163 魔法使いの本領
ふと、シックの表情が変わる。苦しそうな顔をしていた彼が、何かに気付くと目を丸くし、驚愕を露わにする。それから瞬きをして、サンを睨みつけてくる。しかし、先ほどまでの射殺さんばかりの鋭さは無い。
「その剣……。どこで、手に入れた……ッ!!」
シックが気づいたのはサンの持つ“闇”の剣。贄の王が手ずから創り出したこれは世界に唯一の品であり、サンだけが持つ武器だ。そして、シックはサンがこれを振るう場面を目にしている。
シックの発した言葉に対し、サンは申し訳ないような笑みを浮かべた。
いくら顔を隠しているとはいえ、背格好がその友人と同じ事くらい分かるはず。世界に一振りだけの剣という共通点まで有って、それでもシックは『サンから奪った』とでも言いたげな顔だ。
そんなにも、サンと”従者“が繋がらないのだろうか。それとも、考えたくもないだけか。どっちにしても、シックはサンの事をとても信頼してくれているらしい。
――ごめんなさい、シック。この前は、あなたを疑った私を許して下さい。
この人の好い少年が、サンではあるまいし、騙し討ちのような真似をするはずが無かったのだ。サンは自分が友人を信じられなかったという過去を恥じる。
サンはシックの問いに、何も答えない。ここで言葉まで発すれば、流石に声でバレるだろう。状況が逆だったとして、サンはシックの声を聞き違えるとは思わない。それだけに、現実を受け入れ難く思うだろうが。
油断なく右手に剣を構え、左手には権能で呼び出した”闇“を纏う。――あぁ、構えでもバレてしまうかもしれない。剣と魔術を両立するこの戦闘方法は、どちらかと言うと珍しい部類だから。しかも、サンは己の流派を矯正して贄の王と同じ構えにしている。ここまで情報が出そろって、それでもシックは自分だと気づかないでくれるだろうか。
少し離れた祭壇で詠唱を続ける教皇に意識を向ける。詠唱は、まだ余裕がある。詠唱が終わる瞬間を決して逃さぬように気をつけなければ。ここまで来て失敗とはあまり楽しい話では無いから。
剣を握ったままの右手で”強化“を使う。素の身体能力で敵と打ち合う事は望むべくも無い。白兵戦の時の、サンの常道だ。
相手が自らの問いに答える気が無いと見たシックがゆっくりと近づいてくる。剣は右手にぶらさげ、いっそ悠然とした様子で。その眼光は鋭く、油断は欠片も無い。どんな攻撃が来ても、完璧に対処する自信を漲らせている。
その様子を見たサンは少しばかり戦術を変更。右手の魔法を“飛翔”に切り替えると、地面を蹴って後ろへ飛び上がる。サンの”飛翔“が出せる全速は精々全力疾走くらいだが、縦横無尽にその速度で動けるとなれば十分すぎるくらいだ。
サンが遠距離からの魔法攻撃主体に切り替えた事を理解したシック。一気に駆け出すと、同じ人間かと疑いたくなるような速度で近づいてくる。
シックを中心に円を描くように、中空を飛ぶ。左手から闇を弾丸として撃ちだす。
飛来する黒い弾丸をシックは剣で払い、体さばきで躱し、距離を稼ごうとするサンを追う。
サンの目的は教皇の詠唱完了まで時間を稼ぎつつ、いずれ来るその瞬間を逃さぬようにする事。だがそれを察知されては困る。あくまで、目の前のシックを撃破しようと動くように見せねばならない。
シックがやはり速い。サンが円軌道を描き弾丸を撃ち続けせいで走りづらそうではあるが、ゆっくりと距離が詰まってきている。このままではダメか、と次の戦術へ。
左手から放つ弾丸を中断。僅かに“闇”を溜めると、シックの周辺に闇を煙幕として爆発させる。物理的な衝撃は無いが、一気に広がる影のような領域に思わず跳び退るシック。しかし、そこもまだ闇の内側だ。
サン自身も”闇“を見通す目は持っていない。闇を展開すると同時、”透視“を左手で使用。自分だけ視界を取り戻す。
シックは方向感覚を失っていなかったらしく、教皇の方へ駆けている。サンが教皇を害そうとするのではないかと恐れたのだろうか。しかし残念ながらそれは間違いだ。
“飛翔”を操り、中空をまっすぐにシックへ向かって全速移動。狙うはシックが手に持つ剣。音も無く迫るサンに、しかしシックは反応して見せた。
その場でだんッ!と地面を蹴ると勢いを殺し、体重を反転。迫りくるサンに対し、逆に斬りかかってきた。
どういう察知能力だ、と不平を呟きながら上に飛び上がってそれを回避。身体をくるりと反転。真上からシックに向けて急降下。
視界は暗黒に囚われ何も見えまいに、横っ飛びでサンの一撃を躱したシック。すかさずサンの方に向き直ると、油断なく剣を構える。
余った勢いを着地することで殺す。再び地面を蹴って上へ。薄れ始めた闇の領域から一人脱出すると、天井付近で“透視”を止めて”雷“の魔法を準備。こちらを見失ったシック目掛けて、聞こえないような小声で詠唱する。
「『形持たぬ鎖よ。縛り付けて捕え、あのものを制縛せよ。姿無き枷よ。肉の檻を走る紫電よ。我の力となれ、我の腕となれ、我の意思となれ。』」
闇が宙に溶けるように消えていき、領域内に囚われていたシックも視界を取り戻す。素早く周囲を見回しサンの姿を探す。高度があるせいで、すぐには見つけられなかったらしい。――その隙が、命取り。
「『“鎖縛雷”……!』」
サンの左手から放たれた紫電が一直線にシックの身体へ。サンの発見に遅れたシックは、それに対応出来ない。
「があぁーッ!」
悲鳴と共に、シックの身体が硬直する。“鎖縛雷”は直撃した相手の肉体をしばらく硬直させる拘束用の魔法だ。
眼下のシックへ向けて急降下。どこを狙うかしばし迷い、シックの剣目掛けて降下の勢いままに自分の剣を思いきり打ち合わせる。
ガァーン!と快音が鳴り響き、シックの剣がその手を離れて地面を滑っていく。同時に、“鎖縛雷”が解ける事を察知して後退。地面近くを漂いながら、シックへ次の手を考える。
武器を失ったシックはサンへ警戒を向けながら、飛ばされた剣の位置を確かめる。シックの左、やや後方。サンよりは、まだシックのほうが近い。
行動不能を狙って、サンは左手から“闇”の弾丸を発射。死傷を与えないように威力を調整し、連続で放つ。
卓越した足さばき、体さばきでそれらを避けるシックだが、流石に限界が訪れる。躱しきれない一発を両手で受けるが、大きく後ずさり。続けて腹部に迫る一発、身をよじって回避。次なる一発を右肩に受けて体勢を崩し、続く一発が胸に直撃。後ろに倒れ込みながらやや滑る。
痛めつける趣味は無いのだが、まだ教皇の詠唱には余裕がある。どうせならこのまま行動不能になって欲しいと、倒れたシックの上空に回り込むと、“土”の魔法を準備。
「『我が意に従う、大地の腕よ。敵の捕縛をそなたに命じる。あれなるは我が敵、そなたの敵也。いざ捕らえよ。――“土くれの手握”。』」
シックの周り、美しく磨き上げられた城の床がばりばりとひび割れて、下から土で出来た指先のようなものが幾本も現れる。それらはシックの身体を掴み捕らえんと握られる――その間際、全力で地面を蹴ったシックの身体が頭の方向に回転し、更に両手で地面を押しのけるように叩き、曲芸じみた動きで指先から逃れる。
そのまま両脚で着地したシックはすかさず駆け出す。飛ばされた自分の剣の方、かと思いきや、全く違う方向に。意図の読めないまま“水”の質量弾で追撃。シックを狙って、いくつもの大きな水球が叩きつけられる。
ばぁん!ばぁん!ばぁん!と豪快な音を立てる水球たちだが、華麗にそれらを避けて走るシックに当たらない。水飛沫がその衣服と髪を濡らしていくが、そんなものは障害になり得ない。
先にサンが放った”闇“の暴風によって血肉と化した騎士たちの亡骸の辺りへ辿り着くと、何かに向けてシックが飛び込む。ぐるりと転がりながら膝をついてサンの方を見上げるその両腕には、一丁のライフルが構えられていた。
マズイ!と咄嗟に後退したサンのすぐ傍を、シックの放った弾丸が過ぎ去る。さらにシックは周囲に転がる銃を拾ってはサンを狙って発砲。その場に打ち捨てると次の銃へ、と射撃を続ける。
幸いにしてそこまで銃の扱いは慣れていないようだったが、一方的に撃たれる立場となったサンは気が気でない。何せ弾丸はめちゃめちゃに痛い。一度撃たれた身だから良く知っている。勘弁してほしい。
複雑な軌道で城内の宙をぐるぐると飛び回りながら、左手から放つ水球で反撃する。
ヂッ!と弾丸の一発がサンの衣服を掠めた直後、サンの水球がシックに直撃する。
苦悶の声を上げて勢いよく倒れ伏すシック。ここぞとばかりに詠唱を唱え、拘束せんとするサン。
「『我が意に従う、大地の腕よ。敵の捕縛をそなたに命じる。あれなるは我が敵、そなたの敵也。いざ捕らえよ。――“土くれの手握”!』」
またもシックの周りの床がバリバリと割れて土の指先のようなものが伸び出でる。それを見たシックは咄嗟に地面を蹴って倒れたまま前へ滑り込む――が、その左足を指先の一本が捕らえた。
がくりと動きを止められたシック。自分の足を捕らえた土を見ると、一切躊躇うことなく勢いよく腕を振りかぶり、殴りつけた。
確かに“土くれの手握”はそこまで強度のある拘束では無い。シックの筋力で幾度か殴れば破壊出来るだろう。とは言え、それを許す筈も無い。あと、殴りつける左手から血が出て痛々しいのでやめて。
「『我が意に従う、大地の腕よ。敵の捕縛をそなたに命じる。あれなるは我が敵、そなたの――。』」
三度目の“土くれの手握”を詠唱。今度こそシックを完全に拘束するつもりだ。そして、その目論見は無事に成功出来ただろう、サンが突然の痛みに詠唱を中断しなければ。
痛みは左の脇腹に現れた。焼けた鉄を押し当てられたような鋭い痛みが走り、詠唱を中断してしまう。
咄嗟に何が起こったのか把握しようと眼下を見回せば――。
居た。一人の騎士が慌ててライフルの装填を行っている。いや一人では無い。周囲には、ちらほらと騎士たちが現れ始めている。どうやら、シックと戦っている間に騎士たちが他所から集まってきていたらしい。
煩わしい、と感じた苛立ちのままに、新たに詠唱を開始。
「『それは炎の蛇。我の怨敵を食いつくすなり。――”火炎餓蛇“。』」
既にこちらへ銃口を向けている一人に向かって、“火炎餓蛇”を放つ。騎士は発砲を諦めると、炎の蛇から逃げようとした。しかし、蛇は首を伸ばして騎士へ食らいつき、その肉体を焼き焦がしていく。
「『我は大地の子。悲しむままに叩きつける。左の拳が大地を穿つ。拳を握って地を叩く。――“悲嘆の城拳”。』」
数名が集っている辺りを狙って、“悲嘆の城拳”を放つ。不可視の巨大な拳が床を殴りつけたような、抉れが床に現れる。凄まじい破砕音と共に床が凹み、押し出された地面が円状に盛り上がり、クレーターをその場に作る。不可視の拳に殴り潰された数名が、赤い染みとなって何人いたのかも分からなくなる。
「『我は大地の子。怒れるままに振り上げる。右の拳が大地を砕く。腕を伸ばして、天を掴む。――“憤怒の城拳”。』」
聖堂部の中央付近、こちらへ向かう騎士たちの足を塞ぐように、“憤怒の城拳”を放つ。勢いよく床を砕きながら吹き上がる土砂。巻き込まれた数名が打ち上げられ、あるいは腕や脚を持っていかれ、血を流す。盛大に吹き上がる土砂を前に進むに進めず、騎士たちの足が止まってしまう。
そこで一度シックの姿を探す。せっかく吹き飛ばしたシックの剣だったが、サンが騎士たちを薙ぎ払っている間に拾われてしまっていた。サンが見たのは、走るシックがちょうど自分の愛剣を拾い上げるところ。
全く上手くいかないな、と嘆息しながら、次なる詠唱を開始。――大丈夫。多分シックなら死なない、よね?
「『乞い願う、乞い願う。地獄の王よ、我は乞う。冥界の主、悪魔の首魁、我ら恐れる憤怒の化身よ。お前の力を貸したまえ、我にその口を宿らせたまえ。今ここに、現界させるは地獄の領域。憤怒の炎が全てを焼いて灰にする、いと恐ろしき魔の世界。しかして悪魔よ、我は願う。この身を守り、灰へと変えざる一片とせよ。代償として、残る者らを喰らいて喰らえ。いざやいざ、地獄の景色を今ここに。――“悪魔の舌たる獄炎世界”』」
ふぅっ!とサンが強く息を吐く。吐息が向かう先は、城内の荒れ果てた床。吹き上がる土砂や抉れたクレーター、無数のヒビが刻まれ数多の血肉で彩られた場所。
そんな場所目掛けて吐き出された息は儚く宙に消えるのでは無く、紅の姿を露わにしてどんどんと拡大していった。巨大な火球となって城内の床へぶつかり、爆発するように広がる。すると、見渡す限りの城内が火炎に包まれた。
最下層の広い床は僅かの隙も無く火炎に埋め尽くされ、城内へ上りゆくための階段も部屋に通じるドアも全て炎に包まれて、サンの視界の内、炎に包まれていないのは意図して守った教皇付近とシックがいる辺りである。
そこら中から熱気が押し寄せ、一気に上がった気温に汗すら噴き出る。
だが、ちょっと暑いだけのサンは可愛らしい方であろう。発現した業火に呑まれた騎士たちの壮絶なる悲鳴なるや。彼らに思い入れの無いサンですらちょっとしたトラウマになりそうである。
紅の獄炎世界へと変わり果てた城内において、赤々と照らし出されるのは宙を舞う”従者“。暑い暑い、だからこの魔法は好きじゃない、などと考える彼女はもう、明らかに尋常の精神の持ち主では無かった。
唯一大事なシックの方を見れば、周囲をぐるりと炎に囲まれ大変暑そうではあるが、無事そうだ。少しくらい火傷するかもしれないが、そこはどうか許して欲しい。自分もバッサリ斬られた事だし。いや、恨んではいないけれども。
ふわりと宙を舞うように飛び、教皇が詠唱を続ける祭壇の傍までやってくる。気づけば、その詠唱は最早終わりに近かった。
目線で人が殺せるならば、百人は容易いだろうなという眼力でサンを睨みつける教皇。しかし、その詠唱を止める事は無い。
その両手には美麗な儀礼剣が握られており、真下に向かって構えられている。その切っ先の更に先には、横たえられた一人の女性。まだ若く、美しい黒髪を持つこの人物が、教皇の孫娘サンダソニアという人であろう。
サンは左手に“雷”の拳銃を取り出して構える。銃口はもちろん、教皇の頭に向けて。
もうじき詠唱が終わる。その終わりに合わせて引き金を引けば、サンダソニアの代わりに教皇が“贄”となり、西都の“贄捧げ”は完遂される。そうすればもうサンダソニアが死ぬ必要は無く、苦肉の策ではあるがサンの『“贄”を許さない』という信念も守られる。教皇だって、孫娘を殺すくらいなら自分が死んだ方が色々と楽で良いだろう。
じっと、静かに銃を構えたまま、詠唱が終わるのを待つ。銃口を覗き込むような恰好の教皇は、しかしその眼光を僅かも鈍らせることは無い。
その時、サンの背後から炎が何かを炙るような音が聞こえた。
慌てて振り向けば、案の定と言うべきか。
そこに立っていたのはシックであった。恐るべきことに、燃え盛る業火の中を走って突っ切ってきたらしい。炎の燃え移った外套を脱ぎ棄て、炎の中に放る。どうやら、サンに水球をぶつけられてびしょ濡れだった事も幸いしたようだった。
「……ハァ、ハァ、ハァ……。台下を、やらせはしない……。お前は、このシックザールが斬る……!」
ふわりと宙を舞って、シックと向き直る。
このまま終わってくれれば良かったのだが、どうやらもう一勝負しなければならないらしい。
地面にゆっくりと降り立ち、“飛翔”を解いて“強化”を代わりに使用する。
右手で剣を前に構え、半身の姿勢。左手は魔法の為に空けておき、静かに敵を睨む。それを見たシックも、握る愛剣を構えて切っ先をサンに向ける。
業火に包まれた城内聖堂部。その最奥にて、二人っきりの大一番。どうしてか、自分の心がほんの少しだけ踊るのをサンは自覚していた。




