5 デパート島木屋との商談
1512年2月15日 (以降、新暦と表記することをを省略)
「鉄を作って下さい」
「まずそこからですね」
ここは本棟1階、第一執務室。
第一執務室。どれ位の広さなのか。まあ210坪程である。本棚は1棚で、その中に政治書や、報告書、レポートを入れてある。執務机は広めにとってあり、電卓と帳簿を開きながら、本三冊を開き、筆箱を置きノートにメモをとる位の芸当は出来る。執務机や本棚が神造人間によって加工されたのは説明の必要がないが、他のフロアにも着々と調度品の設置が進んでいる。
それらの材料となる木材や釘、螺子やら接着剤は、建材から流用。螺子は作りすぎたため、鉄製の螺子がLv16を持ってして1ecあたり12万本確保出来ている。さすがに効率が良すぎる感が否めない。…効率を悪くするため、将来的に魔銀を作成するのも有りかもしれない。
この世界に迷宮が存在する以上、他のファンタジックな素材も、当然のように用意されている。ミスリルやオリハルコン等はその典型的な例だが、このような金属は、迷宮士生活でも極端に手に入れる機会が少ない。
よって、一般庶民は勿論のこと、一線を戦う武士でも、魔銀製の武器を扱うことは殆ど出来ない。ただ皇室の三種の神器はミスリルで作られているという、もっぱらの噂だ。それくらい現実味のない素材だと思って頂ければ良い。
「雨沢さん、鉄の需給データは出てますか?」
雨沢さんは公務隊第4班(通称農水班)11係所属の女性型。係長(主に金属を担当)だ。
「ええ。今年度の需給と過去10年間の需給がそれぞれ双田領内、中島皇国内、近隣領内があります。双田領内と中島皇国内につきましては、短期需給予測と中長期需給予測も出ています。あ、あと蝶野迷宮での生産データも出ていますので、お確かめ下さい」
そういって雨沢さんがハードカバーを6冊、執務机に載せる。結構1冊1冊が分厚い。600ページ程だろうか。ただ、グラフや挿絵も少なくないので、さらさらと読むことが出来そうだ。
「一応口頭での説明もお願いします」
いくらさらさらと読めるとはいえ、一度概要だけでも知っておくといないとでは、理解できる度合いがぜんぜん違う。
「了解しました。では双田領内のみを」と、雨沢さんが前置きし、説明を始めた。
「御存知の通り双田領内にはまともな鉱山はありません。元々は錦野鉱山が鉄や硫黄、わずかですが銀を産出していたのですが、前領主による乱開発により、今は閉山となっています。勿論迷宮もありません。
中島皇国の中で確認されている迷宮は蝶野迷宮と、あとは迷宮隊が迷宮らしき物を発見したそうなので、それのみです。なので必然的に鉄を輸入に頼る必要があるのですが、どうやら近隣領との関係が悪化した影響で、鉄の値段が引き上げられている模様です。
具体的に言えば1kg16文ですね。1両が3000文ですから、決して安くないです。なので、需要に対して供給が圧倒的に不足している模様です。これ以上値段が上がるようであれば、鉄で作成された文化財への影響…つまり、鉄製の文化財が兵器に転用するために熔かされる事…が心配されます。需給予測は、振れ幅が大きいので一つ一つ紹介していきます。
まず1つ目は、『マスターが積極的に鉄を生産し、尚且つ1kg3文程度で卸した場合』です。
品質は他領産品とそう変わらないとしても、現在他領…特に南方の富田領からの輸入が途絶えるのは確実視されます。鉄を生産する事で双田軍では軍備の補強がされましょう。また、農具の補修により、農業生産性も高まる見込みです。
そして2つ目は、『マスターが鉄を生産し、1kg15文前後で卸した場合』ですね。
これは現状が暫く続くものと思って頂いて構いません。得られる利益は、中期的に見ればもっとも高いと見られます。
ただ、鉄製の農具が十分に普及しないことにより、農業生産性はああり高まりません。まあ、農業生産性などはどちらにしても上げていく必要があると思われます。現在、この国…いやこの星では、現在主要な顧客である民衆の大多数は農民ですので、顧客の購買力を増すというのは、どちらにしろ避けて通れない道かと思われます。
最後の3つ目は、『マスターが積極的に鉄を生産し、1kg3文程度で卸し、しかも超高品質である場合』です。
これにより、双田領内での需要は跳ね上がります。ですが、これの影響はむしろ他領への影響が大きいです。例えばこの鉄が他領に流出したとしたら…
以上になりますが、何かご質問はございますか?」
「いいえ、特には」
簡潔ではなかったが、要領を得た説明で、特に理解に不自由する場所は無かった。
「了解致しました。では鉄の生産の話になりますが。
鉄はこのデータを見て頂ければ分かるように、万t単位での需要を見込んで頂いて構いません。他領への流通をお考えでしたらもっとですね。大体100万t程を計画的に流通させて良いのでは無いでしょうか。当然一気に流通させてしまえば経済が混乱してしまうので、少しずつ、計画的にです」
雨沢さんが念を押した。
「了解しました」
では早速生産に移る。鉄(スチールではなくアイアンだ)は、釘や螺子などに使うためLv36までは作成してある。
【鉄 Lv36 1g 499.86万ec】
[鉄 Lv36
経年変化をほとんど起こさない鉄。赤錆、黒錆の心配も無い。輝きは2000万年程度継続する。]
まずは硬さ…しかし金属があまりに硬すぎると金属加工もその分し難くなる。向こうの金属加工業界の健全な発展のためにはあまりよろしくない。じゃあ、金属アレルギー対策はどうか。
【鉄 Lv37 1g 1300万ec】
[鉄 Lv37
経年変化をほとんど起こさない鉄。赤錆、黒錆の心配も無い。輝きは2000万年程度継続する。金属アレルギー患者が触っても大丈夫。]
いきなりカンストですか。説明書には「カンストすることがない」と書いているが、それは例えば特定のパーセンテージで止まることが無いという意味で、ここまで直接的にかかれてしまっては想像力も発揮し辛い。カンストをしてしまうとまた別の改良手段を考えないといけないのがかなり面倒くさい。うーん、では軽量化はどうだろうか?
【鉄 Lv38 700mg 6000万ec
[鉄 Lv38
経年変化をほとんど起こさない鉄。赤錆、黒錆の心配も無い。輝きは2000万年程度継続する。金属アレルギー患者が触っても大丈夫。性能はそのままに通常より0.1%程軽くなっている。]
おお。これならまだまだ改良の余地はありそうだ。とりあえず10t程作成するやいなや、すぐに執務室にいる佐間さんに預ける。因みに佐間さんは女中隊第28班第2係。28班は「アイボ持ち班」で、作成した物をすぐに受け取れるように屋敷中に配備している。10t作成するだけで、
【鉄 Lv38 11.4g 1万ec】
[鉄 Lv38
経年変化をほとんど起こさない鉄。赤錆、黒錆の心配も無い。輝きは2000万年程度継続する。金属アレルギー患者が触っても大丈夫。性能はそのままに通常より0.1%程軽くなっている。]
と、とたんに効率が良くなった。ので、途中作成をはさみつつやっていった結果、
【鉄 Lv70 0.4μg 730億ec】
[鉄 Lv70
経年変化をほとんど起こさない鉄。赤錆、黒錆の心配も無い。輝きは2000万年程度継続する。金属アレルギー患者が触っても大丈夫。性能はそのままに通常より3.3%程軽くなっている。]
こうなって、
【鉄 Lv1337 0.07ng 7300万ec】
[鉄 Lv1337
経年変化をほとんど起こさない鉄。赤錆、黒錆の心配も無い。輝きは2000万年程度継続する。金属アレルギー患者が触っても大丈夫。性能はそのままに通常より99.783%程軽くなっている。]
こうなった。物凄く軽くなっているので、1g出すのにも460g分程出てしまう。なので、見た目合計130万t程出した所で佐間さんに渡す。
「はい、確かに受領しました」
そう言うと佐間さんは一息もおかずに歩き出した。130万tの荷重を全く感じさせない軽やかさで。
それはそうと、これはやはり市場に放出した方がよかろう。30万tだけ家内の工業化のために(高性能なやつを)とっておけば宜しい。そのように佐間さんと、それから執務室の中にいた大塚さんに合図をすると、ウインクを返され、倉庫の方に向かっていった。有能。
「氷川さん、商会の選定は終わってますか?」
因みに氷川さんは公務隊商務班商務係所属の好青年と呼ぶにはかなり若い好少年だ。
「ええ。とりあえず島木屋さんが宜しいかと」
「島木屋さん?」
どんな店なのだろうか?
「どうやら紺原さんがいらっしゃる所みたいですね」
「ああ、あの紺原さんが」
今まで商店で働いているとしか聞かされていなかった紺原さんの働き先がこんな所で発覚するとは、分からないものだ。
島木屋さんも、紺原さんが関わっているなら、そう悪い販路ではあるまい。
「じゃあ島木屋さんの所に向かいますかね。ゆっくりと」
「じゃあ行きましょうか」
さて、こうして出かけることになったのは良いが、出かける前には準備が欠かせない。
「前みたいに肩車は嫌ですよ。風圧も強いですし」
「そうおっしゃるかと思いまして、駕籠をご用意しました」
おお、駕籠ですか。駕籠といえばあの抜群の不安定感で有名な乗り物ですね。確かにゆっくりと行けそうではあるが…
「大丈夫ですか?乗り物酔いとか…」と質問をすると、
「大丈夫です」と佐間さんが自信たっぷりに返答した。余程自信があるのだろう。
それでは、今回は佐間さんを信頼することにしてみますか。
「では駕籠で行きますか」
10人ほどで連なって島木屋に向かう。島木屋は大橋……ここ旗ヶ野から北へ40kmほど行った先にある……の北東部、美流にある大規模小売卸売商店だ。
元々島木屋は南の商都、予戸(雰囲気としては大阪に近い)に居を構えていたが、さらなる新天地を求めた創業者が、本店を大橋に移転。その後2代目との努力もあり、土壌が厳しく、多くの周辺住民を望めない大橋で一財産作ることに成功する。
現在は双田領内の商会の中では3番手と、大手商会の一角を担っているが、その清廉な販売戦略は大橋中の町人や武士、勿論農民に愛されており、今後急成長していくのは確実視されている。
そもそも他の商会は、来客を受けて生地や服、あるいはその他を持ってくるのが主流な江戸時代タイプの店なのに対し、島木屋は現品展示かつ掛け値なしの越後屋を近代化させたようなスタイルを取り入れている……らしい。ここで勘違いして欲しくないのは、他の商会が遅れている、ということでは無い事だ。
そもそもここは日本で言うと安土桃山時代、戦国時代だ。その中で江戸時代でも十分通用するようなやり方で商売を展開している事から、寧ろ標準的な店、先進的な店と言う事が可能だろう。ちなみに島木屋は、お忍びで他領からの客も多いとか。
ついでなので今駕籠に連なっている11人を挙げておく。
蓮葉暖 当主
青木 公務隊1班1係 公務長/交渉係長
黒田 公務隊2班1係 事務班長/経理係長
雨沢 公務隊4班11係 農水班金属係長
野蔵 女中隊2班1係 雑用
王 女中隊2班19係 記録係
佐間 女中隊28班2係 荷物持ち
田名川 女中隊31班1係 第一秘書班長
瀬戸 〃 秘書
大塚 〃 〃
藤山 〃 〃
今駕籠を持っているのは野蔵さんと佐間さんだ。ゆっくりとと言いつつ、時速50kmは余裕で出ている。
それでいてすり足でもしているのかとなるくらい揺れがない。電車やバスなど比較対象にすらならない位だ。成程、佐間さんが豪語するだけはある。
彼女の実力に裏打ちされた足運びは、彼女が鉄を大量に(アイボとして)持っていると言うことを感じさせない。それで駕籠に僕が乗っていて、他の人と窓越しに会話することとなっている。
因みに話相手として最も面白いのは田名川さん。他愛のない話をするのに、話し相手として大変良い。でも良く考えたら、会話している人も時速50kmで走っている、という事なんですよね…。かなり非人道的というかなんというか。
「ここは今どの辺りですかね?」
「そうですね、ここは奥浦、大橋まではもう少しです」
田名川さんが周りを見渡しながら答える。今回は外の景色はあまり見ない。
市場調査については島木屋だけにする方針だ。ああ、折角商談に行くのに鉄だけだと少々寂しいので、ニッケル等も作成しておきましょう。自家用にも少々作っておこう。
「瀬戸さん、荷物持ちお願いできますか?」
「ええ、全くかまいませんよ」
まずニッケルを錬成。
【ニッケル Lv1 250g 1ec】
[ニッケル
普通のニッケル。]
そして改良。今回は金属アレルギー加工を施したら軽量化に全振りします。
[ニッケル Lv322 1ng 1兆ec
ニッケル。金属アレルギーの人でも問題無し。通常のニッケルよりも32%程軽くなっている。耐錆性に優れ、2億年は大丈夫。]
これでよし。どうやら説明書きのところに、現在の生産効率を書き加えることもできるようだ。1.2万t(相当)作成して、瀬戸さんに投げる。うち2000tは自家用で、これを工業班に加工してもらう。
ああ、工業班で思い出した。ついでに銅も作成しておいたほうがいいですね。頼まれていたのを、うっかり忘れていた。
[銅 Lv342 5ng 1兆ec
銅。金属アレルギーの人でも問題無し。通常の銅よりも34%程軽くなっている。耐錆性に優れ、3億年は大丈夫。]
これも1.2万t(見た目)くらいで良いでしょう。あとはゴムも必要だ。これは自家用だけで、2000t程。
[ゴム Lv290 2ng 870億ec
いわゆるゴム。天然ゴムと似た色味や臭いを持つと同時に、耐摩耗性、弾性、耐熱性、耐熱性、耐油性、耐オゾン性、耐寒性、耐薬品性いずれにも優れる。当然のごとく耐老化性も優れており、12万年は機能を問題なく享受できる。]
そんなこんなをしていたら、青木さんが
「着きましたよ。島木屋」と言った。
窓の外を見遣ると確かに人の集まる百貨店があった。
島木屋。まだまだ開発ラッシュの大橋町内で大橋城の次に高層建築(だと思う)。完全に和風建築か、と言われればそうではなく、イメージとしては「現代京都の和風百貨店」といった所だろう。でも敷地自体は広くないのだろうか。間口が少々狭い。中に入ってみないと何とも言えないが。
他の名だたる商会は広い2階建て、それも2階は住み込みさんの住む住居を用意しているだろうから実質平屋建てでやっているのだろう。ふと端の車庫のようなところを見ると、馬が飼われていた。荷馬車も見えるので、恐らく仕入れ用だろう。
「王さん、売価の記録、お願いします」
「言われるまでも御座いません」
とりあえず中に入る事とする。
1階は主として呉服専門のようだ。手前のショーケースには洋服が飾られており、洋服に対する物珍しさからか人だかりができていた。
驚くところがあるとすれば、ショーケースがガラス製であった、という所か。ガラスの製作自体は古代ローマ時代にまで遡れるし、そもそも日本にだってビードロがあった訳で、それほど驚きは無い。しかし、そのガラスが、曇も歪みもなく、1枚の大きな板を整形したような、非常に美しいもので有ったことについては、特筆に値する。これを作った職人は、さぞかし腕が良いのだろう。
内部は…うん。予想していた通り、あまり広くはない。おそらくは島木屋が大橋に進出する頃にはここ大橋の商業の中心地、美流には土地が既に足りなかったのだろう。あるいは、地上げに失敗したか。恐らくその狭さは高層建築にする事で解消したのだろう。
呉服をざらっと見ていく。紳士呉服、婦人呉服、化粧品。
化粧品は口紅や頬紅等、時代の最先端を扱う心意気が感じられる。当然白粉や歯黒用の墨など、旧来から使われている化粧品もあったが。
どうやらこの島木屋は紳士呉服と婦人呉服をまとめるのみならず、アクセサリや化粧品等を全て1階で扱っているようだ。本来なら服飾品は、百貨店のメインターゲット層や、あるいは利益率としての観点から考えても、もっと扱う面積を増やしても良さそうなものだが。他で呉服が競合しているのだろうか?そんな疑問をよそに、階段を登る。階段は何やら音を立てている。…いや、これはエスカレーターか?うん。間違いない。なんでこんな装置が?
「すいません、この階段は一体?」
こういう事は近くの、常連そうなお客さんに聞いてみるのが手っ取り早い。
「あぁ、お客さん初めてか?これは”えすかれいたあ”っちゅう電気を使う機械だよ。どうもえれきを大原家から運んでいるっぽいんだが、儂にゃさっぱり。え?大原家をしらない?あの鯛坂って凄く若い子が素っ頓狂なものをつくってるとこだけど」と、常連そうな老紳士が返した。
「どうも、ありがとうございました」
鯛坂さんの工房から電気を引っ張っているのか。成程、これなら高層建築でも不自由しない。中世ヨーロッパではアパートは上の階の方が安かった事からも、高層建築の忌避感は中世以前には強いことがわかる。
これをエスカレーターを使って便利に上下出来るようになれば、高層建築の普及は進みそうな気もする。そんな事を考えつつ割りと遅めのエスカレーターに乗っていると、2階に到着した。
2階は住居関連や趣味の品が多めのようだ。寝具やら家具、それから本、文房具。特筆すべきはやはりポップだろうか。手書き。墨書きで、しかし可愛らしく書かれている。
恐らく紺原さんが作成、あるいは作成を指示した物だろう。後、きちんと値札が付いている。ああ、掛け値無しなんですね。三井越後屋の良い所を存分に取り入れている。
文房具には、以前筆屋町で見かけたような筆や、墨に硯、試作品と思しき鉛筆などがあった。本は…結構自宅の書庫に収められているのも多い。オーソドックスな売れ筋を扱っているようだが、人は他の売り場と比べて少なかった。識字率は高いはずなので、もっと多くの人が本を買い求めていても良さそうなものだが。
「何でですかね?」
青木さんに聞いてみた。
「きっと本自体の値段の問題でしょうね」
そういって青木さんは値札を裏返す。民間療法について書かれたその本は、400文(16000円)の値を付けていた。
庶民の給料が大体年に3両くらい(48万円)の筈だったので、その1/30。給料半月分は確かに、1冊の本には払えないだろう。
「となると、ここの人たちは、普段どうやって本を読んでいるのですかね?」
「おそらく貸本屋でしょう。1冊の本を借りるには、そんなにお金は掛かりません。恐らく、余裕が出来たお金を使って、本を読んでいたのでしょう」
「涙ぐましいですね」
「活版印刷術もなく、全部手写しですからね。本を買ったら、写本を取って売りなおす人もいるそうですよ」
へえ。そういえば昔の文学作品はすべて手写しだった。そのせいで、「竹取物語」等は、細かい違いがある版が何通りもあるようだが。
3階は食品売り場。魚や肉(中島皇国内では肉食は特に禁止されていない。見たところ馬肉や鳥肉が多いようだ。中には猪肉もあり、豚肉への期待も高まる)等、鮮度を重視する食品は(アイボは店の陳列には外付けでなければ不向きなので)少量、多搬入で回しているようだ。
魚売り場には、次の搬入時刻を確認する主婦や武士の使用人、丁稚の姿が目立った。搬入時刻は24時間表記で大書されるとともに、旧来の十二支に由来する時刻表示も併記されていた。
ところで本来鮮度を重視すべき食品は低層階のバックヤード付に配置するのが主流なのだが…ああ、シャワー効果か。イベント会場等、集客効果の高い施設を高層階に設置することで、エスカレーターで降りる客向けの売上を見込める。
この事を水を一旦上に運んで落とすシャワーに例えて「シャワー効果」という。同様にデパ地下が地下にあるのは「噴水効果」だ。シャワー効果のために食品フロアを上層階に持っていくのは珍しいような気もするが…地下室を売り場にするのは技術的に厳しいのだろうか。
そして事務所。青木さんの交渉もあり、入ることに成功した。事務員さんの後をついていく。店と従業員専用スペースとの扉と事務所の入口には若干の距離がある。その間は倉庫となっているたしい。…ふむ。百貨店のような店舗構成だったけど、倉庫にある商品は、饂飩から爆薬までとまさに多彩。商店兼商社だ。
日持ちする食品をここに格納していることから考えると、あの不自然なシャワー効果にも一定の正解への指針が与えられたような気もする。
「紺原部長」
事務員さんが事務員さん…紺原さんを呼んだ。紺原部長と呼ばれているところから推測すると、それなりに出世したようだ。ついでに役職の改革も行っているらしい。
「はい?…ってああ!暖ちゃんだ。久しぶり」
そういって紺原さんは手を振りつつ、話を進める。
「話は海から聞いてる。で、何を持ってきてくれたの?」
「とりあえず鉄、ニッケル、銅を」
「うん、良いね。うちは金属も元々扱っていたのだけど、例の戦況―まあ双田領が有利なんだけど―のせいで鉄の輸入が滞っちゃってね。嬉しい」と、紺原さんが少し口元を綻ばせた。
「それは良かった。佐間さん、倉庫にいきましょう。良いですよね?紺原さん」
「良いよ。どうせアイボ使ってるんでしょ?」
「ええ」
一同で倉庫に向かう。
「まず確認します。どれ位島木屋として鉄が欲しいですか?」
見た感じ、島木屋は、先進的なところも多いが、業態的にはごく普通の百貨店だ。そして百貨店というものは工業的な物品は基本的に売っていない。果たしてどれくらい売れるのかは、かなり未知数だ。
「持ってきた分だけ―と言いたい所だけど、生憎島木屋にお金が有り余っている訳じゃないから、とりあえずこちらで現金で用意できるぶんだけ。とりあえず当座で動かせるのは1万両、1kg8文程度での取引だから、3750t程なら」
鉄の販路を持っていたのは良いとして、販売量はまあそれくらいか。ある程度それは予測済みだ。もう少し多くの量を提示してみる事にする。
「じゃあ、4万両で24000tでどうでしょう?」
「話を聞いてた?それだと売価1kg5文だし、大体島木屋が今1度に動かすことの出来るキャパシティを超えてるよ?」
「じゃあ、分割払いで良いです。最初に頭金として1万両、それで1月に1000両ずつ、30ヶ月分割払いでどうでしょう?あ、勿論掛け値は無しですよ?」
その返事を聞いて紺原さんは長考している。
1分程たっただろうか。紺原さんがようやく重い口を開いた。
「こちらとしては願ったり叶ったりの契約条件で、拒否する必要は無い。でも、君にとって有利な条件は?こちらにあからさまに有利な気がするんだけど」
「そりゃあ勿論、贔屓の印と…在庫処分ですよ」
紺原さんが一瞬驚く。
「あ、関税の支払い、島木屋にお任せして良いですね?」
「こんな契約条件聞かされたら、払わないわけないじゃない。分かった。払っておくよ。それから」
ここで一旦言葉を切られる。そしてまた徐に口を開く。
「現物を見せて?私は君にまだ『鉄を持ってきた』としか聞かされてない。もし仮に粗悪品だったら、ちょっと契約条件を見直させて」と、紺原さんは重たそうな口から慎重に言葉を出した。そしてその提案には、商売人としての慎重さが見えた。
「それは全く構わないですよ。僕の持ってくる商品に粗悪品の割合は非常に少ないと思って頂いて構いませんよ?」
「全く、大した自信ですこと」
「じゃあ、よろしいですか?」と、これは佐間さんの言葉。
「ええ。全く問題無いですよ」
次の瞬間、ふわっと24000tの鉄が着地した。今渡した鉄は重量軽減改良を殆ど行っていないタイプの鉄なので、実重量も大して変わらない。
それに紺原さんは一瞬驚いたものの一息ついたかと思えばすぐ目を細めだした。時間としては15秒弱。慎重に、時々手にとりながら吟味している。そして顔をあげた。
「…うん。凄い高品質。これなら問題ないどころか契約条件を見直したいくらい。とりあえず単価は1.2倍に引き上げて良いと思う」
見ると紺原さん、目を輝かせている。あ、これは商機を掴むと同時に顧客を引き込む顔だ。利益が出る所まで買値を引き上げて、顧客が他店に流れるのを防ごうとしている。しかし、幸いな事にこちらは特にお金に困っていない。その申し出を緩く断る。
「いや、大丈夫ですから」
「いや、この鉄は明らかに艶が…ともあれ、どうも有難う」
「こちらこそ」
「あ、これ。貸付札と借用書。後者は普通に、まあ利札みたいな物と思って構わない。前者は大橋城に持っていけば1万両と交換してくれる」
「どうも。ではまた来月。…いや、別の商品を持ってまた近いうちに来ます」
「掛け払いしか出来無いけどね」
「あ、ついでにこれ」
瀬戸さんに合図して、ニッケルと銅のインゴットを1kgずつ出す。
「金属の試供品です。気に入ったらどうぞ」
「こちらも高品質と来たものだ」
こうして、島木屋訪問は幕を降ろした。
「じゃあ、大橋城に向かいましょうか」
田名川さんが提案する。確かに利札…貸付札は早めに交換したほうが良さげ。
「そうしましょう。じゃあ、野蔵さん、佐間さん、大橋城に向かって下さい」
「了解しました」
そして見えてくるは大橋城。今回は顔パスで入ることに成功した。
「やあ。よくきたね」
双田さんが出迎える。フットワーク軽いですね、領主。まあ僕の言うセリフではないかもしれませんが。
「貸付札を交換して頂けますか?」
「はいはい。えーと、1万両。凄いね、もう1万両分の取引をしたんだ。では関税分は引いて良い?」
「いや、関税の支払いは先方に委託したので」
ここでも関税を引いたら二重課税になってしまうしね。
「ん。じゃあ、そういう風にしておくね。あと、差支えなければ取引した物品を聞いて良いかな?」
「ええ。鉄が24000tです」
その答えを発するやいなや大きな物音がどこかから…恐らく北の方から響いた。気のせいで無ければ双田さんも少々錯乱している。
「てててて鉄が24000t?それは勿論一括払いじゃないよね?」
「そりゃあ。4万両の分割払いです」
「(そ、それにしてもかなり低価格…しかも光ちゃんの見込んだ鉄だから、かなり高品質に違わない…)」
「何か言いました?」
「い、いいえ。それは良かった。とりあえず人をあちらに向かわせて…」
双田さんが机にあった湯のみに手をかけ、飲み干す。飲み干しながら手紙を認めるのも忘れていない。右手で湯のみを掴み、左手で半紙を几帳面に折っている。器用ですね。飲み切った後に一息ついた。どうやら少し落ち着いたようだ。ここぞとばかりに質問をする。
「この貸付札って―まあ想像はできますけど―どんなものですか?」
「ああ、想像出来るんだ。せっかく空ちゃんに考えて貰ったのに。まあ、この時代の貨幣って若干重いでしょ?経済の発展のためには紙幣が第一…と思ったんだけどね。
藩札を発行するのはもう少し安定してからにしたいんだよね。偽造紙幣とか怖いし。だから、とりあえず希望する中規模以上の商人に、預金口座を発行する事にしたんだ。私の拇印をつけて、その交換証を発行する感じで」
「ああ、当座預金に近いんですね」
あるいは手形と言い換えても良いだろう。手形制であれば、中世イスラムから既にその原型が見られる。江戸時代にも似た制度があったはずだ。あれは何だっただろうか。
「当座預金。まあ、そうだね。実際一部の商人の間では貸付札を使用した掛取引や為替手形も始まっているようだしね。でもそのためにはもっと経理係が城内に必要。計算のできる人は領内で多いから、今簿記を教えてる所」
計算について多くの庶民が扱えるというのはなかなか良い事だ。
ここの領内に限らず、中島では識字率が高く、また計算ができる割合も多い。そこを生かさない事には確かに勿体無いだろう。産業革命の起こる5要因の中にも、「優秀な労働者」は含まれている。
「簿記って勿論複式ですよね」
「ふ、複式?」
どうやら知らないようだ。
「知らないならそれで構わないですが、複式にいつか乗り換えたほうが良いですよ」
「え、ええ」
どうにも締まらない感じで幕が降りた。
なお、旗ヶ野に帰った後に、スカンジウムとコバルトをそれぞれ少しづつ作成したことは特筆しておこう。今回ニッケルは1t、スカンジウムは400kgほど作った。スカンジウムは現代日本では1gあたり3万円ほどかかる代物だ。それを400kgと言う事は120億円となる(需給バランスについては考慮していない)。ちなみにこれは金で換算すると3.2tとなる。意外と大したことなかったですね。それでも金の価格の8倍というのは大きい。このスカンジウム、ナイターの照明などに使われているようだ。
いつもお読み頂きありがとうございます。