20'クリスマス閑話 神の居ぬ間に
メリークリスマス!
今日はクリスマス閑話。
本編とは完全に別時空別次元のお話、という事で難しい事は考えずにお楽しみ下さい。
本編との整合性とか、余計なことを考えてはいけないのだ!
今宵は聖夜である。くそったれ。
……ごほん。
聖夜とは、かつての何たらとか言う聖人が生まれた日だかくたばった日という事で、教会が認定している世界的な祝祭の日である。家族、恋人、親しい友人など、近しい者と共に過ごすのが常道で、どんな関係の相手が多いかは国や地域によって多少違う。ファーテルにおいては恋人の夜と扱われていた。
が、その正体は腐りきった教会と手を組んだ強欲商人どもが無駄に高いゴミを特別な品と言い張って恋人相手に詐欺をはたらいている日である。ついでに宿やレストランもここぞとばかりに値上げして、特別という名目で詐欺をはたらくことが公認とされている日でもある。
この私、サンタンカもかつては聖夜に夢見る愚かしい少女であった。
まんまと世間に騙されては、とても素敵な日だと、いつか私も素敵な人と、なんて幻想を抱いていた。
全く危ないところであった。もう少し気付くのが遅かったら、私も教会や商人たちの詐欺の被害者になっていたかもしれない。恐ろしい話である。
大体、今の私は神とかいう詐欺の本元を主と仰ぐ“お幸せ”な人々の仲間では無い。私の主はかの大悪魔“贄の王”。とすれば、どこぞの聖人が誕生しようが死亡しようが無関係である。聖夜、なんて名前からしてもう嫌。嫌い。神聖と書いたならその正しい読みは『ウソ、サギ、ゴミ、ジンルイノアヤマチ、スベテノアクノコンゲン』のいずれかである。滅べ。
そんな聖夜を迎えるにあたって私の機嫌はお世辞にも良いとは言えなかった。あんまりに機嫌が悪いので、ひたすら不要な物を焼却し続けていたら、その様子が鬼気迫るものだったらしく主様に心配されてしまった。何かあったか、と聞いてくる主様の様子はなんだか引き気味で、ちょっと傷ついた。
「――あぁ。そうか。そういえば、そんな時期だったな。」
聖夜が気に食わないのです、と素直に言えば、主様の反応はそんなものだった。あんまりに反応が淡々としているので、らしくもなくちょっとだけ声を荒げてしまう。
「主様!?その反応はなんですか!現世の大悪魔“贄の王”ともあろうお方が!今こそそのお力を振るい人々にその真実をもたらしてあげなければならないのでは無いのですか!?全ては教会の姦計だと、目を覚まさせてあげなければ!」
「お、落ち着け……。一体どうした。」
鈍い。不敬だがこんなにも鈍いお方だっただろうか。いつもはあんなに鋭いのに、一体どうしたことか。
「そうか、主様は王族でいらしたからご存じ無いのですね。この聖夜という日の何とおぞましい事か!」
王族という方々は基本的に庶民の世界とは疎いもの。私が持つ記憶も庶民というには微妙だったが、王族よりは平凡であった。
「おぞましい……?」
少し興味を引けたようだ。このまま主様の目も覚まさせて差し上げなければ。忠実なる従者の役目である。
「もちろんです、そうなのです主様!ご存じないとなれば仕方がありません、今より人の街に参りましょう。そしてその詐欺のなんとおぞましい事かをご覧に入れて差し上げます!」
どこが相応しいだろう。最も商業の発達したエルメアか。記憶にある国ファーテルか。主様の故国ラツアか。それとも教会の総本山ターレルか。ガリアは……広すぎだし、いいか。
「なら、まぁ……。エルメア辺りにしようか。ラツアやファーテルは顔が出せん。ターレルはお前が暴れそうだし……ガリアは、まぁいいだろう。」
「分かりました。それではエルメアの都へ、いざ参りましょう。人類に巣食う悪魔を滅ぼしましょう!」
「いや、滅ぼさんが……。」
「その意気です。この私も微力ながら、全力を尽くします!」
「話を聞いてくれ、サン。」
かくして私と主様は鉄と石の都、蒸気船と機関車が象徴する最先端都市、エルメアの都へ降り立った。
辺り一帯は薄い雪で覆われ、どうやら積もりだしたばかりらしい。厚着してきて正解であった。街並みはきらきらと飾り付けられ、宵闇に輝くさまはまるで地上の星々のよう。不覚ながら、ちょっと奇麗だと思ってしまった。
「さて、最初の標的は……。」
傍らの主様が早々に疲れたお顔をされている。これも聖夜の悪しき力だろうか。
周囲を油断なく見回す私の目に、明らかに“特別“感を醸し出す露店が映る。どうやら、通行人に軽食でも売り捌いて詐欺をはたらいているらしい。
「主様。あの露店です。何を売っているか分かりませんが、あの飾り付けられた姿。間違いなく罪を犯しています。ヤってしまいましょう。」
そういって勇みながら歩みだそうとする私の手を、主様の大きな手が取った。私は思わず驚いて主様の顔を見上げ、硬直してしまう。
「雪で滑っては危ない、サン。私の手を取っていろ。」
……そういうことらしい。
「わ、分かりました……。」
でもびっくりするからせめて先に一言言って欲しい、と思う。不意打ちは反則である。……嫌ではないけれど。
「主様こそ、滑って転ばないようお気をつけて下さいね……!」
「舐めるな。雪如きで滑る私では無い。」
私のささやかな反撃は全く通じなかったらしい。無念である。
少しだけの距離、主様と手を繋ぎながら歩く。やはり男の人だからだろうか、手が大きくて、私の手はすっぽりと包まれてしまう。それが何だか恥ずかしく思えてしまって、必死で意識しないようにする。眼前に迫りくる犯罪の露店を睨みつけて誤魔化す。
やけに長かった道のりの果て、灯りとキラキラしい飾りで彩られた露店に辿り着く。いざ、と思って店主の男に声をかけようとすると、すぐ横から主様に先手を取られた。
「店主。これは?」
滑らかなエルメアの言葉。というか忘れていたが、私のエルメアの言葉はかなりの片言である。……ちょっと、喋らなくて良かったと思ってしまった。
「おぉ、お客さま。麗しいご婦人も。……こちらは、聖夜を祝う為の祝い酒を。如何です、ご婦人の分は無料にしておきますよ。」
「なら、もらっておこう。我々に一杯ずつ。」
「えぇえぇ!聖夜ですから、どうぞお楽しみを!」
そう言って、店主は安っぽい木のコップに注がれたお酒を二つ主様に渡す。……というか、こういうやりとりは主人にやらせるものでは無い気がするよ、私。
主様にコップを差し出され、受け取る。甘い香りがするお酒だ。あまり酒精っぽさは匂わない。恐る恐る口に運ぶ。私の分は無料だと言っていたから、きっと毒か汚水のようなものに違いない。だが、主様に差し出されたのだ。飲まない訳にはいかない。意を決し、一口だけ含む。
「……ぁれ。美味しい……。」
美味しかった。甘い。果物っぽい味。お酒っぽさは殆ど感じないので、するすると飲めてしまう。
「強いな。だが悪くない。」
とは主様の言葉である。強い、という言葉に疑問を抱けば、どうやら私と主様の飲み物は別らしい。
「飲んでみるか?……強い酒だ、気を付けろ。」
そう言って下さるので、コップを一度交換する。なんというかもう、口元に近づけた時点で別物だと分かる。いかにもお酒、といった感じの匂い。ちょっと薬草っぽい?かもしれない。
というか、ちょっと待って欲しい。これは、つい先ほど主様が口をつけたコップである。……つまり。
「……こっちは、甘いな。苺か?」
……ぁあー!
主様が私のコップを!
……こうなれば、最早逃げる事は出来ない。意を決し、主様のコップ……じゃ、ない。じゃないのである。気のせいだ。これは私のコップ……。
「おい、強いと……。」
……ぁあー!
「ど、どく……。これは、どくです、主様……。のんじゃだめ……。」
思わずむせる。が、むせると余計に喉が痛い。焼けそうである。
「……ふっ。……くくっ……。」
笑った。……笑った!?この人、笑った!私が苦しんでいるのに!?
衝撃と憤りのままに主様を見る。すると、主様は笑いを噛み殺しながら元通りにコップを交換する。私は恨みがましく主様を睨みながら自分の甘い酒で喉を洗った。
めちゃめちゃな飲み物だった。絶対に人の飲み物では無い。だと言うのに、あの猛毒のような酒を当たり前のように主様は飲んでいる。そうだ、この人は人では無かった。なるほど。
おかしいと思ったのだ。私の分は無料など。これは女性分を無料にすることであの猛毒を買わせる。そして、主様は人じゃなかったので通じなかったが、普通の人間は苦しんで死ぬ。そういう算段だ。犯罪である。人殺しだ。
だが流石に往来の真ん中で人殺しだと叫ぶほど私は愚かでは無かった。こっそりこの場を離れてから、主様に密告しよう。あなた気づいてなかったけれど、猛毒を飲まされていましたよ、と。もう少しで殺されるところでしたよ、と。
飲み干したらしい主様がコップを店主に示し、これは?と問う。すると、ゴミだと言う。引き取ろうかと手を差し出す店主を断ると、主様は”炎”の魔法で木のコップを一気に燃やし尽くして消し炭にした。
相変わらず惚れ惚れするほどの魔法である。私ではああはいかない。流石、広い大地において当代最強の魔法使い――恐らく本当にそう――である。
「おぉ、魔法使いさまでしたか!これは、ありがたや、ありがたや……!」
何やら店主が主様を拝んでいる。素晴らしい。この世の真実に目覚めたのだろうか。そう、この世の真実とは、このお方こそ無上にして至上、偉大なる我が主様である。
醜い犯罪者ではあるが、主様を奉る同志とあれば見逃さざるを得ない。この場は許すとしよう。……何だか順序がおかしい気がするが、まぁいい。美味しいお酒で私は今寛大なのである。別に酔ってはいない。まだ。
寛大な私たちは猛毒を売り捌く露店を見逃し、次なる標的を探して通りを行く。そろそろ主様と手を繋いで歩くのも慣れてきた。すると、都の中でも際立って大きい鉄とガラスの建物が近づいてくるのに気付く。
あれが何なのかは私も知っている。エルメアの都内を走る蒸気機関車の駅だ。この駅で、人々は鉄道に乗り降りするのである。都内にいくつかある駅ごとに止まるため、それなりの距離を行くときは実に便利だそうだ。反面近い距離には向かず、馬車が使われるとも。
「あれに乗るか、サン。」
「鉄道ですか?構いませんが……。」
乗るのは初めてだが、大丈夫なのだろうか。初見はお断りだったりしないか。乗るのに煩雑で難解なルールがあって、酷い目に合わされたりしないか。まぁ、大抵の敵ならば反撃する自信があるが。乗る事自体は全然問題無しである。むしろ興味があるくらい。
「折角のエルメアの都だ。あれで中央区まで向かおう。」
中央区とは、エルメアの都の中心地である。文字通りに都の真ん中にあり、エルメア議会が開かれる議事堂や銀行に中央教会といった行政機関が並ぶ。巨大な市場や古い宮殿など観光資源も豊富であり、名実ともにまさにエルメアの中央である。
当然大きな駅もあって鉄道が止まるため、折角なら乗ってみようという事らしい。
主様に手を引かれて駅に向かい、広くて奇麗な階段を上れば、巨大な空間に出る。城の謁見の間も広かったが、どちらが広いだろうか。流石にこの駅の方が広いかもしれない。うじゃうじゃとやたらに人が多く、一所に集まっている。
乗るための仕組みが良く分からなかったが、どうやら切符なるものを買うらしい。ちなみに財布を持っているのは主様だ。私が持つつもりだったのだが、強奪された。それはともかく二人分の切符を買い、人が集まっている場所に私たちも向かう。ここに鉄道がやってくるらしい。
しばらくそこで待っていると、鉄道がやってきた。巨大な鉄の塊である。蛇を思わせる細長いかたちで、何とも四角い。
「大陸鉄道の小さいやつ、という感じですね。……これはもう、乗って良いのですか?」
「大陸鉄道がこれの大きいもの、というべきだな。元々はこれを大陸に通そうとしたものだ。」
私は大陸鉄道の方しか見たことが無かったのであるが、そうらしい。主様に手を引かれて中に乗り込む。中は細長い待合室といった感じだ。
いかにも安っぽいソファのような角ばった椅子に腰かける。右手に窓、左手に主様。向かいの椅子には誰も居ない。
そこでしばらく周囲を見回していると、ぽぉーっ!と音が鳴り響いて動き出す。
「わ、わ、わ。う、動きましたよ、主様……!」
思わず左手の主様に体を寄せる。大丈夫だろうか。突然爆発とかしないだろうか。右手の窓ガラスの向こうの景色はぐんぐんと加速し、後ろへ通り過ぎていく。
「……そ、そんなに速くはないみたいですけど……。なんだか、妙な感じです……。」
速さ自体はそこまででも無いようだ。馬を駆けさせた方が速いと思う。シックとかが全力疾走したら追いつけたりするだろうか、といったぐらい。だが、馬車とも違う重々しい感じというか、大地がまるごと動いているような感じがして落ち着かない。外から見ていたあの巨体が走っているのだと思うと、何とも信じがたい気分でもある。
ふと横を見ると窓の外が大きく変わった。建物の壁がすれすれにあったのだが、急に消えると視界が広がったのだ。眼下には、無数の船。水の上を埋め尽くすように、数え切れないくらいの船が黒い蒸気を吐き出しながら動いたり泊まったりしている。
「すごい……。これは、海ですか……?いえ、川……?」
「そう、川だな。エルメアの都は巨大な川に貫かれる形になっている。それだ。」
よくよく見れば視界のずっと先には川の両岸がある。煙って良く見えないが向こうにあるのは橋のようだ。
気付くと私は窓に張り付くような恰好になっていた。額に触れているガラスが冷たい。反対側に振り返ると、主様が面白そうに私を見ていた。……何だろう、私、変なことしてた?
急に恥ずかしくなり、その場に座り直す。お行儀よく、すまし顔。
「ふっ……。」
こっそり笑われた。え、どうして?なんで?なんで笑ったんですか主様?私の何がおかしいんですか?言って下さい。怒りませんから。気にしてませんから。ほんとですって、ほら。言え!
鉄道を降りた私と主様はエルメアの都の中心地、中央区のさらに真ん中、ヴィクトリア・ゲートに向かった。
ヴィクトリア・ゲートとは大きい門だ。以上。
「エルメアの聖人にして女王ヴィクトリアを記念して作られた大門だな。上から見ると十字型をしており、クイーンズ・クロスゲートとも呼ばれる。四方から通り抜けられる事はここが都の中央であることの意味らしく、実用的な門では無いな。いわば巨大な飾りだ。とある話によるとエルメアの全ての道路はここから始まるそうだが……。私が知るところによるとこじつけだ。箔付けだな。まぁ、単なる観光名所だ。」
……だ、そうである。別に私が知らなかったという訳では無い。というか、私はエルメアに詳しい訳では無いし、訪れたのも僅か数度である。知らないのが普通なので、何もおかしくない。
「……まぁ、壮麗な感じではありますね。門そのものより上の飾りの方が大きいのでは?」
上から見ると十字型、という門としては些か奇妙な形をしているヴィクトリア・ゲートだが、門部分の上には更に巨大な、謎の飾りがあるのだ。何を意味しているのかは知らないが、とにかく大きく門自体よりも多分大きい。何だろう、使った後適当に放置した縄みたいな。いざ使おうとしたら結ばれてしまって使えない、ええい面倒な、みたいな形。
「上の部分はエルメアの民族伝承にまつわる……何だったか。大して興味も無いので忘れたな。確か繁栄や存続の象徴だったと思ったが。」
えぇ……。確かに見かけ立派といえば立派だが、ごちゃごちゃしすぎではないか。個人的にはもうちょっとスッキリしている方が評価高い。
「あぁ……。確か、離れたところから見るとまた違ったはずだ。興味があるか?」
「いえ、特には……。」
「そうか。ならば、どうでもよいな。」
主様は心底興味無さそうに視線を地上に戻すと歩き出した。私も別に興味は無かった。強いて言えば名前は嫌いじゃない。特に別名のクイーンズ・クロスゲート。女王の十字門という意味だそうだ。カッコイイ、気がする。多分。……いや、やっぱりそうでもないな。うん、どうでもいいや。
主様は何をとち狂ったか、食事をしていこうと仰った。
正気ですか主様。主様との食事自体は望むところですが、今宵は聖夜。うっかりお店なんて入ろうものなら一体どんな目に合わされるか。高いお金を巻き上げられ、豚の餌のようなものを食べさせられ、しまいには身ぐるみ剥がされてしまう。あぁ恐ろしい。
「その被害妄想はどこから来るんだ……?」
「被害妄想ではありませんよ、主様!この私、持つ記憶は朧気でしたがこの夜の残虐にして凄惨な事ははっきりと覚えています!」
「では、もう城に帰るか。」
「それ!は!……また!別の話です!」
「どっちなんだ……。」
何と乙女心の分からない主様か。全くお仕えする身として恥ずかしい。これからも私がお傍で支えて差し上げる必要があるだろう。二度とこの手を放す訳にはいかない。これは私の使命だ。
「……ぷいっ。」
不満を示して顔を逸らす。決して脳内の独り言から恥ずかしくなった訳では無い。
微かに嘆息した主様は容赦なく歩き始めた。あ、待って下さい。そんなに引っ張られると滑って転んでしまいます。危ない。
主様がお選びになった店は絶妙にカジュアルなお店であった。助かる。そんないきなりとっても格式高いお店に連れて来られても準備出来ない。普段の武装でも制圧可能なくらいだけれど、かといって大衆向き過ぎもしない。裕福な庶民から気楽な貴族が入れるくらいの感じ。うむ、苦しゅうない。流石主様です。
少しだけ階段を上り、上階へ。案内されたテーブルは面白い事に横並びになって座る、窓に面した形。そういうのもあるのか……。
本当はこういう場では主様を先に座らせるべきである。私の従者魂がそう言っている。ところが世の中的に今の私たちは主従には見えないので、それをすると主様が恥をかく事になる。主様が引いて下さった椅子に一瞬躊躇うが、賢い私はそういう事情を瞬時に察してご厚意に甘えることにした。レディファーストって厄介である。
で、座った私であるが、その眼前には奇麗に掃除されたガ大きなガラス窓があるわけである。その向こうは、様々に飾り付けられた街並み。随分厚くなってきた雪を被って、それが灯りに反射してきらきらしている。奇麗。ちなみに私、エルメアの街並みは好き。
……はっ!?私は何を油断しているのだ。今宵がなんであるか忘れたというのか。そもそもエルメアの都まで出張ってきたのもこの悍ましき夜を滅ぼす為では無かったか。この店でも一体何が起こるか分からない。警戒を解いてはならないというのに。
私が本来の目的を取り戻し、キッと奇麗な街並みを眺めていると、すぐ隣に主様が座られた。横並びのかたちなので、それはもうすぐ隣である。……これはマズイ。近い。今にも触れそうな肩とか気になって仕方ない。どきどきしてしまう。
とかなんとかやっているとウェイターが来てコースの説明と注文を聞きに来る。あ、私ガス無しで。アレは乙女が人前で飲んでよいものでは無いのだ。何故、と聞いてはいけない。分からないなら一気飲みでもしてみたらよい。下品で汚らしいおっさんならともかく、麗しい乙女的にはアウトである。
やがてやってくる食前酒。グラスを持ち、隣の主様を窺う。
「サン。……乾杯。」
「は、はい。」
近い。ちっかい。近すぎる。いや、もう本当に。横見たらビビるほど目の前に主様の端麗なお顔があって死にそうになった。心臓が大変である。
更に、元々主様のお声は大変良いのだが、なんだかいつも以上に深みがあって耳から脳を直撃された感じがある。何故。私死ぬかもしれない。
何とか乾杯を交わし即座に前を向き直す。顔が暑いなー。ちょっと店員さん、お店暖めすぎじゃないですかねー。やだなー。
照れ隠し――照れてませんけど――に食前酒をくっと煽る。すっきりとした軽やかな味わい。よい。毒は入ってない。
その後、進められるコースを頂きながら主様と談笑。絶対に隣を見ないように意識しながら極めていつも通りの態度で会話を交わすことに成功。
「私は普段城に篭ってばかりだが、たまにはこうして人の街に出てくるのも悪くないな。これからも機会があれば、こうして出てくるとしようか。」
「そ、そうですネ。わた、私は……いくらでも、お供致しますヨ。その……。」
「違う。私が一人で出てきても意味が無いだろう。」
「ぅぇ?そ、そーなのですか?」
主様の手が私の頭を掴む。こう、わしっと。そのままぐるっと回転させられる。当然、そこには主様のお顔が。いや待って、さっきよりも近い。この人顔を近づけている。待って、ほんとに。死ぬ。
「お前と共に、と言っている。……お前も楽しそうだしな?」
思わず硬直した私の顔とびっくりするほどの至近距離で、主様がにやりと悪げな笑みを浮かべる。……死んだ。私死んだ。
「返事はどうした、サン。返事、だ。」
「……は、ハイ、主様……。」
「よし、それでいい……。ふむ、このメインは悪くないな。なかなか私好みだ。」
「……。」
「……墜ちたか。初心な奴だ。」
主様のそっけないような一言は、実に楽しそうな響きを孕んでいた。
その後、食後のデザートを頂いている頃には私も蘇生していた。デザートは小さくて可愛らしいケーキだ。ちょっと食べるのがもったいない。でも食べてもみたい。ぐぬぬ。
隣の主様を窺うと、何の感慨も無しにパクっと口に運んで食べ終えた。秒殺であった。なんとあっけない。
私もいつまでも眺めてはいられないので、ついにフォークを切り入れる。ぶすっと。あぁ、せっかく可愛かった姿が崩れていく。無常である。
私が人の世の儚さを憂いていると、隣の主様がじっと眺めてきているのに気が付いた。何だろう。何かついてるかしら。……あの、すっごい気になるのですが。ちらっと一瞬目線をそっちにやると、バッチリ目が合った。
何?何?何で見られてる?一体何事?そんなに私の麗しいお顔がお気に召したのだろうか。いやぁ照れますね。
「……あの、主様?……私に、何か……?」
恐る恐る聞く。
「あぁ、いや……。お前の瞳は美しいなと思ってな。つい眺めていた。」
気障。めっちゃ気障な事言ってる。何を仰っているのやら。そんなコテコテの言葉にたぶらかされる私ではありませんよ。
「ぅぁ……。その……。おきにめしたならよかったです……。」
しかしよくもそんな恥ずかしいセリフを臆面もなく言い放てるものである。私まで恥ずかしくなってきたじゃないですか、やめてくださいな。まったく。
食事を終えて店を出ると、もう随分良い時間だった。ぼちぼち、城に帰らねばならないだろう。
「さて、私はいつもお前に起こされている身だしな。そろそろ帰るとするか?」
「ん、えぇと……。も、もう少しだけ……。」
「……そうか。いいだろう。」
特に当てもなくぶらぶらと歩く。大分高く積もってきた雪に足跡が二つ続いている。大きい足跡と、私の足跡。
「……どこか、気になるところでもあるか?」
主様が気遣って言い出して下さる。とは言え、私は別に行きたい所がある訳ではなかった。ただ、もう少しこうしていたかっただけだ。
「いえ……。」
なので、折角気遣ってはくれたが首を横に振る。あぁ、でも、主様の方が退屈なのかもしれない。こんな用も無い寒い夜に、外を歩くだけなんて。
「あの、ありがとうございます。……こうして、頂いて……。」
「構わん。私も悪い気はしない。」
そうらしい。そんな風に言ってくれるのが嬉しくて、ちょっとだけ主様に体を寄せる。あ、やばい。寄りすぎた。これでは抱き着いているみたいだ。慌てて離れようとすると、主様に掴まった。こう、反対の手で反対の肩を抱かれるような感じ。
あれ?これ、普通に抱かれていないか。
「何だ?自分から寄っておいて、逃げるつもりか?」
「ぇ、ぇ。いぇ、あの……。その……。」
そういう訳ではないのだ。取り敢えず放して欲しい。死にそう。あ、でもやっぱりもうちょっとこのままでも……。いやいや、何を言っているのだ私。
そのまま更にぎゅっと抱き寄せられる。私の顔が主様の胸元に突っ込む感じ。ちょっと息がしづらいのですが。……あぁ、もう、そろそろ無理。脳内で何を言っても誤魔化しきれない。
「……サン。」
「あ、主様ぁ……。」
だめ、耳元で囁かないで下さい。
「ふふ……。可愛らしい奴だ。」
「ぅ……。」
やめて、そんな事言わないで下さい。
「私にこうされるのは、嫌か?」
「……ぃ、ぃぇ……。」
意地悪、聞かなくたって分かるでしょう。
「分からんな。答えろ、サン。……嫌か?」
「……ぃ、いや……じゃ、ない、です……。」
あぁ、言わせられてしまった。もうだめ、これ以上は。
「サン。お前は……――。」
……そんなの――。
決まってる、じゃないですか。
言葉にはしなかった。出来なかったし、しちゃいけない気がしたから。でも、私は確かに口を動かしたし、声の無い声で呟いていた。
――「 」です、主様。
翌朝。私はいつも通りに主様を起こすべく、主様の寝室へ向かっていた。
居室までは最早勝手に入る。形式だけのノックに返事が返った事は無いのである。そのまま寝室のドアをノック。やはり返事は無い。
「主様、おはようございます。」
言いながら中へ。散らかった部屋の奥、大きなベッドの真ん中の盛り上がり。もう見慣れた光景である。
その身体をなるべく優しく、しかし割と強めに揺すりながら声をかける。
「主様、おはようございます。朝ですよ、起きて下さい。」
「ぅぅ……ん。まだ、さむぃ……。」
内心で子供か!と突っ込みつつ揺すり続ける。
「主様ぁー。この時間に起こしてくれと仰るのは主様ですよ。起きて下さい。お布団取ってしまいますよ。」
「……それは、だめだ……。」
ダメらしい。でもその方が手っ取り早く目覚める、かも。やってしまおうか。
ところが不穏さを感じたらしい主様は勝手に上体を起こされた。両目はまだ開いていない。
「さぁ、主様。ベッドから出て下さい。私は朝食の用意を……。」
ばたり。主様が後ろに倒れ込んだ。ごろ、と横向きになって私に背中を向ける。二度寝である。
「もう、主様ぁー。起きて下さい、起きてー……!」
実際の所主様が二度寝する事は珍しくない。慣れっこである。
格闘の末、ようやく起きてベッドから這い出して下さった。が、一度目を離した隙にベッドへ戻っていたこともあるので油断はならない。
「まったく。昨晩はああもやられ放題だった癖にな……。」
なんのことやら。
「そうです、昨晩ですよ。結局私たちは何も悪を滅ぼしていませんよ。一体何をしに行ったのか分かりませんよ。」
「忘れていなかったのか……。」
「当然です。」
「だから……来年こそ、一緒に成し遂げましょう、主様。」
そう言って微笑む。
「来年か。」
「はい、来年です。」
「……そうだな。そうするとしよう。」
そう言って、主様もとうとう笑って下さった。ちょっとだけの、でも優しい笑みである。
「はい。約束、ですからね。」




