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贄の王座と侍るもの  作者: 伊空 路地
第五章 心無きモノたち
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143 サンと子供


 「えーと……。」


 恐る恐る、といった様子で子供の服を脱がせる。特に抵抗はせず、素直にされるがままだ。


 黒い法衣のような衣装の下は実に簡素な上下を着ているだけだった。魔境は寒い土地だ。城内をこの恰好では少し寒かっただろうか、と少し心配になる。残る服も全て脱がせると、青白い裸身が晒された。


 「……あら。男の子だったんですね。」


 幼さゆえの中性さからサンはこの子供の性別を知らなかったのだが、流石に服を脱がせれば判明もする。子供は特に裸を恥ずかしがるようなこともなく、いつも通りの無表情でサンを見つめているだけだ。


 その小さな背中を押して浴場に連れていく。バスタブには先んじてお湯を溜めておいたので、もわ、とした熱気を肌に感じる。サンは袖を捲り上げると意気込みを一つ入れてから子供の入浴へと挑戦する。


 「……えっと……。」


 子供を風呂に入れたことなど無いが、要は洗えればいいのだ、と問題を単純化。やや迷った後、頭からお湯をぶっかける。


 ばしゃあーーっ……。


 ぼたぼたと雫を垂らす前髪の向こうで、子供が目を細く開く。乏しい表情ながら、何やら不満げである。


 「い、いきなり過ぎたかな……?またいきますよー、えい……!」


 もう一度。ばしゃあーーっ……。


 子供の顔に濡れた髪がべったりと張り付いている。それが不愉快だったのか、ぶるぶると勢いよく頭を振りながら手で除ける。


 「うぅっ!……うぁ。や、大人しくしてくださいって……。」


 サンにも盛大に振りかかり、水の跳ねた自分の顔を拭う。いきなり顔面に水がかかるというのはなるほど、実に嬉しくない。


 石鹸を手に取って泡立て、子供の頭を洗いにかかる。自分の頭を洗うのと同じようなものだと思っていたが、何故か他人になった途端に勝手が変わるらしい。サンは自分が急にひどい不器用になったような感じがしていた。


 何とかやり遂げて、今度は洗い流す。また自分の方に水が跳ねかけられないよう気をつけつつ、お湯をぶっかける。


 一度では泡が落ち切らず、二度、三度。頭振り対策に顔にかかった前髪を手で除けてやる。


 しかし子供は灰色の目を薄っすら開くと、やはりぶるぶると頭を振った。


 「あーっ!……もう、やめて下さいってば!……もぉ……。」


 普段は大人しいのにな、と水を拭いつつ思う。


 再び石鹸を手に取って泡立てると、次は子供の身体を洗っていく。


 最初は腕、次に首。それから胴体を下に下っていき、背中も洗う。そこで、はたと手が止まる。


 それ(・・)はサンにとって全く未知との遭遇であった。それはそうである。触れたことも見たことも無い。実に奇妙な形状。ちなみに用途は最近知った。


 ごくり、と息を呑む。触れていいものか悩むが、触れずに洗うことは出来ない。意を決し、手を伸ばす。


 どきどき、と妙な緊張をしている。――いや、違う。変な意味じゃなくて。不慣れなだけ。これは、ただの好奇心。知的探求心だから。と、誰に向かうでも無く言い訳をしつつ、触れる。


 ぴゃっ!と子供が飛び退く。驚いてサンも手を引く。両者、絶妙な緊張感の下で見つめ合う――。


 やはり触れられるのは嫌なのだろうか。しかし、そこだけ放置する訳にもいかない。


 「……ほ、ほら。ちゃんと洗わないとでしょう?大人しくしてて下さいね……。」


 伝わらないのを承知で言い聞かせつつ、にじり寄る。傍から見れば完全に変質者であったが、今ここには二人しかいない。


 子供の方も覚悟が出来たのか、堂々とサンを迎え撃つ。今度は飛び退いたりせず、大人しく洗われ始めた。


 ぐにぐに、と手から伝わる感触に妙な恥ずかしさを覚えつつ、でもちょっと念入りに構造を確認していると、またも子供が急に飛び退く。どうやら、やっぱり嫌らしい。


 ――し、仕方ないですね。しかたない……。


 気を取り直して残る部分を洗い終え、最後にお湯で洗い流す。軽くさするようにしつつ泡を落としていき、ようやく全てを終える。


 ふぅ、と一息つこうとしたサン。すると子供が一人歩き出す。


 何だろうと思っていると、浴場の隅に置かれた桶を手にバスタブに向かう。どうやらお湯を汲み取りたいらしいが、見ていて危なっかしいのでサンが手伝い、お湯を汲んだ桶を渡す。


 するとその場で屈みこみ、桶をひっくり返して頭から被る。


 「……?流したりなかったんですか?」


 すると、子供は思い切り頭をぶるぶると振る。当然、お湯が飛び散る。サンにもかかる。


 「ちょっ……!ちょっと、わざと!絶対わざとですね!?」


 都合三度目の顔面へ振りかかった水を拭いつつ、子供を見やれば、空になった桶にお湯を汲み上げている。それを被るのかと思いきや、桶の半分程度にお湯を汲んだままサンの方へ振り返る。そして、そのまま歩み寄ってくる。


 「……え?何?……や、やめて。こっちに来ないで下さい。」


 子供の無表情な顔になにがしかの不穏さを感じ、サンは後ずさる。しかし立ち位置が悪かった。そもそもそこまで広い訳では無い浴場の壁にぶつかる。


 無表情のまま、お湯入りの桶を持って近づいてくる子供。やけに怖い。


 「いや、ちょっと、本当に……!私はいいですから……!」


 隙を見て横に脱出しようと床を蹴った――瞬間、桶から放たれたお湯がサンを襲った。


 「きゃあーっ!やだぁーーっ!」


 奮戦空しくサンはお湯をぶっかけられた。着ていた使用人服がびしょ濡れになる。ぽたぽたと髪から滴るお湯を払い、閉じていた目を恨みがましく子供に向け――。


 ばっしゃぁーーっ……。


 まさかの二発目。


 「……もう好きにしてください……。」


 まだ入浴前で良かった、と思う事にした。

















 この子供に関しては、ひとまず城に置いておく事とした。まだ分かっていない事も多い以上、近くに置いておきたいと思ったのだ。それに、ずっとは無理にしろ、この子供の面倒を見るのはサンの責任だと思っている意味もあった。


 また、ターレルの言葉かつ文字であれば僅かな意思疎通は可能だと判明した。色々と前提になるような常識が欠落している上、サンがターレルの言葉を理解していない為にほとんど無いものと言ってもいいくらいではあったが、やりとりが出来るというのは大きな進歩であった。


 子供にはやはり名前も無かったので、サンが必死にあれこれと考えている最中でもある。






 自分の入浴を終えたサンが出てくると、子供は居間のソファで本を開いているところであった。どうも暇があると本を開く習性があるのだ。


 開いているのはサンが自分用に手に入れたファーテル・ターレルの辞書。面白がって読むような物では無いと思うのだが、何やら真剣である。


 「そんなに面白いものですか?」


 声をかけながら隣に並んで座る。この子供がサンの言葉を理解していない事は承知の上だが、意識的に言葉を使うようにしているのだ。


 声をかけられた子供は本から顔を上げてサンを見る。相変わらずの無表情であるが、さっきこの顔のまま暴挙を働いたことをサンは忘れていない。


 むに、と子供の頬を指で突っつく。見た目以上に柔らかく、すべすべで気持ちいい。むにむに、と突っつきまわすと、顔を振って嫌がる。それから、またサンの顔を見つめる。


 「……そんなに私の顔が気になりますか?」


 別に変な顔はしていないと思うのだが。先ほど贄の王と居る時は主の顔を見つめていたので、これもまた何かの習性なのかもしれない。


 ぽふ、と子供の頭に手を置いてみる。そのまま、ゆっくりと撫でてみる。時折、贄の王がサンの頭を撫でてくるのを真似てみたのだ。……特に、反応は無い。


嫌がったりもしないのでそのまま続けていると、上半身だけを傾けてサンの方に倒れ込んでくる。――これは甘えている、のだろうか。


 その灰色の頭を抱きかかえるような恰好で、サンの方からも少しだけ子供に体重を寄せる。かつて“__”が馬を相手にしていた時の記憶がふと蘇った。もちろんこの子供は動物などでは無いが、言葉を介さない間柄という共通点のせいかもしれない。


 サンは子供と触れ合った経験など無かった。サンが持つ記憶の中にもそういう場面は見つかっていない――忘れているだけかもしれないが――ので、どうもいちいちおっかなびっくりという感じになってしまう。こんなに小さくて弱々しいものだから、やたらと心配になってしまうのだ。


 身体に押し当てられた子供の額は暖かく、規則的な吐息がくすぐったい。こうしていると、どうしてか“命”を強く感じさせるのだ。生きているんだなぁ、と当たり前のことを感慨深く思ってしまう。






 「……あれ。寝ちゃったのですか?」


 顔を覗き込むと、いつの間にか寝入っていたらしい。随分と寝つきがいいものである。


 膝の上で開かれたままの辞書を“動作”で閉じてテーブルの上に移動させる。


 「……ん、よいしょっ……。」


 それから子供の身体を抱き上げ、ベッドへ運んでいく。軽くは無いが、流石にこの程度の距離であれば問題は無い。


 大きなベッドの真ん中片側辺りに寝かせてやり、布団もかけてやる。


 穏やかな寝顔が、何だか可愛らしい。


 「……ふふ。おやすみなさい。良い夢を。」


 最後にその髪を優しく撫でてから、静かに立ち去る。






 サンの方にはもう少し、寝る前にやっておきたい事がいくつかあるのだ。特にどうという事は無く、明日の支度や言葉の勉強である。


 明日には再びターレルの都に出向くつもりである。お陰様で警戒されているだろうが、本来の目的である“神託者”の捕捉に向かわねばならない。運が悪いと既に東都へ渡っている場合もある。考える事や練っておく対策は多い。


 今のところ考えているのは、海峡守りを担当している騎士か誰かに顔を繋いでおくというものだ。旅人がはぐれた同行者を捜しているとでも言えばいいし、多少の“ご厚意”も渡せばさして隠そうとする程のものでもない。


 いつか関の街タッセスメイアでやろうとしたように、“従者”の存在をアピールして“神託者”から接触されるのを待つ、という方法も無いでは無いが、先に来るのは教会の手先になるだろう。流石に面倒極まるので勘弁願いたい。


 何はともあれ、装備や荷物の準備を済ませておく。西都で取りっぱなしの宿にもいくらかの荷物が置いてあるので、一度向かう必要があるだろうか。あまり貴重な品は無かったはずだが……。


 あれこれと用意を済ませ、適当に明日の朝食の準備もしておく。出来ることは早いうちに、である。あまり高度な料理技術は持っていなかったサンだが、主たる贄の王のために日々研鑽を積んでいる最中であり、我ながら良い成長具合とも思っている。






 出来る限りの事を終えたら、寝る前に習慣づけている勉強の時間である。サンの生命線たる魔導はもちろん、周辺の地理や簡単な歴史。当然に言葉も学ぶ必要がある。難解な文法や慣用句は必要ないが、基本的な意思の表明は出来た方がずっといい。辞書片手にでも文が読めるようになれば、得られる情報はぐっと増える。


 独学では発話や聞き取りの練習が出来ないのが難しいところだ。たまに、贄の王に練習相手になってもらっていたりする。流石に主も本場の人間には劣るが、さりとて片言でも無い。後から学んだ類としては十分すぎるレベルだ。――そんなレベルでいくつもいくつも言葉を操れる辺り、サンには納得しがたいのだが。生まれ持った頭脳が違い過ぎるのかもしれない。


 世の不平等を嘆いても仕方ないので、平凡なサンは地道に辞書を開く。いや、贄の王もかつては同じだったのだろうが。






 ふと、時計を見れば日も変わろうかという時間だった。


 明確に時間やノルマを設けている訳では無いが、何となくこの頃には寝るようにしている。本や筆記具を片付けて、寝室へ向かう。


 先ほど寝かせた姿勢から大分傾いている子供の布団を直してやり、その隣に静かに潜り込む。寝室の灯りは子供が寝ているので既に消していた後だ。


 枕に頭を預け、横の子供を見る。寝相はあまり良くないらしい。


 「……あなたの名前。どうしようかな……。」


 人間一人の名前を考えるなんて大役だな、と思う。その人がこの先、一生背負っていくものだ。雑な名前では申し訳が立たない。


 一生、この子が胸を張って名乗れる名前を。そう思うと、どうしても迷ってしまうのだ。他者の人生の一端を背負っているようで、重みと名誉を感じる。


 この子供の特徴はと言えば、やはり奇麗な灰色の髪と瞳だが、名前がそのまま”灰“ではあんまりだろう。


 男の子だというのが分かったのは大きい。可愛らしい名前だと育ってから恥ずかしいかもしれない。


 ――主様にも相談してみようかな……。


 そんな思考にふけるうち、いつしかサンも眠りに落ちていた。穏やかで幸福な眠りであった。







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