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贄の王座と侍るもの  作者: 伊空 路地
第六章 神聖悲劇
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168 のどかな憂鬱

メリークリスマスイブ。伊空路地(作者名ですよ!)から穏やかなお話をプレゼント。ゆっくりしていってね!


 高い青空。晴れ晴れとした空には眩い太陽が輝き、大地をあまねく照らし出す。まだ肌寒さの残る春、暖かな陽光は人々の心さえ温めるようで、浴びているだけで自然に気分が良くなっていく。


 風は穏やかで、涼やかに都を流れゆく。家々を飾る布たちや、洗濯物が風を孕んで膨れ上がり、はためく。


 今の西都に訪れている光豊かな春の午後。この心地良さを否定する者は、よほどの日陰者かひねくれ者に違いない。特に、たった数日前までおぞましい”呪い“に包まれていて、人々の記憶に不気味に力を失った太陽が色濃い記憶として残っているような今の時期には殊更の事である。


 その魂が深い闇に穢され、光に属する生命の天敵たるサンにしても、根本的な感性が人であるがゆえに悪い気はしない。開け放った大きな窓から吹き込んでくる風の心地よさと言ったら、これがかけがえのないものである事には同意せざるを得ない。西都を訪れて以来“呪い”に沈んだ姿しか見ていなかったので、こんなにも清々しい風が吹くことなど知らなかった。


 サンは窓枠に両腕を乗せて眼下の通りを見下ろす。良い宿の良い部屋を取ったので階層が高く、地上は遠い。


 穏やかな風がさわさわと髪を揺らす感覚を覚えながら、サンは考え事にふけっていた。


 それは正直なところ、あまり快い考え事では無くて、折角の心地よい午後を遠ざけてしまうような内容だった。しかしだからといって避けて良い内容でも無いので、両腕の上に顎を預けながら思索を巡らせるのだった。






 あの後、魔境に戻ったサンと贄の王。サンは“神逆の剣”を使った事や、諸々の状況を主に報告した。


 贄の王は自らの傑作である“神逆の剣”について根掘り葉掘り聞いてきて、その度に紙に記録を取る。しばし思考に沈むと、また何か新しく湧いたらしい疑問を投げかけてきて……。と、そんな有様であったので、他の内容が話題に上るまでに夜を迎えてしまうほどだった。


 そして夕食などを挟みつつ続けられた報告が終了すると、贄の王はサンの去り際に一つの指示を出した。


 曰く「神託者はもう探すな」。


 サンは心底驚いて、贄の王に意図を問い返したのだが、主は無言で首を振ってもう寝るように言うのみだった。答えるつもりが無い事を悟ってサンは大人しく下がったが、やはりその心中は穏やかでは無かった。


 神託者を探すな。それは、これまでファーテルに始まりこの西都を訪れるに至る旅路の最大目的を否定する言葉。


 何故急にそんな事を言い出したのか。どうして今なのか。これまでの旅路は何だったのか――。冷静さを維持して、そんな風に詰め寄らなかった自分を褒めてやりたい気分である。彼女の主は素晴らしき主人だが、考えを明かしてくれない秘密主義なところがある。正直に言えば不満を覚えないでも無いが、サンを思って秘密にしている事も多々ある為に強く聞き出すことも憚られるのだった。


 理由は分からない。とにかく、サンはもう神託者を追ってはならない。少なくとも贄の王はサンに追わせるべきでは無いと考えている。気遣ってくれているのかもしれないが、その場合このやり場のない疑念やら困惑はどうすればよいのか。


 結果として日々の大きな行動指針の一つを失ったサンは、何をするでもなく西都の宿でぼんやりとしているのだった。他にやる事が皆無な訳では無いが、どうせ傷の治療の為に安静にしていなければならないのである。あまり重労働は出来ないので切羽詰まるような事もないのだ。


 神託者はもう探すな、という言葉の意味を主が明かしてくれない以上、気になるサンとしては自分で推測せざるを得ない。もし主の秘密主義がサンを思っての事なら台無しにしてしまうが、流石にこれほどの内容をそのまま飲み込むことは難しい。






 そもそも神託者をサンが探しているのは、その歩みを止めるため。何故かといえば、“贄の王”の天敵たる“神託者”はいずれ魔境を訪れ、“贄の王”を討伐せしめるからだ。


 世に伝わっている伝承の全てが、これまで彼女の主が進めてきた研究の結果が、サンが手にしてきた情報が導く仮定が、その“結末”を保証する。“贄の王”は“神託者”に討たれて終わる、と。


 その肝心の“贄の王”を自らの主と仰ぐサンとしては非情に困る訳だ。何としてもそんな物騒な使命は放棄してもらいたい。主は人の来ない魔境で気ままに研究したり生活したりしているだけだ。とても討伐されねばならない人では無い。それにどの道、”贄の王“が倒れたところで大地を苦しめる”呪い“は繰り返す。これもまた、伝承やらが保証してくれている事だ。


 “呪い”が消える訳でも無く、悪さをしている訳でも無い。むしろサンとしては、“神託者”が“贄の王”を討伐しようとする目的が分からない。冷静に考えて、何の意味があってはるばる魔境までやって来ようというのか。


 世間的には、“呪い”とは“贄の王”がかけているものだから、悪の根源“贄の王”を英雄“神託者”が倒す、という話になっているわけだが、そんなものは大ウソだ。それを広めているのが人類に多大な影響を持つ教会なのだが、この辺りは実際に直面した教皇がウソだと認めている。実に腹立たしいことである。“神託者”は、やはり全てがウソだとは知らないのだろうか?


 どうして“神託者”が”贄の王“を倒しに来るのか分からない。分からないけれど、事実として神託者は現れているし、ファーテルからはるばるターレルまで旅をしている。内海をぐるりと回りこむような旅路は、そのまま魔境までの旅路である。自分が納得出来る理由が無いから今回ばかりは神託者も贄の王を討伐なんてしに来ないだろう、なんて……愚かしい考えではないだろうか?


 だからこそサンはファーテルに始まる旅で神託者の姿を追い求め続けてきたし、この西都はその捕捉の為に最高と称しても過言では無い状況がお膳立てされているのだ。海峡を渡り東都へ向かうに当たって、国の厳格過ぎる監視を逃れる術は恐らく無い。その情報を横流しするための伝手も構築している最中で、それは順調でもあった。――なのに、どうして今なのか。


 分からない。


 正確には一つ想像が出来るが、それはサンにとって非常に嬉しくない予想を弾き出してしまうから避けている。


 それはつまり『もう神託者を見つけたから探さなくてよい』という場合。いやいやその足取りを止めなくて良いのか、という疑問は残るが探さなくてよい理由としてはこれ以上無く納得出来るもの。


 しかし、その場合。贄の王が見つけた“神託者”とは――。




「……はぁ。」




 これだ。何度も繰り返した思考。いつも同じところで中断して、それでも振り払えきれない推測。


 分かっているつもりだ。贄の王への忠誠を尽くす為、嫌な想像だからといって避けてなどいられないと。それでも、どうしてもその先を考える事を心が拒絶してしまう。もう、その想像が最も高い可能性だと、心の底では導かれているから、余計に。






 「これからどうしようかな……。」


思考を切り替える為に声に出して呟く。神託者にまつわる思考は気疲れする。大事な主を討伐しに来る天敵というだけで疲れるのに、これほど時間をかけているのに姿さえ判明していないという事実。……思っていたより自分は使えない人間なのかも、と自信を無くしそうだ。


 とりあえず神託者の事を捨て置けば、サンがやらねばならない喫緊の問題は特に無い。城に残してきている灰色髪の子供の事とか、相変わらず散らかし癖の酷い贄の王の事とか、今まで並行していた事ばかりだ。


 先日の聖地での戦いで傷だらけになったので、治療に専念、というのがむしろ喫緊だろうか。それはつまり大人しくしていろ、ということでやる事が出来る訳では無いのだが。


 思い出したらシックにバッサリ斬られた腹と胸の傷が痛んできた。……乙女なのに、傷だらけになったらどうしてくれよう。次に会ったら責任を取れと言ってみようか。この手の“責任”って何を意味するのかイマイチ分かっていないが、お金でもくれるのだろうか。


 お金は困ってないなぁ、と益体も無い思考を弄ぶ。困っていないのは偏に主のお陰であるが。稼げる男の人って素敵、みたいな。違うか。


 サンが持つ記憶というのは実に微妙な塩梅で、こと恋愛に関してはエルザの偏った出所しかない。最近は街の書店であれこれと作品を漁っていて恋愛に関する物も多いのだが、まだ分かった気はしない。やはり実体験と実践だろうか。……いや、この思考はマズイ。火傷する。


 「女の友達とか、欲しいなぁ……。」


 別にシックに不満がある訳では無いが、やはり同姓の友人は欲しいと思う。出自の経緯から性別観念が人並より希薄なサンだが、エルザと__の女の友情は記憶に強く残っているところ。何となく憧れもある。


 というかまず知り合いが居ない。記憶を辿っても、サンと個人的な交流のある女性が居ない。そう考えるとガリアで出会ったイキシアはとても貴重な存在だったようだ。変な人だったが。全く、自分だけさっさと逝ってしまうなんて非常識である。……いや、この思考もマズイ。悲しくなってきた。






 「はぁ~~……。」


長い溜息。何というか、思い返すと自分には休まる時が余り無い気がするサン。休日というものの存在は分かるが、自分の場合は何をすればいいのか分からないのである。


 考えてみると趣味とか何も無いな、と気付く。城や主の部屋を掃除するのは嫌いじゃないが流石に趣味では無い。料理やお茶、魔導や言葉の勉強、剣や魔術の鍛錬。やっている事、大体必要に駆られてという側面が強い。空いた時間に好き好んでやるような事が無いのだ。


 贄の王は起きている間常に研究とか学問をしているが、ああいうのが多分趣味というやつであろう。他に何かしているところを余り見たことが無い。……それはそれで趣味に生き過ぎでは無いだろうか。


 ともあれ。


「みんな、趣味って何してるんだろう……?」


割と素朴な疑問である。暇な時とか、何しているのか。贄の王はあの通りだが、シックとかどうだろう。楽しそうだったら真似して一緒にやるのも面白いかもしれない。


 と、そんな事を考えているサンの耳に、何やら歌が聞こえてきた。


 女性の声だ。知らない言葉だが、奇麗な響きだ。音楽は詳しく無いが、上手い気がする。多分。


 何となく集中して聞いてみる。流れるような旋律は、例えるなら流れていく水のよう。あるいは、伸び伸びとした若葉とか、涼やかな風とか、そういうイメージ。


 「~~♪」


同じ旋律が繰り返されて来たので、ちょっと真似して歌ってみる。小声で。恥ずかしいので。






 何だか悪くない気分である。音楽。なるほど、アリかもしれない。……なんて、緩みきった思考で“それ”に気付けたのは奇跡というものだったかもしれない。


 ふと違和感を抱いて、背後へ振り返る。気配とか第六感とか、何と言うのが相応しいか分からないが、そういう何かを感じたのだ。


 そこに、奇妙な生物が居た。


 真っ黒で、膝下くらいの大きさを持つクモのようである。丸々とした胴体に糸のように細い4本足。なんだか滑稽な見た目である。……が、ここは宿の一室。そんな生き物が居れば驚く。


「……ぇ?……な、なんかいる……。」


反射的にサンの口から出た声はか細い。端的に言って結構怖い。かなりビビっている。


 わっさわっさ、とこれまた滑稽な動作で歩くクモっぽい何か。目があるのか分からないが、ふと目が合った気がした。


 すると、黒くてまんまるな胴体部分がぱっかりと割れる。真横に引っ張られでもしたみたいに、真ん中に縦の亀裂が走ってそのまま大きく広がったのだ。


 呆然として動けないでいるサンの目の前で、その生き物は”口“を伸ばし始めた。ぱっかりと割れた内側から、とてつもなく巨大で太いヒルのようなぬめぬめした口が出現したのである。同じく真っ黒な口内と円状に並んだ黒い牙。その口をぐぬぅーっ……と伸ばして、蛇が首をもたげるみたいにサンの方へ構える。


 そして、細い4本足で床を蹴ると跳びかかってきた。







はい。

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