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贄の王座と侍るもの  作者: 伊空 路地
第六章 神聖悲劇
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167 サンダソニア


 サンダソニア、という一人の人物の生涯を語るならば、恐らく1行で済んでしまう。


 時の教皇ハリアドス二世の孫娘。22歳で西都の“贄”となり死亡。――と。


 ここに付け加えるならば、彼女が“贄”となったその“贄捧げ”こそシシリーア城防衛戦にて教会が敢行した件の儀式であり、彼女の死をもって教会は闇の魔法使いに勝利した、と。そういう文が付け加えられるだろう。


 世間にとって、大多数の人々にとって、彼女はそれだけの存在でしか無かった。サンダソニアという個人よりも、その出自や死による“偉業”だけが注目される人物。






 確かに、歴史書に記すならばそれで十分だったかもしれない。しかし、シシリーア城防衛戦と呼ばれる戦闘からサンたちが退いたあと、西都と東都をそれぞれ襲う事件、その深層を読み解くにはもう少しだけ彼女個人の人格に触れる必要がある。




 彼女はターレルの都、その西都においてありふれた聖職者家系の娘として生まれた。カッチェリオの子カノーファの娘であった。


 父カノーファは彼女が生まれる前に死亡。母はサンダソニア2歳の時期に失踪し行方知れずに。結果、彼女は祖父カッチェリオの庇護の下、育つこととなる。


 彼女は物心ついて以降、“家と祖父に恥じぬ”事を信条として生きていく事になるが、それは彼女の育ての親とも言える祖父カッチェリオを取り巻く状況を慮ったものであった。




 カッチェリオは平凡な神官騎士の一人であったが、とある戦いで高名な神官を庇って負傷。戦いの場から退くと聖職者としての道を歩み始めた。生粋の聖職者たちからすれば野蛮と罵られる経緯であったが、彼はその信仰篤い事を唯一の武器として地位を上げていった。


 後にサンダソニアが生まれた時には既に枢機卿にまで上っており、次代の教皇と目される内の一人と数えられていた。カッチェリオの出自や聖職の道への経緯など考えれば異例も異例、尋常ならざる道であったろう事は想像に難くない。


 それ故に、彼の教会内での立場は微妙であった。枢機卿団でも筆頭たちの一人であり、また多くの貴い出自の者たちからは見下され、次代の教皇と目されながら他全ての枢機卿たちから嫌われていた。


 しかし先代の教皇が死去し、行われた教皇選出投票の勝者はカッチェリオであった。その理由はとても一言では言い尽くせないが、時に恥辱に塗れた裏取引などもあったようである。この問題は後に彼が教皇として権威を確立した後にも長く尾を引くことになるが、今語るべきには相応しくない。


 教皇座に就いた彼は歴史上の教皇から名を頂き、ハリアドス二世と名を変えた。ハリアドス一世は文武に優れ時の宗教戦争で先陣を切った武勇の人であったから、騎士出身のカッチェリオには深く思うところがあったのだろう。


 教皇となってからも、教皇選出投票の結果に納得出来ぬ者たちを筆頭にした枢機卿団を率いる事となるなど、その苦難は長く続いた。






 そして、話はサンダソニアに戻る。


 このように周囲に気を許せぬ祖父の立場から、幼い彼女は自分が弱点になるまいと気を張ったのである。


 無論、令嬢としての立ち居振る舞いを教えるべき母を持たぬ上、育ての祖父は騎士出身の男と、煌びやかな世界の常識を学ぶにはあまりに向かない環境であったから、恥をかくことも一度や二度では無かった。


 それでも、サンダソニアは日々努力を重ね、自身が助祭へとなった際には『祖父のお陰』と言った陰口は殆ど無かった程の成長を見せたのである。


 友人を多く持ち、上下の隔て無く多くの者と親交を作り、民からも広く好かれるよう献身的に己が身を削った。その結果として、彼女は自身が望んだ通り、祖父の弱点になるどころかその力を後押しする程の存在と化したのである。誰にも誇れる孫娘だと、そう胸を張って語るハリアドス二世の姿はまた彼女に更なる力を与え、お互いがお互いを支え合う関係になったのである。


 ある種理想的と語られる孫と祖父の関係であったが、やはりその輝かしい姿の裏には多少の陰りもあった。




 つまるところ、彼女は祖父を支える為に己の夢を捨てたのであった。


 サンダソニアは歌が好きで、他人からも確かな才覚が見て取れるほどだったのである。彼女は歌に生きる道を棄てた後も、度々民の前や讃美歌においてその才を発揮したという。


 祖父ハリアドス二世は己の孫娘に夢を捨てさせた事を生涯悔やみ、しかし孫娘を侮辱せぬ為に一度もそれを人に見せなかった。サンダソニアもまたそんな祖父の内心に気付き、しかし解きほぐす事は出来なかった。その理由として、彼女もまたその内心では歌への憧憬を捨てきれていなかった事があるだろう。


 彼女は誰も見ていないところで、度々己が歌の世界で生きる姿を夢想した。大好きな歌を思うままに歌い、それが人々の心に届く。喝采を浴びて、また歌うのだ。そんな子供じみた夢を、彼女は捨て去った筈ながら見続けていた。


 彼女は最期の瞬間まで、己が歌を愛したことを忘れなかった。もし本当に神の御下に侍る栄誉を受けたなら、きっと神の為に賛美の歌を歌い続けるのだと、そんな想いを抱いて死んだ。“贄”として光となって消えていく最中、彼女は小さく歌を歌ったとも言われる。


 もしそれが通常の死であったならば、彼女の想いはそのまま天に昇り、あるいはその夢を楽園にて叶えたのかもしれない。


 しかし、何の因果か、彼女は“贄”となって死んだのである。


 公には明らかになっていない事ながら、“贄”がその間際に抱いた特別強い想いは、現世に欠片として取り残される。それは魂の欠片。一片ではとても生命足り得ないほんの僅かな欠片。それら欠片が寄り集まった時、歪な生命として肉体を得た事は、あるいは”贄捧げ“を生み出した存在すら予想出来なかった事かもしれない。


 その事実を教会は知っていた。故に、そのお膝元である西都と東都においては情緒感情を極力持たない子供を産み育て、”贄“とする慣例があったのである。現世に取り残される想いが無ければ、魔物と呼ばれる生命も生まれない、と。


 それは果たして正しかったのか、ターレルの都には長らく魔物は現れなかった。“贄”に専用の子供を使うようになって以来、一体の魔物もターレルの都には現れなかったのである。






 だが”贄”となった子供たちは、真実何の想いも抱かなかったのであろうか。


 あらゆる環境が整えられ、不平不満をいう事も、その手段たる言葉も無く、他の人間という存在を知る事さえ無く。


 あらゆる変化もあらゆる未来も与えられない小さな世界で生きた子供たちは、本当に虚無のまま生きて死んだのであろうか。


 抱きはしなかったのだろうか。人生という理不尽を。


 願いはしなかったのだろうか。未来という不条理を。


 憎みはしなかったか、愛しはしなかったか。本当に、何の想いも無かったのか。


 それは誰にも分からない。ただ一つの真実として、サンダソニアが死んだ直後に歪なる生命が生まれた事だけがある。魂の欠片は一片だけでは生命足り得ない。ならば足りぬ分を埋めた欠片はどこから寄り集まったものだったか、そんな事を知る手段は誰にも無いのだ。






 かくして、西都には一体の魔物が生まれた。


 名前などは無い。それは他者が存在を認知する為の道具。究極的に孤独の中生まれ来る魔物に、名前をつける存在は居なかったから。


 ただ、世に姿を現した際、人々が恐怖と共に口にした呼び名はある。


 裸身を晒す人間の女性を核に、8本の細い足を持ちクモのような形をとる異形の肉体。クモであれば頭に当たる部分から生えているような人間の女性部分は、サンダソニアに瓜二つだったのである。


 見た目を磨くためと、化粧や髪の手入れを怠らなかった彼女のように、魔物の核は美しかった。長く艶やかな黒髪は一切の汚れ無く、胸の前で組まれた両手は真摯に祈りを捧げるよう。そしてその口は、かつてサンダソニアの愛した歌を歌い続ける。


 人々は呼んだ。その美しき異形の魔物に恐怖と悲哀を込めて、“聖女”と。






 呪いの祓われた西都に、“聖女”が現れる。


 口元には微笑みを、奏でるは讃美歌を。無数の落とし子を率いて、西都に次なる絶望をもたらさんと。




 美しき“聖女”。醜いクモじみた肉体と、かつて在った美しき声音を併せ持つ。


 常に閉じられた瞳は、あるいは夢を見続けているのかもしれなかった。


 大好きな歌を歌い、それが人々の心に届いて、喝采を浴びる、なんて――とても子供じみた夢を。







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