39 月見とフォアグラ
1512年6月15日
「月が綺麗ですね」
「ちょっと待って下さいいきなり夜ですか」
平凡な一日が、今日も始まる。夜だけど。
さて、今は本棟41階にある、女中隊32班(第二秘書班)10係小会議室に来ている。通常小会議室は6畳(収納なし)の部屋が割り当てられているが、この部屋は4畳半、収納を入れても5畳しかない。その代わりに、外のベランダに出られるようになっている。
今回は、その決して広くはないベランダに出ていた。班長である宮野さんだけが同じくベランダに出て、その他の第二秘書班10係の面々は会議室で待機していた。窓は開け放しているので、そのまま会話することが出来る。
「しかし、十五夜ですね」
僕がいつも冒頭に書いている日付、これは新暦で、大橋領内(と旗ヶ野領内)でのみ通用している暦である。この暦、どうやら太陽暦らしい。
太陰暦の場合、月齢をもとに日数を判断しているため、15日は必ず満月(もしくはそれに限りなく近い月)となる。しかし、太陽暦の場合、そうなるとは言い切れないのだ。なので、15日に十五夜が見える、というのはかなり貴重な事なのだ。
「ちなみに地球の1512年6月15日は、ほぼ新月だったはずですよ」
そう事もなげに宮野さんが言った。
「って事は、大体月の満ち欠けが逆になっている、という事ですか」
しかし何でそんな事まで覚えているのだろう。純粋な興味として気になる。特に彼女は天文班でもないから、地球のデータと照らし合わせる必要性など特にないのに。
「そういう事になりますね。完全に逆じゃない、というのが凄くアバウトな感じですけどね」
「これでもし完全に裏だったりしたら、地球の裏世界ととる事が出来るんですけどねー」
そういって皇さんが笑った。なるほど、そういう解釈も考えられるか。
今まで地球のある世界とは全く異なる世界かと思っていたら、実はかつての世界と密接に影響しあっている裏世界、という解釈だ。でも、仮にそうならあの神様の事だ、完全に月齢も逆にするに違いない。中島語を完全に現代日本語に寄せてくるくらいだ、それくらいの調整、苦とも思わないだろう。
やはり、ここは裏世界などではなく、地球(特に日本)を大いに参考にして作った別世界、異世界なのだろう。それはともかく。
「知ってますか?マスター。『月が綺麗ですね』という言葉には、普通に月が綺麗だという意味の他に」
「存じ上げております」
宮野さんの言葉を、途中で遮った。この話はあまりに有名すぎて、解説する必要もないだろう。気になる人は、ぜひ調べて頂きたい。
「そうですか。まあ、お返事は結構です。そして、それはともかく」
宮野さんが今の話を切り、双眼鏡を差し出した。それを受け取り、月の方向へと覗いてみる。いわゆる地球の月よりも目測いくらか大きいこの大球の月だが、双眼鏡を通して見ることで、よりはっきりとそのクレーターを見ることが出来た。
クレーターとそうで無い所の凸凹は勿論だが、クレーター内の微妙な深さの変化も感じる事が出来た。よく目を凝らせば、月の山が作る影も見る事が出来そうなくらいだ。
「しかしよく映る双眼鏡ですね」
「売店にあった物です。恐らく工業班が作成したものかと」
工業班か。しかし工業班もかなりの技術力をつけたものだ。気合と根性、それから手先の器用ささえあれば完成にこぎつける事が出来る一点ものの工業製品と比べて、大量生産品はどうしてもある程度技術力がないと完成する事出来ないので、工業班の目覚ましい技術の発達を感じる。
「鑑賞中失礼します。こんな物をお持ちしましたが、いかがですか?」
双眼鏡を覗き込んでいたら、後ろから声がしたので、双眼鏡を構えるのをやめ、後ろを見る事とした。すると、廊下から、第11給仕班の津田さんが何やら団子のような物を持ってきた。
「ああ、いいですね。お願いします」
そして、津田さんが団子を持って小会議室に入ってきた。
さて、団子というと、何を想像するだろうか。僕は、みたらし団子やあん団子などの、いわゆる串団子のイメージが強い。
だが、創作物においての団子といえば、丸い球のような白い団子を、桐で出来た皿の上に、四角錐のように盛り上げたものであろう。そして、今津田さんが持ってきた津田さんは、隣にすすきが無くてはならないと感じるくらいの、創作物の中のそれであった。
「団子ですか、良いですね」
「折角満月ですし。あ、これは低カロリー加工の小麦粉とかを使っているので、マスターは後で食堂で栄養補給をお願い致します」
低カロリー加工。それなら女中隊の面々と一緒に食べる事が出来るのか。実は、低カロリー加工産品はまだ食べたことがなかったので、かなり興味がある。
「では、いただきます」
一口放り込むと、確かな食感と餅の甘味が広がった。中にはどうやら暗刻…失礼、あんこが入っているようで、ベクトルの違う甘さのダブルパンチが襲ってくる。これは普通に美味しい。一般に『低カロリー食品』と言われているような食品は、どうしてもフルカロリー食品と比べて違和感が出てしまうが、この低カロリー加工だんごは、そんな事は全く感じなかった。そしてあまりの美味しさについ4個ほど食べたら、お腹が一杯になってしまった。
「美味しいですね」
「何せ、低カロリー加工だけに飽き足らず、食味の改良や満腹感までよく配慮されたものですからね」
そう言われて、説明書きを見てみる。
[団子 Lv103-5
あんこが入っている、少し高級な月見団子。ローカロリー加工で、ダイエット中の人にも安心、というよりほぼノーカロリー加工。お餅の甘味やあんこの甘味を強くしている。あんこはただ甘いだけでなく、上品な強い甘さが特徴的。食べた後の満腹感も強い。]
なるほど、これはかなり改良に改良が重ねられている。ローカロリー加工品を改良するのにはメリットがあって、それは、『低カロリー加工以外の箇所を改良する事で高カロリー化するので、結果として低カロリー加工を重ねがけする事が出来る』という所である。
もちろんこれと同様の事は、通常カロリー加工産品にも言う事が出来るのだが、低カロリー加工産品の方がカロリーを低くしようという精神的圧力が高いので、改良が成功しやすい印象がある。まあそれはともかく。
「しかし、月に団子は定番ですよね」
団子のない月見など、特に秋には考えられないくらいだ。
「そうですね。毎年、十五夜の季節になると、日本では各地のコンビニやスーパーが団子を気合を入れて並べだします」と、津田さんが返した。
確かに、普段コンビニではシュークリームやプリンなどに押され気味な団子だが、月見のシーズンには途端に幅を効かせているような気がする。もちろん花見のシーズンもだが。
「実際の十五夜…秋頃には、栄四郎さんも呼んでお月見をやりたい所ですね。ここの屋上でもなんでも使って」
「そうですね。屋上も良いですけど、和庭園も捨てがたいかと」
その宮野さんの返答に、僕は頷くばかりだった。
さて、お団子でお腹いっぱいのまま、食堂に向かう事とする。そこには、10係の面々もついてきた。ここから最寄りの食堂という訳ではないが、10階にある第二食堂に向かうこととする。そして、その広い第二食堂の入口に到着した。
「いらっしゃいませ。何をご所望でしょうか?」
「重めで、あまりお腹を圧迫しないものを」
食欲自体はあるのだが、それよりも満腹感が勝っている。なので、あまりお腹の容量を消費するようなものの気分ではなかった。かといってここで必要なカロリーを摂らないと、後でガタが来るかもしれないので、あんまり軽めにしすぎるのも考えものだ。あえて今回第二食堂を選んだのは、小粒で高カロリー、高栄養の食材が多いと見込んだからであったりする。
「かしこまりました。少々お待ち下さい」
そういって女中さんが下がった。料理が来るまで、しばし待つ。しかhし見るからに高級そうな内装だ、第二食堂。
実際、金色のところはただ金メッキをふかすだけでなく本物の金を使っているし、その他の生体素材も、成分的には本物と何も変わりやしない。まあ正確にはこちらの方が少しだけ耐劣化加工がなされているが。そんな事を考えていたら、料理が運ばれてきた。
「本日のメインは、ロッシーニ風ステーキになります」
「中々刺激的な食事ですね」
ロッシーニ風ステーキ、か。さて、ロッシーニといえば、イタリアを代表する音楽家である。音楽を勉強する人間にとって、彼は避けては通れない。
代表作品といえば、何と言っても『ウィリアム・テル序曲』である。ロッシーニは死後50年はとっくに経過しているので、心置きなく話題に出せるのが嬉しい。
そんな事を考えていたら、演奏が始まった。ここ第二食堂では、最近食事中の生演奏が始まった。宮廷音楽さながらの演奏を聞けるので、個人的にはとても好きな企画である。もともと自由班だった女中隊1982班が演奏を初めて、音楽班になったという経緯を持っていたりする。
今回の曲は、ロッシーニのウィリアム・テル序曲。演奏は1982班6係の木管五重奏版だ。うん、やっぱり良い曲。
そして、音楽をゆっくりと聞きながら食事にも手を伸ばす。相変わらず満腹感の方は持続しているが、食欲をそそる見た目だ。なんと、ここにはステーキにフォアグラとトリュフのソテーが乗っている。
世界三大珍味の二つが邂逅する、なんとも贅沢な料理だ。食べてみると、ステーキは柔らかくて美味しいが、それ以上に柔らかいフォアグラの脂が、しっかりと舌に印象を残した。トリュフは…まあ美味しかったが、という印象である。珍味として珍重されている理由についてちょっと分かったかな。
でも、このキノコなら大量に市場に流通させる事で、価格がいくらでも下がりそうな気がする。そんな感想を持つのも、根本的に舌が子供だからですね、すみません。
そんな珍味をあまり理解できないような僕であったが、やっぱりフォアグラは美味しい。いってみればガチョウやアヒルのレバーだが、いかんせん脂肪が多い。
「確か、フォアグラってガチョウを肥育して生産するんでしたっけ」
どこかの本で読んだような知識を確かめるべく、宮野さんに聞いてみる。ちょうど、ウィリアム・テル序曲は長調に転調したころだ。
「ええ。21世紀の地球で一般的だったフォアグラ用ガチョウの生産方法としては、ガチョウに強制的に給餌させるというものがありますね。結局フォアグラって、ガチョウの脂肪肝なわけですから、ガチョウを太らせない事にはどうにもならない訳です」
「ちょっとそれって動物虐待的じゃないですかね。望まれない給餌って、かなり辛いと思うんですよね」
血管に大量に点滴が注ぎ込まれる感覚、とでも言ったら良いのだろうか。それとはまた勝手が違うとは思うが、それにしたってエネルギーを脂肪に変えるしかない状況は辛いと思う。
「実際、それは議論になっていまして、例えばスペインでは『人道的なフォアグラ』として、強制給餌を行わないガチョウを使ったフォアグラも生産していました。ただ、フランスやハンガリーなどの、フォアグラの生産農家の中には、反論があるのも事実です」
「と、いうと?」
物事は一面的に見てはいけない。多面的な、相反する考えを聞いてこそ、正しい結論というのを導き出す事が出来るわけだ。もちろん、僕が感じたことが事実な訳ではないわけだが。
「彼らは、『何百年も前からこの製法でフォアグラを生産してきたから、この強制給餌法は合理的な手法であると言える。そもそも、フォアグラの生産手法としての強制給餌法が非人道的だとしたら、美味しいフォアグラは生産できない』と主張しています」
なるほど、彼らの言いたい事も分かる。が、それは所詮生産者のレトリックではないか。ストレスを与えようと与えまいと、脂肪の乗った肝臓は美味しいはずだ。
「その主張はちょっと甘いんじゃないですかね。どちらにしろ、ガチョウの自然の摂理には反している訳ですから」
「ところが、そうとも言い切れないんです。というのも、そもそもガチョウは渡り鳥なんです」
「というと?」
渡り鳥で有ることと、強制給餌が許される事とにどんな関係があるのだろうか?食文化の違い?
「渡り鳥というものは、基本的に長距離移動をする動物です。そして、長距離移動中は多くのエネルギーを消費するため、渡り鳥というものは多くの食物を、渡りをする前に食べておくんです。つまり、特定の季節に脂肪肝になる事自体は、かなり普通な事なんです」
「なるほど。でも、それにしたって…」
ガチョウが渡り鳥で、栄養を蓄える習慣があるのは良い。そして、その過程で脂肪肝になるのも良い。でも、それを利用しての強制給餌は、やはり非人道的と言わざるを得ないのではないだろうか。ガチョウだってたまには食べたくない時もあろう。
「マスターの懸念も分かります。分かるだけに、生産者側の言い分が詭弁に聞こえてきてしまうのも、また事実です。ただ、紛れもない事実として、消費者が、強制給餌を使ってでもガチョウの脂肪肝を求めていた、という事があるんです。需要があるから、供給を作らざるを得ないわけです」と、宮野さんが歯切れ悪そうに言った。
確かに少し意地悪な疑問だったかもしれない。そして、『人道的なフォアグラ』という商品があるとはいえ、それがまだ普及しているとは言い難い。何せ、強制給餌の方が格段に楽なわけだから…待てよ。
「ところで、このフォアグラはec産品ですよね?」
その質問に女中さんがうなずき返す。という事はだ。
「ec産品のフォアグラこそ、まさに人道的なフォアグラと言えるのでは無いでしょうか」
これは一種の思いつきのようなものだ。強制給餌によるフォアグラに、倫理上の問題がつきまとうのは何故か。それは、強制給餌をさせられたガチョウがかつてその世の中に存在したからにほかならない。しかし、ecを使ってフォアグラ…ガチョウの脂肪肝を出した時、その前後に、ガチョウは一羽もいないのだ。つまり、このフォアグラを育てるまでの肥育方法というものは当たり前のように存在しない。
「なるほど…確かにそうかもしれません。我々神造人間を除けば、全てのec産品は、基本的に物質やエネルギーのみ創造される形になります。肥育されるガチョウがいないので、これは間違いなく人道的なフォアグラですね。ええ、間違いありません」
宮野さんが思考を張り巡らせながら、しかし確かに頷いた。これで心置きなくec産品のフォアグラを食べる事が出来る。そう思いつつ、残りのフォアグラと、ロッシーニ風ステーキを平らげたのであった。しかし、これもしかしたら菜食主義者の行動根拠すら完全に覆すことが出来るかもしれないのか。
ところで。
今回は、卵を作った。といっても、卵自体はずっと前に作ってあるので、今回は、目玉焼きを焼くことに特化したような卵を作った。
[卵 Lv12-5
濃厚な卵。あえてカロリー減少加工を緩めにする事で、高栄養価、高タンパクを実現している。白身の焼けやすさが調節されており、簡単に半熟卵を作ることが出来る。]
今回、どうやって目玉焼きを焼くことに特化させたかと言われれば、ひとえに白身の焼けやすさにつきる。白身が焼けやすければ黄身は生に近い状態で目玉焼きとなり、逆に白身が焼けづらければ黄身がかなり堅焼きに近い目玉焼きとなる。
まあそんな細かい調節をしなくても、調理班であれば好みの堅さに仕上げてくれるので、問題ないといえば問題ないのだが、自分自身が目玉焼きを焼くことを想定しての事である。
いつもお読み頂き有難うございます。




