105 久しぶりの共闘
サンがフードを取って顔を晒すと、正面の彼――シックの顔が満面の笑みに変わる。
「サン!?あぁ、久しぶり……!元気にしてた?」
「えぇ、シックこそ。こんなところで出会うとは思いませんでしたよ。」
「全くだよ。すごい偶然もあったね……。なんにしても、サンに会えて嬉しいよ。相変わらず――。」
そこでシックは言葉を切ってサンの身体を足元から頭まで見る。
「うん。相変わらず元気そうだ。」
「もちろんです。シックは……少し、やつれましたか?」
「あー……。最近、食が細くて……。」
「それはいけません。こう暑いのに食事まで減らしては倒れてしまいますよ。また何か作ってあげましょうか。」
「ははは……。それならいくらでも食べられそうだね。でも、それは一旦置いておいて。」
シックが笑みを引っ込めると深刻な顔で問う。
「一体、この街に何があったんだい?」
サンはあたかも偶々この街に居合わせただけの旅人目線でタッセスメイアに起こった一連の出来事を語った。
“従者”を名乗る何者かが大関門を封鎖したせいで通れなくなったこと。
神官騎士団と“従者”が戦ったこと。
途中、先ほどの魔物が乱入し、神官騎士団は散り散りになったこと。“従者”は姿を消したこと。
以来、街は魔物によって死臭漂う街と化したこと。
全て語り終えると少しばかりの静寂が訪れる。サンもシックも、それぞれの思考に沈む。
静寂を破ったのはシックの方で、サンに質問を投げかけてきた。
「あの魔物について、分かっていることは無い?」
「見ての通りですが、空を飛びます。それから、頭らしきところについている沢山の口から毒液のようなものを吐きます。人間を見かけるとすぐさま襲い掛かりますが、何故か建物や街自体を壊そうとはしません。この建物に駆け込んだのもそういう理由です。」
「なるほど……。あの大きさの上、飛ばれたら剣では倒せないな……。」
「私の魔法ならば、翼を落とせるかもしれません。ただ、詠唱の隙をくれるとは思えず……。」
「俺が稼げればいいけれど……。空を飛ぶというのが厄介だね。」
「そうなんです。あの翼さえ、どうにか出来れば……。」
話は堂々巡りだ。翼を奪う隙を作るためには、翼が障害になる。シックが足止めしようにも飛ばれては無意味だ。
もう一人魔法使いが居れば、なんて無いものねだりをしたくなる。
だがシックに諦める様子は無い。何か手を、と考えるその必死な様子には打算ひとつ感じられない。彼が持つ天性の善性ゆえにタッセスメイアの受難を見過ごせないのだろう。
「……こういうのはどうだろう。まず、俺が魔物を引きつける。その間にサンは走って出来る限り距離を空けるんだ。魔物が俺に気を取られて気づかないくらいの距離に。そうして、魔法を準備して……。そこに俺が魔物を連れていく。」
「無茶です。どうしてそう危険な役割をしたがるのですか!」
「でも、それくらいしか無いだろう?大丈夫。上手く逃げ切ってみせるよ。」
「それが無茶だと言うのです。ただ走って逃げ切れる相手ではありません。」
「そこはほら、建物を壊そうとしないんだろ?上手く建物の陰を使って走るよ。」
「そう上手く行くとは思えません。一歩間違えて毒液を浴びればそれで終わりです。とにかく、そんな危険な役回りは任せられません。」
「うーん……。なら、どうしたものかな……。」
そこでまた、二人ともが思考に沈んで沈黙が降りる。
「……なら、いっそこのまま戦ってみようか。二人で魔物を挟み込むように位置取って戦うんだ。これだと、サンにばかり頼ってしまうことになるけれど……。」
「先の作戦よりは……。でもそれならば私たちはお互い離れない距離の方が良いかも知れません。魔法での援護もしやすいですし。」
「そっか。じゃあ、そうしよう。……準備は、大丈夫?」
「えぇ。シックこそ、疲れていませんか。」
「平気だよ。……じゃあ、行こうか。」
シックが扉の前に立つ。
そのすぐ後ろでサンが走り出す準備をする。
「じゃ、行くよ……。――今!!」
声と共に扉が開け放たれ、シックが疾走する。それを追ってサンも同じく走る。
「ギギギィイイイイイイイーーッ!!!」
上空から不愉快な声が響く。見上げれば黒い影が遠くの空からこちらに向かってくるところが見える。
走る、走る、走る。
タッセスメイアを貫く大通りの中央まで。大関門に近づけば魔物が動きづらいかもしれないとはサンの案だ。
その背後から魔物の声が近づいてくる。空を飛ぶ魔物は走る二人よりもずっと速い。追いつかれるのはそう先の話では無い。
走る、走る、走る。
少しでも、僅かでも距離を稼ぐ。
そして魔物の巨大な翼のはばたく音がすぐ背後まで迫る。
「シック!右へ!追いつかれます!」
「分かった!!」
シックの左足が強く地面を蹴り、急な曲線を描いて右へ逸れる。サンもそれに続いて走り、直後黒い巨体が背後を猛烈な速度で通り過ぎて行った。
ずぅぅううん――!
魔物が地面に墜落するように落ち、ごろごろと転がりながら停止する。それから、ゆっくりと体を起こして背後を振り返る。無数の目が、サンとシックの姿を捉える。
「ギギッ……ギィイイイイイイイーーッ!!」
躱されたことに腹でも立てているかのように魔物が叫ぶ。その巨体が反転、細い足で不器用に歩き出す。
サンが詠唱する。
「『貫き通して焼き尽くす。握るは騎士にあって騎士にあらず。形成す魔、それは形無き鋼鉄の槍、現にあらざる鋼の矢じり――。』」
魔物が急に走り出してサンを目指す。まるで何をしようとしているのか分かっているように。いや、事実分かっているのかもしれない。魔物というのは獣よりもずっと高い知性を備えているのだから。
シックがサンの前に飛び出す。剣を抜いて、魔物へ向かって走る。
「『――火よ、我は命ず!“赤の弓放たれり”!』」
炎の大矢が顕現し、魔物に向かって撃ちだされる。
魔物はそれを避けようと身体を傾ける――その瞬間をシックが逃さない。
魔物の重心が乗せられた足を剣で斬り裂く。流石に切断とまではいかないが、強引に体幹を崩された魔物の動きが止まる。
その頭部に炎の大矢が直撃。仮初の質量に押され、魔物はその場で地面を揺らしながら転倒する。
その身体へシックが剣で追撃。深々と剣が突き刺され赤い血が噴水のように噴き出す。だが、その巨体にとっては軽傷に過ぎない。
「ギィイイイッ!!」
魔物が怒りの声を上げる。ばたばたと醜くもがきながら立ち上がる。シックが飛び退り、サンは次の詠唱を始める。
「『貫き通して焼き尽くす。握るは騎士にあって騎士にあらず。形成す魔、それは形無き鋼鉄の槍、現にあらざる鋼の矢じり。火よ、我は命ず。“赤の弓放たれり”!』」
再び炎の大矢が魔物に向かって放たれる。
しかし、魔物はその醜い動作とはかけ離れた俊敏さで横に飛んでそれを回避する。更にふわりと飛び上がったその恰好から、サンに向かって恐るべき速度で滑空してくる。
「サン!」
シックが叫ぶのと、サンがすかさず“土”の魔法を準備するのがほとんど同時。
“強化”を付与してある脚力に加え、“土”の魔法で己の足の裏を思いきり叩く。タイミングを合わせて地面を蹴りだせば、サンの身体が真横に吹き飛んでいく。
そのほんの僅か横を魔物の身体が通り過ぎる。
辛うじて回避に成功し、肩からごろごろと転がって着地。
素早く立ち上がるが、脚は強烈な反動でびりびりと痛み、地面にぶつかった肩や背中はじんじんと痛む。
怪我は無いが、そう何度も使いたい技では無い。
傍まで駆け寄ってきたシックがサンの無事を確認して安心し、それから魔物の方を向いて剣を構える。
「ダメだ……!飛ばれると追い回すので精一杯だ……!」
「少し、長い詠唱ですが……。試してみます。」
そう言うと、右手に“雷”の魔力を練って集め始める。そして、詠唱を始める。
「『形持たぬ鎖よ。縛り付けて捕え、あのものを制縛せよ――。』」
魔物が駆けだす。サンとシック目掛けてばたばたと暴れるように走ってくる。
それを見たシックも魔物に向かって駆け出す。
「『――姿無き枷よ。肉の檻を走る紫電よ――。』」
両者の距離はみるみるうちに縮まり、触れそうなほどに近づいたとき、魔物は不意に足の力を抜いて地面に倒れこんで来た。その巨体でシックを押しつぶすつもりだ。
「『――我の力となれ、我の腕となれ、我の意思となれ――。』」
シックは地面を強く蹴ると、足を先に滑り込む。すれすれのところで魔物の下を潜り抜け、背後に回ると立ち上がり、近くにあった魔物の足を滅多切りに切り刻む。
「『――気高き龍よ、我にその牙を宿らせたまえ――。』」
魔物が苛立ちの叫びを上げて立ち上がろうとすると、滅多切りにされた足に力が入らなかったのか、その場でもう一度倒れ込む。
「『――天高き雷神よ、我にその指先を宿らせたまえ――。』」
再びシックが同じ足に斬撃を叩き込む。すると、魔物は立ち上がらずにその場で転がるようにシックを潰しに来る。
「『――類まれなる雷精よ、我にその吐息を宿らせたまえ――。』」
飛び退いて走り、魔物の攻撃を避ける。そのまま魔物の背後をぐるりと回って逆の足下へ。
「『――輝かしき星よ、我にその煌めきを宿らせたまえ――。』」
だが魔物はシックの動きを呼んでいて、その不格好な翼を広げて思いきり地面へ叩きつけるように動かした。暴風がシックの身体を弾き飛ばし、僅かだけ浮かび上がった魔物は翼を動かしながら地面を足で掻くように勢いをつける
「『――偉大なるもの達の力借りて、我はうたを奏でみせる――。』」
急加速した魔物は勢いままにサンへ向かう。黒い巨体がサンへ迫る。
だが、ギリギリで詠唱が間に合う。そうサンが判断しようとした瞬間、魔物の頭部についた無数の口がばかりと一斉に開く。
「『――聞きたまえ、我の調べを』――ッ!」
慌てて詠唱を中断。反転して全力で魔物から距離を取る。次の瞬間、魔物の口から吐き出された黒い液体がサンの居た周辺にべちゃべちゃと降り注ぐ。
強烈な腐臭を放つその液体の正体は定かでは無いが、浴びた人間が倒れ伏して動かなくなるところをサンは何度か見ている。
魔物の進行方向から脱し、一度止まって振り向く。魔物は地面を滑るように足を止めたところだった。その無数の目は、しっかりとサンを捉えていて、次の動向を逃すまいと瞬きすらしない。
サンはやや上がってきた息を落ちつけながら、魔物を強く睨み返した。




