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贄の王座と侍るもの  作者: 伊空 路地
第五章 心無きモノたち
140/292

140 夜と灯


 ――ふと目を開けると、思ったよりも長い時間が経過していたことに気付く。


 周囲は薄闇に包まれ始めており、西の空では沈みゆく太陽が空を美しい赤に染めている。反対の東の空には深い青が夜空の香りを漂わせ始めている。目を向けていた窓から漏れる明かりは窓枠に影を濃くし、周囲の家々にもぽつぽつと同じような明かりが灯り始めている。


 ふーっ……。と、長い息と共に焦がれるような感傷を追い出そうとする。


 それから、少しの勢いをつけて立ち上がる。深く息を吸って、冷たさを増した空気で胸をいっぱいにすると、少しだけ寂寥感が誤魔化されていく。


 意識的に思考を切り替えていく。


 身体ごと振り返って、座ったままサンを見上げている子供の顔を見る。相変わらずの無表情だが、それでも出会ってすぐの頃よりも随分人間らしさを増している気がする。


 「――さぁ、立って。そろそろ、行かないといけません。」


 そう言いながら、少し屈んで右手を差し出す。子供は無表情のままサンの手と顔を交互に見やってから、おずおずと両手でサンの手に触れる。外気のせいか少し冷たい、小さな手だ。


 子供の手を握って、ぐいっと勢いづけて引っ張ると、引かれた子供の腰が浮いてそのまま立ち上がる。子供は握られたままの手に目を落とすと、ささやかな力を込めてサンの手を握り返してきた。


 その弱々しい力が不思議と暖かい気がして、サンの心にほのかな安らぎが訪れる。


 “贄捧げ”から救い出した事は僅かほども後悔していない。それでも、その小さな手をこうして握っているのは、繋がれる筈の無かった手が繋がれたのは、紛れも無く自分の行動の結果である。


 まだ、安心は出来ない。ここは敵地たる西都の中で、決して安全ではない。脱出はまだ成功していないのだ。


 それでも、何だか――。


 ちょっと報われたような、そんな気がした。
















 夜の気配がどんどんと濃くなり、いつの間に現れたのか、空には月が浮かぶ頃。


サンは“飛翔”の力で高い空へと浮かび上がると、“欺瞞”を解く。この高さならば魔力が察知される事も無いはず、と“強化”を体にかける。すると背負っていた重みが随分軽くなり、負荷に呻いていた怪我もいくらか楽になる。体力にもかなり余裕が生まれ、頭も少しすっきりする。


 “欺瞞”の効果が無ければ、当然直接の目視が可能になる。発見される危険は相当に高まるが、深みをいや増す夜空が自分の影を隠してくれることに期待することにしたのだ。少々無理をして高いところを飛んでいるので、かなり見上げないと見えないはず、という計算もある。


 時間をかけ休息を多く取ってでも発見の回避を優先するかどうかは悩んだのだが、実のところ体力的な問題で選びようは無かったという方が近いかもしれない。長く誤魔化してきた体力がいい加減限界を見せ始め、そろそろ子供を背負い続けることにも無理を感じていたのだ。


 “強化”の効力によりその辺りは無理やりながらも改善され、“欺瞞”に持っていかれる集中力の分も楽になる。“強化”と違い、“欺瞞”の維持は無意識的に行えないのだ。


 魔境への帰還が成功するまで“強化”を解けなくなった訳でもあるが――本来の体力限界を超える強引な“強化”には反動が来る――その反面、西都からの脱出も遠くない。西都は巨大な都だが、流石に都の終わりまで来ている。その後も幾らか都から距離を取る必要はあるが、まぁ何とか持つはずだ。


 最悪は地上に降りて“転移”でポラリスを回収、無理やりにでも距離を稼げば贄の王に助けを乞う事が出来る。最終的に主に頼らねばならない辺りは情けない話だが、まさか大地を歩いて魔境まで帰る訳にもいかない。どちらにせよ人間を転移させられる贄の王に頼らざるを得ないのだから、意地を張りすぎても無意味だろう。


 そもそも西都の内部で贄の王に頼ってはいけないというのは、神託者との遭遇を避けるため。要は贄の王の存在を神託者が察知して走ってきても、それより先に“転移”で撤退出来れば良いのだ。サンが飛んでいるのは都の外縁も外縁である。都の入り口とも逆方向のこの農民街近辺に、旅人である神託者が居る可能性はほぼ無視出来る程度に低い。そういう意味では、脱出はほぼ成功しているも同然なのだ。


 もちろん半端なところで気を緩めるつもりは無いし、万が一にも主と神託者を遭遇させたくないサンなので、もうひと踏ん張りといったところか。






 その後は何事も無く西都の外へ出られ、そのまま都から距離を取ろうと集中を入れ直した。


 サンは都の外の緩やかな山岳地帯に差し掛かる。どんどんと近づく地面に、サンは空の利点が薄れつつある事を察した。サンの“飛翔”では稼げる高度に限界があり、現在の高度でも多少苦しいところがある。高度と最高速は反比例する事もあり、これ以上高く飛ぶ事は避けたい。


 “飛翔”の高度限界が相対的なのか絶対的なのか興味深いところでもあるが、そんな研究は今やる事では無い。


高度という利点が失われるのであれば、地上を行く方が賢い。そう判断したサンは眼下の斜面に降下していき――やがて、無事に着地する。


 何だか随分と久々に地面に立ったような気分を味わいながら後ろを振り返ると、闇の向こうに西都が浮かび上がっていた。


 終わりなど無いような広い広い夜の世界の中、無数の灯りが集って、巨大なその都は光る海を思わせていた。


 夜空を飾る星々の煌めきと、地上を満たす文明の灯。地平線でぶつかり合う儚げな永遠と燃え上がる刹那に、つい目を奪われる。






 昼間、シシリーアで目にした“人類”は醜い怪物であった。


 しかし、この光景を創り出したのもまた“人類”なのだ。


 神の大地を埋め尽くしているのは人間の光。遥か遠い天空にまで至らんとその手を伸ばし、星々すらを飲み込まんと、その巨大な体躯をなお育てている。かつて神が土と水から作った小さな存在は、いつしか大地と海を支配しようとする巨大な怪物になっていたのだ。


 ――果たして、ここまで育つためにどれほどの“贄”を喰らってきたのだろう。


 そしてなおも、止まらない。


 傲慢であり偉大な獣。敬虔でありながら冒涜者。貪欲な白痴にして英邁。醜悪なる光輝。数多の相克を抱えた怪物。


 サンは今、確かに“人類”と相対しているのだ、と思った。
















 善悪などでは計れないのかもしれないな、と思った。


 気づけば、私だって矛盾している。“みんな”の想いを継ぐと決めたけれど、“みんな”が愛したのも、憎んだのも、守ったのも、呪ったのも、全部“人”だった。


 迷うわけじゃない。私の意志はひとつしかない。


 ただ、別に存在そのものが受け入れられないなんて事は無くて、私が守ろうとしているものでもあるんだって、忘れないようにしなきゃって思う。


 だって私の願いは二つある。


 “みんな”の願いを叶えたい。それから、主様を助けたい。――“人”と戦うことは本当の目的でも何でもない。


 私のしたいことは何なのか、間違えたりしたくない。


 私は、私なのだから。私以外の誰でも無いんだって、分かったのだから。


 だから――。

















 サンは右手人差し指に嵌められている指輪に意識を向けると、それに魔力を込めていく。本当はもう少し都から遠くへ行ってからのつもりだったが、まぁ大きな問題は無いだろう。


 贄の王との連絡用に作られた指輪は、魔力を込めることで音や視界が贄の王に伝わるようになる。“転移”を使用する際の目印にもなっているようで、基本的にはサンから用事がある場合に使われることが多い。サンの力ではどうしようも無い場面に出くわした場合に、救援を要請するための保険という意味合いもある。


 今回の“贄”救出についてはあらかじめ贄の王と相談済みで、状況次第ではあるが助力を要請する事になると話している。サンは人間を転移させられない事は主も知っているため、“贄”を救出することになった場合は自分を呼ぶようにと指示されているのだ。


 本来の予定よりも大分遅くなってしまったため心配をかけているかもしれない。


 「……主様。どうぞ、お越しいただけますか?」


 相手が見えないためやや不安になるが、指輪越しに声は届いている筈だ。


 と思うと、唐突に足音が鳴る。サンのすぐ隣からだ。音の方へ首を向けながら見上げれば、予想通りの横顔がある。


 「ありがとうございます、主様。」


「あぁ。……一先ず、無事で何よりだ。」


 贄の王はちらとサンの顔を見てから、また前を向く。暗闇の中、いかにも冷酷そうな青の瞳が光を映している。西都の明かりか、月の光か。


 「……その仮面。まるで似合っていないな。」


 仮面で顔を覆い、深く被ったフードで髪も見せていない。容姿を隠す意味では万全だが、その代償に怪しさも完璧である。


 「……つけてみると、意外と悪く無いのですが。」


 背負っている子供を落とさないように気をつけつつ、左手でフードを下ろし仮面を外す。髪をほぐすように軽く頭を振ると、ひやりとした外気が髪の隙間に潜り込んでくる。熱の抜けた反射で首回りに震えが走った。


 解放感に清々しさを感じていると、全身のひどい疲労が改めて感じられてきて、ふっと気が抜ける。


 「――あっ……と。」


 思わずバランスが崩れ、ふらついた。


 慌てて足を出して体を支え直そう、と脳が判断した辺りで、その身体が別の力に支えられる。下手人は当然、傍らの主だ。


 片腕でサンの肩を抱き、自分の身体に寄せている。その腕は驚くほどに力強く、サンと子供の体重を併せても全く揺らぐ様子が無い。


 「……ありがとうございま、す……。」


 贄の王の顔を見上げながら礼を述べようとしたが、その顔が思ったよりも近い事に驚いてしまい、声が尻すぼみに掠れる。


 一瞬だけ固まってから慌てて顔を逸らす。すると今度は自分の肩を抱く大きな手が目に入り、それはそれで照れてしまう。


 胸のあたりに疼きを覚える。苦しいような、恥ずかしいような、でも少しだけ嬉しいような、慣れない感覚。


 その辺りで自分の神経がすっかり緩んでいることに気付く。いつ敵が現れてもおかしくない状況に張り詰めていた緊張感が途切れたのだ。……また別の緊張を覚えているが、それはそれ。


 傍らに贄の王が居る。その絶大な力が自分を庇護している。今、サンはこの広い大地の上で最も危険から遠い場所に立っている。僅かほどの疑いも無く、そう信じられる。


 それはつまり、自分の主に対する絶大な信頼を自覚させる事にも繋がる訳だが、ともかく。自分の長い危地が終わったのだと、安心する。


 贄の王の目線がサンに背負われる子供に向けられる。子供は、いつの間にか眠ってしまっている。


 「その子供が、“贄”だな。……良くやった。城に戻るとしよう。ゆっくりと休むがいい。」


 主の言葉が耳をくすぐる。単純だが、苦労を労われるというのは嬉しいものである。それが敬愛する相手であれば尚更のこと。


 「はい、主様……。」






 暗い夜、力の無い月明かりの下。闇がサンたちの身体を覆い隠し、やがて消える。後には何も残らず、そこに誰かが居たことさえ嘘だったかのよう。


 サンと子供は無事に西都を逃れ、“贄”となる筈だった命は死の運命から外れた。


 ……その代償として、祓われる筈だった“呪い”は今も都を包んでいる。


 病んだ風と、膿みだす土。人々の心を蝕む堕落と悪魔の指先は引かず、闇夜を照らす筈の月は朧気である。


 夜の世界に浮かび上がる人類の灯は、闇を打ち破って燃え上がるようでもあったが、今まさに闇に飲み込まれんと抗うさまにも見えた。







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