イジメは本来、善である
戸塚宏先生の著作「本能の力」によれば、イジメは本来、善と書いてある。なぜならイジメは本能であるから善なのです。なぜイジメがあるのか、それは進歩の為です。イジメも種族保存の為に在るのです。
例えば幼鳥が巣立つとき親鳥は餌を与えなくなります、これは餌を与えないというイジメ、虐待です。しかし幼鳥は空腹に耐えかねて、ついに巣立ちをするのです。このように自立させ進歩させるためにイジメは本来あるのです。
チーターも「子供達もそろそろ一人立ちの時だ」と思えば、母親は息子たちに噛みついて追っ払い独立させようとします、これも公の為のイジメです。
人間のイジメも本来、進歩の為にあるのです。良いイジメは年少者をバカにして、お前も早く強くなれ、そうしないと、他の群れに負けるのだ、早く強くなれとイジメるのです。
イジメられ、バカにされて子供は進歩、成長するのです。木に登れない奴をバカにし、橋から川へ飛び込めない奴をバカにして精神的に強くなるように進歩させようとしているのです、これは本能による公の為のイジメなのです。そして強くなればもうイジメられることはありません。
ですから親たちは、そのイジメが子供の進歩の為のイジメと思えば放っておけばいいのです。子供時代のイジメは子供の成長にとって非常に大切なものなのです。このようにして年長者たちにイジメられた子は精神的に強くなり自殺することはなくなります。最近の若者たちがすぐ自殺するのは精神的に弱いからです。本能が弱いからです。
しかし悪いイジメもあります。人間には本能だけでなく理性があります。理性にはいい理性と悪い理性があります。悪い理性で行うのが悪いイジメです。本能によるイジメは相手を進歩させようとしますが、悪い理性によるイジメは自分の為、私欲のためのイジメです。自分のうっぷん晴らしのイジメはイジメられる方もイジメる方にも何の進歩もありません。それゆえ悪い理性による私欲のイジメは絶対にやめさせなければなりません。
本能はすべからず種族保存、公の為、進歩の為にありますが、理性を持った人間だけは自分の為を考えるのです。私欲のために行動するのです。悪い理性が強く出るのは幼い時、本能を鍛えなかったからです。よく遊び喧嘩して、危険な遊びもし、いろんな経験をしてあらゆる本能を鍛えなければならないのです。
このように小さい頃みんなで大いに遊んだ子供はしっかりとした本能を持ちます。そんな子供は本能に沿った公の為の良い理性を作り上げていきます。良い理性を持った子供は悪いイジメはやりません。ですから年少の頃、みんなとよく遊び、時には喧嘩をし、イジメたり、イジメられたりすることは非常に大切な事なのです。
陰湿なイジメを無くすためには、小さい時にしっかりと躾をやり、しっかりとした本能を発現させ、公の為の良い理性を作るしかないのです。本能が弱い子たちは私欲の悪い理性しか持てなくなるのです。
イジメは善などと言えば「コイツまた非常識なことを言っているよ」と思われるかもしれませんが、イジメにはそのような面もあるということを頭の片隅に入れていることは大切なことです。
イジメは世界中にあります。ですからこれは本能なのです。本能であればイジメはなくなりません。無能で頭でっかちの現在の教育者たちでは、イジメを無くすなんて不可能なのです。まず良いイジメと悪いイジメがあると認識することが大切なのです。