137 死線
撃破した騎士の死をいちいち確認などせず、サンは逃がした子供を追う為に走り出す。
飛ばされた剣を走りながら拾って収め、“欺瞞”と“飛翔”を使用。地面を蹴って高く飛び上がり、子供の走り去った方向へ向かう。
恐らく、そう遠くまでは行っていないはず。一刻も早く見つけなければいけない。捜索の騎士たちに見つかっていない事を願いつつ、サンは高空から地上を見下ろす。
しかし、思うように見つからない。
焦りが募る中、どこかに隠れているかもしれないと思い至り、適当な高い建物の屋根に着地。“飛翔”を”透視“へと切り替えると、物陰から建物の屋内まで、必死に探す。
走らせたのは失敗だったかもしれない、何とか目の届くところに置いたまま戦うべきだったかもしれない、などと手遅れな事を少し考えてしまう。
いや、あの4人は弱くは無かった。庇いながらの戦闘は無理だった。しかし、それで子供を見失っては意味が無い。しかし――。
――どこにいるの……!お願い、見つかって……!
サン自身も位置を変えながら、捜す、捜す、捜す。
やがて――。
――居た!
大分戦いの位置から離れてしまった場所。3人組みで歩く騎士の一人が抱えているのは、間違いなくあの子供だ。力尽きたのかぐったりとして肩に担がれている。
来た道を幾分戻り、シシリーアの方に向かっている。捜しているのが反対方向だったため、発見が遅くなってしまったのだ。
やはり捕まってしまっていた。サンは再び“飛翔”で空へ飛びあがると、子供を抱える騎士たちに向かって一直線に飛んでいく。
だが、状況は悪くない。
先の戦闘地点辺りには増援が駆けつけ、敗死した騎士たちを発見している。皮肉にもその増援のお陰で、子供を抱えた騎士たちの周囲には他の敵が居ない。
つまりあの三人を即座に撃破し、子供を奪い返せば立て直せる。
算盤を弾きつつ、騎士たちを目指してひたすらに飛んだ。
騎士たちは三人。二人は周囲を警戒し、一人は子供を肩に担いでいる。全員が銃を持ち、腰には剣を携えている。
サンは彼らを僅かに先回りし、“欺瞞”に頼って屋根の上から身を晒す。
贄の王から与えられた装備の内の一つ、“雷”の魔術陣を付与した拳銃。回転式弾倉なる技術を用いたこの銃は再装填せずとも6発まで弾丸を発射出来る優れものだ。威力や命中精度も非常に高く、取り回しも良い。まさに時代の先を行く武器だ。細かい仕組みはよく分からないが、魔術や権能の恩恵があり、通常の技術では再現出来ないのだとか。
懐から取り出した“雷”の拳銃を両手で構える。これを授けられて以来、熱心に射撃の練習をしてきた甲斐あって、何と射撃に関しては贄の王よりも得意なのだ。密かに自慢に思っている。――主には銃など必要無い、という事実は一旦忘れておく。
やってきた騎士たちは、身を乗り出しているサンに気付けず、無防備に眼下を通り過ぎる。
その瞬間、サンは引き金を引く。
ばん!
放たれたその弾丸は、歩く騎士たちのうち一人に向かって飛び、その後頭部に着弾した。従来の拳銃よりも遥かに強力なその弾丸は、頭蓋骨を破り、脳を吹き飛ばしながら貫通。騎士の下顎を砕きながら地面に到達して止まった。
盛大に響いた射撃音の発生源を探す二人の騎士の目に、倒れゆく仲間の姿がやけにゆっくりと映った。
倒れ伏した仲間に縋りついたりせず、何事か大声を発しながらすぐさまに背中合わせになって警戒。抱えていた子供を傍らに下ろして、銃を構える。その一連の動作に淀みは無く、二人の騎士の優秀さを感じさせた。
だが、流石の彼らも相手が神敵“従者”であり、奇妙な移動術を使い、更には空まで飛んで見せた、という一連の情報を理解しきる事が出来なかった。
すなわち、サンによる二度目の奇襲が成立する。
背中合わせに周囲を警戒する騎士たちの頭上から音も無く降下。回転に“闇”の剣の刃を乗せ、二人の命を一気に刈り取らんと振るった。
二人の騎士にいくらかの体格差があったことは、騎士たちにとって幸いであり、サンにとって災いであった。黒い刃は大柄な一人の頭部を鮮やかに切り開いたが、もう一人に対しては耳を抉る程度で終わった。
一人の男は絶命し、地面に倒れる。助かったもう一人は、痛みと驚愕に悲鳴を上げながら弾かれたように前方へ転がった。
サンが“飛翔”の降下と回転から持ち直して着地するのと、最後の一人が振り返って銃を構えるのがほぼ同時。
まずい、とサンが咄嗟に横へ跳んだ瞬間、騎士の銃が火を噴いた。
ライフルから放たれた弾丸は勢いよく回転しながら空中を切り裂く。そして、サンの左腕を貫いた。
「ぐぅッ……!」
思わず漏れる苦痛の声。痛みと衝撃に目が眩み、受け身も取れずに地面へ落ちる。
更に地面へ落ちた衝撃で思考に僅かな空白が生まれる。地面に倒れている自分を認識、それが戦闘中においては余りに致命的な隙だと理解し、立ち上がろうと脳が指令を出し、肉体がそれに従う――。この間、たったの数秒。だが、十分すぎる数秒だった。
騎士はサンが地面に倒れ隙を晒す一部始終をはっきりと見ていた。再装填を選ばず、銃をその場で放棄。腰の剣を抜くと、立ち上がるサンに向けて斬りかかった。
そして、大きな隙を晒しながらもまず敵の視認を怠らなかったサンも、朧気ながら自身の危機を感じていた。故に、考えるより先に後ろへ跳ぶ。
騎士の斬撃が、サンの肩口へ。
「うぁ……!」
またも激痛が脳を焼きつかせる。思考が滞る。だが、次は流されない。
「くっ……フゥ……!」
反射的に溢れだした涙で滲む視界のその向こうに敵を見る。次の斬撃を繰り出そうと振り上げた。サンは手のひらを前に右手を突き出す。
「『風よ!!』」
振り下ろされる刃。それがサンの身体に届くよりも僅かだけ、放たれた風が騎士を吹き飛ばす方が早い。
苦悶の声を上げながら、騎士は背中から地面に倒れる。だが、流石に鍛えられている。素早く立ち上がりながらサンへ目を向ける。
「はァ……はァ……っ!」
荒れた息。滲む視界。ふらつく頭。激痛が走る身体。しかし、思考は却って冷静さと明瞭さを際立たせる。死を目前にした生物の本能が、生存のために全力を尽くす。
持ち直したサンを見て、敵は油断無く剣を構えて切っ先を上げる。
サンの手に剣は無い。どこかのタイミングで手放してしまったようだった。そのお陰で咄嗟の魔法が間に合ったと思えば、あまり悪くも思えないか。
左腕は痛みで上手く動かない。斬られた肩も左だったのは幸いだ。右腕は問題無く動かせる。
右手を騎士に向け、権能の“闇”を呼び出す。硬く鋭い実体を与えられたそれは、矢となって撃ちだされる。
未知の力の行使に騎士は驚くが、やや過剰に身を捻って矢を躱した。それから魔法使いに先手を譲る愚を思い出したか、間合いを一気に詰めてくる。
剣を振り上げながら迫る騎士に、しかしサンは慌てない。
筋力でも技術でも敵の方が上。経験でもきっとそうだ。普通に剣を打ち合わせれば、サンはあっという間に斬り捨てられるだろう。だというのに、サンの手元には剣すら無い。怪我を負った左腕と、斬られた肩が痛む。
だが――。
だが、それだけのこと。
サンはいつも、贄の王を相手に稽古を積んでいるのだ。主の剣は、魔術は、戦闘術は、こんなものでは無かった。
主の剣を見た事があるか。雷光の如く速く、稲妻の如く鋭く、落雷の如く強烈な剣を。
主の魔術を見たことがあるか。虹よりも多彩、雨よりも流麗、太陽よりも破壊的な魔術を。
それらを組み合わせた戦闘術を味わった事があるか。百の魔法を跳ね返し、千の剣戟でも打ち破れず、万の努力でもなお届かない。只人がどれほどあがこうと決して至れぬ高さを知っているか。
目の前の騎士は、サンより強い。でも、それだけ。
少しの運と努力があれば届くような高さは、至れぬ場所では決して無いのだ。
豪速で迫り、致命的な一撃を繰り出さんとする強者たる騎士を前に、サンは余裕の笑みを浮かべる。仮面に隠れて見えはしまいが、その余裕くらいは伝わったかもしれない。
サンは己の味方である筈の距離を、自ら棄てる。前に出る。どうせ下がっても魔法は間に合わない。ならば、前にしか活路は無い。
極限の集中にあって、世界の時がゆっくりに感じられる。
振り下ろされる刃が迫る。サンの体の軸を軌道に捉えているその一撃を回避するのは容易では無い。サンは素手。リーチも速度も相手が上。
ほんの僅か、ほんの一瞬、ほんの刹那。早くても遅くても致命傷。
神懸かりの世界へサンは手を伸ばす。
そして、迫る刀身と右の手のひらが触れる。既に“行使されていた魔法”が、その刹那に発動、世界に事象を引き起こす。
それは“風”。無詠唱のそれは人間一人を転がすことすら出来はしない。だが、振り下ろされる刃の軌道を僅かに変えて“打ち上げた”。
目に捉える事さえ困難な刃に、下から手のひらを合わせ、更に魔法の発動すらを合わせる。騎士はサンが何をしたのか、その瞬間には理解出来なかった。しかし、そこに有り得べからざる神業があった事だけは分かった。
ゆっくりとした世界で、驚愕に騎士の目が見開かれつつある。
生まれる間隙に身を潜らせ、致命の筈の一撃を潜り抜ける。地面に擦れそうなほどに身を低くして、サンが騎士の背面へ。
低くし過ぎた姿勢の代償に、サンは立ち上がることが出来ない。故に、全力で地面を蹴りながら地面へ飛び込む。伸ばした右手の先から、身体が地面へたどり着くよりも先に“動作”の魔法が行使される――。
体重を乗せた一撃を信じ難くも回避され、騎士はたたらを踏んで重心を取り戻すと、すぐ背後にいる筈のサンへ振り返りながら斬りかかる。
しかし、サンの体は既に間合いの外にあった。
空振りを視認した騎士が次に目にしたのは、自分に迫る黒い煌めきだった。
そして、それが騎士の最期の光景となった。




