144 暗澹たる西都
最近いつもの投稿時間までに書き上がりません。
影響があるかは分かりませんが何か悔しい。
ターレルの都、カンレンギ海峡の西岸にある西都。今この都は、常ならぬ緊張感に包まれていた。
西方教会の聖地であり教皇の居城シシリーア城は元より、都の住宅街に至るまで物々しい武装を身に纏った騎士たちが歩き回り、さながら戦時下のようである。銃を手に剣を佩び鋭い視線を周囲へ向ける彼らはそこに居るだけで確かな威圧感があり、自然彼らの前を歩く人々も委縮してしまう。
西都は賑やかな日常を失い、通りを遊び場にする子供たちの姿は消えた。大声を張り上げる筈の露天商たちも目立つことを嫌うように大人しく、豪快な船乗りたちは海を奪われ酒場で腐る。重苦しい空気に支配された都で、教会から漏れる讃美歌だけが空しく響いている。素朴な民は今、その歌声にすら不愉快げに顔をしかめるのであった。
西都の日常が失われた原因は誰もが知るところだった。
奪われたのだ。
その者は西都に訪れる筈だった光豊かな解放を妨げ、神の代弁者であるところの教皇の命を危うくし、敬虔な騎士たちの命を奪い、そして姿を消した。
強大な魔法使いでもあるその者は余りに危険だった。いつどこに現れ、どのような被害をもたらすのか誰にも予想がつかない。もし突如として都に大魔法が放たれれば、数百、数千の命が奪われかねない。力ある魔法使いとは災害足りうるのだ。それが教会や国の管理を外れていればなおさらのこと。
その者は、単に“従者”と呼ばれていた。
その名の由来は確かでは無く、誰に仕えているのか、何故そう呼ばれるのか、あるいは名乗ったのか、余り明らかにはなっていなかった。
いつどこで現れたのか、何が目的なのか、判明している事実が少ないために人々の間では憶測が憶測を呼んでいて、それが更に不穏さを掻き立てている始末だった。
曰く、悪魔のしもべ。いや、悪魔そのものだとも。
曰く、道を踏み外した賢者。いや、力を得た愚者だとも。
曰く、幼子を喰らう人喰い。いや、乙女の魂を啜るのだとも。
曰く、複数の身体を持つ蛇。いや、空を舞う狼だとも。
それらの噂はどれ一つを取っても所詮は噂であったが、その全てに共通している点はある。――すなわち、“絶対悪”。
如何なる悪行も、凄惨な残虐行為も、その者にとっては只の娯楽。人間を傷つける事こそが目的とも言われ、現世に悪夢を広げるべく暗躍する。何故、と問う者は余りいない。獣が羊を喰らう理由を知ったとして、何になろうか。そもそも、そこに理由などあるというのか?
“従者”という神敵の存在はとっくに民衆の知るところであった。ラツアに現れ、ガリアに現れ、ついにはターレルに現れた。教会は既に”従者“がおぞましき敵であり、醜い殺人鬼、神の冒涜者だと喧伝していた。信仰にかけてこの敵を滅する、とも。
遠く離れた異国ではカフェを賑わせるゴシップ。近く脅威に晒された当事国では姿の見えない災厄。ただの犯罪者としては強力過ぎるが、一体どこから現れたのか。異常に広い行動範囲だが、一体どのように各地を巡っているのか。神の大地を満たす人々、今や誰もがその“絶対悪”に関心を向けていた。
そして、今まさにその災厄に見舞われたばかりの西都において、厳戒態勢が敷かれるのは当然の流れであった。
昼夜を問わず騎士たちが警らにあたり、不審な人物は即座に捕らえられる。
人々が長く待望していた“贄捧げ”が行われなかったという点も大きい。“贄の王の呪い”は日々加速し、暖かい筈の陽光に薄ら寒さを覚えた時、人々はどうしようもなく強大な存在に自らが脅かされている事を実感せずにはいられなかったのだ。心の頼りである神の威光が遠のきつつある事を思い知らされずにはいられなかったのだ。
不安と恐怖に蝕まれ、子供たちが泣き叫べば親が怒声をあげ、老人たちが世を悲観すれば若者たちが罪を犯す。女たちの心に狂気が広がり始め、男たちは苛立ち交じりに酒を煽る。
ゆっくり、ゆっくりと、西都は混沌に沈み始めていた。
再び西都に舞い戻ったサン。往来に出るや否や、西都の雰囲気の変わりように驚かざるを得なかった。
明らかに人が少ない。言われれば分かる位の差では無く、一目瞭然な位に。代わりに完全武装の騎士たちが銃を手に歩き周り、良く似た別の街だと言われた方がよほど納得出来そうな有様だった。
流石に何の影響だろう、などととぼけるつもりはなく、自分が“贄”の子供を救出した事が原因である事は分かる。しかしサンの想定よりも遥かに影響が大きいようなので、戸惑いを覚えたことも事実だった。
実のところ教会は既に“従者”の目的をそれとなく察していた。かつてラツアの都で起こった一悶着から教会が世間に秘匿している真実の一端が“従者”に渡っている事を知っていたし、その前にはファーテルで神官騎士団団長ブルートゥが暗殺され情報などが盗まれている。つまるところ、“従者”は教会の隠す真実を追っているのだろう、と。
教会はこれに過敏に反応した。教会内部ですら厳重に厳重を重ねて管理、秘匿されている真実が暴かれる。これは何としても防がねばならない、と即座に行動したのだ。“従者”の悪行と危険性を誇張して各国に喧伝し、神の定めた敵であると広めた。あらゆる方向性から発見と拿捕に尽力した。
しかし“転移”などという人智を越えた手段で移動するサンを捉えられるはずも無く、成果の無いままに時が過ぎた。その内に教会が誇張した脅威は噂を含んで形を変えつつ膨らんでいき、影響力は肥大化した。西都の人々が一気に不安に支配されたのは、教会の迅速な対応が裏目に出た結果とも言えたのだ。
そんな事情はつゆ知らず、往来を行くサンはふと上を見上げる。そちらから光を感じたからだったが、見ればたまたま窓が丁度太陽を反射する形になっていた。
その反射する太陽を見て、サンは思う。――暗い、と。
“贄の王の呪い”が進行しているのだ。元々“贄捧げ”に最適な時期を選んで行われる筈だった日取り。その日を過ぎても“呪い”が祓われなかった結果、どんどんと”呪い“が進んでしまった。もう、人が見れば誰であれ太陽に違和感を覚えるくらいに。西都を包む空気が沈鬱なのは人々の不安だけが原因ではあるまい。空気そのものが汚染され始めているのだ。澱み、穢れた空気は当然晴れやかさとは対極にある。
「……時間が無いなぁ。」
ぽつりと呟いた。その声音は確かに、サンの焦りを孕んでいた。
カンレンギ海峡の往来及び西都の人の出入りを管理する騎士に顔を繋ぐという目的は簡単に達成された。
海峡を睨む監視塔に出向き、連れの旅人とはぐれたので捜していると言っただけだ。いくらかの金銭も包めば、騎士たちはむしろ乗り気であった。東西の都は複雑な問題をいくつも抱えているため、また宗教的軋轢や犯罪などの防止のため……などと御託を並べたところで、結局の所お上の事情である。現場にいる下々の者としては目の前の少女と金貨の方が重要事項であった。人捜しに協力する程度など造作も無いし縛る規則も別に無い。当然の成り行きと言えた。
これでサンが犯罪者然とした姿ならまた違ったかもしれないが、生憎とサンは透き通るような金髪と空色の瞳を持った美しい少女である。身なりも良い上に態度も良い。言葉は拙いが見るからに外国人なので欠点にはならない。これで警戒しろというのも中々難しい話であった。
ターレル周辺に住まう人々は暗い色彩が多い。サンのように薄い色彩を持つ者も皆無では無いが珍しい部類である。人間の色彩というのは北へ行くほど薄くなるらしく、ファーテル辺りだと金髪や銀髪なども少数派とは言え珍しくないのだが、西都では希少とも言えよう。サンの金髪は明らかに北土――ファーテルやエルメア――の人間が持つ特徴なので、西都の人からすればまず間違いなく外国人となる訳である。
見るからに外国人なサンであるので、往来を歩き回る騎士たちにも何度か声をかけられた。彼らは“従者”が外国人である可能性が高いと聞いているので、情報を求めてきたのだ。
とはいえそれもサン自身を疑うような目では無かった。ほとんど身振り手振りの拙い会話ながら伝わってきた情報によれば、むしろ西都に来る道中とか、他の外国人について聞きたいらしかった。
これもまぁ、当然と言えるだろう。異国のお姫様然としたサン――事実、その肉体は元々本物のお姫様のもの――と都を恐怖に突き落とした邪悪な魔法使いを結び付けて考える方が難しい。人は見た目が全てである。特に、深入りしないような関係においては。
先入観という強力な庇護者が存在するからこそ、顔を隠さないサンは堂々と往来を歩けるのだ。更に先入観に囚われない者の敵は常に先入観に囚われる者。「あんな女の子が屈強な騎士を何人も倒せるわけが無い」という意見を跳ね除けてなおサンを追える者ともなれば、最早探しても見つかるまい。
それには騎士たちが正面から戦って敗死した痕跡がありその内数名は斬撃による、という婦女子には難しいと思わせる根拠すらある事も大きい。
サンは別に慢心して堂々と往来を歩いている訳では無い。色々と考えた結果、目の前で証拠でも見せない限り“旅人のサン”は疑われないという判断を下しているだけである。
そんな訳で誰にはばかる事も無く街中を宿の方へと戻っていく。宿と海峡はそこまで遠くない。折角なのでポラリスの背に乗せてもらって移動している。
沈鬱な雰囲気の西都は不気味に静かで、石畳を歩く馬の足音だけが耳に届く。そのまま曲がり角に差し掛かったとき、その角から人が現れる。別に危なげもない、と一応ポラリスの首を少し横に向けさせる――と、その人影の顔が目に入った。
「「あ!」」
相手もサンの顔に気付いたようで、二人して同じように声を上げる。
つい綻ぶ顔を隠しもせずにサンは相手の名前を呼んだ。
「シック!」
現れた人影はつまり、サンの友人シックであった。
ポラリスの背から降りたサンは、この奇遇な再会を心から喜んだ。再会に喜べるのが最後の機会だとは当然、僅かも予想しないままだった。




