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贄の王座と侍るもの  作者: 伊空 路地
第六章 神聖悲劇
165/292

165 防衛戦の決着


 その時、確かに短い間があった。


 教皇は長い詠唱を終えると共に、その構えた剣を下へ突き刺すだけで良かったのだ。だと言うのに、どうしてかそこにごく短い間があったのだ。


 もしその間が無かったならば、サンが放った弾丸は間に合わなかったという事を考えれば、もしかするとサンの“勝利”を誰より願っていたのは教皇自身だったのかもしれない。




 そして弾丸が迫り、教皇に一直線に迫り――外れた。




 教皇を狙って放たれたはずの弾丸は、その身体のどこにも当たる事無く、何も無い空間を貫いて祭壇後ろの壁に穴を空けた。


 外した。その事実をサンが認識するのと、教皇が真下に構えた剣を少しだけ振り上げるのが同時。


 そして、最早誰も動くことは出来なかった。教皇の持つ儀礼剣が、真っすぐ下に振り下ろされ――横たわるサンダソニアの胸を貫いた。


 その身体から零れ落ちるのは、血の代わりに光。衣服を伝い、寝台を濡らし、地面にまで落ちていく。


「――あ、あぁ……。」


サンの喉から、意識しない音が漏れる。意味は無かった。だが、受け入れがたい現実に抗いたいのに、とてもその力が足りないような、哀れな声だった。


 その身体が強く押し飛ばされてたたらを踏む。背後を振り向けば、唇を噛んだシックが自分の背中を貫こうとするまさにその瞬間だった。


 最早避ける事は叶わない。防御も出来ない。弾丸を外したという事実に動揺しすぎたのか、そもそもシックの対応より射撃を優先した時点で決まっていた未来だったのか。サンは刹那の意識の中、次の瞬間に己が刺し貫かれる事を理解した。






 自分に死をもたらす筈の一撃は、いつまでたっても来なかった。


 完全に疑う余地も無く定まっていた筈の死の未来。予想を裏切られて困惑するサンの耳に、聞き慣れた声が届く。


 何と言ったのかは分からない。それは、サンの知らない言葉であったから。それでも、サンがその声を聞き違える事はあり得ない。


 なぜならば、そのモノこそが彼女の主。この大地の上にたった一人、サンがその身命を捧げるべき存在――。














 「私の配下が、世話になったな。」


 サンへと迫るシックの刺突は、いつの間にか現れた闇に受け止められていて、どれほど力を込めてもびくともしない。


 だが、そんなことは重要ではない。今、シックが目にしている存在を前にすれば、その他のことに意識を裂くなど不可能だった。


 黒い髪。自らへ向けられた瞳は冷たい青。見たことのある顔では無かった。それでも、この男こそが自らの宿命づけられた天敵であると分かった。


 男が左手を軽く振ると、城内の見渡す限りあらゆる場所に薄い影のような闇が満たされた。それはすぐに消えると、城内のあらゆる場所で燃え盛っていた筈の炎も共に消し去った。


 もう耳慣れてしまって、すっかり意識の外にあったはずの業火が燃える音。それがふと無くなると、途端に辺りは静寂に包まれて、耳が痛いような気がした。


 “贄捧げ”は成功した。危ないところではあったが、光となって消えていくサンダソニア様の姿を見れば分かる。もう既に、大窓から差し込む光は力強さと暖かさを取り戻し始めている。




 だが、いつもなら無上の安心を与えてくれる陽光の何と頼りない事だろう。もう“呪い”は祓われたのに、太陽はその恵みを大地に差し出してくれているのに、まるで無力に思えてしまう。


 それは今目の前にいる男のせいだ。


 その存在の何とおぞましいことか。その身に宿す闇の何と深く暗い事か。シックはどこか、自分の知らない自分が現れて、恐怖に泣き叫んでいるのを感じていた。その幼子のような本能任せの感情に身を任せたい欲求を堪え、その男を睨み返す。


 あぁ、まさに、“闇”だ。そうとしか、表現しようがない。


 ヒトの形を取った“闇”そのもの。人智を越えた大いなる邪悪が人間を模しただけの、偽りの生命。現世の悪魔、などという呼び名は大仰でも何でも無かった。むしろ、かわいいくらいの呼び名では無いか。


 月も星々も無い夜。光の届かない海の底。深い絶望と虚無に囚われた時の心。すなわち、闇、闇、闇。


 男が、いいや”闇“の化身が、口を開く。


「残念ながらこの地の”贄捧げ“は成った。今や、私と我が配下がここに居る理由は無くなった。此度の戦争の責任など取らされる前に、早々に引き上げるとしよう。」


それは意外な言葉だった。この圧倒的な存在が現れた時、シックは己の死を見た。この地に死と破壊をばらまき、絶望の底に叩き落としてからようやく帰っていくのだろうなと、勝手にそんな事を想っていたからだ。


「……俺たちを、殺していくのかと。」


ふいに声が聞こえる。いや、どうやら自分の声だ。思わず、そう問い返してしまったらしい。


 ヒト型の“闇”は心優しくも答えてくれる。


「そんな価値は無い。無意味だ。私は無益な事を嫌う。……貴様だけは、その価値があるがな。今はまだ、その時ではない。」


 更に、教皇の方を向いて言葉を続ける。


「まことを見失った愚かしい男よ。私はかの地に戻る。此度の茶番を終わらせたければ、魔境まで向かわせるがいい。そういう“仕組み”なのであろう。」


 何の事だろう。台下が愚かしいとは、とんでもない暴言だ。あれほど知性溢れるお方は居ないというのに。……そして、茶番?


 気付くと、先ほどまで自分と死闘を繰り広げていたフードの人物が男の脇に控えるように立っていた。ここまで来れば流石に分かる。“従者”。なるほど、その名乗りの通り、従者に過ぎなかったのだ。あれほどの力を振るう闇の存在ですら、従者に過ぎない。その理不尽な現実さえ、この男を目にすれば頷かざるを得ない。完全に、格が違うのだ。


「では、な。――あぁ、どうやら一体ほど、生まれたようだ。散々蓄えて来たツケだな。心無い”贄“ならば、魔物にならんとでも思ったのか?想いを持たぬ人間など、存在しないというのにな。わざわざ家畜のように育ててご苦労な事だったが、無駄だったぞ。」


 魔物?何を言っているのか、この男は。シックには全く分からなかったが、教皇台下はそうでは無かったらしい。目を見開き、驚愕している。


「さて、我々は帰るとしよう。さらばだ。哀れな偽りの信者どもよ。」


男はそれだけ言うと、自分たちに背を向けて城の外へ歩き出した。”従者“はこちらに一つ礼をすると、男の後ろをついていく。


 「ま、待ってくれ!お前は、君は、一体……!」


“従者”に向けて、思わず叫ぶ。自分たちは勘違いをしていた。“従者”こそが”贄の王“だと。だがそうでは無かった。考えれば分かった筈では無いか、”贄の王“と、その”従者“。超常の力を操る存在がたった一人など、誰かが決めた訳でも無かったのに。


 だがそうなると、疑念を抱かざるを得ないのは”従者“の正体だ。見知らぬ人間ならば、それでいい。だが、もし。もし、シックの知っている人物だったなら?


 ”従者“は答えない。そのまま真っすぐに振り向かず、”王“の後をついていく。


 そして、今まで見てきた中でも際立って暗く、深い闇が二人を包み込んだ。闇が薄れて消えた後、そこにはもう誰も居なかった。
















 かくして、後に『シシリーア城防衛戦』と呼ばれる戦争は終わった。たった一人の魔法使いを相手取り、教会側は辛くも勝利。その目的である“贄捧げ”を完遂し、おぞましき闇の手先を撃退した。


 戦死者の亡骸は状態の良いものから原型を留めぬものまであり、僅かながら脱走者まで居た為に、正確な戦死者数は分かっていない。


 しかし、状況などから推定される限り、二百から三百と言われている。たった一日、たった一人の魔法使いを相手にした異常な戦闘において、この戦死者数を多いと見るか少ないと見るか、意見の分かれるところであるかもしれない。






 だが『シシリーア城防衛戦』とは、続く事件の前日譚扱いをされる事が多い。むしろ、一般的な人々からすればその犠牲の多さから、続く事件の方こそ重視しがちだ。


 それは一体の魔物によるターレルの都の襲撃事件。


 俗に言う、“聖女”事件である。







感想ください。感想が欲しくて欲しくて堪らない。私は飢えている。渇いているのだ。どうしようもないほどに、魂から湧き出でる渇望。他の全てを投げ捨ててでもそれに手を伸ばしたく思うのに、どうあがいても届かない。何という苦痛、何という絶望。あぁ、私の求むものはまさに光だ。暗闇にとざれた世界、孤独と恐怖に打ち震える者が光を求めるように、私は求めてい感想下さい。

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