148 三者会談
「さて、では……。改めまして、ヴェストベルトと申します。枢機卿の末席を恐れ多くも頂いております。シック様並びにそのお連れの方をこうしてお迎え出来ます事、我が身に余る光栄にございます。本来であれば、私どもがお伺いをせねばならぬところ、こうしてご足労を頂きまして、誠にありがとうございます。」
改めてシックとサンの向かいに座ったヴェストベルトはそう述べて、深々と頭を下げた。
サンとしてはその態度に違和感しか覚えない。教会の権力者ともなれば傲岸不遜で横暴横柄、下衆と外道を煮詰めて合わせた人間の屑くらいに思っているのだから、その落差に馴染めないのは当然なのであるが。
一応は以前から知っている人物であり、堅物の擬人化のような人柄だと知っているからまだしも、もし教皇などにこんな態度を取られたならば衝撃で息が止まってしまうかもしれない。大変な懸念事項である。
何だか良く分からないがシックは教会にとって重んじられる存在であるらしいということ、陰謀と暗闘の権力世界に住まう者が取り繕う事を苦手とするはずも無いことから、半ば無理やりに自分を納得させる。要するに、重要人物の前だから本性を隠しているに違いない、と。端的に言って完全なる偏見であったが、声に出さない内心を察する超能力者はこの場に居なかった。
「ヴェストベルト猊下、恐れ多い事です。猊下の心尽くし、誠の感謝を申し上げ、謹んでお受けいたします。どうぞ頭をお上げ下さい。この場においては単なる若輩者、長き生の先達として我らに接してくだされば幸いに思います。」
隣に座るシックがヴェストベルトの頭頂部に向かってそう挨拶を述べる。が、頭を下げ返しはしない。先ほどの二人のひそひそ話がどのような決着を見たかは不明であるが、その一端は垣間見えたと思って良いだろう。
シックに頭を上げるよう言われてから、少しの間を置いてヴェストベルトが顔を上げる。彫像のように微動だにしない顔。無数のしわが刻まれた四角い顔には白いひげが整えられており、何とも威厳たっぷりである。
単に威厳だけなら贄の王の方が余程凄いが、長い年月を重ね数多の波乱を越えた者にしか宿らない何かは、サンの主にも確かに無いものかもしれない。全く尊敬しようとは思わないが。サンは神敵“従者”であり悪魔“贄の王”の眷属なのだから、思う筈は無いのである。残念ながら、素直になれない人種のそれでは無かった。
「まこと、有難きお言葉にございますな。ここはお言葉に甘え、僭越ながら少々不遜な態度を取らせて頂く事と致しましょうぞ。ご不快に思われれば、即座にお伝えください。」
不遜な態度、という割には畏まっている気がする。……それとも、これでもまだ”不遜“だと言うのだろうか。
「お連れのお方。大変非礼ではありますが、どうぞそのお名前を教えてくださいませぬか。差し支えない範囲で構いません、貴女さまについて、お聞かせ願えますかな。」
ヴェストベルトがサンに向かって言う。その顔はやはり微動だにしないが、先ほど部屋に入ってきた時にサンを見た反応を忘れてなどいない。時間も経って動揺しないか隠すくらいは出来るようになったらしい。
「これはご丁寧に、ありがとうございます。しかし、私は単にシックについてきただけの者。敬われるような身分ではございません。そればかりか、枢機卿ともあろうお方にそのように畏まられては少しやりづらく感じてしまいます。私に対しては、どうぞ正しき態度をお取りくだされば幸いです。
――さて、恐縮ながら名乗りを致します。この身はサンタンカ、と申します。呼び名はサンと。こちらのシックとはかつて偶然に知り合い、その後度々交流を重ね、時に旅路を共にした仲でもあります。つまるところは、単なる一人の友人であるとお見知りおき下さい。正直を申せば彼の身分や身許についても存じ上げず、此度の縁にはやや戸惑いを覚えておりますが、元よりシックとは要らぬ詮索をしない間柄。彼の望まぬ事を私に話す必要はございません。
今回はシックよりお誘いを頂き、参りました。まさか枢機卿猊下にお会いするとは思わず、身なり姿勢についてはお見逃し下さるようお願い申し上げます。……あまり、このように貴き他者を相手にする機会を持ったことがありません。先んじて、非礼をお詫び申し上げたく存じます。」
丁寧なお辞儀とともに口上を述べる。言葉遣いや態度については気を遣い過ぎるくらいで丁度良いだろう。こういう迂遠なばかりの言い回しは面倒なのだが、必要とあれば厭うつもりは無い。
「サン様、でありますな。ご謙遜をなさる必要はございませぬ。その立ち居振る舞い、高貴なお方とお見受け致しますぞ。シック様のご友人として、心より歓迎を申し上げます。どうぞ、お気を楽に。」
白々しくもそう述べてくる。サンの顔は正真正銘、王族であったエルザのもの。それを知る爺が“高貴なお方”とは!
それはそれとして、礼儀正しくし過ぎたかもしれない。明らかに高度な教育を受けた者の挨拶になってしまった。隣のシックがやっぱりな、と言いたげな顔をしている辺り今更か。
「ご親切、痛み入ります。」
短く告げて口を閉じ、お茶に口をつけてもう喋らないという意思を示す。自分はただの連れだ。でしゃばるのはマナー違反というもの。
流石にそういう機微には敏いヴェストベルトである。小さく頷くと、改めてシックの方へ顔を向ける。
「シック様。お気になされていた事柄について先に申し上げます。まず、“従者”なる魔法使いの行方はようとして知れませぬ。攫われた子供も同じく。信じ難きことですが、彼奴は空を飛んだと言います。現在も騎士たちが捜索にあたってはいますが、発見は難しいかと。」
「そうでしょうね……。空を飛んだところは、僅かですが私も見ました。信じがたい光景でしたよ。蝶か鳥かの如く宙を舞い、あっという間に城を越えて見えなくなりました。あれでは、通常の方法では追えないでしょうから。」
件の逃走劇はシックにも目撃されていたらしい。敬虔なシックであれば、“贄捧げ”のような一大神事を見逃す筈も無いかもしれない。愉快とは言えないが、それくらいは理解を示す度量を持ちたいところである。
「それから、代わりの“贄捧げの儀式”についてもご心配召される必要はございません。あまり歓迎すべき事態とは言えませぬが、これ以上悪魔めの“呪い”が進行しては人々の生活に関わります。教皇台下を筆頭に皆、最大限の努力で働いております。シック様のお手を煩わせる事は無いでしょう。」
「……そうですか、台下自ら……。もし私に出来ることがあればなんなりと申し付けて下さい。非力ながら、尽力いたしますので。」
「いと広き御心に感謝を。まだ確定した話ではありませぬが、恐らく5日後に執り行われるでしょう。当日は東都の大教父さまにもご協力頂き、前例に無い警備体制が敷かれます。これ以上は警備に差し支えますので、お教え出来かねますがご了承下さいますかな。」
「勿論です。むしろそこまで教えて頂きありがとうございます。」
これは予想外に良い情報が手に入った。次の“贄捧げ”が近い。東都の大教父が協力する。日付についてはハッタリの可能性もあるので、鵜呑みにはしない。
それから、酷く言い辛そうな様子でシックが続けた。
「これは、聞くべきか迷うのですが……。その、誰が……“贄”のお役目を?」
“贄”のお役目。つまり、誰を殺すのか?という問いである。知らず、サンにも緊張が走る。
「……この度の失態は、偏に教会の責任によるところ。かの子供に尊きお役目を全うさせる事も出来ず、大地から呪いを拭い去る事も出来ず。経緯については長くなりますゆえ省略致しますが……。助祭サンダソニアがその身と魂を捧げる事になりました。」
「っ……サンダソニア様が?」
サンダソニア、という名前についてはサンの知らないところだが、何やらシックが衝撃を受けるような人物であるらしい。助祭、という事は決して高い地位ではない。家柄か何かだろう。
続くシックの言葉でサンの予想が当たっていた事が示される。
「……確かに、サンダソニア様は台下の孫娘。神聖なお役目を任じられるには、確かに……。」
「――えぇ。めでたい事ですな。まだ助祭ではありますが、お役目には相応しく素晴らしき人柄です。年ごろも良い。民も納得しやすいでしょう。」
驚くべきことに次の“贄”役は教皇の孫娘であるらしい。
ちなみに、教会にとって“贄”になるというのは神聖で尊ばれること――という、所詮は名目だが――であるので、その辺の浮浪者を捕まえてきて、という訳にはいかないのである。こういう場でも“如何にも光栄”として話す必要がある。そうでなければ「神の大地の為に身命を賭す事の神聖さを何と心得るか」などといった展開になり、信仰的には良い顔をされない。
しかし所詮は建前である。どう言い繕ったところで、選ばれた人間は死ぬのだ。殺されるのだ。それも、同じ人間の手で。いかにも“正しい”というツラで。
口先だけでも言祝げなかったシックは、出会った頃からすれば随分心変わりがあったようである。かつては「“贄”になる事は喜ばしい」などと言っていた筈だが。そこにサンの影響があったなら、少しくらいは救いかもしれない。
基本的に知人友人がいないサンであるので、友達として認め合うシックの存在は当人たちが思うよりもずっと大きい。悪く言えば依存と評せるかもしれないくらいに。それゆえ、この場でシックが「何と素晴らしい!“贄”役とは羨ましいことだ!あれかしあれかし!」などと言い放ったとしたら少なくない傷を負う事になっただろう。裏切られた、と冷静さを失ったかもしれない。
堂々とめでたいと言ってのけたヴェストベルトには微塵も後ろめたさなどない。目の前のシックが苦悩を隠せていないところを見ているが、特に咎める様子が無いのだけがやや意外というところか。まぁ、聖職者にもその辺を上手く飲み込めない者は偶に居るので、そういうものなのかもしれない。
ふぅーー……。と、シックが俯いて長い吐息をはく。それから顔を上げ直した時にはもう悩む色は無く、覚悟でも出来たのかもしれない。
「ありがとうございます、猊下。」
ヴェストベルトは彫像のような顔の奥に埋まった瞳を静かに動かし、シックと目を合わせた。
「礼には及びませぬ。して、最後です。先にサスチャクより聞いておりますが、海峡の往来の件。シック様と、シック様が身許を保証したサン様を我らの都合で止めるような事など出来ぬでしょう。……今、特殊貴人の徽章を用意させています。お帰り際にお渡ししますゆえ、ご随意にお使い下さい。ただ、一応申しておきますが、くれぐれも濫用はお避け下さい。かえって手間が増えてしまいますゆえ。」
「重ね重ねありがとうございます、猊下。」
「私からも、御礼申し上げます猊下。一介の旅人に対する望外のご温情、しゅ――んんっ。失礼、大変有難く思います。」
本当は「主の寛大なるなんたらかんたら」とか言おうとしたのだが、やっぱり無理だった。多分続けようとしたら反吐が出ていた。乙女的にアウトである。うん、信仰を示すなど嘘でも無理です。だって、神も教会も嫌いなので。
「これもまた、礼には及びませぬぞ、お二方。これはむしろ、我らの方から申し出るべきであったこと。シック様は元より、シック様が己の信仰を懸けて身許を保証なさったのですから、サン様にもあって当然の権利にございます。」
今「当然なのはシックだけでお前はおまけだから調子乗んなよ」と言われた気がするが、実際その通りなので素直に聞き入れておく。
「元より私には過ぎたる扱い。友人たるシックの為にも、決して驕り扱う事の無きよう心掛けとうございます。――シックにも、改めてありがとうございます。サスチャクもですね。ありがとうございます。」
シックは「気にしないで」と微笑み、壁際に控えるサスチャクは無言のまま小さくお辞儀をした。サスチャクは喋ることを許されていないのだろう。
これで西都での強力な身許を手に入れた訳である。夜中に一人でフードを被ってこそこそしていても見逃されるくらいのレベルである。素晴らしい。素晴らしいが、やはり使いどころを間違えると大変な事になる。危険物の扱いは慎重に、である。
敬語過多な会話って読みづらいし書きづらいので避けたいんですがコイツラが
「マジやばたにえん。アイツ空飛んでった。パなくない?」
「見たわ。ありゃ鬼ごっこさいつよだわ。」
「めっちゃ見られてて草。」
みたいな会話させる訳にもいかず。設定雰囲気と読者りてぃの両立は悩ましい問題です。
あと本作では 枢機卿→猊下 教皇→台下 とします。 (台下って初めて聞いた……)




