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なろう作家向けの荒れる感想欄とその対策についての考察

作者: 西田啓佑

根拠薄弱な思い付きの駄文なので、その点についてはご了解の上、読み進めていただきたい


小説家になろうというこのサイトの作品を読み漁ってすでに数百作と言って良い状況になったと思う。もはや、このサイトの作品を漁ることがライフワークになった感もあるので、ここらでちょっと、このサイトを支えている作家の皆さんに役立ちそうな考察でも書いておこうと思う。


ただ、冒頭にも書いているように、この考察はあくまでも個人の思い付きであり、典拠もなく、根拠の薄いモノである。という事はご了解いただきたい。


前置き長くてすみません。



さて、作品をいろいろ漁っていると、それだけ多くの読者の感想も読み進めていくことになる。

私の場合、読者の感想欄というのは一種の大喜利やネタ披露の場であると考えている。もちろん、まじめな感想を書く場合もあるのだが、感想欄に書き込む一番の動機は、感想の記述というよりは作者へのエールである。


私は別に印刷業に携わっているわけでもなければ、執筆のプロでもないし、教育や指導の専門家でもない。ましてや文芸というジャンルについては門外漢である。系統だったトレーニングを受けたことも行ったこともない。

そういう人間が、大上段から作品の良し悪しを論じても有益なことにはならないだろうと考えているし、どのような人間だろうと、プロであっても常に的確な分析が可能とは思わないので、そういった事は「モラル」に関わる場合以外は極力避けるようにしている。「モラル」以外の基準としては、荒れた感想欄に牽制する場合ぐらいなのだが、この場合も作品の良し悪しにはできる限り踏み込まないようにしているつもりではある。


まあ、これらの自戒を完璧に守れているかは自分自身分からないし、確認しようとも思わないが……。



さて、その上で今回は、稀に見かける感想欄の荒れている作品の傾向について書いてみたいと思う。



作者さんに許可を取ってないし、許可を取るのも面倒なので、具体名は差し控えるが、もしこれを読んで自分の作品ですか?と思った作者さんが居たら、このサイトのメッセージフォームからメッセージをいただくなり、ツイッターでダイレクトメッセージをいただければ、ご相談程度には乗れると思います。まあ、必要ないとは思いますが。


前置き長くて申し訳ない



私の印象に残っている感想欄の荒れているパターンというのは3種類ほどあります。


一つ目は「物語の記述や展開に不自然な不備」ある場合。


二つ目は「キャラ造形が失敗した憎まれ役」が物語の重要ポジションを占めている場合。


三つは「読者のカタルシスが不完全燃焼」の場合。



ぶっちゃけ、一つ目はただのプログラムミス的なバグみたいなものなので、しっかり確認して書き直してくださいとしか言いようがないです。この「不備」が一番見受けられるのは、群像劇を描くために場面転換を頻繁に行う作品です。ザッピング描写の失敗ともいえるでしょう。

ドラマをザッピングする場合には、ドラマが尻切れトンボにならないように気を付けましょう。そして、描写し忘れを無くすようにしてください。

読者に対して不親切にならないように、各エピソードごとの起承転結や序破急はしっかりくみ上げてください。特に、それぞれのエピソードや場面の「オチ」だけは書くようにしてください。「オチ」に常に目配せしているのならば、尻切れトンボという状況だけは防げると思います。



さて、少し話は逸れますが、昔のトレンディドラマにおいては、数分おきに山場が用意されていたらしいです。これは、いうなれば、ドラマ構成が入れ子状になっていると結論付けれると思います。


つまり、大きな物語の中に、その物語の部品部品を説明したり補強したりするために小さな物語が組み込まれているという状況です。ここで作者側が気をつけねばならないことは、大きな物語も、部品としての物語も、読者にとってはどちらも娯楽の対象であり、必要だからと言ってドラマとしての味付けをおざなりにして良いものではない。という事です。


何が言いたいかと言えば、小説においては、説明文一つとっても読者の興味を引くための工夫が常に必要だという事です。

必要な説明文だから無味乾燥に簡潔に書けばそれでいいよね。

と、おざなりに書いてしまえば、読者にそっぽを向かれるという事です。


別にすべての文章にダジャレや川柳を取り入れろというわけではありません。


物事には緩急が必要であり、静かな文章を書く場面においては静かな文章を書けばよいのですが、重要なのは説明文だろうと物語形式のテキストだろうと、それらの文章が作品に組み込まれている以上、面白いか?面白くないか?という観点の読者からの審美眼に常にさらされているという点を意識して、テキストを構築せねばならないという事です。


こう書くと、面白い説明文ってなによ?

とか、説明を面白おかしくしてどうする?って思われる作家さんもいるかもしれません。


今回の本題には一番縁遠いパートなので、これに関する説明は次の一例を挙げて軽く流してしまおうと思います。


高橋留美子先生の「うる星やつら」という作品のアニメ版に登場するメガネというキャラクター

特に、押井守の監督している作品に出ているメガネの「語り」を調べてみてください


あと、パトレイバーのシバシゲオあたりの「語り」でもOKです。



ただ、これは無味乾燥な説明文を面白く見せている例でしかありません。そこはお気を付けください。


無味乾燥な説明文であっても、ゲストキャラクターの造形や突発イベントの造形を深めるテキストであっても、場面を転換するのならば、常に「オチ」や「娯楽性」には常に気を配らなければならい。という事は、覚えておいてください。


読者にとって重要なのは面白く読み進められる事であって、それ以外のことは些末な話です。


なお、「面白さ」の定義や分析については、ここでは避けさせてもらいます。


二つ目の「キャラ造形が失敗した憎まれ役」とは何か?

という話に移ります。


これは三つ目のカタルシスにも関わってくる事なんですが、読者の神経をさんざん逆撫(さかなで)したキャラクターが、勧善懲悪の場面や退場を期待された場面で、それらの期待やセオリーを無視して表舞台に登場し続ける事が最大の原因になっていると思われます。


敢えてキャラ造形指南については避けますが、じゃあ、この問題をどう解決するのか?という事を考えてみたいと思います。


もしも、長編小説において常にカタルシスを優先して、出てくる憎まれ役を常に処断もしくは退場させていたとしたら、その小説は長編という体裁の短編集になってしまうかもしれません。


この短編集の集合体という状況を避けるために必要なのが、因縁の継続や伏線の配置というものです。


エピソードとエピソードに繋がりを持たせるのに、常に同じ敵役を登場させる必要はありません。

世の中には「皆殺しの富野」とか、謎の皇帝病のように、死去というオチが物語を綺麗に飾ったり盛り上げる様式が存在します。

私は、死亡退場という様式が困難なドラマ構成におけるオチにふさわしいとは言いませんが、カタルシスを形成するのに「死亡退場」というのは最も効果的かつ手軽な手段であるのは、過去の作品を顧みれば、動かしがたい事実だと思っています。


ただ、一方で同じ敵役を適所適所で登場させて、主人公たちとの因縁を深めるというのは、物語に重厚さを持たせる上で、とても重要であるというのは事実です。因縁が深ければ、深いほど物語は盛り上がるでしょう。ただ、そうなると、その敵役は常に読者の目に触れることになります。

その場合、敵役もまた読者にとって魅力的である必要が出てくるのです。


これはとても難しい事なので、挑戦する際には、よくよく準備して挑んでください。

この点については、私からは的確なアドバイスはできません。それができるのなら、私はきっとそれなりの作家として成功していると思います。

ですが、私は実際にはただの無名かつ匿名の一般男性なのです。その辺りから、お察しください。


そんな一般男性から一言いえるとしたら、「魅力的な人間というのは、完璧に見えてもどこかに一つ欠点を持っているような人だよね」という、田中芳樹先生の偉大な指摘は揺るぎない事実だろう。という事です。

敢えて、それに加えて今の「小説家になろう」サイトの読者層に最適化するのなら、「醜悪なキャラクターには一つ以上の美点や共感を得られる点」を用意する。「美麗なキャラクターならば、一つ以上のコミカルな欠点や笑い飛ばせる恥辱点」を用意する。という事だと思います。


ただ、それでも「坊主憎ければ袈裟まで憎い」という言葉があるように、何かの場面にトラウマやアレルギーを持つ読者が居た場合は、読者の地雷点を踏み抜いたキャラクターへの致命的な嫌悪や読書からのリタイヤは免れないかもしれません。

どうしても、それを防ぎたいのならば、やはり「死亡退場」というオチを活用するしかないと思います。


このジレンマについての抜本的な解決策は私も思いつかないので、この点に関してはこのあたりで言及を差し控えたいと思います。



三つ目のカタルシスについてですが、これに関してはとりあえずオチまで書ききってそれから日刊投稿するなり、一挙投稿すればいいんじゃないかな?という事です。


全話完結する必要はありません。

売れるか売れないかわからない小説を起承転結全部書き切るのは、コスト的にも心情的にも無理。というのも分かります。

ですが、せめて直近で発表するテキストに関してはヤマとオチぐらいは付けて置きましょう。


山なし意味なしオチなしが許されるのは薄い本だけです。その薄い本でさえ、エロや妄想、共感というヤマとオチはあるかと思います。

本当の意味でのヤマもオチもないテキストの垂れ流しは、読者の怒りを買って当然です。むしろ、怒ってくれる読者は親切かもしれません。まともな人間はきっと、そっとクリックしてページから離脱して終了でしょう。


何をおいてもまずオチです。そしてヤマ。最低限その辺りは用意したうえでテキストを垂れ流してみてはいかがでしょうか?



という私も、一番最初に駄文ですよと、予防線を張った上で、駄文垂れ流しなんですけどね。


最後までお付き合い頂いて、ありがとうございました。

気力が尽きたので、これで終わり!

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― 新着の感想 ―
[良い点] 小説を書く時間をひねり出すために読みたくても我慢してたのに思わず読んでしまいましたー。短編なら短編なら許されるはず [気になる点] オチをはずした時が怖くて怖くて [一言] シゲさんみたい…
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