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贄の王座と侍るもの  作者: 伊空 路地
第五章 心無きモノたち
132/292

132 訪れたその日


 その日は朝から騒がしかった。


 既に目覚めて支度も整え今日するべき事を思案していたサンには、通りを行く人々が段々と増え賑やかになっていく様が良く分かった。


 人々の恰好はまちまちであったが、彼らはみんな共通して、期待に満ち満ちた表情を浮かべていた。


 サンには彼らの話すターレルの言葉が分からない。しかし、外を歩き彼らの様子を眺めるうちに、一つの確信を得る事が出来た。


 すなわち、“贄捧げ”は今日執り行われる、と。

















 人々に交じってシシリーア城に近づいていく。しかし、城門はくぐらない。


 十分に近づいた辺りでさり気ない風を装って人気の無い路地に身を滑らせる。前後周囲に人目が無い事を確認すると、己の内側、その最も深い場所から“闇”を呼び出す。


 権能。贄の王から与えられたこの世ならざる超常の力。その正体は、“闇”を以て万象の持つ裏の面、それ足らしめる“闇”に干渉する能力。


 サンは自身の深奥、魂と呼ばれるべき場所から呼び起こした“闇”でもって、自信を包む空間に干渉、魔力の遷移を阻害する障壁を作り出す。これによって引き起こされる現象、結果がすなわち“闇”の魔法として生み出されたそれ。すなわち――。


 「……“欺瞞”。」


 サンの呟きに呼応して、サンの姿が宙に溶けるように掻き消える。サン自身には見える。しかし、周囲に人間が居たとしてサンの姿を捉える事は出来ないだろう。


 これこそが“欺瞞”の魔法。かつて彼女の主、贄の王が生み出した“周囲から認識されにくくする”魔法である。


 贄の王からこの魔法の理論は聞いていたが、サンが模倣する為にはとてつもない練習を要した。“空間”に“干渉”するという感覚を掴むことが難しく、形になるまではひどく苦労した。


 なんとか実用まではこぎつけたが、やはり贄の王本人とは精度も完成度も段違いである。


 そもそもが未だ完成していない魔法である。その不完全な模倣となれば、やや不格好な魔法になってしまうのは仕方がない事と言えた。


 現状のサンは一般的な人間でも2歩ほどの距離まで近づかれば気づかれてしまう。感覚に優れた人物ならもっと遠くても気づけるだろう。残念ながら悠々と人通りを歩けるまでの完成度では未だ無い。


 この何倍も優れた結果を心身の技術だけで成しえていたイキシアなどの凄さが改めて身に染みる。どの界隈においても、達人というものは往々にして常識で測れない存在になるものなのだ。






 ともあれ、無事“欺瞞”を発動したサンはフードを深く被って髪と顔を隠す。


――それから、今はもう一つ。イキシアから遺されたあの怪しげな仮面を身に着ける。実際、顔を隠すのにフードだけでは心もとない。ふとした拍子に顔を覗かせてしまった経験もある。視界がやや狭まってしまうのが欠点だが、正体を明かしたくないサンには便利な代物だった。


 それからサンはシシリーア城の屋根の上、普通の人間ではどうあっても到達出来ないような場所を狙って“転移”で移動する。


 吹き付けてくる寒々しい風に足を滑らせないよう気をつけつつ、屋根の端から眼下を見下ろす。


 聖地シシリーアの入り口、広場部分には既に大勢の人がひしめき、さながら蠢く海のように見えた。砦の如き巨大な城門の方を見やれば、まだまだ人は増えてくる。皆が皆、このおぞましい“呪い”から解き放たれる時を心待ちにしていて、その“神聖な”瞬間を見届けようと集まっているのだ。


 眼下の人間の群れが、何か別の、酷く醜い異様な生き物のように思えて、サンは吐き気すら催す。彼らはかつてファーテルで目にした人間たちと同じだ。これから失われる一つの命には何の感慨も抱いていない。興味も無い。覚えているかすら怪しい。


 命が全て尊い――とは、思わない。


命の価値は違う。全ての人間が救われるべきなどとは思わない。


 それでも、思うのだ。


 どうして、この“異様な生き物”の為に、人が殺されなければならないのだろう。あるいは、それは罪人かもしれない。あるいは、酷く醜い人間かもしれない。あるいは、まさに滅ぼされるべき人間なのかもしれない。


 それでも、この蠢くものどもは、それらよりも尊いのだろうか。殺される誰かより、殺すこのものどもは生かされるべきなのだろうか。


 一人の人間の血と魂を喰らって永らえる“これら”には、果たしてその意味があるのか――。






 サンは静かに首を振って、考えを振り払う。詮無いことだ。答えなど出まい。


 彼らの生存を決めるのは、サンでは無い。それこそ、神でもあるまいに。


 あの“蠢くものども”は、またの名を“人類”というあれらは、その能力のままに生存し続けるだろう。その力が及ばなくなった時、いつか絶えて無くなるのだ。それが果てしなき未来なのか、今日の日暮れのことなのか、知っているとすれば神だけだ。


 サンが今日ここに訪れたのは、己の魂と向き合うため。その他のことは、今は些事だ。


 サンは“飛翔”を使うと、自分の影が地面に投影されないよう太陽の方向に気をつけつつ、城の大扉を上側すれすれで潜り抜けて中に忍び込む。城の大扉は大きくとも通るとすればそれなりに人々の頭に近づいてしまう。潜り抜ける瞬間はかなりひやひやとした。


 中にさえ入れれば後は楽だ。


 薄暗い城内の天井に張り付くように移動する。天井の巨大なアーチに身を隠すように、“贄捧げ”が行われる筈の正面祭壇が見える場所で潜む。


 ここでサンは“透視”で警備の者たちを確認するか少し迷う。というのも、サンが同時に使える魔法及び権能は二つまでなのだ。優れた魔法使いは多数の魔法を同時に使用出来るそうだが、詳しくは分からない。サンの場合、“手”で魔法を使う感覚が強すぎるせいかもしれないが、今この場で変えられる訳も無い。


 “飛翔”を解けば落下するため、“透視”の為に解くとすれば“欺瞞”しかあり得ない。


 城内の薄暗さに高い天井が加わり、サンが居る付近までは殆ど光が届いていない。しかし直接遮る物も無い以上、目の良い者が上を向けば見つかる可能性はそれなりにある。暗闇に目が慣れていれば、案外暗くても見通せるようになることをサンは知っている。


 しかし、サンから見えていない警備の者も多数いる筈で、事を起こす場合には彼らは絶対に障害になる訳で……。






 結局、上を向いた者が気づかない事を願いつつ、サンは“欺瞞”を解いて“透視”を使う。


 敵を知らなければ、逃げ時や戦い時を見誤るかもしれないからだ。逃げる方向も考える必要がある。逃走の失敗は即ち死――サンは尋問に耐えきれるか自信が無かった――に繋がる。贄の王を頼れば即刻助け出してくれるだろうが、それはサン的に敗北に等しい。神託者が既に居る可能性のある場所に呼んでしまうという意味でも、主に頼りきりになるという意味でも。


 サンは遮蔽物の向こうを見透かす“透視”の目で、城内や城の周囲を隈なく把握することに努める。


 ここは大教会とも呼ばれる通り、エントランス部分はほぼ教会だが、やはり同時に城でもある。違う階層に行き来する為の階段、廊下に繋がる扉、窓の外のバルコニー。警備が控える場所は多いのだ。


 特に脱出経路の一つに想定していた正面奥の大窓。割って出ればいいかと思っていたのだが、すぐ外部分は屋外廊下となっており、警備が多い。あちら側も考える事は同じだったようだ。警戒しているのは外からの侵入の方で、出てくる人間など想定していないが。


 大窓は高い位置にあって、突入はともかく、まさか空中を飛んで脱出に使われるとは思っていないのだろう。当然ではある。


 サンが一人で脱出する分には何も問題無い。“転移”を使えば壁など無意味だ。


 問題となるのは“贄”役を救出したいとなった場合。サンは人を連れて“転移”を使用出来ない。連れて行けるのは荷物と、精々が馬だ。馬が運べるなら人も運べそうなものだが、どうも上手くいかないのだ。


 贄の王がサンを連れて転移する辺り、理論的に不可能という訳では無さそうなのだが……。


 とにかく今のサンには出来ない。“贄”にされる人間を救出したいと思えば、抱えるか手を引いて走る必要がある。“飛翔”で飛ぶ場合も大きくは違わない。これも不便なもので、サン自身にしか効果が無いからだ。人間一人を抱えて飛べると思うほど、サンは自分の筋力を評価していない。


 やはり救出までは無理筋だろうか、と思いつつ、“透視”をやめて“欺瞞”をかけ直す。警備の配置は概ね把握した。これ以上はその場での判断しかない。


 幸いにしてサンに気付いた人間は今のところ居なさそうだ。


 あとは、儀式そのものが始まるのを待つのみ。しばらくは手持無沙汰になりそうである。
















 やがて、儀式の始まりの時が訪れる。


祭壇の手前に一人の人間が立つ。いかにも神職らしい衣装を纏った男が周囲を見渡すと、それが合図だったのか、並び立つ護衛の騎士たちが一斉に杖で床を叩く。


 だん!と大きな音が城内に反響して、ざわついていた観衆たちを静まらせる。


 一気に静かになり、誰かが身じろぎする音すら聞こえてきそうな静寂の中、一人の老人が飾られた壇上に上る。見事な法衣を着こなし、皺だらけの顔に聖人じみた微笑を張り付け、老人は人々を見下ろす。


 サンもあの老人が何者かは知っていた。全ての教会の長にして、聖地シシリーアに君臨する“皇”。教皇ハリアドス二世である。


 これは意外な大物が出てきた、と思うと同時、確かにという納得も得ていた。


 “贄捧げ”は古来より最も重要な神事の一つ。教会を腐りきった組織と軽蔑しているサンとしては教皇ほどの人間が実務に出てくるとは意外だったが、これほどの儀式を下位の者に任せる体面を気にしてのことだと当たりをつける。民衆への教皇の箔付けにも相応しいだろう。


 教皇は勿体ぶるように長い間を空けてから、穏やかな口調で語りだす。


 「本日、この日が我々にもたらされたことを、心より嬉しく思い、我らが大いなる父たる主に感謝を申し上げねばなりません。我々は主のお見守りになられるなか、日々を健やかに、慎ましくパンを食する幸福を噛み締めつつ、生きて行けることを主への祈りと共に感謝するのです。



 しかし神の愛せしこの大地を憎み、妬み、恐ろしい呪いをかける悪魔の力に、我々は及ばなかったのです。かの悪魔……”贄の王“は、”贄“を求めております。無垢なる魂と汚れなき血を捧げぬ限り、この呪いは決して解かれないのです。あの醜悪なる悪魔は、我々の罪、心の悪しき部分、人の持つ野蛮さ、暴力や誤った愛情に住まい、その身を肥え太らせ、力を得ているのです。すなわち我々が清く、隣人を愛し、親を敬い、子を慈しみ、神に真摯な祈りを捧げる事が出来ていたなら、かの悪魔は大地に呪いをかけることは出来なかったのです。


…」






 ――長い。うるさい。鬱陶しい。教皇の長広舌なんて興味ない。


 ――私は、あなたが、大嫌い!


 サンは壇上で語り続ける教皇に向かって、心中で思いっきり舌を出す。


 まず教会の人間という時点で嫌い。次にそこのボスということで更に嫌い。全く事実と異なるのに贄の王を悪し様に語るからもっと嫌い。そして“贄捧げ”の真相を知っている上なのだからますます嫌い。ついでに話しが長いのも嫌い、だ。


 負の方向に満点である。そうなるともう関係無い部分まで腹立たしくなってきて、何はともかくとにかく嫌い!なのである。彼女の心には最早論理だとか理由だとかは存在しない。感情論100パーセントである。






 天井の影から嫌い嫌いと連呼されている事などつゆ知らず、教皇の語りは続いていたが、やがてその声がひと段落することになる。


 語りが止まると、どこからか神官二人に連れられて一人の子供が姿を現した。






 幼い子供であった。年のころは十にもならないくらい。育ちの良い子であれば、もう少し小さいのかもしれないくらい。


 奇麗に整えられた灰色の髪は長くも短くもなく、幼さゆえの中性さも相まって、男の子か女の子かはよく分からない。天秤の刺繍を施された黒い装束は妙に似合っていて、その丈を引きずるようにして歩いている。


 しかしその表情と目は子供らしからぬ虚無さをたたえている。


 見慣れないのか、周囲をきょろきょろと見回しているが、反面その瞳には何物にも大した興味は持てていない心情がありありと映し出されている。


 一体、どのような場所で育てられてきたのか、ひたすらに違和感を覚えさせる子供であった。


 その子供は教皇の前まで連れてこられると、黒い目隠しをされる。そのまま、神官の手で教皇の目前にある細長い寝台に身を横たえさせられた。


 その子供こそが、”贄“である。


 そう理解した観衆たちは、皆で揃いの痛まし気な表情を浮かべる。あまつさえ、涙を浮かべて拭ってさえ見せる者もいる。お上品なご婦人は、傍らの夫に顔をうずめるようにして、夫の方はそっとその肩を抱いて見せる。こちこちの礼服を着せられて退屈そうな息子の肩を、苦痛を堪えるように握る紳士――。






 そんな全ての光景を、ずっと上から眺めていた。


 サンは、じっと、見ていたのだ。


 痛まし気に目を伏せる教皇。涙を浮かべる観衆たち。無表情な神官と、無表情な“贄”の子供。


 サンはひたすら、それら全てを見つめていた。







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