112 仲直り
仮面の向こうからイキシアの目がサンの目を見つめる。仮面に隠されて見えなくてもそれがサンには分かった。
だから、サンもゆっくりと話し始める。
「……“贄の王座”と呼ばれるものがあります。闇が椅子を模ったような、黒い王座です。
それがいつの事かは分かりません。理由も分かりません。
ただ、この王座は一人の人間を選び出します。選ばれた人間は名を奪われ、人であることを失い、力を与えられます。
この人間だった存在こそ、”贄の王“。
歳は取らず、食事も不要、疲労や病も無く、”闇“を操り超常の力を振るう存在です。
そして“贄の王座”はもう一つ、大地を呪うという行いをします。
”贄の王座“に”贄“を捧げることで呪われた大地は祓われます。これこそが”贄捧げ“。
つまり、”贄の王“が”呪い“をかけているという前提からして間違っています。”呪い“は”贄の王座“によるもの。”贄の王“とは”王座“に選ばれただけの人間に過ぎません。」
一度言葉を切ってイキシアとメレイオスの両者を見る。だが、大きな反応は無い。サンは再び口を開く。
「今代の“贄の王”は我が主――イキシアさんはご存じですね。主様は大地に呪いなどかけていない。“贄”を必要ともしていない。主様は、研究や学問の好きな、ただの――”人間“です。
イキシアさん。私たちが敵かどうかですが、もうお分かりでしょう。
主様も私も、あなた方の敵ではありません。“呪い”の正体や”贄捧げ“の回避法を探るという意味においては協力すら出来るでしょう。主様とあなた方の利害は、一致し得ます。」
ふぅーーっ……。と、イキシアが長い息を吐く。
「そうか……。」
一言だけ呟いた後、イキシアは言葉を続けなかった。
メレイオスがその鋭い眼光をイキシアに向ける。
「待て。……信じるつもりか、イキシア?こんなバカげた話を?」
「メレイオス。あんたにも分かっただろう。嘘は無かった。」
「……真実とでも思い込んでいるだけかもしれんぞ。」
「苦しいぞ。信じたらどうだ。」
「……”贄の王座“?なんだそれは。”贄の王“は”呪い“と無関係?実に、バカげている。」
メレイオスは苦々し気に口元を歪める。
「信じるも信じないもあなた方の自由です。私は私の知る事実を語るまでですので。」
「ならば、お前が“贄の王”の関係者だと証明して見せろ。ただの狂人では無いと。」
意地悪気なメレイオスの言葉にしかしサンは慌てない。右手を胸の前に持ち上げると、権能を用いて”闇“を纏わせる。
それはゆらゆらと揺らめく、煙のような、炎のような、影のような、光のような、風のような、それでいて見る者全てに本能的な恐怖を呼び起こすような、そんなおぞましい何かだ。
「な、なんだ。それは……?」
メレイオスが動揺した声を上げる。
「これは”闇“。”贄の王の眷属“として、主様から頂いた力です。」
「“闇”……?」
「森羅万象に満ちる裏の面にして、この世ならざる影。“光”の対極であり、相反する存在であり、また表裏一体の力。“贄の王”はこの超常を操ることで現世の法則を外れた事象を引き起こす事が出来ます。
――その内の一つが、これ。『転移』。」
サンはその場で”転移“を使う。メレイオスの正面から、その背後へと。
メレイオスが勢いよく振り返る。そこには、片手を拳銃の形にしてメレイオスの眼前に向けているサン。
「ばん。
――と、まぁこんな感じでしょうか。分かって頂けましたか?」
メレイオスは目を見開いて硬直している。イキシアの方を見れば、これ見よがしに溜息を吐いて見せた。
「試すどころか、試されているではないか、メレイオス。」
「……やかましい。」
メレイオスは苦々し気な顔をしながら、苦し紛れに反論を口にしようとした。
「いや、しかし――。」
そこへ声がかかる。サンでも、イキシアでも、もちろんメレイオスでもない。全く別の、老いた男の声だ。
「その辺りでよい。メレイオス……。」
それはベッドに寝ていたもう一人の男だ。いつの間にか両目は開いており、横目でサンを見ている。
「歓迎しよう客人。儂はオグネス……。サーザールのまとめ役をしておる。今はこの通り病の身ゆえ……横になったままで失礼する。」
オグネスの声は老いと病に枯れたようだったが、不思議と聞かせる声をしていた。実に自然に威厳を纏っており、長く人の上に立ってきた男であることを窺わせた。
「ありがとうございます。私はサン。“贄の王”の従者をしています。」
「うむ……。随分生きたと思っていたが、これほど数奇な出会いは初めてよ。我らの怨敵と思っていた相手に仕える者か。良き出会いであればいいが……。」
「起きていたのか翁。死んでいるかと思ったぞ。」
「ふふ……。相変わらずよな、イキシア。……よく、ここまで連れて来てくれた。」
「……私の為でもある。」
「それでよいとも……。
さて、客人。もう一度教えて欲しい。」
「何でしょう。」
「我々は長く“贄の王”について調査をしてきた。実在すら曖昧なそれを、怨敵としてきた。それは、誤りであったのだな?」
「はい。あなた方が憎むのであれば、主様でなく“贄の王座”でしょう。あれこそ、諸悪の根源ですので。」
「待てオグネス。信じるのか。こんな話を?」
「お前も見ただろうメレイオス。客人は確かに一度“消えて”から現れた。魔法では無かった。あれは我々の理解を越えた術だ。」
「……そうかもしれんが……。」
「それにな。こんな嘘をつく必要があるとは思えんよ。儂は信じる。
いいか、イキシア、メレイオス。客人を丁重に扱え。害する事は禁じる。」
その後、オグネス翁の命令によりサーザール内でのサンの扱いは客人となった。横のメレイオスは終始苦々し気であったが、オグネス翁に逆らう気は無いようだった。
オグネス翁が休息を願い出た為にサンとイキシアは部屋を出て、机とベッドしかない部屋の中に二人で居た。
目線は合わない。ベッドに腰掛けるサンに対し、イキシアは壁に背を預けて立ったまま。
気まずさに耐えかねて、サンはおずおずと口を開く。
「……あの、イキシアさん。」
「……なんだ。」
「……いえ、その……。」
続く言葉に詰まる。何と続けていいか分からなかったからだ。
また、微妙な沈黙が降りる。お互いがお互いを確かに意識しているのに、何と口を開けばいいのか分からない。
そんな空気を変えたくて口を開こうとするが、思うように言葉が出てこないまま、また閉じる。そんな事を何度繰り返した後か、とうとうイキシアの方から口を開いた。
「……サン。」
「な、なんでしょう。」
「私は、お前に謝らなければならない。」
「……。」
「あの時。お前に向けた刃は間違っていた。危うく、本当にお前の命を奪うところだった。」
「……それは……。」
イキシアが言うのがどれの事かは明白だ。パトソマイアにて、二人が交錯し、訣別した時のことだ。
気にしない、構わないとありきたりの返答をしようとして、やはり言葉が続かなかった。
サンは今でも覚えている。大切な友人だと思っていたイキシアに刃を向けられた時の痛みを。あの冷徹な声による苦みを。決して失いたくない物を失う悲しみを。
イキシアが悪い訳では無い、と思う。イキシアの立場、サンの正体、お互いの信条、そういったものを考えれば、あの状況は必然だった筈だ。
しかし、それでも――。
「……私は、辛かったですよ。大切な友達が居なくなってしまうんだと思って。」
「……。」
「私、友達と呼べるような人は本当に僅かしかいません。だから、本当に悲しかった……。」
「……すまなかった。」
「……本当に、すまなかった……。」
「……私を、許してくれるだろうか。」
イキシアが仮面を外す。露わになった顔は、瞳は、サンへ真っすぐ向けられている。
だから、サンも真っすぐにイキシアの瞳を見て、答えた。
「……許します。だから――。」
「――もう一度、友達になれますか……?」
イキシアは演技でなく、心底安心したような顔をすると、一つ頷いた。
「もちろんだ。私こそ、そう言いたかった。」
「ありがとう。」




