星の湖
君と、星を見に行った。
山をちょっと登った所にある、木々に囲まれた小さな湖。いつだって無人の静かな所だったけど、夏の夜のそこはいつにも増して静謐で、神秘的だった。僕たちのお気に入りの場所。
湖に着いて、僕たちはほとりに腰を下ろした。地面の冷たさが少し心地いい。
「綺麗だね」
君の楽しそうな声。山道を歩いてきたっていうのに、嘘のように元気だ。その天真爛漫な所が僕は好きだった。
「うん。本当に綺麗だ」
水面には波一つなかった。空に満ちる星々を映す深紺の湖は、まるで別世界の入り口のよう。美しいものって、危険だ。一度惹かれるともう元には戻れない気がする。
ちょっとの間、無言で湖を見ていた。そして突然、君が立ち上がった。僕がどうしたの、と聞く前に君は湖へ駆け出し、飛び込んだ。
「何してるの!!?」
叫んだ声が痛いくらい響く。湖は結構な深さのはずだった。心配する僕をよそに、君は呆気なく顔を出した。
その時だった。
月光を浴び、煌めく水飛沫を上げた君の姿は、あまりにも美しすぎた。この世のものではないように思った。ただ、見惚れていた。
きっとその時、好きになったんだ。美しいものって、危険だ。
「君も入ったら! 気持ちいいよ!」
君の声で、僕ははっと我に返った。君はいつもの顔で笑っていた。
君が遠くに行ったのはその日から間もなくのことだった。拍子抜けするくらい唐突だった。
あの日以来、一度もここには来なかった。どうしたって君のことを思い出す。家にいたってそうなんだ、ここに来たら一体どうなるかわからなかった。
でももう、逃げるのはやめようと思う。君に向き合うことにした。だからここに来た。
浮かぶ僕の視界には、あの日と変わらない星空が広がっている。きっとこれからも変わることはない星々が少し滲んだ。でも大丈夫。涙は僕を支える水で誤魔化せる。
そこにいるんだろう?
空に向けて手を伸ばす。当たり前だけど、なんの感触もない。
僕は意を決して、目を瞑った。体が少しずつ沈んでいく。
馬鹿だなあ、僕は。君が僕を待っているのかどうかも分からないのに。
君の声が、聞こえたような気がした。
星を映す湖で、一人の男の命が消えた。