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贄の王座と侍るもの  作者: 伊空 路地
第五章 心無きモノたち
130/292

130 灰の子


 サンの迷いなど斟酌される事無しに、西都における“贄捧げ”の準備は着々と進められていた。


 “贄の王の呪い”の進行は概ね一定の法則に従う。多少の揺らぎはあれども、都にとって最適な“贄捧げ”の時期などとっくに判明しているのだ。


 まして西都は教会の総本山。最重要の神事と言える“贄捧げ”の準備は、太古より積み上げられてきた経験則に基づいて、いっそ淡々とした有様で進む。






 何年も前から“贄捧げ”が予定されているのなら、“贄”についても最適な人選が行える。


 いや、人選というべきでは無い。


 何故なら、その子供は“贄”とされるが為に産み落とされ、“贄”とされるが為に育てられてきた。産まれながら、いいや、産まれる前から“贄”として選ばれていた。






 余計な知識は与えない。“贄”に思考は必要ない。


 余計な感情は育てない。“贄”に思想は必要ない。


 余計な欲求は削ぎ落す。“贄”に未来は必要ない。


 余計な記憶は抉り落す。“贄”に過去は必要ない。


 余計な光は必要ない。血肉があればそれで充分。


 余計な闇は必要ない。魂があればそれで充分。






 その子供を表現するのはとても難しい。


 名前は無い。その概念は必要なかった。


 性別は無い。その区別は必要なかった。


 年齢は無い。その数字は必要なかった。


 家族は無い。その存在は必要なかった。


 一応、“贄捧げ”の際に衆目に晒されるので、見苦しく無い姿形はしている。長くも短くも無い髪は灰色。瞳の色も灰色で、肌の色は青白い。背格好は十にならないくらい。真っ白な上下の服を着ていて、“贄捧げ”当日は黒い衣装を宛がわれる。金糸で天秤を表す装飾が縫い込まれており、神事の主役としては過不足無い。


 情緒が育たないよう徹底されているので表情は無い。だがこれは問題無い。人々と信仰のため“贄”となる子供が、にこにこ笑顔を浮かべていたり、眉間にしわ寄せて仏頂面をしていたりというのは相応しくないからだ。理想を言えば穏やかに微笑みを浮かべていると好ましいのだが、そこまで求めるのは難しい。正確には、効率的でないのでそういう育成はされていない。






 その子供は専用に設けられた二つの部屋から出た事は無いので、世界とはその部屋内だけを指す。


 決まった時間になると、専用の天窓が開いて明かりが差し込む。子供は目覚めてベッドから出る。


 決まった時間になると、専用の扉から食事が差し込まれる。内容は常に同じ。パンと肉のスープ、少しの果物。食べ物は偏ると余計な病を呼び込む。


 決まった時間になると、専用の窓が開いて祈りを読み上げる声が聞こえてくる。内容は常に同じ。聴覚に最適かつ最低限の刺激を与えるためだ。


 決まった時間になると、専用の扉から湯と布、服が差し込まれる。内容は常に同じ。清潔さを保つためだ。


 決まった時間になると、二つの部屋を繋ぐ扉に鍵がかかる。子供が居ない方の部屋が清掃される。生物が居る以上、どうしても排せつなど汚れが出る。掃除は必要だ。


 決まった時間になると、専用の天窓が閉まって部屋が暗くなる。子供はベッドに入り眠りにつく。


 それ以外の時間は自由。この時間用に書物が本棚に並んでいる。ただし、余計な知識が入らないよう極めて厳重に精査された無害な文が並んでいる。


 これら以外の存在を知ることは無い。生命、非生命に関わらず。






 その子供は物心つく前から、ずっとこれらを繰り返してきた。最初こそ教育が必要だが、それもすぐに終わる。


 必要な事を、必要な分だけ、必要な形で。必要の外は、“存在しない”。


 教会が西都の”贄”として母体から選んで用意した最適の子供である。過去に積み上げられてきた例に同じく、何事も無くその使命を果たすであろう。






 その子供が“贄”となり主の傍に侍るまで、あと三日。
















 西都に“贄捧げ”の時が近づいている事はサンにも分かっていた。


それは都に漂う空気であり、通り過ぎる人々の顔であり、酒場から漏れ聞こえてくる声であった。――期待、である。


 祭りの前の浮つき、今に訪れる解放を待ちきれない焦がれ。“その時”を今か今かと指折り数える子供たち。それを微笑ましく見守る大人の顔にすら、楽しみの待ち遠しさが隠せていない。


 終わりが約束されている苦痛は、時として希望となり喜びとなる。解放というこの上ない歓喜は、それ自体が訪れるよりも先に、人々へ喜びをもたらし始めるのだ。


 ――もう少しだけ我慢、我慢だ。


 ――あとちょっと、あとちょっと。


 ――早くこい、早くこい。


 ――ああ、楽しみだ。


 そんな声が、サンには聞こえる気がしていた。曲がり角の向こう側が、通りを見下ろす二階の窓が、靴音を立てる石畳が、そんな囁き声を必死に堪えているようだった。


 西都の中で、“その時”への期待を抱いていない存在など、どこを見渡しても居なかった。


 サンはまさしく異邦人であった。






 西都に辿り着いて以来、サンは西都の情報を集めようと躍起になっていたが、あまり芳しくは無かった。何せこの都では言葉が分からないのだ。他人と会話は成立しない。文字は読めない。頼りに出来るのは絵看板くらい。この有様では、それこそ観光くらいしか出来ない。


 ガリアを旅している間に、ターレルの言葉の勉強を始めておくべきだったとサンは後悔したが、今更遅い話だった。


 “贄捧げ”がシシリーア城の広場で行われるらしい事は判明した。が、これは考えるまでもない事だ。この西都で、聖地シシリーア以上に相応しい場所などあろうはずも無いし、土地の広さから言っても妥当である。当日は衆人環視の下で行われる。観客は多く入れた方が良い。


 具体的な日付も分からない。時間帯も分からない。誰が執り行い、どのように進行するのかも分からない。”贄“になるのがどこの誰かも分からない。


 加えて言えば、サンの本来の目的は”贄捧げ“とは関係が無い。本当なら、そんな些事にかまけている場合では無かった。一刻も早く”神託者“の捕捉の手段を用意し、その構築を急がねばならなかった。


 だが、どうしても、サンの意識はこれから数日のうちに行われる筈の“贄捧げ”に向いてしまう。


 ……正確には、”贄“とされる誰かに。


 殺されるのは、誰だろう。若い人か、むしろ子供だろうか。今どんな心持なのだろう。家族や友人はいるのだろうか。そもそも”贄“とされる事は知っているのだろうか。その意味を知っているのだろうか。どうして選ばれてしまったのだろう。それとも、自分から名乗り出たのか。だとしたら、凄いことだ。だが、そうでないとしたら……。等々と。


 かぶりを振って、考えを追い払おうとする。違う、自分のやらねばならない事は別にある、と。でも結局ふとした拍子にその“誰か”のことを考えてしまっていて、あぁまた、と意識を戻す。……そんなことを、もう何度繰り返しているのかサンにもよくわからなくなっていた。


 サンの手には、何もない。何も手に入らないまま、いたずらに時間だけが過ぎていく――。






 “贄捧げ”まで、あと二日。
















 その子供は昨日と同じように目覚めた。


 何の感慨を抱くことも無い。どれほど古い記憶を辿ろうと変わったことは無い。


 朝食が与えられる。内容は同じ。変わることは無く、これからも無い。


 朝食を食べる。味は同じ。美味しさという感覚はもう覚えていない。


 これから暫くは何も無い。自由時間だ。


 いつもと同じように本を開く。内容はもう暗記した。どこまで読んでいたか忘れたので、一番最初から読む。


 『はじめに混沌があった。

神は『光あれ。』と言われた。すると光があった。光の反対には闇があった。

神は『光と闇のあいだのところに、天と地があれ。』と言われた。すると、そのようになった。

天と地はちょうどつりあっていて、同じくらいであった。

先に光のほうが天と地を満たした。神はこれを昼と名づけられた。次に闇のほうが天と地を満たした。神はこれを夜と名づけられた。

夜の次には、また昼が来た。第一日である。

神はまた言われた。『昼の天には大きな光があって、夜の天には小さな光があれ。』と。昼の天には大きな光が輝き、太陽となった。夜の天には小さな光が輝き、月となった。

神はまた言われた。『天と地とをみずで満たし、それをわけよ。』と。そのようになった。神は天のみずを空と名づけ、地のみずを海と名づけられた。

また夜が来て、昼が来た。第二日である。

神はまた言われた。『海は大きいので、はんぶんになれ。』と。そのようになった。海がなくなったほうはかわいた陸になった。



神は第九日にとうとう、天と地と万象を完成させた。

神はつくられた全てを見ると『良し。』と言われた。それらは、たいそう良かった。すると、良しの反対に悪しがあった。

良しと悪しはちょうどつりあっていて、同じくらいであった。

神は土と水で人の肉をつくられた。風で命を吹き込むと、人は生きたものになった。


…』






 昼食の時間になったので、昼食が与えられる。内容は朝と同じ。


 子供は本を読むのをやめて昼食を食べる。味は朝と同じ。


 それから本を読んだり、湯で身体を拭って服を替えたりして過ごした。明かりが消える時間になったので、ベッドに入る。時計などはなかったが、何年も繰り返している間に体が覚えたのだ。


まもなく明かりが消えて、子供の世界は暗闇に包まれる。それほどの時間も経たないうちに子供は眠りについていた。


 いつも通りの一日。“一日”という概念は先ほどの本から勝手に学んだ。


 実にいつも通りの一日だった。物心ついて以来ずっと繰り返してきて、そして今日も何の変わりも無かった。


 これからも無い。何故なら、その子供の全ては完結しているから。ここに新しい何かが増える事は無く、何かが無くなる事も無い。


 その子供に未来は存在しない。必要ないから。






 だからその子供はもうすぐこの世界が終わることなど知らない。それは未来の話だから。未来の存在しないその子供に世界の終わりは訪れない。






 だからその子供に未来が生まれた時、その子供の世界は終わる。






 未来が生まれるまで、あと一日。







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