48 アスファルト
1512年7月16日
「アスファルトってありますよね」
「道路舗装に使うやつですよね」
平凡な一日が、今日も始まる。
さて、今回もいつものように第一執務室からお送りしている。そして今回アスファルトの話を振ってきたのは、女中隊駕籠班の齋藤さんである。
「例えば大橋城などまでの道をアスファルト舗装した方が、駕籠が快適になるのではと思いまして」
「いや、このままでも十分快適なんですけど」
言うまでもないが、大橋までは徒歩でいくにはかなり遠いので、僕は駕籠を使っている。そして、その駕籠は揺れも一切せず、快適に読書をする事が出来る設計になっている。いまさら何を求めようか。
「いえ、今までの駕籠だと、未舗装路ではお恥ずかしい事に力不足です。実験映像をご用意致しましたので、御覧ください」
そういって齋藤さんが第一執務室についているモニターを機械に接続し、目当ての映像を再生した。いつの間にか動画の録画と再生が出来るようになっているのか。これで実質館内放送的にしか使い道が無かったテレビに光が当たる訳だ。それはそれで感慨深いが、とりあえず映像が再生されたので、それを見る事とする。
見ればそこには、駕籠の中を移した映像があった。僕が普段使っている駕籠ではなく、お客さんに乗ってもらう駕籠の予備であるが、それ以上に普段の駕籠と違う所があるとすれば、その駕籠の中が、水で一杯に満たされたワイングラスで埋め尽くされていた事だ。一杯に満たされた、という表現は不適切かもしれない。何故ならその中身の水は、内容量は容積の100%を超え、もはや表面張力のみで水をワイングラスに留めていたからだ。表面張力も限界まで使い切っているようで、少しでも傾けたらその緊張が解けて、溢れだしてしまいそうだ。そしてそうなったらもう修正は難しく、バランスを取ろうとしても、また別方向にこぼれてしまうだけだろう。
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「未舗装路での走行実験を開始します」
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そんな声とともに、駕籠が動き出した。
動き出してからは、画面は二分割され、左半分には外観が、右半分には駕籠の中身が映っている。
そして左下には、現在時速を示すデジタルメーターが表示されていた。見る見るうちにデジタルメーターは数字を上げて、一瞬のうちに時速30kmに達した。そして右半分の方を見ても、まだ一滴も溢れる様子が見えない。
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「時速30kmで現在直線運動しています。カーブします」
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そう言うや否や、ゆっくりとカーブしだした。
そうした状況下でも、右半分は微動だにしていない。表面張力だってそろそろ限界だろうに、それでもその張力を遺憾なく発揮していた。
そしていつの間にやら、駕籠は野原の中で回転運動に入った。時速30kmなので、それこそ目の回るようなスピードだ。それでもワイングラスから水が溢れようとしない。
それにしびれを切らしたのか、ぐるぐる回転する事をやめ、再び直線運動に戻ったかと思うと、メーターの数字を再び上げ始めた。そしてあっという間に100km/hにまで上がってしまった。
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「ここから急停止させます」
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その声があった直後、メーターが凄い勢いで減っていった。
左を見ると、もう急停止も急停止、急ブレーキでも踏んだのか、といった様子で止まった。いままで歴戦に耐えてきた表面張力も、この急ブレーキには根負けして、いくつかのグラスからはその表面張力で張り出した分だけの水が溢れ出してしまった。そして、ビデオはここで終了した。
「いかがでしたでしょうか。この通り、現在の未舗装路では、乗り心地が必ずしも良いとは言い切れません」と、齋藤さんがこのビデオの内容を総括した。
いやいや。確かに未舗装路で急ブレーキをすると水は溢れ出したようだが、ここで大事なのは、道路が未舗装路である事よりも、急ブレーキをした事だろう。
身も蓋もない話をしてしまえば、舗装路であろうと未舗装路であろうと、急ブレーキを踏めば乗り心地が悪くなる。そしてその上で、舗装路と未舗装路の違いを確かめる事の出来る場所といえば、当然直線走行にほかならない。
これで未舗装路での溢れ方が尋常でなければ、先程の齋藤さんの理論に説得力が増すというものだが、それにしたって現在のビデオでも、全く揺れを見せていない。
ついでに言えば、ビデオで水が溢れたシーンにも問題がある。
普通表面張力でギリギリまで入ったワイングラスというものは、運ぶのはおろか、持ち上げる事も厳しいものだ。どうやって駕籠の中に配置したかは百歩譲って想像つかせることが可能だとしても、走行時に全く溢さないというのはかなり厳しい事に間違いあるまい。
ほぼ満杯、といったコップを運んだ事が有る人なら想像が付くとは思うが、運良く満杯のコップを持ち上げる事に成功したとしても、そこから運ぶ時に少しでも揺れがあったらそのまま溢れてしまう。溢さないように気をつけてゆっくり歩いている時でもそうなのに、ましてや陸上競技最速選手に近い速度で走っているのにも関わらず、という事は、何度もいうがかなり乗り心地が良い事に間違いあるまい。
さらに補足してしまえば、急ブレーキ時にも突っ込みどころがある。
この駕籠が急ブレーキした時に、沢山あるワイングラスの中のいくつかのみが、そのはみ出している部分のみを溢してしまっていた。そしてこれは純粋に考えると、恐ろしいことだ。
特に注目すべきは、『そのはみ出している部分のみを溢してしまっていた』という部分である。
普通、水を溢す時というのは、コップがかなり傾いている。そしてこの時、水の量は満杯よりある程度減ってしまうのが普通である。しかし、この溢れ方では、表面張力分だけ溢れている関係で、最大限溢れた後もなお満杯を維持しているのだ。
「いや、実際乗っていても全く問題ないのですが」
「まあ、実験映像を用意しておいてなんですが、確かに我々の運転なら、あまり人や物の運搬に影響はありません。しかし、これが人による移動…そして人、馬、機械問わず、車輪を使うような場合、こうした悪路は問題となってしまいます」
ああ、車輪か。
この世界にも勿論牛車や馬車というような、車輪を使う乗り物がある訳なので、こうした車輪のついた乗り物に対する便宜を図るのは理に適っている。
勿論、こうした乗り物のために主要街道というものは特別に踏み固めてある…そうでないと、例えば行幸の時に不便するからだ…のだが、それでも雨上がりにぬかるんだりすると大変なので、そういった時のためにアスファルトで固めるのは選択肢としてはアリだろう。
「なるほど、確かに車輪が使えれば、もっと快適に運んだり出来るでしょうね」
「そういう事となります。後は、アスファルト舗装すると、もう少し物流の便が良くなると思うんです」
「物流の便、ですか」
今現在、街道網はきちんと整備されているとはいえ、街道は当然だが全て未舗装である。
そして、車輪を使った乗り物、例えば牛車や馬車なども普及の目を見せている。それを考えるのであれば、確かに舗装はした方が良いだろう。
だが、現在の街道も、未舗装とはいえ良く踏み固められており、普通に歩く分には申し分ない。勿論、今の未舗装の街道の上にも多数の車輪が走っている。本当に舗装するだけのメリットがあろうか。
「ええ、物流の便です。現在の街道網は、殆ど…都市部のごく一部、石畳に覆われているところを除いて未舗装なんです。歩く時の疲れとか、あるいは人を一人乗せるだけの牛車などでは、未舗装でもさして問題はありませんが、これからどんどんと我々の直営店が増えたり、あるいは他の人が販路拡大に乗り出して、その結果積載量の増加や高速化などが起こった際に、舗装していないと事故になりかねません。タイヤが埋まるといった、日本だとロードサービスのお世話になりそうな可愛い事故は勿論のこと、例えば横転なども多発してしまいましょう」
そう齋藤さんはよどみなく答えた。
なるほど、そこまで考えているのであれば、確かに舗装する意味はあるのだろう。
「ところで舗装材としてアスファルトは本当に優秀なんですか?」
舗装の重要性については深く納得したが、果たしてアスファルトをわざわざ使う意味とは何なのだろうか?日本にしたって、アスファルトに何か大きな利点がない限り、日本中の道路にアスファルトが敷かれる事は無かっただろう。
「まあ、そうですね。とりあえず、他の舗装材に比べると、大量生産の事を考えれば格段に安価です」と、齋藤さんが少し間をおいて言った。
なるほど、コスト面の問題か。確かにそれは大きい。
どんなに優れた舗装材であっても、1km舗装するだけで1兆円とか掛かってしまったらまずその舗装材は現実に採用する事が出来ない。
そこまで極端な舗装材はまず無いにしても、現代日本のように、全国を遍く走る道路の殆どを舗装しようと考えた時、少しでも高コストな舗装材は確実に敬遠されてしまう。それを考えた時、確かにアスファルトは効率的なのだろう。
「あと、乾くのが早いですね。耐荷重性も普通にあるので、早ければアスファルトを敷いたその日に供用させる事が可能です」
そう補足したのは、女中隊第一建築補助班第一建材係の徳島さんである。
第一建築補助班は、公務隊建築班を補助する事を目的に仕事をしている班だ。そしてその中で建材係は、建築材料を日夜工業班と協力しながら研究している係である。
現在屋敷内での建築作業がなく、暇していただけに、降って湧いてきたアスファルトの話を聞きつけてやって来たようだ。
「なるほど。ところで、アスファルトとコンクリートの違いは何ですか?」
「ああ、それはですね。砕石をその粉とともに、アスファルト乳剤で固めたものをアスファルト、砕石と砂、セメントと水を練り合わせた物をコンクリートといいます。他にも機能面では違いが結構ありますが、混同されやすいのが実情です」
そう徳島さんが淀み無く答えた。つい最近まで僕自身も混同していたが、こうして製法を聞いてみると、かなり二つの間には差異があるように感じる。
「となると、アスファルトの方が製法としては単純なんですか?」
聞く限りでは、アスファルトの方が種類的には少ない。種類的に少ない事と製法が単純な事には直接的な因果関係は無いとは思うが、気になったので一応質問しておく。
「一概にそうとは言い切れませんが、材料の種類という意味ではそうですね。アスファルト乳剤というのは石油から作られるので、アスファルトの生産には当然石油が必要になってきますが、裏を返せば石油と砕石さえあれば、セメント等が無くても舗装可能という事ですね。日本だと、石油資源に乏しいためこのメリットは出づらい傾向にありましたが、この屋敷内ではecさえ用いてしまえば石油を安定して供給する事が出来るので、アスファルトの旨味を最大限活用出来るかと思います」と、徳島さんが返答する。
「でも、それなら別にアスファルトに限定する必要は無いのでは?実際、セメントを出すこともマスターなら容易でしょうし」
そう言うのは、秘書班の藤山さんである。まあ、それも思う所はあるが、そんな事を考えていない徳島さんでは無いだろう。何か、それでは駄目な理由を考えているに違いない。
「…確かにそうですね」
…あれ?
「すみません、マスター。現行の状況下では、アスファルトが製法上優れているとは言い切れません。確かに早く固まりますが、それだけです。謹んでお詫びいたします」
徳島さんが若干しどろもどろになりながら謝罪した。…という事は、触れられるまで、石油が無限に生産出来るなら当然セメントも無限に生産できるという簡単な事実を失念していた、という事なのか。
「いや、その訂正に関しては特に問題ないのですが…意外ですね。神造人間の皆さんというと、とても優秀で、ミスなどしないイメージがありましたが」
「そう言って頂き、有難うございます。でも、私達は神そのものでは無く、所詮神の作り出した子です。そしてそれ以前にただのちっぽけな人間です。どうか、そのような物としてお受け止めください。勿論、このような事は極力無いようにしていく所存ですが」
そう言ったのは田名川さんである。
まあ、そうだろう。神造人間というからには、人が作ったか神が作ったのかの違いこそあれ、人間である事に間違いはあるまい。
そして人間というのは失敗する生き物なのだ。どんなに賢くなったとしても、その宿命からは逃れられないのだ、と僕は思っている。
「…ええっと、つまり、材料の加工の手間に関しては度外視しておくとしても、アスファルトは建築材としてある程度優れている訳ですか」
「そういう事になります。それでですね、街道の整備…すなわち舗装工事を早速行いたいのですが」
そういって齋藤さんが地図を広げて、サインペンで道を引いた。
そのペンを追っていくと、どうやら整備したいのは大橋城から巴坂方面をぐるっと回って、尾親を通り、筆屋町も掠めながら、旗ヶ野を通って路原へ、といったルートのようだ。
大予街道沿いの、大都市を結ぶルートとみていいだろう。
「確かに、このルートどりであれば、かなり物流は捗りそうですね」
「そう期待しております。マスターの許可さえあれば、早速今日からでも整備したいと考えています」
「明日からですか?」
齋藤さんの言葉に大塚さんが少し疑問がかった声で問い返した。確かに性急すぎるような気もするが、それと同時に、流通は一刻も早く進歩させなければならないのもまた事実である。まあ、どちらにしても。
「今の段階で、アスファルト、その他舗装材の整備を許可する事は出来ません」
「そうですか…一応、理由を聞かせてもらっても良いですか?」
齋藤さんが喰い下がって…いるのかこれは?どちらかというと後学のために、といった意志を感じる。
「理由は大きく二つですね。第一に、環境への影響です。アスファルト舗装をしてしまうと、例えば水の吸収を完全に止めてしまったり、日光の反射率が高かったりで、植物や動物などの生物の生育には向いていません。勿論道という細い帯のような所に舗装するだけでは、国土全体に対する舗装面積では微々たるものですが、この細い道が壁となり、生態系を分断するような事があったらいけません…」と、ここで言葉を切る。
それに疑問を持ったのか、齋藤さんが口早に反論する。
「確かに、ただのアスファルトならそうでしょう。ですが、ec産品のアスファルトは、いわゆる普通のアスファルトに関する常識を塗り替えます。生物が生育可能なアスファルトを作ることは当然可能ですし、吸水性とぬかるみ防止を両立させる事も出来ます。雨が降った日に水をしっかりと吸収し、晴れた日にそれを蒸散させる事が出来れば、それだけでヒートアイランド現象の防止に役立ちますし…」
「…というのは建前でして」
「ほう」
アスファルト舗装の良さを力説していた齋藤さんの口が止まった。そう。一つ目の理由は建前、というかとりあえず用意した理由にすぎない。実際の理由は、もっと違う所にある。
「では、その実際の理由とは?」
「それはですね…まあそれが二つ目の理由な訳ですが…旗ヶ野領というのは、この屋敷の中に限定されています」
「そうですね」
齋藤さんが、何をそんな当たり前の事を、という風に相槌をうった。そして気持ち顔が近い。
「……という事は、街道をアスファルトで舗装するためには、双田さんの許可が絶対的に必要となってきます」
齋藤さんの動きがぴたりと止まる。やはり想定していなかったようだ。
もしかして齋藤さん、使用人の皆さんの中では、かなり抜けている方なのかもしれない。
「なんたって道路は完全に双田領な訳ですからね。そこを勝手に舗装する訳にはいきません」
「……では、双田さんの許可さえ貰えば、舗装して問題ない、という事ですね?」
「その上で環境への配慮もできていればの話ですが、まあそうですね」
そこまでいってやっと、齋藤さんは顔をこちらから離した。まあでも、次の島木屋訪問は4日後だから、その時についでに相談すれば良いか。
ところで。
今回アスファルトに関する話と、それの環境への影響への話があったので、こんなものを作ってみた。
[アスファルト Lv24-3
吸水性に優れたアスファルト。また、湿度の低い時には蒸散する事で、必要な時にいつでも吸水する事が出来るようにしてある。耐荷重量は極めて高く、また植物や動物は、このアスファルトによっては往来を妨げられない。]
環境に配慮したアスファルトである。基本的には、齋藤さんが語っていた内容を踏襲している。
特に重要だと考えているのは、『動物や動物は、このアスファルトによっては往来を妨げられない』という部分だ。
新興国が、特に森林を切り開いて開発する時、開発道路が動植物の生活圏を分断する、という話をよく聞く以上、その影響は出来れば排除したい。といっても、大型動物の往来は厳しいし、そもそもアスファルト由来で制限されるようなものでもないだろうから、根本的な解決にはなっていないが。
大変お待たせしました。




