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贄の王座と侍るもの  作者: 伊空 路地
第六章 神聖悲劇
152/292

152 嘘つきどもの真


 「……おぉ。お待ちしておりました、サン様。度々ご面倒をお掛けして申し訳ありませぬ。さぁ、どうぞ、お座り下さい。」


 先ほどの応接間に戻れば、ヴェストベルトがソファに座して待っていた。サンは簡素に挨拶を述べ、向かい合うように座る。


 「人払いを済ませました故、茶も出せませぬがお許しを。余り、人には聞かれぬ方がよろしいかと思いましてな。」


これからの話に上るのはサンのことであろう。耳にする人間は当然、少ない方が好都合である。とはいえ、どうせどこかに隠れて誰かが聞いていよう。教会とは、そういうものだ。


「今、この場には我々の他に誰一人おりません。せめてもの歓待すら出来ずお恥ずかしい限りにはございますが、お互いやりやすいのではと。」


白々しい事である。先ほどはサスチャクがその役目だったのかは分からないが、枢機卿ほどの地位にある人物が護衛も無しに、どこの誰とも知れぬ客人と会うなどあり得ない。この男の目の前で入念に周囲を見回す訳にもいかないが、必ず何者かが潜んでいる。それこそ、今まさに銃口を向けられていてもおかしくないのだ。


 「……お気遣いを、ありがとうございます。猊下。」


「……何か、ありましたかな。もしサスチャクめが非礼をしましたならば、代わってお詫びを申し上げましょう。情けない話ですが、アレは些か教育が行き届いておりません。」


彫像の如く動かない老人の顔が、その奥に埋まった瞳でサンの顔を見つめてくる。随分頭も冷えたと思ったのだが、動揺の残り香を嗅ぎ取られたらしい。


「いいえ、サスチャクさんとは何も。少々意見の行違いこそありましたが、猊下が謝罪なさるような事はありません。」


「左様ならば、よろしいのですが。もしご不調であればまたの機会に致しましょうぞ。ご無理をさせる訳には参りませぬ。時間であれば用意します故、安静になされる方がよろしいかと思います。」


やけに気遣いをしてくる。無用の世話であるし、サンの方も無限に時間を持ち合わせる訳では無い。それに何より、ここで引けば余計な監視がつきかねない。何としても、この場で上手くヴェストベルトをやり過ごす必要がある。


 「いいえ、ありがとうございます。しかし、幾度も猊下のお時間を頂戴する訳にも参りません。私には何の問題もありませんので、このままお話をさせて頂ければ幸いです。」


「……で、ありますか。しかし、もし途中であっても何かあればどうぞお申し出下さい。……これ以上は余計でありましょうな。では、これくらいに致しましょう。」






 「……さて。本来であれば、不躾ではあるのですが。私にはどのようにお話を運べばよいか見当が尽きません。失礼ながら、いきなりに本題へと入らせて頂きたく思います。」


「そう、ですね。私としても、何として話し進めればよいか分かりません。なんなりと、お聞きください。」


「有難い事です。では、お尋ね致します。……貴女さまは、一体何者でありますかな。私の知り得る限り、そのお顔は既に主の御下にお侍りになられているお方のものなのです。しかし、ただ似ているだけの者という訳でも決して無い。」


神の下に侍る。すなわち、既に死んでいる人間を示す言い回しだ。死人の顔を持つお前は何者だと、まさしく直球な質問である。不躾だと断ったのも当然だろう。


「だというのに、貴女さまの内面は全くの別人にございます。まるで、他の魂が身体に入り込んだかのように。」


 サンは脳内で考えた設定を洗い直す。どうせ、返答を急ぐ必要は無い。むしろ、少しくらい間を置いた方が“らしい”というもの。


「……誠心誠意、お答えしたく思います。曖昧な返答になってしまいますが、今の私は私以外の何者でもありません。……それ以前の記憶が無いのです。とある目覚め以前のことについて、何も覚えていないのです。」


記憶が無い。これがつまり、必死に考え出したサンの公の設定だ。


 通常の人間であれば、一時的または部分的に記憶が無いという事はまま起こる。しかし、とある一時以前の記憶がまるごと無いなどという話は聞いたことが無い。明らかな異常事態。妙な嘘を吐くな、となじられるのが当たり前の流れであるが、この男については通り得る、とサンは考えたのだ。


 「記憶が無い、ですか。……それは、一体いつ頃からの事でありましょう。」


――乗ってきた。


 つまり、この男の中でそれは“あり得る”事態だという事!


 サンは自分が一つ目の賭けに勝ったことを確信する。そしてそれ故に、意識を引き締め直す。ここからが、本当の勝負なのだ。


 「……はい。私が覚えている最も古い記憶、言わば今の私が“生まれた”とでも言いましょうか。それは今より約一年前の事。ここより遥か東、エルメアの都のとあるお屋敷で目覚めた記憶になります――。」






 それから、サンは“サン”の設定を語りだした。エルメアの都で目覚めたこと。とある資産家に保護され、使用人として行き場を用意してもらったこと。用事でファーテルの都に向かった事。そこで、死人がいると騒ぎが起こったこと。同道した者たちと別れ、自分の正体を求めてターレルへ旅に出たこと。


 勿論、シックとの出会いや道中での話も交えていく。後でシックから聞いた話と噛み合えば真実だと思わせやすいとの計算からだ。


 「――そして、先日ついにこの西都へ辿り着きました。街中で偶然シックと再会し、今日ここに至っています。……これで、私からお話出来る事は以上です。私がもつ“私”の記憶の全てです。」


 ヴェストベルトは時折質問をしつつ、概ねサンの話を静かに聞いていた。その瞳は常に、記憶を思いおこすようやや俯くサンを見つめていた。


 少しの間をおいて、ヴェストベルトが質問を投げかけてくる。


「……そも、このターレルの都を目指されたのは何故ですかな。ファーテルに真相があるとは、お思いになりませんでしたか。」


「正直に申せば、死人だと言われて怖かったのです。何か、とにかくここに居てはいけないような、そんな感覚に襲われて……。それから、亡くなった筈の私は“贄捧げ”で亡くなったと聞きました。そういった事にまつわるとすれば、やはり西都が思いついたのです。」


「ふむ……。確かに、事実として私と見えている。実に、主のお導きを感じますな。まこと、大いなる指先の素晴らしきことです。」


聖職者の戯言はどうでもいいのだが、信じてくれるなら何よりである。


 サンは姿勢を正すと、ヴェストベルトの瞳をまっすぐに見つめた。




「猊下。お聞かせ願えますか。……猊下は、かつての私、記憶を無くす前の私の事を、ご存じなのですね?」




 サンのその問いに、ヴェストベルトは細く長い息を吐き出した。一度目を閉じ、それから開いて、サンの瞳を見つめ返した。両者の視線が交錯し、重々しく、何かの予兆を感じさせるような沈黙が訪れる。


 「……その前に、お一つだけお聞きしたい。先ほどから、貴女さまはご自分を今の自分と過去の自分と、分け隔ててお話になっております。そのお心を、明かして下さいませぬか。」


「それは――。……気づかされた、からです。結局、今の私は最初から私自身でしか無かったのだと。一番初めから、それ以外の誰でも無かったんだと、分かったのです。例えどのような過去があっても、それは過去でしか無くて。どんな未来があっても、どんな今でも、それはそれだけのことなんだと。どんな生まれでも、どんな道のりでも、どんな思い出でも。私が願ったものは、私の願いなんだと。紛れも無く、私は私として生きているんだと。」


 それらの言葉は、偽りでは持ちえない重みを確かに持っていた。


 不思議であった。ここまで話してきたのは全て嘘に嘘を重ねた話だったのに、いつの間にかそこから真実が導き出された。いつの間にか、サンは己自身の言葉を語っていた。それ故に、同じく吐き出された過去についての言葉も、すとんとサンの腹に飲み込まれて落ちてきた。


 『過去は過去でしかない』という言葉は、今のサンが抱える苦悩についての答えを示そうとしていた。それがサン自身にも分かって、標の無い荒野の先に、一筋の道を見つけたような気分になる。


 妙な事だ。あれだけ悩み苦しんでいたのに、その答えは自分自身の口からふいにもたらされたのだ。もっとも、世の人の苦悩の答えとは案外、常にそんな風に現れるのかもしれない。


 「……然り。実に、素晴らしきお答えにございます。己とは、いつ何時であれ、己以外の何者にもなり得はしないのです。世に数多の賢人あれど、その一握の真に辿り着けるものは多くありません。貴女さま、サン様がそのような真を得た事。この私は心より嬉しく思いますぞ。」


 ヴェストベルトは相変わらず動かない彫像のような顔のまま、重々しい頷きと共にそう述べた。


「それであれば、私にもサン様の過去を語る事に迷いはございませぬ。私の語るものが何であれ、サン様が惑わされることはありますまい。この愚かしき男、知り得る全ての所を、お話すると神に誓いましょう。」






 「――まずは、かつてファーテルに存在した一人の姫の名を。姫の名はエルザ。ファーテルの王の子らの一人にございます。


貴きお生まれとして、身の回りには何一つ不都合無く育ちました。しかし一方、あまり恵まれたお生まれでもなかった。愛されなかったのです。側妃の一人であったお母上は姫を産んで亡くなり、父王には興味を持たれませんでした。かの王は、自身の子らに余り関心を持てず、周りの者たちに任せきりにしていたのです。


 姫は正妃さまの監督の下、乳母と護衛の騎士たちに囲まれて育ちます。何一つ不自由なく、さりとて幸福多からず。王の子らは姫の他にもおりましたが、関わることは一切ありませんでした。これはお母上と正妃さまの不仲が原因でありました。宮城の片隅においやられ、産まれながら上質の真綿に包まれて絞められていくような、そのような中でお育ちになったのです。


 仕事柄宮城には度々足を運んだ私でありましたが、エルザ姫のお顔を拝見したのは僅か数度の事にございます。祝福や聖別も差し上げる事無く、聖職の役目は何も果たせませんでした。


 一介の聖職者に過ぎぬ私に出来たのは、ささやかな諫言を申し上げる事だけでした。いや、自分を弁護したい訳ではありませぬ。全ての民の代わりに祈ると決めておきながら、女子一人を祝福出来ぬ私を何とでも誹り下さい。


 ――そして、あの日が訪れるのです。


はい。ファーテルの都、その“贄捧げ”にございます。今からおおよそ一年前のことでした。……実のところ、ファーテルの“贄”のお役目を任される事は数年前から決まっておりました。貴き血筋の方こそ、お役目には相応しいと。そのまま、変更されることは無かったのです。


 私は宮城前の広場にて、祈りの文句を唱え、そして横たえられた姫の胸に剣を突き立てました。終始、姫のお顔がひどく穏やかであったことが、今も目に焼き付いております。今日、サン様のお顔を目にしたとき、まさしく姫そのままのお顔に、驚愕致しました。……お笑い下さい。私は、一度夢を見ているのかと心底思ったものです。


 エルザ姫は“贄”のお役目を全うされてお亡くなりに。このエルザ姫こそ、サン様の過去と思われるお方にございます。」




 ヴェストベルトは長い語りを終えると、疲れたように一息を挟んだ。







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