47 一号店の報告
1512年7月14日
「一号店の客足の報告となります」
「おお、楽しみにしていました」
平凡な一日が始まる。
さて、ここは本棟1409階にある第三十執務室である。この執務室のコンセプトは、『学校にあるコンピュータ室』である。型の古そうな、でも効きの良いエアコン、定期的に更新される影響で、一般家庭ではまだ普及していないようなスペックのものさえ入ることがあるコンピュータ、土足厳禁、スリッパで入ることを前提とした琉球型のカーペットといった要素を余すことなく搭載した部屋を見れば、このコンセプトがいかに忠実に再現されたかが分かるだろう。
そしてこの部屋の引き戸をガラリと開け、さも当然かのように報告書を提出したのは、公務隊の商務係、川口さんである。その背後には片倉さんも控えている。
「第一号店の売れ行きはいかがですか?」
「そうですね…詳しくは報告書の7ページを見て頂くとして、全体として概ね好評です。例えば…」
そういって、川口さんが語り始めた。
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「この匂いは…もしかして石鹸?」
開店初日、多数の客で一杯になったが、店員たる商務班商務係の計5名は、困っていそうなお客を中心に接客をしている。今回片倉が目を付けたのは、日用品売り場に足を止める婦人。しきりに鼻を近づけたりして、ようやく包み紙の中身がわかったようだ。
「ええ。その通りでございます」
「随分綺麗な紙で包まれているわね。何種類かあるようだけど、これはなんで?」
「それはですね。お客様の好みに合わせて石鹸の配合を多少変えてあるんです。お客様が今手にとってらっしゃる『ひびき』は、出来るだけ自然な石鹸の香りにこだわった、スタンダードな石鹸です。『のぞみ』は花のような芳醇な香りを、そして『わかば』はハッカを配合しています」
「ハッカ?」
婦人が首をかしげる。それもそのはず、大橋領内では殆ど出回っていないからだ。
ハッカを特産としている地域はあるにはあるが、そこから大橋までは遠すぎて、かつ多くの政治的に危ない地帯を越えなければいけない。しかもその生産量はっかなり少なく設定されているので、なかなか庶民の手には届かないのが現状であった。
大橋の中心地でも滅多に手にできない代物、こんな片田舎では、領主でさえも満足に見る事は出来ないだろう。
因みに補足情報となるが、この婦人、名前はたけという。
水谷村の惣一郎の妻で、三男二女の母である。生活レベルとしては中の中から少し中の上に足をかけているあたり。決して豊かな訳ではないが、機知に富んでいるので、家族から頼りにされている。田舎の…いわゆる平成や昭和の田舎ではなく、戦国時代の田舎の女将さんにしては、かなり教養のある感じを受ける言い回しをしているのは、そうした影響だ。
「ええ。香草の一種で、肌に触れるとすっと涼しくなります。……宜しければ、こちらが試供品となります。どうぞお試しください」
「あら悪いわね。……ああ、確かにこれは涼しいわ!鬱陶しい季節にぴったりね」
事前に泡立ててある泡を婦人がつけるだけで、その泡は婦人の肌から熱を奪っていった。正確にはメントールには熱を奪わせる働きは無いのだが。
因みにecで改良したメントールには、物理的に気化熱として熱を多量に奪うタイプも存在するが、安全性への配慮もあって、今回の石鹸ではそうしたタイプのメントールは使われていない。
要するに、そうした効果を示すec産品は確かに涼しいが、熱を必要以上に奪い取る危険性があるのだ。冷えは万病のもとであるし、使いすぎると、低体温症の危険すらある。こうしたタイプのメントール(仮に体温低下性メントールとでもしておこうか)の厄介な点は、そうした危機が目前へと迫った時、厚着する事によって体温を維持する事が出来ない、すなわち厚着で暖をとる事が出来ないという事だ。厚着の何が有用かというと、体表面から放出された体温を逃さないところにあるのだが、体温低下性メントールは、体温そのものを奪い取る。
そういう訳で、体温低下性メントールは、使い方を誤ると大変な事になってしまう。普通のメントールは体へのごまかしだ、と言う人も多いが、あれはあれで有用だったりするものなのだ。
「そのとおりでございます。是非おひとつ、いかがでしょう?」
「じゃあ、頂こうかしらね」
こうして婦人が一つ、『わかば』を購入した。
こうして石鹸はどんどんと売り上げていく。お昼を回ったころに片倉が売上データを回収したところ、この店での石鹸は、『わかば』が一番多く売れていた。価格は、『ひびき』は一つ5文、『わかば』は一つ7文、『のぞみ』は一つ9文である。
そして、購入者の所得別にデータをとってみると、所得が少ない人は『ひびき』を、普通からちょっと上くらいの人は『のぞみ』を、そして上の人は『わかば』を購入する人が多いようである。
「この『ぷりん』とかいう茶碗蒸し、冷たいがどういう事だ?」
そう質問してきたのは、見るからに農夫、といった風貌の中年男性である。この人は康兵衛。自作農であり、所得は中の中。茶碗蒸しを食べたことはあるが、そうそう頻繁に食べられるものでもない、というのは他の多くの人と共通する事である。
「おお、お客様お目が高い。そちらのプリンは、普通の茶碗蒸しと違って甘いんです。そして冷やして食べるのを、当店では推奨しています。こちら、お試しください」
そういって銀色の、発泡スチロールで出来たような小皿にプリンを一欠いれて、農夫に渡した。
「どれどれ……成程、美味いじゃねえか。確かにこれは冷やしてもいけるな。この茶色いタレも、ぷりんの味を引き立ててる。これで一つ3文となりゃ、ついつい買ってしまいそうだな」
康兵衛は一欠のプリンをあっという間にたいらげ、ケースにならんだプリンのパッケージを見つめた。そしてそれを売上チャンスと見るや、間髪をいれずに奥の棚から目的の商品を紹介するべく探し出す。
「そんなお客様に、こんなものもご用意しております」
「ん?なんだ、そんな奥から……」
「こちら、プリンの4個セットとなっております。まとめて買って頂ければ4個で10文、一つあたり2文半と、大変お買い得となっています」
いつの時代も庶民というのは(いや庶民に限らず)安いものが好きだ。同じ商品でも、まとめ買いするだけで安くなると言われてしまえば、ついついまとめ買いしたくなってしまうのが人情である。
「なるほど、そういうのもあるのか。確かに、そっちの方が買い得だが……10文一気に払うとなると、少し躊躇が出てくるな。まあ良いや、一組もらおうか」
「有難うございます」
中年男性は、普段の顔からは想像も出来ないほどの笑顔で去っていった。因みに独り占めするはずだったプリンは、早くも奥さんに見つかってしまい、親子で分けて食べたらしい。
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「とまあ、こんな感じですね」
川口さんによる解説が終わる。資料を見る限り、結構多種多様な商品を販売しているようだ。アイテム数でいえば2500くらいはありそうである。ただ……
「川口さん」
「何かご質問でしょうか」
「ええ。この資料だとセルフサービス販売での提供となっているのですが、報告を聞くと対面販売も見られるようですね。これは?」
普通のスーパーとかだと、こんなに一人ひとりに気を配った接客というのは中々出来ない。そもそも客の数のほうが店員の数よりずっと多いというのがスーパーマーケットの在り方なのである。時々試食販売をしている時に、買ってもらおうと巧みなセールストークが繰り広げられる事はあるが、それにしたってそれほど広くない店の中で、試食や試用などによる販売がやや多いような気がする。
「ああ、これはですね。単純に皆暇なので、他の人の手が回っていない所を探して接客をしているんです。それで売上を増やすことが出来れば万々歳ですし、そうで無くたって、商品へのウォンツを作り出す事が出来れば、今後有効需要が増えた時に大きく売上に貢献します」
「なるほど。ウォンツですか。確かウォンツって、『絶対に必要という訳ではないが欲しいと思う気持ち』の事でしたっけ」
「その通りです、マスター。絶対に必要であってなおかつ必要だから欲しいと思う気持ちとしてのニーズと対比されて使う事が多い言葉ですね。今の水谷村では、ウォンツのみが先行して、肝心の有効需要が少ない状態ですが」
川口さんがそう思案顔で言った。有効需要というのは、言ってみれば『支払う事が出来る需要』の事だったはずだ。人が商品を購入するには、『欲しい!』という気持ちだけがあってもダメで、それの代金を支払えるというのが必要不可欠なのだ。
そして、この世界の庶民というのは結構貧しい。いや、実際の生活レベルで言えば、戦国時代の一般庶民よりもいくらか豊かな暮らしを送っているのだが、それでも平成日本と同じだけの所得はないし、それを苦にはあまり思っていない。そういう状況下だと、物を売りにくい。
だからこそ、物は安めに売りたいのだが、ここで安めにして売ってしまうと、今度は商人にしわ寄せが来てしまうのは、わざわざ言うべくもないだろう。
「じゃあ、当面の課題はウォンツを有効需要に変える事ですかね」
「そういう事になります。ただ、こればかりは私達商務班ではどうにもならないので、双田様とかに期待するしかありませんが」
「やっぱそうなっちゃいますよね。場合によっては、こちらで雇用を作るなりして需要を作る事も必要かもしれないですね」
「人件費や効率の観点からいうと、わざわざ大橋領の方を雇うメリットは少ないですが、勇往需要のためであればアリかもしれないですね。班内で検討します」
こうして報告が終了した。とりあえず順調そうで何よりである。
さて、今後の店舗展開とかはどうしようかな。
整理して考えよう。
現在のec産品の販売ルートは、島木屋さんへの月1の取引と、新しく水谷村に出来た売店だ。
このうち、販売計画に自由がききやすいのは水谷村の売店、商圏人口が多いのは島木屋さんだ。
島木屋さんで、もっと魅力的な商品を売り込む事が出来れば販売数量を増やしたり、ある程度好きな物品を送り込む事は出来るだろう。別の考え方としては、売店をもっと展開する事が出来れば、一店舗一店舗は商圏人口が少なくても、莫大な商圏人口を抱えることが出来る。個人的にはこちらの方に少し希望を抱いている。
ところでそうなると多くの問題が出て来る。当然一つは、島木屋さんとの取引関係だ。
通商ルートの独占がその国家や企業に莫大な利益をもたらす事は、わざわざ日本史や世界史を繙かずとも明らかである。もし売店まで行けば、わざわざ遠い島木屋まで行かなくても商品が手に入るようになれば、島木屋の売上は激減してしまうだろう。
それだけでなく、それが、元々中堅企業で体力が多いわけではない島木屋の経営状況を悪化させるようなものであれば、島木屋の存亡それ自体にも関わる。さすがに紺原さんが、自分自身や島木屋を路頭に迷わせるような選択をする訳はないと思うが、出来れば彼らには不幸な目には遭ってほしくない訳で……
……なんか難しく考え過ぎな気がする。要するに、出来れば多くの人が得するような形で、美味しい食べ物や便利な商品を行き渡らせたいのだ。そこを見誤ってはいけない。
そんな事を考えつつ、いつの間にか眠りについていた。今度こそ本当に平凡な一日の終わりである。
いつもお読み頂き有難うございます。




