全ては此処から始まった~夢は潰える~
周囲に朱い炎が現れ、ガラシャと朱凰を包み込むように囲んだ。熱のせいで肌が焼けていく。今にも焼き尽くされそうな勢いだ。
「私は、今、神に帰って来て欲しい。私達から神を奪ったあの男が、許せない! 私から、私達から、大切な神を、大切なあの人を、殺した! この痛み――胸を焦がされる思いです」
胸を押さえ込み涙声で叫ぶ朱凰に同情した。その痛みをガラシャは知っている。この世界でガラシャは明智家の人間だ。ガラシャの本名は明智珠――明智光秀の娘である。時期は多生前後していたりするが、史実通り行われた本能寺によって明智光秀は謀反人となり、豊臣秀吉が中国地方から大返しし、山崎の地で争い光秀は討たれた。その戦にガラシャも同行しており、戦後、ガラシャは石田三成によって娶られた。細川家とはもちろん離縁である。
だから、大切な誰かを失う痛みは知っている。
だからこそ、憎しみを抱いてはいけないのだ。妄執の悪魔とならないために。
「わらわを殺しても、半兵衛には近づけぬ。わらわ達がただ利用されている事、知らぬ訳でもなかろうて」
「だから、滅ぼすのです。……ですが、私も蜀では争えません。情報を全て、こちらへ渡せば、あなた達の魂は守りましょう」
魂を守る――それは生かしておくという意味ではない事くらい理解出来た。恐らく、安楽死させるとか、そんなものだろう。
「わらわも、たくさん苦しい事があった。こっちに来て、いっぱいの苦しみと、悲しみと、胸が締め付けられる気持ちを味わった」
いつ、忘れるかわからない恐怖。朝起きたら誰かの顔を忘れている。そんな恐怖で毎日夜が恐ろしい。寝るのが嫌だ。明日は我が身かもしれない、明日には自分のことを忘れているかもしれない。毎日毎日、涙を流して、自分を抱えて、祈りながら寝るのだ。忘れる事のないようにと。そして、ついに、全ての周囲の人を忘れて、友も、親も、家族も、誰も思い出せなくなって、ガラシャは理解した。
それでもまだ、戻りたいのだと。
ならば、どんなに這いつくばろうと、苦汁を味わおうと、ガラシャはただ前へ進むしか道は残されていない。ガラシャは誓った、ならば己はこの世界で、全ての前世返りを助けてみせよう――と。
「だからこそ、おぬしの気持ちもわかる。そういう時だからこそ、下を向いてはならぬ。鬼にならぬために」
「戯言ですね、そんな事を願っても父も、あなたの愛した人々は戻らない」
これ以上の口論は無駄でしょう、滅ぼします。朱凰は笛の歌口に唇を乗せた。
「っ、ならば一つ問う。蜀で争えないと言ったのは何故じゃ」
「私は劉玄徳の地を荒らしたくはありません。それだけです」
これ以上は不要。二度と口が利けない身体にして差し上げましょう――。まばたきをする暇もなく、ガラシャの目の前は炎が広がっていく。床に転がっている人々を一人でも守らなくては。そう思った瞬間、肉の焼けるにおいがした。
「あ、ああ、ああああああッ」
自らの身体が炎で包まれていく、あつい、熱くて、あつい、痛い。それでも、守らなくては。炎を身に纏いながら、ガラシャは小さな身体で、火事場の馬鹿力で、人々を炎の外へ放り投げていく――。
――幾星霜、幾星霜、月日を重ねども、恋乞う夜に、吾が君来ず。
――失う痛みに雫の魂流せど、我が身は潰と化した吾が君を想う。
――何年、何億、何兆年経とうとも、あなただけを想う。
――血の焔を流す吾が君よ。
そんな歌を最後に、ガラシャの意識は潰えた。