女性で、赤と黄色の色彩豊かな服を纏っていた。いや、元は黄色だけだったのかもしれない。あふれ出ている血が多すぎるのだ。


 胸の部分は大きく深く抉り取られ、白いあばら骨の折られた戦端が何本も突き出ている。その下の内臓は食い荒らされたらしく、中身(・・)は空っぽだ。


 ――なんて、惨い……。


 気分が悪い。胸がむかむかする。戻しそうな胃を堪え、サンは立ち上がる。懐から”雷“の拳銃を抜くと両手で構える。そして、一階ロビーの方へ向かう。


 ここで女性が殺されていた事から分かる。たまたまサンの部屋に土着の奇妙な生き物が入り込んだのではない。これは、明らかに何かの異常事態だ。そして恐らく、二体だけでは無い。そうでなければ、先に他の人物があの女性に気付いた筈だから。


 つまり、気づけなかったという事は――。






 ロビーを覗き込む。もうはっきりと聞こえる、くちゃくちゃという音の大合唱。


 そこでは、7体の生き物がそれぞれ一人ずつの人を喰らっていた。ヒルのような口を体の内側に突っ込んで、その内臓を喰らっているのだ。くちゃくちゃと音を立てながら。


 ――ダメ。多すぎる……。それに、あの人たちはもう。


 サンは生き物たちの撃退及び人々の救助を諦める。あれらは虫のような見た目通り、動きが素早い。2,3体ならどうとでもなるが、7体同時は楽ではない。それに喰われる人々が一切動かない。微動だにせず、ただ喰われるがままの姿は明らかに生きていない。助けようにも手遅れだ。


 サンはロビー方面から身を引くと、その場で“転移”を発動した。元々形だけ取っていた宿。放棄して困る荷物も無い上、今のサンは万全の体調では無い。妙な英雄精神を発揮せず、逃げるが勝ちだ。


 ”闇“がサンの身体を包み込み、隠す。それが晴れた後、そこにはもう誰も居なかった。





















 「~~♪~~♪~~♪」


歌が、響く。


 サンダソニアという一人の娘が“贄”となり、“呪い”の祓われた西都。豊かな太陽を浴びて、涼やかな風の吹く午後。そんな西都の一角から、それは始まった。


 伸びやかで麗しい女性の歌声。それはあんまりに無垢で、純真で、世の中の嫌な事や醜い事、そんなものは何一つ知らないような歌声。あるいは、そんな全てから解放されて、無限の自由を手にした喜びの歌声。


 歌声を聞いた民は例外なく、その歌声に気を取られ、良い歌声だと気に入った。


 それから、段々と心地良い気分になり、ゆっくりと夢見心地になり、そしてそのまま眠りについた。二度と覚めることの無い永遠の眠りだ。


 母の歌声が人々を惑わせ、現実感を喪失させる。そして落とし子たちがその肉体を喰らって殺す。それは狩りだった。獲物を仕留めて喰らう為の、狩りだ。


 たらふく喰らって満腹になった落とし子は母の下へ帰る。文字通りその胎内に帰り、その血肉の一部へと戻るのだ。そうしてまた新たな落とし子が産み落とされる。増えるため、力を増すため、狩りは続けられる。


 満足いくまで狩りをすると、全ての落とし子は一度母の下へ帰る。そして母は姿をくらます。故に、人間たちは何が起こったのか分からない。


 落とし子を目撃する為には狩場に近づく必要があるが、狩場に響く歌声を聞けば囚われる。囚われた人間は皆例外なく落とし子に食われ、血と内臓を失った亡骸となる。


 狩りが終わって全ての落とし子がいずこかへと消えた後、狩場だった場所に踏み入った人間が居て初めて、その惨劇が明らかになるのだ。






 「……相変わらず、ひでぇ有様だ……。」


中隊長カバスはその現場を指揮する立場の騎士であった。部下の騎士たちに被害者たちを丁重に運び集めるよう指示を出し、集められた亡骸を検分している。


 亡骸は胸か背中を食い破られ、心臓に始まる臓器を食い尽くされるという異常な死に様である。集められてくるいくつもの亡骸は皆同じ殺され方をしている。


 謎の多い事件である。いや、謎しかないと言った方が正しい。


 最初はたった三人の被害者が路地裏でこの死に方をしているだけだった。それが発見される度に規模を大きくし、ついに建物が丸ごと一つやられた。そこは高級な宿で、亡骸はどれもこれも良い身なりだ。客と、従業員たちである。


 幸いにして顔や背格好は無事な場合が多いため、遺体の発見場所や亡骸から身許は次々と判明している。たまたま宿を離れていた客はまさに命拾いといった所だろう。


 また新たに運ばれて来た亡骸に鎮魂の祈りを簡素に捧げ、検める。客の一人、最上階の部屋を取っていた客らしい。


「えー……その部屋は……っと。これだ。レンメル・スプーディー。ガリアの外交官。……あぁマジかよ。これは問題になる……。宿泊は2日前から。連れはナシ。はぁーあぁー……。どやされるなぁ、これは。俺は事件後担当で、そういう文句は警備担当に言えってんだよなぁ……。」


 カバスはがりがりと頭を掻いて溜息を零した。部下にはこの時期に事件担当にされた恨みを向けられ、上司には理不尽な叱責を受ける。彼は中間管理職の哀しみを背負う組織人の一人であった。


「俺もお祭り騒ぎに戻りてぇよー……。はぁーあぁー……。」


この西都は今、闇の手先に勝利しようやく“呪い”が祓われたことで浮かれ気分が続いている。本来は聖日として定められる14日後まで大人しくしているのが慣例だったのだが、解放の歓喜に沸く人々を教会としても止めづらかったのだ。恐らく、それこそ聖日当日まで続くだろうと思っている。


 そんな時期だけに、陰惨な事件の担当にされた事が恨めしい。


 最初の事件発生以来、彼は溜息が止まらないのだ。


 「中隊長!少々気にかかるものがありました。ご報告致します。」


そう言って略式敬礼を取るのは部隊の一人である。まだ若く、バカに真面目なので損な役回りを良く押し付けられている。


「おーぅ……。何があったぁ?」


気の無い返事をするカバスに、目の前の部下が内心苛ついていることに気付く。バカ真面目なだけでなく、融通も利かない堅物なのだ。もっと真面目にやれ、とでも言いたいのだろう。


「はい。最上階の一室にて、一階階段前と同じような液体が飛び散っているのを発見しました。異様に甘ったるい匂いのするアレです。」


「アレかぁ。何なんだろうなぁ、アレ……。」


アレ、とは報告にある通りの液体である。黒く光沢があり、粘り気があって鼻が曲がるような甘い匂いを放っている。これまでの現場には無かったものだ。


「そんだけか?」


とはいえ、正体の分からない液体如きである。別に毒がある訳でも無いようで、既に実物が学者共に引き渡され調査依頼が出されている。今のところ注目すべきものでは無い。


「いえ、それが件の『特殊貴人』の部屋でして。何かあればマズイかと。」


「げぇーーっ……!そこ、『お嬢様』本人は居たか?」


『特殊貴人』『お嬢様』と呼ばれるのは、今この西都に居る特殊な立場を認められた少女の事だ。名前をサンと言うらしく、枢機卿直々の特殊貴人扱いである。名目としては、英雄と持て囃されるシックザール様と同じだけの重要人物。もちろん、英雄様のお連れというだけなので名目上だが。


「いえ、その部屋には誰も。」


「流石にそこで死なれてたら最悪も最悪だからなぁ。宿を離れてるのか。良かった良かった。」


名目上とはいえ、それでも西都と教会にとって重要な貴人には違いない。特に、枢機卿本人の顔を潰すことになるのでカバス程度の首は容易に飛ぶ。運が無ければ物理的にも。


「それが、部屋には荷物がありまして。鍵もかかっていませんでした。宿に居たのやもしれません。」


「はぁ?おいおい勘弁しろよ、死なれてて見つかりませんは最悪だぞ。何としてでも消息を探れ。枢機卿サマの名前出せば他の部隊も動く。お前、ひとっ走り伝令だ。騎士団本部に行って『お嬢様』が居ません、事件に巻き込まれたかもって言ってこい。ほら、行け!」


「はっ!騎士団本部に伝令。『特殊貴人』が行方不明、事件に巻き込まれた可能性アリ。行って参ります!」


部下が走り去る。その背中を見やりながら、カバスはまたため息を吐いた。


「頼むから、どっかで観光してましたってオチでいてくれよぉー……。俺、まだ首は大事にしてぇ……。」







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