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贄の王座と侍るもの  作者: 伊空 路地
第四章 砂漠に在りし忘られの想い
118/292

118 戦場を駆けて

気がついたら一月経っていた。

反省はしている。ごめんネ!


 土埃と火薬、血の匂い。


 銃声と怒号、鉄の音。


 砲撃で瓦礫となった家々、道に倒れ伏す死者たち。


 壁や地面にぶちまけられた血と肉と骨。


 そこは戦場だった。






 「はぁ、はぁ……。」


 戦場を歩くサンの足取りは急いている。一刻も早く、イキシアを見つけなければならない。


 周囲を忙しなく見回し、見覚えのある遺体を目にしては痛まし気に顔を歪めつつも足を止める事は無く、近い戦闘音を目指して歩く。


 その背後を歩く贄の王は不意に脅威が襲って来ないか警戒している。もちろん、気にしているのはサンの安全である。贄の王本人にはどのみち銃も刃物も届きはしないのだから。


 ふいに、通りすぎようとした脇道から短剣が飛び出す。それはサン目掛けて飛来し、眼前に迫る――。


「っ!」


 どこからともなく出現した”闇“が短剣を飲み込んでかき消す。贄の王による守りだ。


 短剣の飛んできた方を見れば、理想派の男が壁に押し付けられるように槍で貫かれる瞬間だった。短剣は男が投げたものらしい。


 血を吐き出す串刺しの男とサンの目が合う。男が叫ぶ。


「……地下へ……!援護を……ッ!」


 驚きの硬直から我を取り戻したサンは素早く敵を認識する。


 槍を持った神官騎士が二人。振り返る二人の鋭い視線がサンに突き刺さる。「新手だ!」という声と共に槍がサンへ向けられた。


 サンは両手を突き出し、詠唱を開始――。


「『火――。』」


――した瞬間、黒い槍が神官騎士二人を貫いて地面に突き刺さり、すぐに虚空へ消えた。


 贄の王がサンの肩に手を置きながら諭す。


「焦るな、サン。冷静を欠いては成るものも成らない。」


「……はい、主様……。」


 サンはすぐにでも走り出したい逸る気持ちを必死で抑え、無理やりに深呼吸を繰り返す。贄の王の言うことは正しい。先ほどの短剣だって、冷静に警戒をしていれば自分で防げたはずだ。贄の王に守られたからこそ無傷なものの、不注意で負傷など話にならない。サンの持つ”闇“の剣には”治癒“の魔法が付与されているが、あれはあくまで保険。重傷をたちどころに直せるようなものでも無い。頼りにし過ぎてはいけない。




 「……ありがとうございます、主様。もう、大丈夫です。」


本当は大丈夫などでは無い。逸る気持ちは殺しきれていない。だが、無理やりに自分に言い聞かせる。冷静になるとしても、時間を無駄にしてはならないのだから。


 ゆっくりと歩き始めたサンの肩から、贄の王の手が滑るように落ちる。


 贄の王はサンの危うい背中を困ったような目で見つめていた。




 槍で貫かれていた理想派の男は血に沈み、既に息絶えていた。男の死を確かめ、すぐ近くの開け放たれたドアの向こうに目をやると、その先は地下へと続く階段になっていた。状況からして、サーザールの地下アジトに続く入り口の一つだろう。サンは懐から”雷“の拳銃を取り出して油断なく構えると、警戒しつつも早足で階段を降りていく。その後ろを贄の王も追っていった。


 地下へ続く階段は最初いやに静かだったが、曲がりくねるそれを下るうちに段々と戦闘の音が聞こえるようになっていく。それはつまり、理想派はとっくに地下アジトへの侵入を許しているという事だ。


 基本的に、反政府的な戦士集団であるサーザールに非戦闘人員は居ない。だが、長らく“贄の王の呪い”に蝕まれているカソマにしがみついていた理想派には黒病に侵されている者が少なくない。更にサンの知らないことだが、特に若い者、未熟な者を集めた脱出部隊も準備されていた。アジトには理想派が守るべき存在が多すぎるのだ。カソマ全体としては理想派が優勢になりつつあるが、アジト内部では局所的な劣勢であった。


 サンと贄の王がアジト内部に到着した時点で生き残っている理想派はほんの僅かであり、アジトの奥に入らせまいとじりじりと後退し続けるのみで、とても劣勢を覆せるような戦力は無かった。


 理想派の面々はアジトを守ろうと必死に戦う。一方、攻め立てる者たちも必死であった。贄の王が大魔法で薙ぎ払ったのはあくまで包囲していた軍勢だけ。カソマに突入してきた部隊はそのまま無事だった。半端に指揮を維持していた彼らの大半は引くこともバラバラに潰走することも出来ずに前へ進み続け、結果アジトの制圧に活路を見出そうとしていたのだ。


 「耐えろ!地上からすぐに増援が来てくれる!」


「制圧を急げ!退路は既に無いんだ!間に合わなければ死ぬだけだ!」


 互いに退路の無い背水の陣同士の戦場。そこへサンが到着する。


 状況を把握するなり、詠唱を開始。


「『打ち払え、形持たぬ鬼の手よ。――“水鬼鞭”。』」


詠唱の完成と共に右手を大きく振るう。その右手に遅れて現れた無色透明の鞭が高速で空を切り、サンにまだ気づいていない男を真横から強かに打ち抜く。大人の腕ほどもある水の鞭に打たれた男は苦悶の声と同時に地面に倒れ込む。それと相対していた理想派の戦士がすかさず首に刃を突き立てた。


「理想派に加勢します!」


サンは大声でそう宣言すると、もう一度“水鬼鞭”を詠唱。ガリア軍兵士の頭部を打ち払う。


 突入部隊の背後からサンが現れたことで突入部隊は挟み撃ちを受けた形になる。理想派が劣勢だった戦場は、急速に戦況を変えようとしていた。


 「増援が来たぞ!敵を押し返せェ!!」


理想派の男が獰猛に笑いながら味方を鼓舞する。


 ――だが、次の瞬間には戦闘は終了していた。


瞬き一つの間に、理想派を追い詰めていた突入部隊が虚空から現れた黒い槍に次々と貫かれていった。


 サンを除いた面々は何が起こったのか分からないまま、ある者は永遠に意識を失い、ある者は倒れる敵を間抜け面で見ていた。


「――主様。」


戦場の中央にはいつの間にか贄の王が立っており、纏っていた濃密な”闇“をどこへともなく収める。そして、その冷たい青の瞳で周囲を睥睨した。


 その圧倒的な存在感に押され、空気が張り詰める。理想派の戦士たちは誰もが動けず、まるで時間が凍り付いたような光景が広がる。


「――ひッ……。」


 一人が喉の奥からひきつったような声を出す。思わずといった様子で、慌てて口を閉じた。




 「大丈夫です。後はみんな仲間ですよ、主様。怖がらせないであげて下さい。」


サンがそう言うと、贄の王の存在感がふっと弱まる。贄の王がゆっくりと歩みサンの背後に回るにつれ、場の空気も急速に弛緩していき、理想派の戦士たちは忘れていた呼吸を思い出した。


 荒い呼吸を繰り返し膝や尻を地につく彼らのうち、最も近い一人にサンは近づく。膝をつく男の正面に回りその顔を覗き込む。


「大丈夫ですか?落ち着いて……。」


突如眼前に現れた少女の顔にそれはそれで驚いたようだったが、何とか「大丈夫だ」と頷いてみせる。


「助かった……。助力に感謝……する。しかし、今のは……?」


「主様にはあまり触れない方が良いと思いますよ。普通の方にはちょっと、刺激が強いので……。ところで、お聞きしたいのですが。イキシアさんがどこにいるかご存じではありませんか?」


「イキシアなら、地上のはずだ……。」


男はサンが来た方とは違う方向を指さしながら続ける。


「向こうへ真っすぐ。真っ先に……敵へ突っ込んでいった。頼む。助けてやってくれないか……。」


「無茶な……っ!ありがとう、もう行きます……!」


言うや否や、サンは指さされた方へ走り出す。警戒こそ忘れてはいないが、焦りは全く隠せていない。


 その様子を見た贄の王は“転移”でサンの前方に現れると、サンを手で制した。


「ここからは私が先行する。決して、私より前に出るな。……いいな、サン。」


「――っ!……わかり、ました。」


自分でも冷静を保てていない自覚のあったサンは大人しく従う。主の足手まといになる訳にはいかないからだ。




 駆け出した贄の王の背中をサンも追う。すぐに見えてきた曲がりくねる階段を一気に駆け上がっていく。


 耳を澄ますまでも無く、激しい戦闘音が地上から響いてくる。突如差し込んだ弱々しい陽光の逆光になって、ぼろぼろに崩れた地上への出口が見える。本来は隠されていたそれは攻囲軍の砲撃でむき出しにされていた。


 サンは贄の王の後を続いて地上へ飛び出す。そして目に飛び込んできた光景は熾烈な戦場だった。


――イキシアさん。どうか、無事で……!






 砲撃で原型の分からないくらいに崩壊した街並み。そこは200人近い戦士たちが入り乱れる乱戦の場となっていた。


 数の上ではまだ理想派の方が少ない。だが、贄の王の魔法で味方の包囲が壊滅していることを知っている敵方は士気で押され、その有利を活かせないでいた。そもそもが実現派、神官騎士団、ガリア軍の混成である攻囲軍は指揮の面で優れているとは言えない。それに低下した士気が加わり、引くことの出来ない理想派に押されてしまっているのだ。


 脱走兵が出てくるのも時間の問題で、戦いの趨勢は既に決していると言っても良かった。




 更に、そこに災厄が出現する。


 戦場の中央で突如吹き上がった黒い炎のような、風のような、影のような、忌避されるべき”闇“。それが攻囲軍を吹き飛ばしたものと同質であることに気づかない者は居なかった。


 “闇”はそのまま天高く吹き上がると、高い場所で平らに広がった。


 影に包まれた戦場では誰もが黒い空を見上げている。誰もが、そのおぞましい光景に恐怖を隠せないでいた。


 そして雨が降る。


 黒い雨の如きそれは的確に攻囲軍側の人間の頭上へ振り、その身体を貫いた。戦場の全域で次々と人が穴だらけになって倒れていく。やがて立っている人間が半分ほどになったところで“闇”は唐突に霧散して消えた。




 空の”闇“が消える頃、サンは戦場の中央に立つ贄の王のもとまで辿り着いた。周囲を見渡せば、神官騎士とガリア軍兵士が例外無く倒れている。制服を着ている彼らと違い、まちまちな恰好をしている実現派については理想派と見分けがつかなかったらしく、無事に立っている。恐怖に駆られて遠く逃げていく者もいる。


 戦場は先ほどまでの激しい戦闘音が嘘のように静まり返っている。理想派の者たちも味方の攻撃であることは理解しているだろうが、超常の力を目にしたことで動けないでいるらしい。


 だが、それも時間と共に終わり、じわじわと勝利の実感が広がっていく。


 やがて誰かが叫ぶ。


「……か、勝った!我ら理想派の勝利だ!!同胞たちよ、勝ち鬨を上げろォ!!」


その声に遅れて、最初は戸惑いを含みながら、段々と力強く、鬨の声が戦場に広がっていった。






 「イキシアさん!どこですか!イキシアさん!!」




 戦勝にただ浮かれる者。倒れた仲間の傍で祈る者。戦意喪失した敵を拘束する者。抵抗せずしゃがみ込む者。そんな者たちの間を抜けながら、サンはイキシアを捜し歩いた。


 ふと、視界の端に映った二人が目に留まる。


 二人とも顔は見えない。一人はこちらに背を向けてしゃがみ込んでいる大柄な男。もう一人はその背中の向こうで瓦礫に寄りかかり座り込んでいるようで、脚だけが見えている。


 サンが二人に走り近づけば、やがて隠れていたもう一人の姿が見えてくる。




 そして、不幸な予想というものはどうして当たるものなのだろうか。


 瓦礫に背を預けて座るその女はイキシアであった。






 イキシアの腹からはおびただしい血が流れ出ており、それは明らかに致命傷であった。


 その光景が、サンには酷く遠く見えていた。







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