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贄の王座と侍るもの  作者: 伊空 路地
第四章 砂漠に在りし忘られの想い
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125 想いの果て


 贄の王が扉を押していけば、石の扉は重々しい音を立てながらゆっくりと開いていく。


 扉の向こうには暗闇が満ちていた。”炎“で灯りを浮かべると、贄の王は中へ進んでいく。サンもその背後をついていく。


 そこは石で出来た狭い通路になっていた。サンが地上から見つけたのはこの部分であろう。通路の床や壁、天井には隈なく蜘蛛の巣のように黒い線が走っている。


石の通路を進み、途中曲がったり階段を下ったりしつつ、やがて最奥の部屋に辿り着く。


 そこには、薄い、本当に薄い光が差し込んでいる。天井に大きな亀裂があり、僅かな穴が地上まで続いているらしかった。


 贄の王の背後からでは部屋の様子がよく見えない。横からそっと顔を出そうとして――手で制される。


「……?」


「魔物だ。……見ろ。」


「え……。」


 贄の王の浮かべる灯りがその光を増し、部屋の全てを照らし出す。


「……っ!?」


 サンの視界に現れたのは、十数体の人間の“上半身”だった。それが、部屋の床から“生えて”いる。一様に真っ黒な肌をした彼らの姿形はまちまちだ。男がいて、女がいる。大柄なものがいて、子供くらいのものがいる。若いものがいて、老いたものがいる。


 彼らは部屋の端、左右の壁に背を向けて、祈るように両手を組んで俯いている。一体だけ、部屋の正面にある祭壇から“生えて”おり、それはサン達の方を向いて祈っている。


 「これは……。」


サンは言葉を失う。この光景に、どんな感情を覚えるべきなのか分からない。恐怖か、忌避か、驚嘆か。それとも、悲哀や同情だろうか。


 贄の王が部屋の中央、薄い光が指している場所まで進み出る。慌てて、サンもそれに追従する。


「動く様子は無いな。眠っている……いや、死んでいる?」


「これ……魔物、なのですか……?」


「あぁ。だがまるで死んでいるような……。いや、そうであれば消えているはず……。」


どういう原理なのか不明だが、魔物は死ぬと消滅する。跡形も無く、忽然と姿を消すのだ。


 状況は不明だったが、直ちに命の危険があったりはしないようだ。サンは慎重に前へ進むと、正面の祭壇に近寄る。


 そこには一体だけ他と離れたものがいる。どうしてこの一体だけが正面に居るのか気になって、調べてみようと思ったのだ。


 その一体は老いた男だった。しかしむき出しの黒い肌は筋肉質で、老いてなお壮健な戦士と言った風貌だ。この男も両手を組んで祈っており、俯いているせいで顔はよく見えない。


 近づいて分かるが、目の前の男から生命の気配は僅かほども感じない。贄の王が魔物だと言わなければ、良く出来た彫像か何かとしか思えなかっただろう。


 警戒はしているが、男の上半身が急に動き出すような感じは全くしない。サンは少し下がって後ろを振り返る。贄の王が左右にある内の一体の前でしゃがみ込み、熱心に観察しているところだ。


「主様、何かお分かりに?」


「……いや、大したことは。死んでいる訳では無いが、活動もしていない……。やはり、眠っているという表現が近そうだな。それから、この部屋と通路が形を保っているのは、この魔物のせいだな。」


「どういう事ですか?」


贄の王は床を指さす。そこには何も無い。先の通路と同じ、黒い線が蜘蛛の巣のように張り巡らされているだけだ。


「この黒い線は模様では無い。この魔物の体の一部だ。」


「えっ?じゃ、じゃあ、私たちは魔物の中に居るのですか……?」


サンは慌てて足下の黒い線を見やる。さっきから歩いていたのが魔物の体の上だったと聞いて、やけに焦る。


「この魔物は自分の体を糸状にして壁や天井に張り巡らせている。その体で部屋が崩落するのを防いでいるのだ。」


そう言われてみれば、地上のアーマナで当時の形を奇麗に残しているものなど見当たらなかった。地下にあるせいかと思っていたが、そういう訳でも無かったのだろうか。


「それじゃあ、まるで……。この魔物が、この部屋を守っているみたい……。」


「実に不可思議な魔物だ。魔物と言えば、光の生命を傷つける事くらいしかしない。それがこんな場所で、こんな形状を持っているなど……。」


 サンはもう一度振り返り、祭壇の上にある男の上半身を見つめる。当然、男に変化は全く無い。祈るようなポーズを取ったままだ。


 祈る、というのも妙だ。魔物は悪魔”贄の王“の尖兵であり神の大敵である。少なくとも、世間的にはそうされている。それが、”祈る“?


 サンは再び男の上半身に近づく。


――あなたは……一体何なの……?


――あなたはここで、何をしているの……?


 サンは、恐る恐る男の上半身に触れようと指先を持っていく。




その時――。


 男の上半身が動いた。両手を組んだまま、ゆっくりと顔を上げる。その真っ黒な両目が、サンの目を見る。


 男の顔は無表情だった。だが同時に、とても悲しそうに見えた。


 サンは男が顔を上げたことに驚くより先に、疑問を抱いた。


――この顔、どこかで……。






 「ありがと、ビウス。」




 「じゃあ、約束。」




 「あたし、絶対帰ってくるから。」




 「その代わり、ビウスはちゃんとあたしを待っててね。」




 「約束だよ。」






 ――海の向こうで何があっても。絶対、帰ってくる。




 ――そうしたら、その時は。




 ――あたしを、あなたの――。






 「……おォ……。」


十数体すべての黒い上半身たちがゆっくりと顔を上げる。


 贄の王はすかさず部屋の中央まで下がると、正面にいる筈のサンを見る。サンはまだ異常に気付いていないのか、無防備な背中を見せたままだ。


「サン!下がれ!」


 だが、サンは動かない。正面の一体に近づいたまま、動こうとしない。贄の王が無理やりサンを引き戻そうと足を動かしかけたところで、サンがゆっくりと振り返る。


 その顔を見て、贄の王は困惑する。


 サンの両眼から、静かに涙が零れ落ちたからだ。サンは、涙を拭いもしないまま口を開く。


「大丈夫です、主様……。」


「何?」


「多分、大丈夫です。何も、しません……。」


「何を……。」


 気づけば全ての上半身たちは贄の王を見つめていた。


 そして贄の王に向かい、ゆっくりと、地面に倒れ込むように、ひれ伏した。




 彼らの口が何かの言葉を紡ぐ。とても短いその言葉を、彼らはゆっくりと、噛み締めるように繰り返す。


「『王よ』……。」


サンが静かに涙を流しながら言う。ひどく戸惑っている贄の王はその声を聞いて、再びサンの方を見た。


「『王よ』、と言っています……。」


「王、だと?……待て、何故分かる。」


「私にも、よく……。」


 彼らはゆっくり、ゆっくりと同じ言葉を繰り返す。サン曰く『王よ』と。


 ふと、サンは何かに気付いて正面の祭壇前から退く。すると、贄の王と、祭壇の上にいる男の目が合う。


 その男の上半身だけはひれ伏しておらず、祈るように組んだ両手のまま贄の王を見つめている。


 そして、祭壇の男も口を開く。『王よ』と。それだけでなく、少し間を空けてから何事か続けて口にする。しかし、贄の王はその言語を知らない。ガリアの言葉とどこか似ているような、と思ったところでサンが口を開く。


「……『待っていました。我らが王よ。』」


「サン……。」


 サンはそこでようやく頬の涙を拭うと、祭壇の男に向き直る。


「あなただったのですね。私に、幻を……いいえ、夢を見せていたのは……。」


 男は答えない。無言のまま、サンの方に目を向ける。


 すると――。






 サンは夢を見ていた。


 サンの夢では無い。この魔物が見ている夢だ。




 “自分”が居るのは、現実と同じアーマナの神殿地下の部屋。そこに自分は立ち尽くしていて、入り口から入ってきた男を見る。


「貴様が、神殿守のビウスか。」


入ってきた男が口を開く。その声には誰もがはっきりと感じられる威厳があり、とてつもなく強大かつ偉大な存在であることを示していた。


 いや、その男が平凡な人間でない事は見た目からも明らかだ。年はまだそれほどでもない。自分よりもいくらか若いだろう。だが、その太陽の如き金の髪と、月の如き冠。纏う黒い衣装は見慣れないが、誰の目にも見事であると分かる。そして何より、透き通るような青の瞳。自分のような人間とは程遠い、何か理解を遥かに超えた力を宿している。


 自分はその目を見た時、そこに何かしらの神性すら感じたのだ。


「いかにも。俺がビウスだ。」


言葉少なに返答する。それは目の前の男が持つ超常性に呑まれまいとする僅かな抵抗でもあった。


 「では、ビウスよ。これより、贄の儀を執り行う。何か言葉があれば、聞こう。」


「……それで、本当にパトーソマー神は力を取り戻すのか。」


「無論。天と地の全てがその輝きを取り戻す。」


「……俺は、どうなる。」


「死ぬ。貴様の魂は相応しき冥界へ行くだろう。」


「……そうか。」


 自分にとって、死ぬことは然程怖いことでは無かった。随分長く生きた。共に育った友人達は先に逝ったし、自分の番が来たかと思うだけだ。


 だが、心残りがある。


 もう守られることは無いだろうと思っていても、馬鹿げた未練だと思っていても、それでも、あの約束は――。


「未練があるか、ビウス。」


どきりとした。自分の顔は齢と共に表情を作らなくなった。それなのに、まるで心を読まれたようではないか。


 だが目の前の男の超越した雰囲気には、それさえ不思議と納得出来てしまうような気がした。


「……ある。果たせていない、約束がある。……ここで帰りを待つと、約束した。」


「そうか。だが、お前はここで死ぬ。……しかし、お前のその想いだけは、長き時を生きるやも知れぬ。」


「……どういうことだ。」


「導かれる闇の中において、希望や夢は混じりモノであり、除かれる。力を取り戻す光の中において、絶望や未練は混じりモノであり、また除かれる。……故に死の間際、貴様が“約束が叶う夢”を心より信ずるならば、その想いは現世に取り残される。」


「……意味があるのか、それには……。」


「さて、な。……しかし取り残された想いは時として再び肉を得る。お前の死後、残った想いだけが、約束を果たす事はあるやもしれん。」


 『約束を果たす』。その言葉に、自分は思わず目を見開く。それは、若かりし頃よりの悲願だったから。


「……本当に、あり得るのか。」


「あり得る。か細い糸には違いないが。」


 ごくり、と唾を飲み込む。


「どうして、そんな事を俺に……?」


「貴様の知るべきところでは無い。……他に言葉は。」


「……。」




 すると、どこからともなく男の手に剣が現れる。藍色の柄と鞘。柄頭には見たことも無い程に美しい赤の宝石。ゆっくりと鞘から抜き放たれた刃は白く、光の少ないこの部屋にあっても輝かんばかりに見える。


 「汝、我が贄ビウス。――血肉で以て闇を導き、魂魄で以て光を呼び戻せ。」


「……。」


「贄の儀を執り行う。」


「……分かった。」




 男の口が言葉を紡ぎ始める。それは自分の知らない言葉で、何を言っているのかは分からない。だが、それが神聖さと邪悪さを秘めていることだけは分かった。


 自分はじっとその声に耳を傾けていた。


 やがて、言葉が終わる。白刃の切っ先が自分の胸に向けられ、ゆっくりと、貫いていく。


 痛みが無い事に驚いた。そして、血の代わりに光が零れ落ちていく事にも。何か、自分の魂が肉体を越えて何かに触れられ、引かれていくような感覚。


 自分は死ぬんだな、と穏やかに受け止められた。目を瞑り、瞼の裏に彼女の顔を思い描く。もう、はっきりとは思い出せないその顔を。でも、決して忘れたくないその顔を。




「――我、“王”は誓わぬ。だが、貴様の想いは、いつかどこかで果たされよう。」




 「――約束とは、互いが忘れぬ限り、久遠を越えるものなれば。」







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