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贄の王座と侍るもの  作者: 伊空 路地
第五章 心無きモノたち
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131 神聖なるシシリーア


 教会の定める聖地シシリーアは普段一般の信徒たちの為に解放されている。もちろん、教皇の居城でもあるため、解放されているのは差し支えない場所だけだ。


 警備はやや過剰なまでに厳重であり、武装した騎士たちが常に目を光らせている。一流の魔法使いたちがシシリーア城内に散らばり、いつどこで何が起こっても対応が可能なように警戒を欠かさない。シシリーア城に配属される者達は、騎士から一兵士に至るまでが選りすぐりのエリートだ。


 とはいえ、シシリーア城内に足を踏み入れた者ならばその過剰なまでの警備にも頷けることだろう。


 天井や柱の隅々までに神の如き筆跡が走る至高の聖堂。くすみ一つ無い輝ける黄金の彫刻は、今にも礼拝堂内を歩き出しそうな生命感を持つ。呼吸すら許されぬような静謐の墓地には神に愛された聖人たちが眠り、煌めく星々を想起させる水晶の群れがそれを見守っている。


 シシリーアは、石畳一つまで美しい。小さな燭台一つすらその価値は恐ろしいものになる。まして、世に二人といない天才が人生を尽くして生み出した究極の芸術など、価値を計れる人がいるであろうか。


 それらが損なわれるなど許されない。傷一つすらあってはならない。何かあってからでは遅いのだ。警備に立つ騎士たちは、シシリーアを守る為なら独断による殺傷すら許可されている。実際、疑わしい者は即時捕らえられ、なお抵抗したためその場での処刑が行われた例も一度や二度では無い。


 シシリーアの城門をくぐる者は皆、『聖地を荒らす者は神敵であり即時の破門及び極刑とする』に了承させられるのだ。これに同意しない者はその時点で追い返される。エルメアからアッサラに至るまで各地の言葉で問いかけられ、どの言葉も通じないような者はやはり追い返される。『分からなかった』の言い訳を許さないためだ。






 サンは一般の信徒に交じってシシリーアに足を踏み入れた。


 敵地を知る為、である。


 まだ“贄捧げ”に対するサンの心持は定まっていない。ただ、見届けようとは思っている。その上で自分がどうするのか、サン自身でさえ分からなかったが、完全なる未知の敵地にあっては何をどうする事も出来ない。


 もしかしたら、自分は“贄”を救うために儀式を破壊するかもしれない。もしかしたら、静かに一人の観衆として見守るだけかもしれない。


 どうなるにしろ、準備は要る。後になって『出来なかったから』という言い訳を自分にさせないためでもある。“贄捧げ”を許容するのなら、そこに『仕方なかった』という逃げ道はあってはならない。必ず、サン自身の決断でなければならない。


 そういった思惑で、聖地シシリーア城へと足を向けた訳だったが――。






 入ってすぐの広場はまぁ、そこまででも無かった。確かに見事であるし、均整のとれた回廊、その向こうに立ち並ぶ建物たちと壮観ではある。とはいえ、都の真ん中にこれほど広い土地を確保しているなんて凄い、といった感想が一番だったくらいだ。


 むしろ最初にくぐった巨大な城門の方が圧巻であった。何と石造りでなく鉄だ。鋼鉄で城門が出来ている。流石に総鉄造りではないだろうと思っているのだが、それにしても凄まじい。あの砦のような城門を真正面から破壊するとなれば、流石のサンでも難しいかもしれない。“双極天の雷”のような大魔法であれば、何とかなりそうな気はするのだが。


 ――まぁ、“転移”か“飛翔”があるけど……。


 “贄の王”の眷属として権能を扱うサンの前に壁は余り意味をなさない。


 遠路はるばる聖地に辿り着いたことで感涙にむせぶ信徒を尻目に、サンは広場をまっすぐ進んでいく。感激どころか破壊方法を案じているサンの内心などを知ったら一体どんな顔をするか、ちょっと気になった。


 やがてシシリーア城そのものや大聖堂、礼拝堂が近づいてくると、流石のサンにも段々と分かってくる。


 ――これは、凄いかも……。


 まず、単純に美しい。いずれの建物もそうだ。決して誰かの真似事では描き出せないシルエット。複雑かつ美麗な輪郭を成すのは小塔やアーチの連なり。それらの細部に至るまで、正気とは思えないほどに繊細な彫刻が施されている。


 草花を平面では無く立体に模りながら流麗な曲線を描き、やがて大樹の幹に収束していく石の枝葉が空に広がる。信じがたいことに、その枝葉の一つ一つにすら貴い煌めきが見て取れる。宝石が使われているのだ。


 目を回しそうな幾何学的模様が、カチリ、カチリと遊星たちのように軌道を描き、不可視の筈の神のオーラを表現する。


 陽光を浴びて黄金に輝くのは、まさしく太陽か光そのものを象徴する大時計。文字盤にて微笑むのは、かつて千の盲人に光を齎した聖ユラマヴィアの肖像である。転じて、信仰への目覚めを促す聖人ともされる。


 巨大な石板に彫り込まれているのは、創世記の一幕。まだ曖昧な天と地に昼と夜が交互に訪れる部分。荒々しくも繊細、神の手によりこれから生まれようとする天地万象を壮大に表現している。


 開け放たれたシシリーア城の巨大な扉をくぐれば、世界は屋内ゆえの薄闇に包まれる。


 そして、薄暗い世界の最奥、正面。燦然と光を放つ、巨大な天秤を描いた窓。見事なステンドグラスに囲まれながら、その天秤の大窓だけが単色で描かれているのは、“無色の光”をこそ強調したいがための知恵。


 その大いなる天秤を目にしたとき、サンでさえ不覚にも神秘を感じざるを得なかった。それほどまでに、見事、いやどのような称賛すら足りないような、壮麗なる光景だった。






 サンはふと我に返り、すっかり聖地の雰囲気に呑まれてしまっていたことを悔しく思って歯噛みする。


 自分に限って、教会の演出――信徒に神秘を感じさせる工夫である――に嵌ってしまうなど。


 城内を敢えて薄暗くして、正面の窓を強調するなど分かりやすすぎる例ではないか。最初の広場が“そうでもなかった”のもきっとわざとである。徐々に、徐々に“聖地”へと転換していったのだ。それで、知らず呑まれてしまったのだ。


 誰に言い訳するでも無いのに、サンは必死に脳内で論を展開する。うっかり神秘を感じてしまったことが恥ずかしかったらしい。






 ――というか、私の目的は観光じゃなくて!


 まもなく執り行われるだろう”贄捧げ“の現地を偵察に来たのである。断じて芸術鑑賞では無い。


 気を取り直して、シシリーア城の構造を把握することに努める。


 “贄捧げ”そのものが行われるのは、恐らくこのシシリーア城本体のエントランス。あの大きな天秤の窓を背負って祈りの文句を唱える神官など実に教会が好みそうではないか。そう思って正面の祭壇を見るが、今のところ“贄”用の棺や寝台などは見当たらない。これから持ち込まれるのだろうか。


 場所がここならば、サンにはむしろ好都合だ。


 “転移”を持つサンに壁は無意味。逆に、これは護衛側の障害になる。さらに薄暗い事も利点だ。“飛翔”で光の届かない天井付近に身を隠せば、下からは発見出来まい。


 加えて、護衛側は“暴れられない”。ここは聖地シシリーア。城内の柱一本傷つけただけでその損失は計り知れない。故に、護衛たちが如何に一流の騎士や魔法使いであろうと、加減せざるを得ない筈だ。そして、それはサンに当てはまらない。


 筋金入りの神嫌いたるサンである。神を讃える聖地を破壊することに譲れないほどの抵抗は感じない。芸術品が勿体無いくらいのものだ。


 場所は敵地。しかし、完全なる不利では無い。


 教会は“転移”について知っているはずだ。対策も考えてくるはず。それでも知識だけのほぼ初見で完全に対応は不可能。手当たり次第に攻撃すれば城内が傷つく。


 ――それに。


 教会は“サンが”贄捧げ“の邪魔をしてくるなど知らない”。そもそも“サンが西都にいることすら知らない”。


 既に”従者“は神敵として認識されているが、”転移“で移動するサンを先手で捕捉することは不可能だからだ。教会は常に後手。


 ――勝算は悪くない。


 当日、サンは“贄捧げ”を監視する。そして、その瞬間が来れば――。


 ――きっと分かる。“私”の心が何を望むのか。
















 サンはシシリーア城を後にすると、一度取ってある宿に戻りベッドに寝転んだ。いつも通り高い宿を取ったのだ。部屋は広く清潔で、ベッドはふかふかだ。ポラリスも預かってもらっている。至れり尽くせりだ。素晴らしい。


 ちなみに、神託者の捕捉については一度捨て置いている。本当は良くない。全く良くないのだが、“贄捧げ”が終わるまでは到底集中出来そうに無かったので、いっそと思って捨て置くことにしたのだ。


 とはいえ、“贄捧げ”が執り行われるより前には贄の王と相談しなければなるまい。もしかすると大きく動くことになるので、サンが独断で動くと主に迷惑がかかる可能性がある。それは忠実な従者的によろしくない。


 不安はある。“贄”を助けるかも、という部分が許されないかもしれないからだ。


 というのも、“贄”を助けたいというのは完全にサンの願望であり、贄の王としては全く意味が無い。“贄”の命運などどう転ぼうと主には無関係なのだ。


 それよりは“サンが西都にいる”情報を秘匿したままの方がよっぽど賢い。


 ターレルはカンレンギ海峡の往来を自由にさせない。それは宗教間の軋轢だとか色々な理由があるのだが、ともかく許可を先に得る必要がある。となれば、許可を出す役人をこっそり買収して……とか、サンが情報を得る手段に使える。


 そこで神敵“従者”の存在が明るみに出ればどうだろう。ありとあらゆる意味で、動きづらくなるに決まっている。“従者”を発見した者に褒賞、と言われれば買収を持ちかけても報告されて終わりだ。


 普通に考えれば、サンが“贄”を助けるというのは悪手でしかない。そんな事はサンにも分かっている。それもあって、“贄捧げ”の妨害の是非という決断を先延ばしにしているのだ。


 そこまで分かっていてなお、目前に迫る西都の“贄捧げ”をなあなあには出来ない。


 愚かだと思う。せめて助けるなら助けるで事前に決めてしまえばまだマシなものを、決断すらその瞬間まで先延ばしにしようとしているのだから。


 だが、だが――。


 この決断の先に、サンの魂がどうあるべきか、その答えがある。






 “贄”を許容するのか、しないのか。


 ただ神を憎むだけの反逆者なのか。否定のための否定なのか。


 全てを救おうとする愚かしい高潔さなのか。希望のための希望なのか。






 ここにいるのは、“__”なのか、“サンタンカ”なのか。


 少女の迷える魂に標を示してくれることを、ひたすらに願っているのだ。












主よ我に書き溜めを与えたまえ

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