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贄の王座と侍るもの  作者: 伊空 路地
第五章 心無きモノたち
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133 “サンタンカ”


 手が、震えていた。


 そう気が付いたとき、自分と言う人間をどこか遠いところから眺めているもう一人の自分が居て、動けずにいる自分を酷く冷徹に見物しているような錯覚に陥った。


 そんな錯覚さえ自覚してしまうと、急速に終わりを告げた。


 動けずにいる自分と、見物している自分が重なって、同じになる。


 そっと自分の手を上げて、目の前にかざしてみる。――もう、震えてはいなかった。






 サンは思う。きっと眼下の観衆たちは、本当に、純粋な気持ちで、“贄”にされる子供を痛ましく思っているのだろうな、と。


 ――ああ、なんてかわいそうに、って。


 サンには今度こそ、眼下の観衆たちが一つの生き物に思えた。それも酷く醜くて、鼻が曲がるような悪臭を放ち、そのくせ自分は美しいと心の底から思い込んでいる化け物だ。


 もう、サンには、“化け物”の醜悪さをどんな言葉でも表現出来なかった。ただただ、嫌悪した。この“化け物”から離れられるなら、どんな場所だって楽園に違いないと心の底から思った。自分と言う存在が、間違ってもこの“化け物”の一部にならないことを切に願った。

















 “ラインファーン”は呪った。彼女を殺して生きる世界中の人間に絶望があれと呪った。


 “エルザ”は感謝した。自分だけは穢れなき心のまま死にゆけることに感謝した。


 “ソトナ”は夢を見た。愛おしい人たちが当たり前に、幸せに暮らす夢を見た。


 “シキミア”は微笑んだ。大好きな姉の姿を思い浮かべて微笑んだ。


 “エッフェンティート“は信じた。これで自分が最後になると信じた。


 “シャー”は怒り狂った。みんなが自分に嘘を吐いたと怒り狂った。


 “リデア”は悔やんだ。あの人を一人にしてしまうと悔やんだ。


 “ある者”は願い、“ある者”は笑い、“ある者”は嘆き、“ある者”は喜んだ。






 そして“みんな”が祈った。いつか救われますように、と祈った。


 二度と起こりませんように、と。


 いつか終わりますように、と。


 ――『明日は希望がありますように』、と。






 そして、“サンタンカ”は。






 “サンタンカ”は――。


















 迷いは晴れた、と思った。


 今日この場に来た事はやはり正しかったのだ。


 サンの眼下では、教皇が一振りの剣を抱くようにしながら、祈りの言葉を唱えていた。切っ先は下に、“贄”の子供の胸に向けている。


 祈りの文句など殆ど聞いていなかったけれど、その一言ははっきり聞こえた。


 「――神が、それを望まれる。」


 ――ならば。


 ――ならば、私は――。






 「――“私”は、それを望まない。」


 神に縋って何になろう。神に祈って何になろう。


どれほどの人が死んだ。どれほどの人が祈った。


 神は何も救いはしなかった。何にもなりはしなかった。誰の祈りも報われなかった。


 だからこそ、“サンタンカ”は決定する。






 ――“私”は、私が救ってみせる。






 そうだった。ずっとそうあるべきだった。最初から、ずっとそうだったのだ。


 この決定こそが、“サンタンカ”が生まれた意味なのだ。


 もっと早く、気づかなければならなかった。


 そうだったなら、何も迷いはしなかったのに。






 ――“私”の願いは、私が果たす。


 ――それが私の生まれた意味だから。


 ――私の生きる意志だから。






 彼女の名前はサンタンカ。


 もうこれ以上。もう二度と。もう決して。


 他の何者でもありはしないのだ。


















 天井の暗がりから“飛翔”を操って急降下する。


 目指すは教皇、その足下。


 降下の途中で”欺瞞“を解く。空いた手で”闇“を迸らせる。


 声が聞こえる。焦った声だ。警備の騎士か、もしかすると観衆かもしれない。急降下してくる影に気付いたのだろう。


 だが遅い。間に合わない。


 サンは教皇のすぐ目前、床に触れるかどうかの地点で準備していた“闇”を爆発させる。


 どん!と瞬く間に広がる暗い闇。炎のような、陽炎のような、水のような、煙のような、影のような、黒いそれ。人は本能が叫ぶ恐怖のままに、それを恐れる。闇を恐れる。


 急速に速度を殺した勢いにややふらつきながら、微動だにせず横たわっている“贄”の子供を抱きかかえる。


 この闇はただの煙幕だ。今のところ教皇の命を奪うつもりはない。


 自分の身体すら見えない暗黒の中、右往左往する教皇にサンは言い放つ。


 「贄の王の従者がこの子供を頂きます。“贄捧げ”など、もう無くなるべきなのですから。」


「……なに?お前は……!?」


 教皇は声の方向を辿ってサンを見ようとするが、サンの放った闇が視界を通さない。


 長々と話している時間は無い。サンは“飛翔”で子供ごと己の身体を浮かび上がらせると反転し、城の大扉に向かって観衆の頭上を飛んで抜ける。


 大扉に辿り着く前に闇が終わる。闇の中から高速で飛翔し突き抜けてくるサンの姿は、当然異常事態に目を向けていた全ての人の視界に入る。


 そこでもう一度、大扉の辺りに向かって“闇”を放つ。流石というべきか、既に銃を構え照準を定めていた騎士たちだったが、突如現れた闇に呑まれて視界を失う。


 彼らは闇雲な発砲が出来ない。何故なら、大扉から城内を振り向いている彼らの銃口、それがブレれば観衆や、最悪祭壇付近の教皇たちを傷つけかねない。


 サンは視界の無い暗黒の中、それでも恐れることなく真っすぐに突き抜けていく。そして、その視界が一気に晴れると同時に、急上昇する。


 大扉付近に闇を放ったので、闇を抜けた先は大扉から大分離れた広場の上空。闇から抜けてきたサンを指さし大声を張り上げる騎士たちを尻目にサンは更に上昇。


 これほどの上空なら人に誤射する事は無いと見たか、複数の発砲音が続けざまに打ち鳴らされる。


 いくらなんでも発射された銃弾を避けるような事は出来ない。当たらない幸運を願いつつ、反転してシシリーア城に沿って上るようにどんどん上昇。ついに城の最上部すら超えると、そのまま城を飛び越えて上空を飛び去る。






 この辺りまでくれば、銃弾が飛び交う事も無い。ほっと一息つきつつ、腕の中の子供を見る。


 子供は嫌に大人しい。意識はあるようで身じろぎくらいはするのだが、それくらいだ。目隠しをされたまま“飛翔”で振り回されているのだから、暴れるかと思ったのだが、嬉しい誤算だった。


 というのも、この子供、重いのだ。


 いや、もちろん子供としては極めて普通の体重なのだが、サンがふんわり想像していた子供の体重よりは遥かに重かった。……サンには小さな子供と触れ合った経験が無かった。


 ――こ、子供って……!こんなに重いの……!


 正直、寝ている子供を抱き上げた時にちょっと焦った。あれ、これ運べるかな、と。


 “飛翔”で飛んでいる最中に暴れられたら間違いなく落とす。城内を飛びぬけた際、落としても怪我で済むくらいのぎりぎり、観衆の頭上すれすれを飛んだのはそういう訳だった。


 ところが予想に反して大人しいので、銃弾を避ける目的もあって上空へ逃げた。が、実際今もめちゃくちゃ怖い。腕が耐えきれなくて落としたら万に一つも助からない。大分ぷるぷるしてきている腕を必死で叱咤しているのだ。


 しかし現実にはもうひと踏ん張りが必要である。


 サンは“欺瞞”をかけると、負担にならないよう――子供を落とさないよう――にゆっくりと高度を下げていき、適当に目についた路地に着地する。


 地面に足が着いた安心感と疲労からうっかり子供を投げ落としそうになりつつ、子供を地面に下ろす。


 「はぁーーっ……。はぁーーっ……。う、うでが……。」


――頑張った。私……。頑張った。私の腕……。


 ぷるぷるする腕で子供の目隠しを取ってやる。すると、無表情よりも更に虚無な表情を浮かべた子供の顔が露わになる。


 灰色の瞳をきょろきょろと動かして辺りを見回してから――その視線がサンで止まる。


 じーーーーーーっ……。と、サンの顔を見つめる子供。


 その熱を感じない熱視線を向けられてサンはややたじろぐ。しかしすぐに気付く。


 ――あ、仮面にフードじゃ怪しいね。


 そう思って、やはりまだぷるぷるする腕で仮面とフードを外す。本当はまだ警戒が必要なのだが、“欺瞞”の効果もあってすぐには見つかるまい、と思ってのことだ。


 サンの美しい金髪と空色の瞳が露わになり、その顔が子供に向けられる。


 安心させるように微笑みを浮かべようとして――。


 ぐにゃ。


 と、妙な具合に顔を歪ませた。


 最近は表情が豊かになってきたと自分でも思うが、元々あまり豊かな方では無かった。意図して笑みを浮かべる事の難易度は知らなかったのだ。


 妙な沈黙が訪れる。


 子供はじーーーーーーーっ……。とサンの顔を虚無の表情で見つめ続け、サンの方は奇妙な歪み顔で子供を見つめ返す。






 サンはふっと表情を消すと、仮面とフードを戻した。何かが傷ついた気がしていた。







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