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贄の王座と侍るもの  作者: 伊空 路地
第五章 心無きモノたち
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129 震える右手


 ターレルの都、その西半分である西都。足を踏み入れたサンが真っ先に抱いた感想は“雑多”だった。


 まず色が多い。それから姿形も様々。人々の着る服、家々の戸や屋根、行きかう馬車、通りに張り出す看板たち。そういった目に入る種々の物が実に多様な色で飾られているのだ。緑、白、赤、黄、青……と。当然の如く形式も多様だ。古風なもの、先進的なもの、西方的なもの、東方的なもの、豪華なもの、質素なもの……。




大抵は普通の民が暮らす家々など大差ない外見になる。似たような形状と似たような配色を持つ家が立ち並ぶ事になるのが人の都では自然だ。独自のシルエットや凝った装飾などは王侯貴族か宗教くらいしかこだわらない。


 ところが、西都では普通の家々がやたらと個性的なのだ。


一番多いのはターレル土着らしき、砂色の石を積み上げ彩色を施したもの。これが真新しいものから大分風化しているものまである。


 次に多いのはラツアやファーテルで良く見られるような石と木の組み合わせ。石が砂色なのは土地柄であろう。これがまた、最新の高い様式から古くて低い様式のものまである。


 更に合間に見られるのは、ガリアの家々と良く似ているものに全く見たことの無い木だけのもの。


 これらの様々な建造物たちがまたも様々なやりかたで彩られている。鮮やかな布を垂らしたり、吊り下げたり。石に塗料を被せたり、木組みだけ塗装したり。


 彫刻が施されているものも見られる。教会のお膝元らしく宗教色を感じさせるものばかりだが、これらも着色を施されていたり、いなかったり。


 凄いものになると上から下までびっしりと模様が刻まれ、さらにびっしりと何十もの色が塗られていたりする。最早一軒だけで観光名所になりそうだ、とサンは通り過ぎながら唖然とした気分を味わった。






 ”サン“――になる前の少女――がファーテルの貴族屋敷で書物を片っ端から読み漁っていた頃、西都の歴史が記されているものを見つけた事がある。ファーテルからすれば遠い地であるが、自分たちの信じる宗教の総本山にして聖地である。貴族たちには教養だったのだろう。その書物には実に”教会らしい“言い回しで歴史が記されていたが、異教徒たちは常に野蛮で非文明的であるとばかり強調されていた。サン自身も知らず、異教にそういう印象を抱いていた事は否めない。


 ところが、この街並みはどうであろう。


 シシリーア城に代表されるファーテルやラツア、エルメア式の建築――この辺りでは西方式というらしい――や彫刻の類は、間違いなく西方の文化が持ち込まれたものであろう。


 だが、あの見たことも無い家々が並んでいるのはどうだ。触れたことも無い豊かな彩色はどうだ。皆似たようにめかし込んで歩くファーテルに対し、この人々の統一されない恰好はどうだろう。それらは間違いなく、“野蛮”で“非文明的”な異教の文化で生まれ持ち込まれたものだ。


 そして西方式と東方式を混ぜこぜにしているこの都の“雑多”さ。


 決して、劣ってなどいない。確かに西方や教会で理想とされる姿では無いかもしれないが、“違う”だけで“劣る”訳では決して無い。




 サンは己を恥じ入っていた。意識的に異教の文化――つまり、東方式――を見下していた訳では無い。無いのだが、この都で未知の文化に触れた時、知らず東方を野蛮で非文明的と思っていた自分に気付いたのだ。


 サンは神が嫌いだ。教会も嫌いだ。一息に滅ぼす力があったなら間違いなくやっているくらいには嫌いだ。


 そんな自分なのに教会と同じ傲慢さを抱いていた。教会の語る思想に呑まれていた。歪んだ先入観に囚われていた。それが酷く恥ずかしくて、悔しかったのだ。






 ――だからこそ……。


 サンは空を見上げる。昼過ぎに都へ入れたお陰で、まだ日は明るい。今日は少し雲が多いが、青空は良く見えるくらい。




 しかし――。




 その青空は本来の清々しさを感じさせない。澱んで、濁っているからだ。大地を照らす陽光は弱々しく、雲の白すら陰っているからだ。




 ――私は……どうすべき……?






 ターレルの都、その西都は、“贄の王の呪い”に侵されている。











 西都で“呪い”が進行している事は分かっていた。サンは都の少し手前からわざわざ馬で歩んできたのだ。進むごとに空気が澱み水は濁ることに気付かなかった筈も無い。


 それが一日を急ぎたがった理由であり、思いとどまった理由でもある。






 人の街、それも多くの人が住まう都において、許容出来る“呪い”の度合いには限度がある。


 “呪い”が進めば病が蔓延り食物は急速に腐るようになる。更に進行すればやがてはカソマや魔境のようにまともに人の住めない土地になってしまう。とても都など維持出来ない。


 つまり“呪い”が都に致命的な影響を与え始めるより先に“呪い”を祓う――“贄捧げ”を行う必要がある。


 そして西都を包む”呪い“の度合いはまさしくあの時のファーテルと同じくらい。――エルザが”贄“にされた頃と、そっくりだ。




 一月も無い。そんなに長くは都が持たない。


 一月もしないうち、早ければそれこそ今日明日にでも“贄捧げ”が行われる。


 “贄捧げ”を嫌悪し、あるいは妨害出来る力を持つサン。防ぐならば、急がなければならなかった。






 だが、その時、同時に。思ったのだ。――防いでいいのか、と。


 以前ならばあり得ない迷いだった。以前――そう、カソマでイキシアが“贄”となるよりも前だったなら。サンは迷わず、持てる力を駆使して“贄”を救おうとしただろう。教会が何度”贄捧げ“を試みても、サンに出来る限りそれを打ち砕こうとしただろう。


 しかしサンはカソマを見た。かつては栄え、“呪い”故に荒廃した街を見た。


 それを正すべく、憎む“贄捧げ”を自らで行った“姉”を見た。


 アーマナのビウスもそうだった。経緯までは分からずとも、彼は彼自身で望んで“贄”になった。それが“神に力を取り戻す”と信じて。


 例えばイキシアは、例えばビウスは、サンが“贄”の運命から救ったとして喜んだだろうか。


 無論状況は色々だ。非情な話、元々イキシアは助からない命だった。死にゆく命の使い方としては“効率的”とすら言えるかもしれない。ビウスだって、本心は嫌だったかもしれない。助かるなら助かりたかったかもしれない。


 だが、結局。彼女らが“贄”にならなければ、彼女らが大切にしていたものは“呪い”に侵され苦しみは続いただろう。




 そんな考えが頭をよぎり、迷った。そして最後には西都へ急がないという決断をした。


 言い訳はいくらでもある。一日二日早く着いたからといって何かが変わる可能性は低い。そもそも西都は教会の本拠地。“贄捧げ”の警備警護は厳重でない筈がない。出来ることは嫌がらせ程度に過ぎないかもしれない。それにいつまで続けるのか。サンの目的は“神託者”にある。教会は“贄捧げ”を果たすまで繰り返すが、サンはいつまでも西都に張り付いてなどいられない。


 だが、だが結局の所――サンはやめたのだ。


 かつてあれほど憎んだ悲劇を、二度と起こすまいと誓った犠牲を、それを防ぐ可能性があると知っていてなお、サンは西都へ急がなかった。






 サンだって分かっているのだ。たった一人の命で、何千何万の民の暮らしが守られる。実に合理的では無いか。


 誰も死ななくていいならそれが一番いい。しかし、一人と何万を比べたなら、“天秤”に乗せたなら、傾く方は常に一方だ。


 その一人が、どれほど誰かに愛されていようと。その一人が、どれほど生を渇望していようと。




 分かっている。


あの日エルザを救えたなら、何でもやった。今からでも何か出来るなら、何でもやる。でもそれは、“エルザ”だから。


 誰か他の知らない人間だったなら、サンは命など懸けられない。




 分かっている。


 自分が憎んでいるのは、“贄捧げ”という仕組みそのものじゃない。


 偶々殺されたのがエルザだったから。エルザが殺されたのに、他の人間たちが馬鹿みたいに喜んで笑っていたから。誰もエルザの死を悲しんだり苦しんだりなんてしなかったから。――自分ですら、“__”ですら、何もしなかったから。


 そういう全部が恨めしくて、憎らしくて、やり場のない感情を爆発させていただけ。




 分かっている。




 分かって、いる――。






 自分は、“__”は、“サンタンカ”は、どうすればいいのか分からなくなった。“贄捧げ”は嫌いだ。無くせる物なら無くしたい。止められるなら止めてしまいたい。


 でも、それで苦しむ人々がいて、その為に自ら死を選んだ人がいて、そのせいで嘆いた“僅かな”人が、自分がいて……。




 ――いい気味じゃないか。誰かを犠牲にするんじゃなくて、皆一緒に同じく苦しむ。実に平等。教会の好きな博愛である。みんなみんな、地獄へ落ちてしまえばいい。


 ――悲しいけれど。犠牲になった人のこと、きっと誇りに思うべきだ。守りたかった人々が笑っていられることほど、喜ばしい事は無い。苦しいのは、一人だけでいいのだから。






 “エルザ”は、“__”は、“ソトナ”は、”ビウス“は、イキシアは、”__“は、”__“は、”__“は、__は――。


――”私“は。


 ――“サンタンカ”は。




 ――どうしたいのか。


 ――どうすべきなのか。


 ――どうしたらいいのか。




 ――分からなくなった。






 ――分からなく、なってしまった。







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