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贄の王座と侍るもの  作者: 伊空 路地
第六章 神聖悲劇
166/292

166 戦勝


 サンたちが去った後のシシリーア城では戦勝が叫ばれ、歓喜の波に沸いていた。戦死者たちを丁寧に葬り、荒れに荒れた城内の清掃が始まる。






 そんな最中を歩くシックはとても喜ぶ気分にはなれなかったが、教皇にはフリだけでも喜ぶように言われている。無理やりに笑みを浮かべ、戦死者を前に祈る時だけ沈痛な表情を出す。そしてまた笑みを浮かべて、生きている者達に嘯くのだ。『我々は勝った。信仰の勝利だ。』と。


 勝利などと。笑う気分にもなれない。確かに、“従者”には勝ったのかもしれない。しかし、直後に現れたあの男は違う。勝ちは譲られたのだ。勝ったことにされたのだ。敵が不要と投げ捨てたものに飛びついて声高々に掲げて見せる。そんな無様がひどく心を苛み、とても浮かれる気分になどなれようはずもなかった。


 今もまた、“従者”を相手に剣を振ったのだという武勇伝がどこからか聞こえてきた。普通敵を前に剣を振る事しか出来なかったというのは恥に思えるが、あれほどの相手だ。近づいてなお生きているだけで誇る事かもしれない。というよりも敵がたった一人だったせいで、他に誇るような事が無いのだ。通常の戦闘なら、敵を討ち取った話が出来るのだが。


 シックの脳裏にまたも“従者”の姿が浮かぶ。


 てっきり男だと思っていたが、あの小柄さを考えると女性だったのではないか。小柄な男というのも居ない訳では無いが、分厚い外套越しにも分かる線の細い体格は男のものでは無かった気がする。


 強かった。強かったが、それでもまだ人間の範疇だったなと思う。そう考えると、たった一人で突破してきたのは奇跡のようではないか?……あの巨大な剣は別としても。


 そういえば、あの剣には力に見合うだけの大きな代償があるように見えた。剣が消えた後の“従者”が苦しむ様子は今も目に焼き付いている。あの弱り切っている姿を見てなお剣を振れるほど自分は非情になれなかった。……それが強さでも何でも無く、単に迷いがあっただけだという事も良く分かっているつもりだ。


 彼――いや、彼女は、一体何を思っているのだろう。


 どうして、あんな代償を払ってまで力を振るい、命を懸けて戦いを挑んできたのだろう。そんなにも、譲れない何かがあるのだろうか。だとしたら、こんな自分などよりも遥かに強い人なのだろうなと思う。


 そしてこうして彼女の事を思うたびに、脳裏を過る人がいる。


 魔法使い。女性。特徴的な黒い剣。剣術と魔術を組み合わせる戦い方。そして、その正体が不明――。


 首を横に振って、その考えを強引に振り払う。違う、彼女は無関係だ。絶対に、自分の敵などである筈が無い。きっと、いや、絶対に、別人だ。


 「――シックザール様!」


ふと呼びかけられて、顔を上げる。いつの間にか俯いていた事にそこで気が付いた。


 辺りを見回せば、こちらに向かって手を上げている若い騎士が一人。そちらに歩いて寄っていく。


「ご苦労様です。……どうかされましたか?」


「あ、いえ……。その、英雄を目にしてつい、声をかけてしまいました。」


英雄だって?シックは自分の耳を疑った。


「英雄だなんて、そんな……!俺は何も、本当に……。」


本当に、自分は無力だった。命を失った騎士たちは、百は越える筈だ。その上、結局敵を仕留める事も出来なかった。一体自分は何のためにあそこに居たのか、自分でも良く分からない。


「ご謙遜を。……聞きました。城内で一人、教皇台下を守って戦ったと。何人もの騎士が届かず命を散らす中、たった一人で敵と戦い続けたと。そしてついには撃退なさったと!これはまさしく英雄の所業です!もっと誇ってくださいよ。そうでなければ、我々も喜び辛いじゃあありませんか!」


満面の笑みでそう語る若い騎士は何とも嬉しそうである。自分の事では無いのに、まるで自分の事のように誇らしげだ。


「そうですよ、シックザール様。貴方がここに来た時は正直、半信半疑でしたが……今やここに貴方を疑う者は一人だっておりません!まさしく、闇を払う英雄だと!」


横から別の声が割って入る。それもまた若い騎士だったが、なんとも嬉しそうだ。


 見れば、周囲の騎士たちも皆、その通りだと頷き、誇らしげな笑みを浮かべている。


「全く、若造どもの言う通り。それなりに修羅場を潜ってきたつもりでしたが、あんな怪物がこの世に存在するとは。しかもそれをたった一人で抑え込む者が居るとは!全く誇らしいことです。これも主の思し召しでしょうな!」


今度は少し老いた騎士。騎士団内でも高い地位にあるのだろうか。その男が発言すると途端に周囲の空気が加速した。


 そうだそうだ、と。俺たちの英雄ですよ、と。皆が口々に褒め称えてくれる。しかし、それを素直に受け止める余裕が今のシックには無い。


「……しかし、俺は仕留めきれませんでした。しかも、こんなに大きな被害を出して……。」


死んだ彼らを侮辱するつもりは無いが、自分が最初から、と思えば死ななくても良かったはずでは無いかと考えてしまう。死んだ彼らは、自分の手が届かないばかりか、伸ばさなかったから死んだのだ。これを己の罪と言わずして何というのか。


「考えすぎですよ。我々は勝った。それに死んだ奴らも誇ってくれなきゃ浮かばれませんでしょう。誰も、あなたの為に死んだんじゃない。自分と自分の信仰のために、戦って死んだんです。あなたが悪い訳じゃない。」


「しかし――。」


なおも反論しようとするシックを、老いた騎士が制した。


「しかし、はナシですよ、シックザール様!勝った、やった、万々歳だ!そうでなけりゃ、誰が何のために戦ったのか分からなくなってしまう。他でもない貴方は、喜ばなきゃならんのですよ。喜びたいから喜ぶんじゃない。喜ばなきゃいけないから、喜ぶんです。……さぁ、笑って。思いっきり腹から声出して笑うんですよ。そうすれば、大抵の悩みは何てことなかったって気づきます。一緒にやりましょう、ほら!」


騎士が「せーの!」と言うと、周りを囲んできた騎士たちが一斉に大声で笑い出す。あっけにとられているシックを見て、笑いながら背中を叩いて続くよう促してくる。


「さぁシックザール様!もう一回!……せーのぉ!!」


わっはっは、と響き渡る大笑い。戸惑いながら、流れに押されてシックも真似をしようとする。


「……あ、あっはっはっは……。」


するとばんばんと背中を叩かれ、本当に笑われる。


「なんですかぁ?そのヘタックソな笑い方は!お前ら英雄様は笑うのが下手だ。手本を見せてやるぞ!……せーのぉ!!」


わっはっはっは、とまたも笑いが響き渡る。合図でやっているのだから作り笑いのはずだ。それなのに、彼らは誰一人として演じているようには見えなかった。心底から面白おかしくて、それで笑っているように見えた。


「……あ、あっはっはっはっは……!!」


思いっきり笑い声を作る。腹から、全部全部笑い飛ばすような勢いで。


「そう!上達が早い、流石ですよ!?……せーのぉ!!!」


「「あっはっはっはっはっは!!!」」


繰り返すうち、シックも何だか自然に笑えるようになってきた。暗かった気持ちが、何だかいつの間にか明るくなってきている。


 気づけば笑っているのはシックの周囲だけでは無くて、戦場だったシシリーア城に広く広く皆が笑っていた。






 「勝った!勝ったぞ、我らは勝ったぞ!英雄様の名前を讃えろ!我らの勝利の英雄様だ!」


「ウォォオオオーー!!勝った!勝ったぞォ!!」


「英雄様ァ、バンザァーーイ!!勝利の英雄、バンザーーイッ!!」


「シックザール様ァ!麗しき我らの天使様だァ!!」


「おうよ我らに微笑んだぞ!勝利を我らに運んだぞ!!我らの英雄にキッスしてやれ!!」


「今日は宴だ!酒を飲め、肉を食うぞ!今日を呑まなきゃ神もお怒りだぞ!」


 騒ぎは全体に伝播して、いつの間にか戦死者たちの鎮魂だとか荒れた城内の清掃だとか、そんな事は忘れ去られ始めていた。


 誰もが馬鹿になって大騒ぎの大笑いをする中、その中心に居たのはやはりシックであった。“呪い”が祓われたことに気が付いた民たちも皆それぞれに喜びを露わにし、夜になる頃には西都全体がすっかりお祭り騒ぎであった。


 本当ならば聖日と呼ばれる14日後までは喪に服す筈なのに、最早そんな建前は誰もが忘れていた。


 そんな都中の馬鹿騒ぎに流されるうち、シックの心にあった苦悩も薄れていくのだった。例えそれが一時のもので、この夢から覚めれば再び苦悩が訪れるとしても、今この時だけはそれでいいのだと当人も思った。


 何故なら、彼らは勝ったのだから。


 邪悪なる闇の手先を撃退し、見事聖地に光を取り戻したのだから。


 今宵は見事な満月で、とても明るい月夜だった。喜びの騒ぎは朝まで続き、シックも飲まされた酒で潰れ、通りの端で寝ているのだった。






 後に思えば、この時既に“聖女”と呼ばれた魔物は動き出していたのだろう。突如大挙して現れた落とし子たちを産んでいたのか、それとも既に都へ忍ばせていたのか。


 しかし鬱屈した思いに囚われていた西都の人々が、その解放の喜びの頂点にある最中、その存在に気付けと言うのも無理な話だったろう。


 故に、また訪れる絶望と惨劇の前夜祭。人々は何も知らず、喜びに沸き続けたのであった。







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