101 風が歩く街
タッセスメイア。
ガリア五大都市の一つに数えられ、風の古神タセースを都市神とする街である。
“関の街”とも呼ばれるこの街で、最も注目すべきは何よりもその立地である。
砂漠の大地ガリアでは中央ガリアと東ガリアをはっきりと分ける巨大な山脈が横たわっている。ただでさえ過酷な砂漠の土地にあって、切り立った山脈を越えるなど慣れた旅人でも自殺行為である。そのため、ガリア東西の交通はこの山脈によって大きく阻害されている。
しかし、この山脈にはとある一か所だけ、とてつもなく巨大な“穴”が開いている。
まるで巨大なナイフで切り分けられたように、ばっくりと深い谷が山脈を貫通しているのだ。
しかも何の奇跡か、この谷の底は麓の高さにぴったりと合い、山脈を抜ける道となっている。
古来、自然の奇跡の賜物たるこの谷は風と死の古神タセースの通り道とされた。山脈に遮られる風が、唯一通り抜けられる”風穴“であるからだろう。
いつしか人々はこの谷を旅の休息地として集い、それはやがて一つの巨大な街となった。
谷の側面に家を建て、谷の底には神殿を作り、山脈の上から流れ落ちてくるか細い滝を恵みとして人々は暮らしてきた。
谷のちょうど中央には巨大な関が作られた。谷の底をまるごと塞ぐ壮大な関である。
大関門と呼ばれるこの関には三つの門がついており、中央の最も巨大な門は普段開かれることが無い。それは風の古神タセースのための門であり、人が通るものではないからだ。
かつて古神信仰が栄えていた頃からの伝統として、一年に一度だけ祝祭の日に開かれる大関門はタッセスメイアのまさに象徴と呼ぶにふさわしいだろう。
そして今も、人々はタッセスメイアの大関門を潜り抜け、東西のガリアを旅するのだ。
見上げる。
それは巨大な扉である。あまりに大きく、まだ距離があると言うのに見上げる首が痛くなるほどだ。
これがタッセスメイアの大関門か、と一時完全に観光気分になり、ぼんやりと感嘆するサン。この威厳ある姿は確かに見ごたえがある。一年に一度とは言えこの巨大な扉は飾りで無く開くと言うのだからまた驚く。一体どうやってこんな巨大な扉を動かすのか想像もつかなかった。
ちなみに、時折同じように大関門を見上げている人が居るが、みな旅人や外国人である。それはそうだろう。誰であれ、初めてこの威容を目にした者なら同じような反応を示すと言うものだ。実際、大関門を見上げる旅人というのはある種の名物でもある。
はっと我に返り、首を振ってぱちぱちとまばたき。
サンがここに来たのは観光の為では無い。“神託者”がここへ来た時の準備として、地理を把握しに来たのだ。
と言っても、街の構造は至極単純である。
一直線に走る谷の底と側面がそのまま街になっており、その中央部分に巨大な大関門がある。谷底の中央部分は太い道路になっており、人々が行き交う。
どこをどう歩こうとタッセスメイアを横断するなら大関門を通らない道は無い。中央の大扉を挟むように小さな扉が二つ開いているが、必ずそのどちらかを通ることになる。“神託者”を見張るのにこれほど都合の良い場所は無いだろう。
元が旅の休息所として発展した街だけに宿の類も多い。“神託者”の懐事情など分からないが、宿を特定するのは難しそうだ。
“神託者”がパトソマイアを出立した時期から見て、タッセスメイアに辿り着くまであと半月以上はあるだろう。それまでに出来る準備があるならしておかなければならない。
――戦闘になるだろうか。
それは出来るなら避けたい事態である。話し合いで”神託者“の使命を諦めてくれるのが一番良い結末だ。
しかし実際、サンには“贄の王”が討たれなければならない必要性を見出せない。
大地を苦しめる”呪い“の元凶であるとされているがそれは事実ではない。”贄の王“が討たれれば”呪い“は祓われるとされているが、それも場当たり的でしかない。事実、”贄の王“は幾度も現れてきたし、その度に”贄の王の呪い“は大地を襲ってきたではないか。
つまり、“贄の王”が討たれようが討たれまいが、何も変わらないのだ。
”呪い“から大地を救いたいのであればもっと別の手段を探す必要があって、”贄の王“は不必要な犠牲でしかない。少なくとも、サンにはそうとしか思えない。
“神託者”がどのような人物か分からないが、その辺りを話して信じてもらえれば旅をやめさせる事は出来そうな気がする。少々楽観的かもしれないが、全く無理筋な話でもないだろう。
なんなら、多少嘘を織り交ぜたりしてもいい。“贄の王の呪い”の根本的対処を研究している最中で結果が出そうだ、とか。
“神託者”が頭の固い狂信者でまるで話を聞いてくれない場合は、最悪だが戦闘になる可能性も無視出来ない。どう考えてもサンが勝てる相手では無さそうだが。
全力は尽くすがむざむざ死ぬわけにもいかないので撤退重視だ。ここでサンが死んでも何も実らない。“転移”を使えば逃げ切れると信じたいところである。
考えながら街並みを歩く。この地での活動拠点として宿でも取っておきたいところだが、言葉が分からないのが痛い。
もちろん勉強はしてきたのだが、一朝一夕で身につくものでも無い。
そう考えるとラツアの言葉を覚えるのは早かった。ファーテルの言葉とも多少似ていたし、やはり話す必要性に駆られていた事が大きいのだろうか。シックと二人して必死に言葉を覚えたものである。
――シックは元気かなぁ。
あの人の好い少年は今頃ガリアのどこにいるやら。ターレルを目指すと言っていたから、サンと道は同じだ。案外近くにいるのかもしれない。
気づけばラツアの港でシックと別れてから随分経っている。長いような短いような日々だった。
というか正直ガリアに長居はしたくなかった。暑いのである。
エヘンメイアの辺りはまだ平気だったのだが、順調に南東に下りつつある今、タッセスメイアは暑すぎる。秋も終わりの頃だと思うのだが、どうしてこんなに暑いのか。ガリアに冬は来ないのか。北の地である魔境との寒暖差で身体を壊しそうである。
これから“神託者”をここで待ち受けると考えると今から気が重い。
せめて宿は良いところを取る。サンは固く決意した。
サンは敗北した。
それなりに良い宿を見つけたと思ったのだが、断られたのである。
理由はと言えば、黒病だ。
パトソマイアで流行していた例の流行り病はタッセスメイアにも現れている。と言うより東から来たというのは本当のようでタッセスメイアの方が酷い。
肌で感じるのだが、明らかに街の雰囲気が暗い。人の往来も少ないし、全体的にどこか閑散としている。
更に気づいていない訳では無かったが、明らかにガリアの人間ならぬ容姿を持つサンは嫌な目で見られている。宿を断られたのも外国人だからだろう。拙いラツアの言葉でひたすら拒否を突きつけられた。
仕方が無いので代わりの宿を探したのだが、どこも似たような対応であった。別に外国人だから病を運んでいる訳ではないのだが、気分的に快くは無いのだろう。
理解出来なくも無いが、取り付く島も無いと言った感じで断られ続けて若干落ち込んでいる。
大体サンは黒病にはかからない。
と贄の王に保障してもらっている。だから余計に理不尽なのだ。でもどうしようもない。無念である。
何とか泊めてくれる場所を見つけはしたが、明らかに質の良い宿では無い。しかも高い。ぼったくりである。とんでもなく足元を見られている。
ふくれっ面で案内された部屋は風も通らない微妙な部屋だった。狭いし、なんだか臭い。
順調に旅行好きとして成長しているサンとしては宿も楽しみの一つだったというのに、これはあんまりである。がーんである。サンは嘆いた。
それと絶対にこの部屋では眠らないと決めた。何か汚そうだし。
それはともかくとして、立地だけは悪くない。街の中央付近、つまり大関門にほど近い場所である。
宿を出て再び通りを歩けば、タッセスメイア特有の強い風が吹き抜ける。
地形上タッセスメイアのある谷は風の通り道になっているらしいのだ。大関門にはそれを遮る目的もあるとか。
なので大関門の大扉が開かれると常の比では無い強風が吹く。大扉が開かれるのは一年に一度訪れる祝祭のときだけだが、その日は絶対に洗濯ものを外に出してはいけないらしい。本当に街の端から端まで飛んでいってしまうのだ。
風で転倒する怪我人も続出らしいが、話だけ聞いているとちょっと楽しそうである。興味深いが、その祝祭は夏に開かれるらしいので残念ながら時期違いだ。
次の夏が暇だったら来てみようとこっそり記憶。都合上次の夏が来るとも限らない身なのだが、それはそれ。“神託者”には是非ともゆっくりとした旅をして欲しいものである。




