116 絶えぬ思い出
「……随分べらべらと喋りよるな、オグネス。その者が信用出来るとでも?」
黙って聞くだけだったメレイオスがそう言ってオグネス翁を睨む。
「信用したいと思ったのだ。許せメレイオス。」
「気に食わん話だ。」
「すまんな……。」
仏頂面のメレイオスと苦笑を浮かべたオグネスの間には古い友同士にしか分からない意思のやりとりがあった。
「さて、他に何か聞きたい事はあるかね、客人。」
「“贄の王の呪い”、“贄捧げ”、魔物。この辺りで貴方がたの知り得る事を知りたいですね。」
「纏めさせよう。……だが魔物についてなら一つだけ、このメレイオスを除いて教えておらん話がある。幻の都アーマナ。千年以上前にあった古い都だ。今は砂漠に沈んでしまったが、かの地には魔物の謎の答えがある。我らの遠い父祖が辿り着いた答えだ。折角なので、貴女が答え合わせをしてやってくれないか。」
口ぶりから、オグネスはサンが全ての答えを既に有していると思っているらしい。特に否定する必要も見当たらなかったので、その勘違いに乗っておくことにする。
「分かりました。間違いがあれば、添削しておきましょう。」
「はっはっは……。お願いしよう。お手柔らかにな。」
その後、聞きたい話のおおよそを聞き終えたサンはオグネス翁とメレイオスの前を辞し、部屋を出た。部屋の前では、イキシアが反対の壁に寄りかかって座りながら眠っていた。
「イキシアさん、起きて下さい。イキシアさん。」
「……んぉっ……。あぁ、終わったのか。どうだった。」
「とても有意義な話が聞けましたよ。イキシアさんはいつかのように盗み聞きをしなかったのですか?」
「メレイオスのクソ爺が居たからな。盗み聞きしようにもバレてしまうので諦めた。……後でこっそり教えてくれ。」
イキシアはいつも通りの様子でそう言ってきたが、サンの脳裏にはオグネス翁の語った真実がよぎっていた。イキシアはサーザールの一員であることに強い誇りを抱いている。その全てが嘘だと知ったらどう思うだろうか。
「……えぇ、考えておきます。」
それは酷く残酷な気がして、サンは言葉を濁しておいた。オグネス翁は死の前に明かすつもりのようだし、遠からず知ることになるのだろう。せめてその時まで、その誇りを汚したくないと思った。
翌日、サーザールの拠点を訪れたサンはその異様な雰囲気に気圧される事になる。
狭い拠点の通路を人々がごった返し、思うように前に進むことすら難しい。それでも何とかかき分けつつ、人々が一様に向かう先へ進んで行けば、そこは昨日に訪れたばかりのオグネス翁の部屋だった。
扉は閉め切られてその前にはイキシアが仁王立ちしており、集う人々は誰も入れないでいる。
「イキシアさん!これは何事ですか?」
何とかイキシアのもとまで辿り着きそう言えば、イキシアは無言のままサンを連れて部屋の中に入る。
そこに広がっていた光景は、昨日入った時とよく似ている。
ベッドに横になるオグネス翁と、傍の椅子に腰かけるメレイオス。
イキシアとサンが近づけば、疲れ果てた様子のメレイオスがゆっくりと振り返る。
「メレイオス。サンが来た。」
「……ふん。随分とゆっくりした到着だな。」
その声にはいつも通りの不遜さの中に隠せない疲労が滲んでいる。
サンはベッドに眠るオグネス翁を見つめる。その顔はとても穏やかで、優しい眠りに包まれている事が分かる。
だが――。
「メレイオス。まさか……。」
「……。」
メレイオスは無言のまま椅子から立ち上がると、オグネス翁の隣を空ける。
余裕を無くした早足でイキシアがベッドに近づく。その背後から、サンがゆっくりと近づく。
「馬鹿な……。翁……?」
呆然としたイキシアの声が酷く遠い。その隣まで来たサンはオグネス翁の穏やかな顔を見下ろす。
サンにもすぐに分かった。彼は――。
「あぁ。オグネスは……逝った。」
オグネス翁は確かに帰らぬ人になっていた。
穏やかな顔はとても生者のものでは無く、現世の苦しみから解き放たれた安らぎに染まっている。
「翁……。まだ、あまりに早いのに……。」
イキシアの悔やむ声。
「昨日はまだあんなに元気そうでしたのに……。」
サンは昨日懺悔を聞いたばかりの相手がもう現世の人では無い事が酷く意外な気がして、戸惑いのままに呟いた。
「手は尽くした。だが、元々オグネスはいつ逝ってもおかしくは無かった。驚くほどの事ではあるまい。」
「メレイオス!その言い様はあんまりではないか。友では無かったのか。」
「愚か者が。動揺しおって。……悲しむような齢では無い。遠からず会うことになるだろうしな。」
「しかし……!」
「イキシアさん。そのくらいに。一度落ち着きましょう。」
「ぐ……。いや、悪かった……。つい……。」
「頭が冷えたなら外の連中に伝えてこい。中にはまだ入れるなよ。」
「……分かった……。」
イキシアは覇気の抜けた足取りで部屋を出ると、静かにドアを閉めた。
「……メレイオスさんが治療を?」
「治療と言うほどのものではない。症状を抑えて延命していただけだ。」
「……そうですか。」
「何か、言いたげだな?小娘。」
メレイオスが振り返り、その鋭い眼光でサンを睨む。
やや気圧されつつも、負けじと睨み返す。
「いいえ。薬は毒にもなると思ったまでです。」
「ほう。確かにその通りだ。人を癒す薬は人を壊す毒にもなるとも。自慢ではないがその方面には明るいつもりでな?」
「残念ながら私にその手の知識はありませんね。ですから、ただの直感です。お気に障ったなら謝りましょう。」
「なに、その必要は無い。……ところで、オグネスが逝った今、何が起こると思う。」
「……今……?」
メレイオスは意地悪く顔を歪めるとくつくつと笑う。
「感が鈍いな、小娘。オグネスが居たから理想派と実現派は何とか均衡していたというのに。
……全く勝手な男よ。一人で勝手に終わらせようなどとしおって。まだ、終わらん。オグネスが逝っても、この俺の報復はまだ終わらん。イベリスを奪ったガリアなど守る価値無し。悪いが、少し早めに眠ってもらっただけよ。」
……ぱたん。閉まるドアと、呆然と立つイキシア。
「何を……言ってる。メレイオス、師匠……。翁は……。」
「聞いていたか、イキシア。まぁそういう事だ。何、あいつも恨み言なぞ言わなかったぞ。最期の言葉は“悪かった”だ。」
「は……。ぁ……?」
「まさかと、思いましたが……。メレイオスさん、あなたが……!」
「こんなところに居ていいのか、小娘ども。戦争が始まるぞ。……そら、来た。」
ばたん!と勢いよくドアが開け放たれる。姿を現したサーザールの戦士の一人が、慌てた口調で叫ぶ。
「メレイオスさん!イキシアさん!敵襲だ!」
ずずん、と地響きが足元を揺らす。
「て、敵は大砲も鉄砲もたくさん持ってる!迎撃の指揮を!」
メレイオスが言葉鋭く指示を飛ばす。
「慌てるな愚か者。……全ての者は各隊長の指示に従え。各隊長には敵の数、方向、目的などを調べ俺に報告するよう伝えろ。砲撃から身を守ることを最優先にしつつ、敵の先鋒による攻撃に備えよ。行け!」
サーザールの戦士は復唱すると走り去っていく。後には、メレイオスを睨むサンとイキシア、余裕の表情でそれを受け流すメレイオスが残される。
「ほれ、お前たちも行くがいい。俺はお前たちと同じ速度では走れんのでな。準備してからゆっくり向かうとも。」
「くっ……!メレイオス、貴様……!」
「……行きましょう、イキシアさん。糾弾は後でも出来ます……。」
イキシアは暫し逡巡している様子だったが、やがて頷いた。
「……分かった……。」
今ここでメレイオスまで失う訳にはいかない。オグネス翁を暗殺した下手人とて、サーザールにこれ以上の混乱をもたらす訳にはいかないからだ。それに、迎撃の指揮はまともに執るつもりもあるようだ。
イキシアは最後にもう一つ強くメレイオスを睨みつけると、開いたままのドアから走り去る。サンもその後を追い、部屋の中にはメレイオスと眠るオグネス翁だけが残される。
敵襲の騒がしさもこの部屋からは遠く、不思議な静けさが支配している。
「全く。お前は昔からそうだったな。何をするにも勝手で、周りの意見など聞きもしない。走る時も止まる時も周りは振り回されるばかりだ。」
メレイオスは静かにオグネス翁を見下ろして、返事の帰らない会話を楽しむ。今この部屋から出ていけば、二度とこの機会は訪れないだろうから。
「嫌われ役なら俺がいるだろうが。お前は皆の英雄だろう。裏切ってやるなど残酷にすぎるぞ。」
イキシアなどが聞けば驚いて腰を抜かすほどに、その声音は優しい。
「……まぁ、あの世では今度こそイベリスと仲良くやるがいい。邪魔にならぬ頃を見計らって俺もそっちに行くとも。」
メレイオスはオグネス翁の眠るベッドに背を向けると、ゆっくりとした足取りで部屋を出ていく。最後にドアノブに手をかけながら眠るオグネス翁を見やる。
「……また会おう。友よ。」
ゆっくりと、静かに、ドアが閉まった。




