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ec経済観察雑記  作者:
60/66

44 裁判見学(後編)

同日


「中々刺激的な民事裁判ですね」

「そうですね、でももう一方の言い分も聞かないといけませんね」

 裁判は続く。




 原告の申し立てが今さっき終わった所ではあるが、事件の理解だけなら原告側の話を聞いているだけで十分だろう。つまり、事件の顛末はこうだ。

 『絵を買ったら偽物だったけど、燃えた』。これ以上の説明は特にいらないだろう。後はこれにどんな状況を付加していくか。これが原告被告の腕の見せどころだろう。

 そして申し立てが終わると、傍聴席ににわかに私語が多くなってくる。もちろん冒頭の会話もそうした私語が多い状況を活用したものではあるが、堀永さんはそうした傍聴席の方を見やると、木槌を叩いた。


「静粛に」


 この言葉が発された瞬間、傍聴席はさっと静まり返った。堀永さんもある種のカリスマ性を持ってますよね。そしてそのカリスマ性は双田さんのそれとは微妙に異なっている気がする。


「それでは、被告は事件の概要の再説明をせよ」

「はい。私は、大橋は美流にて美術商を営んでおります、行衛屋の桾右衛門くんえもんと申します。

 事の顛末は、昨年の3月、私がある美術収集癖のある武家の方から美術作品を購入した所から始まります。その舞派の作品をひと目見て気に入った私は、その方が美術の鑑定眼が浅い事を利用させて頂き、これを10両で購入しました。

 しかし、この10両で購入したという事実と、その絵画が本物だったか偽物だったかは完全に区別されるべき事案ですので、ご注意を。そしてそれを、玉鷲村の久保田殿に売却する事に致しました。といっても、美術商というのは信用商売。ひとたび偽物と気付いたら、返品する義務がございます。そのために、私は久保田殿との相談の末、こういった契約を結ぶこととしました」


 そういって行衛屋の桾右衛門さんが堀永さんに書類を提出した。見たところ、これは完全に久保田さんと同じものであった。一応内容を提示しておく事としよう。


===桾右衛門氏が提出した書類===

契約書

10月2日

購入者甲は、販売者乙に対し、300両を購入の対価として支払い、乙は甲に対し、300両の対価として、舞派の作品である絵画丙を引き渡す。

ただし、甲は丙が偽物であると判明した時、乙との取引を無かった事に出来る。

===


 …うん、一字一句違わない、完璧な契約書だ。双方がこれを提示した以上、書面は完全に同意されているもの、と判断して間違いなかろう。そして桾右衛門さんはこの書類を、堀永さんが読むまでもないと判断したのか、渡し終えて、席のもとに戻ると、すぐに口を再び開いた。



「そして正月八日の話です。田舎での挨拶周りやらを全て終えて、再び店を開けた行衛屋に、午前中早々久保田殿がやってきました。

 そして、鑑定書と保証書を付けて、『絵の代金を返してくれ』と言ってきたのです。先程申し上げたとおり、私共には、偽物だと判明したら取引を無かった事にする…すなわち、絵の返品に応じる義務があります。そして、ここからが大事なのですが、返品というものは、取引の逆移動の事です。すなわち、金銭を販売者が、商品を購入者がそれぞれ持っていないと、返品は成立しません。しかし、彼らはその事を聞かれると、『絵は正月の家事で燃えてしまった』というのです。それはおかしい話です。

 確かに、絵とて紙ですから、燃え落ちることはありましょう。しかし、返品の性質が、先程申し上げたように取引の逆移動である以上、商品の無い返品というのは存在しえません。その件に関してそんな回答を致しますと、彼らは裁判に訴えました。一審では幸いなことに我々の主張が受け入れられる結果となりましたが、二審にまでもつれこみ、内心かなり困惑しています」



 ここで、行衛屋さんが言葉を切った。なるほど、原告と被告の主張は分かった。

 原告は久保田という農村の名主の男。そして被告は行衛屋という美術商である。そして、この二者は返品特約を付けて売買契約を結んだ。そしていざ偽物だという事が判明した、という時に火災で燃えてしまった訳だ。

 『偽物である事が客観的に証明できている以上返品に応じるべきだ』とする原告側と、『商品が無い以上、返品には応じられない』とする被告側が対立している、というのがこの裁判のあらましであろう。


「田名川さんだったら、どちらの言い分を認めますか?」と、青木さんが田名川さんに質問した。

 ふと周りを見渡すと、そんな事前予想が、至る所でヒソヒソ声で行われていた。やれ久保田の主張を認めるべきだ、やれ久保田は怪しい、やれ行衛は信用出来ない、そんな声が、各所から聞こえてくる。


「うーん、そうですね…まだ、具体的な事は何も分かっていないですよね。実際偽物だった証拠はどこにあるのかとかです。そういった証拠を全て明らかにして、その上でそれ以外の新事実が一切出てこなければ…」

 なるほど。彼女の中では、ある程度裁判への見通しが見えているようだ。そんな事を考えていたら、再び堀永さんが木槌を叩いた。

「静粛に。…さて、これより証人喚問を行う」


 そして、証人喚問と称して登場したのは、二人…壮年男性と若い女性が現れた。

「各人、名を名乗れ」

「はい、私は黄灰寺おうかいじ瞬悳しゅんとくと申します」

 壮年男性がそう名乗った。黄灰寺さん、という事は美術に明るい人だ。


「はい、私は行衛屋の美枝みえと申します」

 若い女性はそう名乗った。行衛屋サイドの人か。


 この二人が証人喚問に呼び出された、という事は、どういう事か。

 黄灰寺さんは明らかに久保田さんサイドに有利な人物だし、美枝さんに至っては行衛屋サイドそのものである。この二人がいるという事は、誰がどちらに質問するのか、という事に、二通りの可能性が考えられる。

 例えば黄灰寺さんで言うと、久保田さんサイドが、自分に有利な証言を引き出すために黄灰寺さんに質問するのか、はたまた桾右衛門さんが、相手に不利な証言を引き出すのか、という話である。まあどちらでも大して影響がないと言われればそれまでなのだが、多少なりとも奉行の方向性に影響を与えるだけに、この流れには少し興味がある。


「それでは黄灰寺瞬悳に質問する」

 そういって質問したのは堀永さんだった。…そうか、奉行が質問するという可能性がすっかり失念していた。確かに流れ的にはそちらの方が自然だろう。

「まず、知っている事を克明に説明せよ」

「はい。これは今年の正月の事です。私は知り合いの…」

 長くなりそうなのでカットする事にする。




「…という事です」

 やっと証人喚問が全て終わった。あまり実りある証人喚問とは言い切れないが、とにかく情報を整理しておく事としよう。


 まず、最初に証人喚問されたのは、描写にもある通り黄灰寺氏である。彼は高名な美術評論家であり、本人が登場した時も、多少ざわつきが起こった。

 彼の話によれば、久保田さんの話の中にあった氏に関する情報は全て真。そして、絵画は完全に真っ赤な偽物である事を証言した。ただ、贋作としては質の高いものであり、30両ほどの価値はあるだろう、と述べた。


 次に証言したのは行衛屋の若い職員。彼女は事務の他、契約書の作成などもしており、この契約書を書いたのも彼女である、という事だ。

 彼女のは、主に契約の正当性と契約履行の合理性について語った。曰く、返品契約は確かに、その商品が本物である事を保証する目的で、ついでにその保証をすることで、相手側に安心感を与えるために入っているものだが、その契約はあくまで返品契約であり、返品する商品それ自体が無いと返品は成立しないという事、そして以前の、商品持込みのもと返品が実現されたケースをあげて、この返品契約が確かに有効なものであり、決して履行されない類いの条項では無いことを強調した。


 うーん、こうなってくると、いよいよどちらかは分からなくなってきた。行衛屋側は、この絵画が本物であるような証拠を一切提出しなかったので、心証的には久保田氏サイドの方が有利な気もするが、久保田氏は既にスタートラインにおいて、絵画の消失という形で遅れをとっている。果たして、どういう判決を下すのかな…

 僕としては、ここまで色々な状況が判明し、なお争っている状況なので、例えば半額返金とかでも良いような気がする。あるいは、堀永さんが1/3を負担しても良い。三方一両損のような。


 そんな事を考えつつ、にわかに話し声が大きくなって来ている傍聴席に耳を傾ける。この大橋城にある裁判所に歩いて来る事が出来る、という事はある程度お金のある人しか傍聴に参加していないとは言え、世代や教養のある無しに関わらず参加しているので、様々な意見が出て来る。

 行衛屋が全額支払うべき、という意見。いや、行衛屋は支払う義務はない、という意見。倉に火を付けた奴をとっ捕まえて、そいつに払わせれば良い、という意見。そんな事よりお蕎麦を食べたい、という意見。色々な意見が出るが、その意見達は、堀永さんの叩く木槌によって一掃された。


「静粛に。……これより判決をくだす」

 この場にいる全員…原告である久保田氏に、被告である桾右衛門氏。そして各サイドの証人。もちろん傍聴席にいる我々も、堀永さんから発せられる言葉に、固唾を呑んでいた。そして、蚊さえも羽ばたく音を止めた時、堀永さんが、再び口を開いた。


「判決。私堀永空は、大橋領の司法奉行代表としての立場から、被告は原告に、代金の全額を支払う事を命じる。なお、贋作が30両ほどの価値があったことを鑑み、原告が被告に30両を支払う事を、返品の条件とする」


 この判決に、傍聴席が一瞬ざわっとしたが、すぐに静まり返る。傍聴席内では、皆判決の内容を理解するのに手間取っているように、皆が思ったからだ。さて、静まり返っている間に、今回の判決を整理しよう。




 被告は裁判をかけられた側、つまり行衛屋の桾右衛門氏である。そして原告は裁判をかけた側、すなわち久保田信介氏である。つまり、堀永さんは、行衛屋が返品を受け入れるべきだと言っている訳だ。ただし、久保田氏も同様に、焼失した絵の価値の分だけ返品すべき、と言っている。完全に折半判決みたいな雪解け判決はさすがにしないか。


「なお」


 傍聴席が作り出した沈黙を再び堀永さんが破ったのは、それから2分後の事であった。『なお』という事は附則があるのだろう。お互いを見合わせるようにもしていた傍聴席や、当然原告も被告も、証人も皆堀永さんの方を向く。


「この判決の趣旨について説明する。この返品特約の意味とは、『偽物だった時の購入者の不利益をカバーするもの』であり、偽物とかなり確からしい証拠が出ている限り、これは返品に応じるのが筋であろうと判断する。

 こうした取引では、動的安全よりも静的安全を重視する事が必要だ。また、絵画の焼失に関して、原告の過失で無いことも考慮に入れた事をここで明らかにする。しかし原告は、取引が無かったものになった以上、他人の美術品を保管していた事になるので、その時の保管義務が履行されなかった事になる。こういった理由で、30両の返金が必要だと判断する」


 ………?つまり、『300両を支払い、絵画を受け取る』という契約が最初から無かった事になった…のか?そうなると…


「契約が無くなった結果、過去に遡って、『行衛屋の、偽絵画を久保田が預かっていたが、管理不足により焼失した』という状態が起こったことになりますね。この解釈は、日本の民法界でも様々あったと記憶していますが、まあ妥当なところでしょう」と田名川さんが耳打ちした。


 なるほど、確かにそれなら、30両の返金というのは理に適っている。今後同様の事件が起こったとしても、地方の奉行所で同様に裁かれ、最高奉行所まで持ち越される事はめったになくなるだろう。


「以上をもって、奉行を終わる」

 堀永さんの一言で、奉行所の人たちが扉を一斉に開ける。こうして、奉行…というよりは裁判が終了した。中々エンターテインメント性の高い裁判だったと思う。



「いやはや、疲れたよまったく」

 他の奉行記録を一通り確認し終わった後、大橋城に再び戻ってきたら、既に堀永さんが着崩して座っていた。どうやらオフモードらしい。そこにいたのは一人の堀永空という人間であり、間違ってもつい先程まで奉行所で辣腕を振るい、威圧感や存在感をもって奉行所中の空気を支配した人では無かった。

「ああ、先程の采配、お見事でしたよ」

「ありがとう。それはともかく、何かつまめる物持ってない?少しお腹が空いちゃって」

 堀永さんが完全に疲れた感じで聞いてきた。空気が抜けているような堀永さんを、今例えば行衛屋のご主人が見たらどう思うだろうか。まあどうも思わないだろうな。それはさておき、つまめる物か。確かに時刻も正午をとっくに回っており、かといってお昼はまだ食べていないので、そういう軽いものをつまみたくなる気持ちは分かる。そうなると、何が良いかな…


「ああ、こんなものがありますよ」

 フィナンシェを持ってきたのをすっかり忘れていた。

「ありがとう」

 そういって堀永さんがそのまま咥え込んだ。


「美味しいね、これ。そのまま何個でもいけちゃいそう」

「フィナンシェの製作動機は、なんといっても手軽さですからね」

「そうなんだ。じゃあ、後で発注かけるかも。業務の合間に食べたいから。でも」

 堀永さんが一呼吸おいた。でも?

「もうちょっと水分があった方が嬉しいかな」

 そう言って堀永さんが咽せこんだ。あんなに喋った後で一度に食べてしまうから。頭がいいのかそうでないのか…でも、そんなところが堀永さんの魅力なのかもしれない。




 こうして、裁判見学が終了した。

いつもお読み頂き有難うございます。

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