45 お手軽にお茶を
1512年7月8日
「粉末緑茶ってあるじゃないですか」
「ええ、僕もよく飲んでました」
平凡な一日が、今日も始まる。
さて、ここは本棟5002階にある和室である。ここで女中隊174班の面々と雑談をしていた。ここの机は、冬になると炬燵になったりするが、さすがに7月にもなって炬燵を出すわけにはいかず、机の下には涼しい風が通り抜けていた。
さて、冒頭粉末緑茶の話を振ってきたのは、その女中隊174班の志賀さんである。
僕自身、粉末緑茶は日本にいた頃はよく飲んでいた。もっと昔はむしろ麦茶を、特に夏はよく飲んでいたのだが、麦茶が腐りやすいから作らなくなってしまった後は、専ら夏でも冷水か、熱いお茶を飲むことが多くなったわけだ。
平成日本から去る直前…2010年代も四分の一が経過しただろうか、といった時だったか…には、スーパーにも『冷水で溶ける粉末緑茶』が席巻していたので、わざわざ真夏に熱い緑茶を飲む必要は無かった訳であるが、どうにも熱い緑茶の方が好きで、ずっと飲んでいた記憶がよみがえる。
「実はこの緑茶も粉末緑茶から作っていまして」
そういって志賀さんが机の上にある湯呑みを指差した。そうだったのか、それはちょっとびっくり。粉末緑茶は確かに好きだし美味しかったが、実際に茶葉から出した緑茶はひと味違った。
そして、目の前にある湯呑みの中にあるお茶はその緑茶すら超えていた。こだわりの強い神造人間の皆様の事だから、てっきりこのお茶も茶葉からしつこく取っているのかと思ったら、そうか粉末緑茶によるものだったのか。
「そうですか。この粉末緑茶、すごく美味しいですね。粉末緑茶特有の粉っぽさもないですし」
「有難うございます。この粉末緑茶も例によってec産品となっていて、深味と甘味を入れて、また粉っぽさを抑えています」と、志賀さんが返答し、そして外付けアイボのもつ粉末緑茶の情報を提示した。
[粉末緑茶 Lv10-2 1g 120万ec
お茶っ葉を粉末にし、お湯に溶かして飲む緑茶。味に深味と甘味が入っており、緑茶特有の味わいはそのままに、味わい深いものとなっている。冷水でもお湯でもすぐに溶けて、ダマにならない。]
「予想はしていましたけど、結構ec使いますね。この湯呑み一杯分で120万ecですか。いや、120万ecといっても、渡したecの中の割合でいえば極々少量ですし、ついでに大量消費される事はなにも問題ないのですが、それでecが足りなくなったら、いつでも言ってくださいね?」
ある程度分かっていた事ではあったが、いざ目の前のお茶に万単位のecが注がれていることをふと知ってしまうと、使用人の各班に割り当てているecが枯渇していないか不安になってしまう。
「それでしたら問題ありません。現在、割当量で全班が問題なく仕事が出来ているはずです。来年のお正月までは、皆もつはずです」
そう危なげもなく志賀さんが返事した。この言い方だと、本当に来年のお正月まで、カツカツとかそういう事とは無縁に、ecが業務上持ちそうな感じで良かった。これで遠慮して要求を止めているようだと、それは、僕の日常生活にかなり悪い影響をもたらしてしまうし、そもそもこの十年間は基本的にecを使いまくって上限をあげたいので、むしろ積極的に申請に来て欲しいものだ。
「それなら良かったです」
そうして、再び湯呑みを手に取り、緑茶を口にする。やはり、この甘味のなかにある渋みがなんともいえない。
「ところで、粉末緑茶と抹茶の違いは何ですか?」
ふと気になっていたことを質問する。これは日本にいた時から少しだけ気になっていた事ではあったが、時間が無かった事もあり、中々調べられずにいた事だ。
「ああ、それですか。確かに、粉末緑茶と抹茶は、同じ茶葉を使っています。まあ、ウーロン茶や紅茶も実は同じ品種の茶葉なのですが、これらは発酵具合によって区別されます。しかし、こと粉末緑茶と抹茶に関して言えば発酵具合も同じ無発酵茶葉となっています。それではどこに違いがあるのか、という事なのですが…基本的には、カテキンの量に依存します。
カテキンは、渋み成分ですね。これが多いと粉末緑茶、少なければ抹茶となります。で、どうやってカテキンの多い茶葉とか少ない茶葉とかを作るのかという話ですね。これは、基本的に、茶葉に含まれるカテキンの量は、すなわち日照量に依存します。つまり、日照量が少なければカテキン量が少なく抹茶に、日照量が多ければカテキン量が多く抹茶になる、という訳です。低日照量といっても、北陸とか秋田でも、そのままでは抹茶にならないので、衣をかぶせてやるといった対策が必要となってきますが」
なるほど、カテキン量の違いか。…という事はつまり…
「つまり、渋みを全く抜いたec産品の緑茶は、正確には緑茶といえない、という訳ですか」
「そう…とも言い切れませんが、まあ基本的にはそう考えていただいて構いません。その状態の粉末緑茶は、まず抹茶と呼んで問題ないでしょう。それ以外の、例えば抹茶の茶葉を使って緑茶を入れた時と似たような時は、再考の余地がありそうですね。いわゆる玉露だったはずです」
「玉露もそうですけど、一般的には碾茶と言われています」
そう補足したのは、同じく女中隊174班の中島さんである。
「てんちゃ…というと、あの甘いやつですか?」
僕が日本にいた頃、4月頃にやっていたお祭りを思い出す。確かそこでは甘茶を釈迦像にかけていたはずだ。僕自身は特に仏教徒という訳では無いのだが、あのお祭りは楽しかった。確かあの甘茶、正式名称をてんちゃといったはずだが…
「いえ、甜茶ではなく、碾くお茶と書いて碾茶です」
そういって中島さんが、私物と思われる万年筆でさらさらと字を書いた。石偏に展示の展で碾茶か。そう言われれば、お茶屋さんで見たことがあるような、ないような。
「この碾茶の中での代表格が、玉露という訳です。碾茶はそういった特殊なプロセスを辿って栽培された緑茶、という事ですね」
なるほど、深く理解した。
「ちなみにマスターがご想像された方の甜茶は、アジサイの仲間であるアマチャの葉を乾燥させて煎じたものです」
「あれってアジサイの仲間だったんですか」
あの甘さがアジサイからくえるものだったとは、少しびっくり。…アジサイスイーツなんていうのも作れるかもしれない。
ところで、甜茶といえば、花祭り以外でも、よく飲まれるシチュエーションがあったはずだ。
「そういえば、甜茶を昔、家で花粉症対策として飲んでいたのですが、どういった効果で花粉症の症状が改善するんですか?」
そう、実は僕は花粉症だったのだ。毎年春になると鼻づまりがおき、マスクが手放せなくなってしまう。この世界に転移してからは、単純にスギの本数が少ないからなのか、はたまた転移した影響で耐性が出来たもしくは神様が作ってくれたのか、どちらかは分からないが、とにかく花粉症の症状が出る事は無かったが、それまで…日本にいた頃は、毎年春は少しだけ憂鬱だった。これでも薬を飲んでだいぶ改善された方なのだが。
「ああ、それはですね。実は『甜茶が花粉症対策に効果がある』という事は証明されていないんです。治験のデータもあるにはあるのですが、サンプルが相当少なく、医学的に意味のあるデータではないそうです」
中島さんがそう答えた。そうか、効果は実証されていなかったのか。まあよくある話ではある。毎年毎年、有名無名の健康食品が凄い勢いで店頭に並び、雑誌やテレビで紹介されて、医学的な根拠など何もないまま博士風の人物や著名なタレントが喧伝している。そんな流れの中で騙されている…という言い方は不適切だとは思うが、そういった情報の洪水に流されてしまう人はいる事だろう。まあそれはそれで良いの、だが…。
「あれ…?そうだとすると、僕が甜茶を飲んで花粉症の症状が改善されたのは何故なのでしょうか?」
そう。僕自身が花粉症で、その対策に甜茶を飲んでいたのだが、その時に確実に症状が改善されていたのだ。少なくとも、甜茶を飲みそこねた日はとても辛かった記憶がある。
「ほう、それは興味深いですね。まあ、サンプル数が少ないとはいえ、症状が改善されたデータもあるにはあるので、マスターがたまたまそういった体質だったのか、あるいは…」
あるいは…?
「…プラシーボ効果では無いかと考えられます」
プラシーボ効果。なるほど。あり得る話ではある。当時の僕は『甜茶は花粉症対策に効果がある』という事を信じ切っていたので、その思い込みが偽薬を真薬にしてしまったという事か。…効果があったから別に何の損もしていないのだが、少し悔しい。
「…なるほど、プラシーボ効果ですか」
「憶測の域を出ませんが、どちらかといえばそちらの可能性が高いかと思います」
そう中島さんが締めた。そうか、プラシーボ効果かぁ……。『効いたと思ったらプラシーボ効果だった』という時のがっかり感というのはこんなに大きいものだったのか、と一人落ち込むしかなかった。
ところで。
今回は粉末緑茶と抹茶の違いについての話だったので、粉末緑茶を別ベクトルに改良した。今まで、食品の改良はより美味しく、よりマイルドに、あるいはより良いところを伸ばす感じでやっていたのだが、今回は、粉末緑茶を粉末緑茶たらしめる要素に着目して改良を行ってみた。
[粉末緑茶 Lv54-3
お茶っ葉を粉末にし、お湯に溶かして飲む緑茶。冷水でもお湯でもすぐに溶けて、ダマにならない。カテキンを最大限配合し、また苦味成分を増やしている。端的に言うととても苦いが、その分体には良く、飲んでいる途中には気づきづらいコクと旨味が働いて後味が甘くすっきりとしている。]
そう、カテキンを増やしてみたのだ。このまま粉末緑茶を改良し続けると、やがては抹茶との見分けがつかなくなってしまう。
そもそもecでの改良それ自体が、緑茶を碾茶にしていく過程に他ならないからだ。でも、ecの改良は、ただ良くしていく事だけが改良ではない。各産品に、無限の方向性を持たせて改良する事が出来るのが、この能力、ひいてはecシステム全体の強みだと、僕は思っている。今回の改良もその一つ。
碾茶ももちろん美味しいが、緑茶にも緑茶ならではの良さというものがあるはずである。ただ、僕自身は苦いものが苦手なので、どこか間違えて淹れて仕舞わないような所に置いておかないと…
そんな事を考えつつ、平凡な一日が終わる。




