14 贄の王の呪い
贄の王に迎えに来てもらい城へと帰りつつ、サンはエルメアが贄捧げの直後だったことを話す。主は贄の王。贄の王の呪いや贄捧げについて、話を聞いてみたかった。
「そうか。――今日はちょうど聖日だったな。私に分かるのは、贄捧げの儀式がされたことだけだ。そこからの日付までは、意識していなかった」
「都中が浮かれていましたよ。私には理解出来ません」
「贄捧げの儀式が行われたということは、長らく呪いに苛まれていたのだろう。贄にされたものと関わりのない大勢にとっては、解放の喜びしか無いのもある意味道理だ」
「それでも、犠牲の上の繁栄であることすら忘れて――、彼らの目には見たいものしか見えていない」
「人など、そういうものだ。お前はまだ、人に夢を見すぎている。――それに、神の天秤には実に相応しかろう。呪いと贄が左の皿に、解放と繁栄が右の皿に」
「天秤などを象徴とする時点で“全知全能”が否定されると思います。神など、性根のひねくれた外道ものです」
「……神官どもなら、「与えられるだけの愚物にならぬよう」など多彩な反論を返すのだろうな」
サンはふん、と鼻を鳴らして不愉快さを示す。すぐに、主人の前で取る態度では無いと思いなおし、話題を少し変えることにした。
「主様。お聞きしてもよろしいでしょうか」
「許す」
「――【贄の王の呪い】とは、何なのですか」
その問いに対し、贄の王は僅かの沈黙ののち、口を開く。
「神の天秤の左皿。人々の罪を糧に【贄の王】がかける呪い。大地は実りを細らせ、生命は病に侵される。空は陰り、風は腐り、星々は遠のく。贄を捧げることのみによって、【贄の王】は呪いを解く。――そう伝えられるものの真相は、という意味であれば私にも答えは分からない」
サンは無言のまま次の句を待つ。
「これは私の推測だが、恐らくその正体は“闇”だ。この魔境が闇を濃くし、大地から命を奪うさまを見れば、自ずと“呪い”が強くなっている姿が思いおこされる。贄捧げの儀式で呪いを祓わねば、大地の全てがこの魔境のようになるのだろう」
「では、この地でも贄捧げで光を取り戻すのですか?」
「【贄の王】の伝承の最後は【神託を受けるもの】が【贄の王】を討ち果たすことだな?この地に残されたかつて居た贄の王たちの記録が僅かだがある。それに記された推測のままだが、この地での贄捧げの儀式こそ贄の王を討つことなのだ。伝承の後日譚に『光に包まれた世界』といった単語があるのは、魔境の闇も祓われたことを意味すると私は解釈している」
「確かに、最後は【神託を受けるもの】が【贄の王】を討つと聞いています。そも、何故贄で呪い――”闇”が祓われるのでしょうか」
「私も文献などから調べているが、まだ分かっていない。恐らくは、人の魂に関連があるはずだが……」
「では、もう一つ。――【神託を受けるもの】は、主様の前にも現れるのですか」
「現れるだろうな。私を討つために」
「……それは、いつ、でしょう」
「――さて、見当もつかない。だが私とてむざむざ討たれるつもりは無いのでな」
「――たしかに、主様が負ける様は想像が尽きませんね」
だが――と続く言葉をサンは飲み込む。主人の持つ力は強大だ。その権能だけですら、人の敵う存在では無いはずだ。
だが――ならば、何故同じ権能を持った筈のかつての【贄の王】たちは討たれたのか?
もし【神託を受けるもの】が現れれば、私も討たれるのだろうな――。と、興味も無さげにサンは考えた。
案外、その日は遠くないのかもしれないな、とも思えば、ほんの僅かな違和感を覚えた。
それが何なのかサンには分からなかったが、その違和感には名前があった。
――寂しさ、というのだ。
贄の王が謁見の間へ入ろうとするのに、許可を得てサンは同行する。
もう一度あの闇に近づくことには本能的な恐怖があったが、いつまでも避けてもいられないのだ。
冷ややかな風が大きな扉の開いた隙間から吹く。それはひどく無色で、とても乾いていた。
サンが主の背後に控えつつ開かれる扉の向こうを見れば、あの日と同じ謁見の間が広がる。豊かな採光から広間は明るいのに、”光“を感じさせないのは、魔境の弱々しい陽光のためか――。
それとも、鎮座する漆黒の王座のためか。
サンの恐怖とは無縁に、それはただの美しい椅子にしか見えない。どことなく不安を誘うのは前回の記憶ゆえか。彼女の主はまっすぐに謁見の間を歩き、そのまま王座に腰掛ける。サンはその少し脇に控え、主の様子を眺める。
「王座に近しいほどに、贄の王の権能は増す。私に残された人間性の残滓が、幾ばくかの忌避感を覚えないでもないが」
「今の私には、ただの黒い椅子にしか見えません。多少、豪華ではありますが」
「うむ。王座からお前への繋がりは感じない。私が断ち切ったので当然だが、座ったとしても何も起こるまい」
「主様には何か、起こっているのですか?」
「何か、力が満たされていくような感覚がある。それから――人の想い」
「人の想い、ですか?」
「あぁ。かつての贄の王たちか、贄として捧げられたものたちか――。言葉にはなかなかし難いが、人の想いとしか言えぬ何かを感じる」
――あるいはそこに『彼女』もいるだろうか、などと思うのはサンの未練か。
サンは『彼女』を思う度、罪悪感と願いを抱かずにはいられない。
どうか、一人生き延びてしまった私を許してくれ、と。
どうか、死後だけでも安らかでありますように、と。
サンには、祈る相手など居はしないのだが。それでも、願わずにいられないのは人の業だろうか。
脳裏に反響するのはシックの声――『必ず主のお慈悲がある。』。
――いいえ、私は、そんなもの欲しくない。
――だって、一番欲しかった時に一番遠くにあった。
サンは一人、怒りに震える。悲しみに叫ぶ。その声を聞くものなど――。
「どうした、サン。――何か、気分でも悪いか」
「――ぁ。……いえ、ええと、大丈夫です。少し、思い出してしまって」
「ふむ……?もし、不調があるなら言え。ここからも出たほうが良いか」
「いえ、本当に大丈夫です。この場所とは何も関係がありません」
「それならばいいが……。どちらにせよ用事は済んだ。出るとしよう」
「分かりました。……お供致します。主様」
聞くに、サンの主が【贄の王】となったのはおおよそ10年前のことだと言う。その時から名前も無く歳も取らず、一人この城で生きていたという。権能の力で新陳代謝が止まってでもいるのか、食事も入浴も不要なのだとか。
10年も何を、と問えば、各地の言語を学んで文献を漁り、一人魔術を学び。時折、【贄の王】や呪いについて調べたりもしながら。ただ、目的も無く生きていたという。サンがこの地で目覚めた時に口にした退屈とはそういうことらしかった。
「10年前とはちょうど各地で贄の王の呪いが加速した時期と重なる。それまでは気づかぬほどゆっくりと進行していた呪いが、目に見えて分かるようになった。教会が【贄の王】の復活を宣言したのが、私が選ばれるより先だったのは皮肉であったがな」
「教会ほど信用出来ないものもありませんが……。それは、偶然とは思えませんね」
「あぁ。【贄の王】を依り代として王座が呪いでもかけているのか……あるいは。それと教会だな。恐らく教会は【贄の王】について世間の知らぬことを知っている。一度叩いてみるのも一興かとは思ったが……人の都で動けなくなるのは不便なのでな」
「確かに……今であれば、私を使いに出せば主様のことが知れても問題にならないのでは」
「その通りだが……何かしら必要が生まれてからでいいだろう。無益に荒事がしたいわけではない」
言葉だけ聞けばとても『現世の悪魔』などとは思えない台詞を口にする主になんだか妙な気分になりつつ、サンはひとまず頷く。
教会なんて叩かれればいいのに、というのが私怨でしか無いのは自覚していた。
「そういえば、主様は私のことをあまりお尋ねになりませんね。いえ、聞かれたいわけでもありませんが」
以前には無遠慮にあれこれ聞かれることも多かった身のため、何も聞かれないのもやや慣れないのだ。
「あまり人のことに踏み込むのは得意でなくてな。お前の、特に教会や神への怒りなどには疑問を抱かないでもないが……。出来る限り触れないようにしている」
「そうですか。お気遣いを頂いていたのならありがとうございます」
「気にするな。言った通り、お前のためだけでもない。それに、お前とて私個人のことには踏み込まないだろう」
「あまり聞きすぎるのも非礼に当たるかと思いまして」
「私の場合、特に隠すような話は無い。聞かれれば答えよう」
「そうですか。……」
ならば是非聞いてみようか、と思うも意外と咄嗟には思いつかない。何故か思い浮かんだのは昼に食べた『ミートパイ』のことだった。
「――では。主様は、『ミートパイ』をご存じですか?」
「……『ミートパイ』?知らんな」
「エルメアの料理だそうです。今日の昼に食べたのです。――作り方も買ってまいりました。よろしければ、お作り出来ます」
「む……。確かに食べられない訳ではないが。……まぁ、なんだ。せっかくなら頂こう」
「はい。それでは、早速作ってまいります」
そう言って自室の台所へ向かうサンの口元には、僅かな笑みが浮かんでいた。そのことに、本人は気づいていなかったが。