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贄の王座と侍るもの  作者: 伊空 路地
第六章 神聖悲劇
147/292

147 枢機卿が一席、ヴェストベルト


 ――マズイ。






 ――マズイ。






 ――マズイマズイマズイマズイどうしようどうしよう……!?


 ――主様――っ!主様ぁーーッ!!助けて下さいーーッ!!






 サンが脳内で悲鳴を上げている間に、一行は鋼鉄の城門をくぐり抜けて無事に聖地シシリーアの中へと進んでいた。先導するサスチャクの足は真っすぐにシシリーア城本丸へと向けられている。このまま進めば、サンはご丁寧に客人として迎え入れられ、美味しい紅茶や甘いお菓子を出されてもてなされ、そして無事にヴェストベルト枢機卿猊下と顔を合わせる事になるのだろう。


 ヴェストベルト。少し前までファーテルの都を含む司教区の長、ファーテル司教という役職に就いていた。いかにもファーテルの神職とばかりに厳格で信仰篤く、ファーテル王族とも交流深く宮城にも足繁く通っていた身。司教が代わったとは聞いていたが、当人はターレルに来て枢機卿になっていたらしい。


 基本的に教会に興味が薄く、世間的に高名な聖職者すら良く知らないサンであるが、ヴェストベルトの事は流石に知っていた。エルザも“__”も本人と直接顔を合わせた事があるし、それも一度だけではなく数度。ファーテルの教会で一番偉い人だと言われれば印象も強かった。


 要するに、ヴェストベルトは“エルザの顔”を知っている人物なのである。それも確実に。うっかり忘れていたら、なんて希望を抱くのも空しいくらいである。


 何せ、ヴェストベルトはエルザの”贄捧げ“を執り行った人物。今ではもう約一年も前のこと、広場の真ん中で朗々と祈りを唱え、エルザの胸に儀礼剣を突き刺して命を奪ったあの男である。まさか自分の手で殺めた少女の顔を忘れるような事は願うべくもない。というか、むしろ忘れられていたら怒る。怒り狂う。殺したくせに、と。


 もちろんヴェストベルトはたまたま直接殺めたというだけで、エルザを”贄“としたのは国や教会の陰謀渦巻く世界の意思であった。そんな事は分かっているから殊更に憎んだりはしないが、やはりあの剣を握っていた手の持ち主と思えば意識してしまうのである。


 エルザと同じ顔を持つサン。このままヴェストベルトと会えば間違いなく問題になる。エルザの隠された姉妹です、とか、親戚でたまたま顔が似ていたんです、というような言い訳も難しい。相手はファーテル司教として長年貴族たちと渡り合ってきた男である。貴族のややこしい血縁関係など、むしろサンよりも遥かに詳しい。


 エルザの母はエルザを産んですぐに亡くなっている。彼女の最初の子がエルザであったので、当然エルザには同腹の兄弟姉妹が存在しない。王の子らは他にも居るが、エルザと近い女子は居なかった。エルザの母方の親戚となると流石にサンは知らないが、運良くエルザと似ていて年の頃も同じなんて人間が居るとは思えない。


 ファーテルの貴族事情に明るいヴェストベルトを騙せる言い訳が見つからない。他人の空似と言い張るか。これも難しい。例えその場は強引に乗り切れたとしても、後から“旅人のサン”の素性を調べられたらマズイのだ。注目される時点で危うい。


サンには普通の人間のような出自が無いばかりか、“転移”のお陰で普通の旅路すら歩んできていない。更に魔法使いであり、それが死んだ姫と同じ顔。


 目立つ。どう考えても、目立つ。監視がつけばサンに取れる行動はかなり限定される。“従者”本人、あるいは関連する人物とバレれば即刻指名手配である。買い出しすらいけない。






 ならば、出会わなければ良いのである。顔を見られて問題になるなら、見せなければ良い。


 しかし、この場合はサスチャクの足を止めさせ、自分だけ離脱する言い訳を考えねばならない。サンはここで一つ大きな失敗をしでかしている事を認めねばならない。というのも、シシリーアに入る前に離れるべきだったのである。そここそが最善の離脱地点であったというのに、展開の早さに右往左往している間に中に入ってしまった。今から「やっぱり帰る」は不自然である。


 聖地に入る前なら、適当な事を言って離脱すれば「聖地に入りたくなかったのだろう」とシックが気を利かせてくれた可能性は高い。サンの神嫌いを知っているシックなら上手く棘が立たないように取り計らってくれただろう。


 どうして中に入ってしまったのか。今から用事を思い出すか。シックに「大丈夫ですよ~」なんて言ってしまっているのに?


 なおサンが“自然な”言い訳にこだわっているのは、サスチャクの不穏さ故である。この男、明らかに匂う。勘だが、絶対にただの役人では無い。この男に不自然さを覚えさせたくないが為に自然な言い訳を探しているのである。


 現在、逃げる為の自然な言い訳が見つからない。そして、会えば詰み。


 何度も繰り返した思考をもう一度なぞり直し、サンは結局どうしようもなくなって、心中で叫ぶ。






 ――主様――っ!無理です!私にはどうにも出来ません!助けて主様ぁーーッ!!






 無論、どれほど叫ぼうと贄の王には届くはずも無い。


 そしてそんな事をしている間に、順調にヴェストベルト待つシシリーア城に入っていくのであった。
















 ――終わった。終わりました。ごめんなさい主様、サンはここで屍を晒します……。


 応接間に入ってきた老人が目を見開き自分を見ている。見間違えるはずも無い、ヴェストベルト本人である。


 厳格、という言葉を擬人化したような老爺の顔が驚きに間抜け面を晒している。取り繕う余裕が無いのであろう。自分の手で殺めた姫の顔との邂逅は、それほどまでに衝撃を持って迎えられたらしい。


 ようやく登場したヴェストベルト枢機卿猊下がそんな状態で硬直しているものだから、シックとサスチャクは困惑して、挨拶を述べてよいものかと戸惑っている。ついでに、当然ながら、サンとヴェストベルトとの関係性にもアレコレ疑問を抱いているだろう。


 まぁ、シック達の方は後でどうにでもなるのだが、目の前の爺をどうしたものか。サンは気まずげに顔を逸らしている状態だが、まさか自分から口を開くことなど出来ようはずも無い。先手を打つべきか、敵の出方を見るべきか、迷ってもいた。


 ぱくぱく、と音の出ないままヴェストベルトの口が動く。何か言おうにも言葉が出てこなかったらしい。大きく目をしばたいて、それからゆっくりと衝撃の表情を引っ込めた。


 咳ばらいを一つしてからやっとのことで、動揺を隠しきれていない様子で語りだす。


「……な、なにやら……。驚きましたが……。ともかく……。ぇえ、私が、ヴェストベルトです。お待ちしておりました、シックザール様。御身へ拝謁出来るこの類まれなる幸運、主の指先に感謝の接吻を捧げましょうぞ。そして――。」


「ぁ、その!えぇと、遮ってしまって申し訳ありません猊下。ただ、俺にそういう態度は不要です。ただの若輩者に過ぎない身――。」


長々と挨拶を述べ始めたヴェストベルトをシックが慌てた様子で遮る。が、それをまたもヴェストベルトが遮り返す。


「何を仰います。シックザール様はこの広い大地にたった一人の偉大なるお方。本来であれば私の方からこそ出向かねばならぬところ、こうしてご足労頂いたのです。せめて最大限の礼節を持ってお迎えするのが当然にございますれば。」


「ぁー……ぇえと……。その、ありがとうございます猊下。お気持ちは本当に嬉しいのですが……。」


押されるシックが辛うじて反撃するが、老練な聖職者は更なる追撃に打って出る。


「そもそも、シックザール様こそ私にそのような言葉遣いをする必要は無いのですぞ。我ら人の中から出でただけの役職に何の価値がありましょうや。本来、御身の如きお方のみが正しく、また神聖であり、我ら全て人の子らは跪いて涙を流しては、その御威光に“あれかし”と唱えるのです。何故なら御身こそは――。」


「あァー!その!猊下!非礼をお許しください!」


と言って飛び出すと、ヴェストベルトのすぐ傍まで駆け寄って何事か耳打ちする。するとヴェストベルトの方もこちらに聞こえない小声で何事か言い、更にシックが返し、とにかく二人でひっそりと言い合いを始めたのである。


 ヴェストベルトに顔がバレた事態に目の前が真っ暗になったような気持ちを抱いていたサンだが、その様子が気になり再起動し始める。あとシックの悲鳴がちょっと面白かった。あとでからかいたい。






 しかし本当にシックは何者なのであろうか。


「シックザール」と呼ばれているが、それが本名なのか。ちなみにサンも本名は「サンタンカ」であるが、これは以前何かの折シックに教えている。不思議だが素敵な名前だと褒められた記憶があった。呼び名だけを名乗るのは珍しい事でも無いので構わないのだが、自分が教えた時にシックも教えてくれればよかったのに、とは思わないでもない。


 枢機卿は教会内において、最高に近い権力者である。実際は枢機卿団の中でも上下などあるだろうが、少なくとも建前の上では枢機卿の上には教皇ただ一人しかいない。教皇を選出する選挙に参加する権利があり、教皇は自らに票を入れた者を軽視する訳にはいかない。それゆえ教皇に対しても一定の発言力を持ち、教皇を介することで全大地上の教会に命令を下すことすら出来る。普通に考えて、枢機卿程の人物がこうもへりくだる存在などサンには思いつかない。


 壁際に控えているサスチャク――客人扱いはシックとサンだけ――の方をちらと見れば、ヴェストベルトとシックのやり取りに思うところは無いらしく、むしろサンの方を観察している様子がある。はっきり言って不穏で怖いのでやめて欲しい。枢機卿にあれほどの衝撃を与えた小娘の正体が気になるのも当然だとは思うのだが。実際色々と曰くつきの小娘なのだが。探られると痛い腹ばかりなのでやめて欲しい。どうか気にしないで。


 国の役人たるサスチャク――絶対ただ者では無い。間違いなく!――に「旦那」と呼ばれ、聖地に招かれて枢機卿に聖人のような扱いを受ける。しかもヴェストベルトの話を聞いたところによると、「人の中から出でた」のではないらしい。これでは本当に、“聖人”とかの扱いでは無いだろうか。それこそ、「聖シックザール」とか呼ばれるような。






 ところで、サンには一つ心当たりがあった。


 今この西都に居る可能性が高く、枢機卿に「偉大なるお方」と呼ばれるような神聖な存在。そして、それをサンに明かそうとしない態度。かつて反応した話題。


 すなわち――。
















 ――ううん。……まさか。考えすぎだ。


 ――そうですよね?……シック。


 心中で呟いたその言葉に、どこか懇願めいた色があったこと、サン自身は気づけないままだった。







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