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贄の王座と侍るもの  作者: 伊空 路地
第六章 神聖悲劇
151/292

151 不信、疑心


 サスチャクに背を向けて、大して長くも無い廊下を歩く。深呼吸を繰り返し、意識的に怒りを冷ましていく。


 今後の動き方を少し変える必要がある。サスチャク、ひいては教会にどこまで自分の事がバレているか分からないからだ。


 最低で、“贄捧げ”を許容しない思想。最高で、“従者”本人の正体。加えて、怒りのあまりサンは自分が何かしら“贄捧げ”に反抗的な行動を取ると示唆してしまった。あれは余計な発言だったと反省している。


 煽られたな、と思う。それから、教会を見くびりすぎていた。折角手に入れた西都での身許だが、これも使わない方が良さそうだ。どんな罠があるか分からない。


 そこでふと、最悪の可能性に思い至る。むしろ、どうしてここまで思いつかなかったのか。その発想はサンの心胆を寒からしめ、あれほどに膨れ上がっていた怒りを一息に吹き飛ばしてしまうほどの恐怖を呼び込んだ。


 すなわち、シックに売られた可能性。いや、売られたとは違う。シックに疑われた、もしくは不利な証拠を掴まれていて、好意のふりをして自分をまんまと教会に誘い込んだ、という可能性。


 思わず足を止めてしまう。あり得ない、と必死に否定する一方で、その仮説を補強するような思考が駆け巡る。


 どうしてあそこまで自分を信用してくれたのか。無邪気に友情などと思っていたが、端から信用などしていなかったとしたら。


 どうしてサスチャクはこちらの思想を知っていたのか。シックが話していたとすれば何もややこしい事は無い。自分はシックに対しハッキリと喋っていたでは無いか。


 そもそも西都では奇遇にもシックと再会した。だが、本当に偶然だったのか。


 そういえば、来る道中で“従者”について思うところを聞かれた。あれは探りを入れていたのではないか。


 今も、サスチャクから自分とのやりとりに対して報告を受けているのではないか。


 シックが部屋にやってきたのも出来過ぎなタイミングでは無かったか。これ以上は何も引き出せないと見た、つまり外で聞いていたのではないか。


 ――違う。


 そもそもシックは非常に敬虔な人間だ。自分のような不信心者を快く思う筈が無いのでは無いか。


 ――そんな事無い。


 いつからだ。シックが自分の正体を察知し始めたのはどこが切っ掛けだ。


 ――うるさい。黙れ。


 シックの教会内での扱いを見ろ。明らかに、ただの一信徒ではあり得ない。最悪の可能性では、シックこそ――。


 ――うるさい!うるさい!違う、シックは私の敵じゃない!






 息が苦しい。気づけば、呼吸が随分乱れていた。頭が痛い。がんがんと内側から殴られているような痛み。甲高い耳鳴り。不愉快さが脳を満たす。ぞわぞわとした怖気。寒くもないのに震えそうで、やけに過敏な肌が服に擦れる。


 くるり、と後ろを振り返る。まだそれほど歩いていない。サスチャクが引っ込んでいったドアはすぐそこだ。


 ――少し。少しだけ。少し、確かめるだけ。真実が、分かるかもしれない……。


 真実など知りたくも無い癖に、そんな言い訳をして出てきたばかりのドアに近づいていく。部屋の中に気取られないよう乱れる息を忍ばせ、あぁ衣擦れの音がやけにうるさい、そっとドアに耳を当てる。


 「――ま、――は本人にでも聞いて――な。」


 分厚いドア越しに、ひどく聞き取りづらいサスチャクの声がする。くぐもっていて、断片的にしか分からない。


「――。」


 今度はシック。が、サスチャクよりさらにドアから遠いのか、全く何を言っているのか分からない。


「――じゃな――、聞き――。というか、旦那が――。――時――に。」


 聞く?何を、誰に聞くんだろう。何の話をしている?






「なァんで――が“従者”――名乗ってる――かぁ?って――。」






 “従者”?名乗ってる。聞く、の内容か。誰に?もう、誰が“従者”なのか分かってる?


 ――あぁ、つまり。それは、つまり?


 ――私だと、バレている?


 「――……。」


 シックが笑う。明るい笑いでは無く、苦笑いのような雰囲気。つまりは、先ほどの発言は冗談?分からない。あぁ、盗み聞きに使えるような“闇”の魔法を作っておくんだった。これでは何も分からない。


 「――お嬢――。――でしょう。悪く――か?」


 “お嬢”。サスチャクが自分を呼んでいる。何か、提案している。


「――。」


 シックが少しだけ声を荒げる。ほんの少し。たしなめるような感じ。


「そう――そうなん――が――……。」


 今度は、またサスチャク。気まずげ、たしなめられた反応としては素直な形。あの男が?






 サンはドアから離れる。時間をかけ過ぎだ。いい加減にヴェストベルトの所へ行かなければ不審がられる。


 呼吸は落ち着いていたが、頭痛は続いていた。残念ながら、シックの真意を確かめる事は出来なかった。


 大切な友人に裏切られているのではないか、という不安感。大切な友人を今まさに自分が信じられなかった、という罪悪感。あれほど信頼していたのに、こんなにも簡単に崩れ去ってしまうものなのか。


 信じたい。シックはただの人の好い少年で、心優しく、たまにちょっとかわいい感じの、私の友達。それだけで、それ以上の事は無いんだと。


 だが、その信頼故にとりかえしのつかない失敗をしてしまったら、という悲観的な思考が信頼を妨げる。そう、如何に大切な友人だとして、その為に贄の王に不利益があってはならない。それは、主に忠誠を誓った者として絶対にしてはならない。






 そうだ、自分はシックを信じたい。だが、同時に信じてはならない。それは、自分の為では無く、贄の王への忠誠の為。


 だから、仕方ない。


 仕方ないのだ。







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