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ec経済観察雑記  作者:
49/66

36 寺納豆に関する諸考察(後編)

同日


「…いえ、串岡さんの事は呼んでいませんが。でも、ちょうどよい所にいらっしゃいました。納豆料理の考案に協力して頂けますか?」

「ええ、勿論です。というよりそのために来たわけですから」



 串岡さんがそう言って胸をはった。しかし、一つ気になる事があるとすれば、ここが普段お届けしている本棟1階の第一執務室ではなく、本棟50階の第二執務室であるという点だ。その事を考えると…

「ところで串岡さん、貴方はどうしてこんな所に?」

「ああ、実は私、今日はお暇を頂きまして。基本的に、私が非番の時は、一時的に調理班長の業務は岸辺さんにやってもらう事にしているんです。私は今日一日非番で、次の業務は朝5時から第三食堂に出向して、その後は休憩を挟んで18時から第一食堂で調理その他を行います。まあそんな事はどうでも良くて、とにかく私は52階の映画鑑賞室で映画を楽しんでいたのですが、どこからともなく面白そうな会話が聞こえて来まして」


 そうか、非番か。いや、当然非番はあってしかるべきだし、むしろ無い方がおかしいのだが、串岡さんといえばどうしても第一食堂にいるイメージが強いので、どうしても50階にいると違和感を持ってしまう。実際にはつい最近麻雀勝負を行っていたりと、勿論非番が無いわけではないが、イメージというのは怖いね。

「さて、そんな事はどうでも良いではありませんか。とにかく納豆料理に関してですが…早蕨さん」

 そういって串岡さんが指をぱちんと鳴らす。すると、執務室にキャスター付きのシンクやら冷蔵庫やらを押して、早蕨さん以下数名が入ってきた。…もしや。

「早蕨さん達も非番ですか?」

「ええ。我々も何か非番中手持ち無沙汰だったので、第一調理実習室で料理をしていたら、串岡さんがすごいスピードで、『今日空いていますか?』と。当然他の人と会う約束をしている訳でもない我々は、すぐに指示されたもの…これは第三料理教室からの流用ですが…を持って来て、そのままここに来たわけです」


 貴方がたは非番に何てことしているんですか。どうやらオフの時間はそれぞれ満喫しているようだが、それでも仕事から逃れられていない感じ、やっぱりワーカーホリックなのだな、と常々思う。



 さて、今回早蕨さんが持ってきたキャスター付きのシンクやら冷蔵庫やらは、料理番組で使用することを想定しているようなものである。

 ただ、完全ワイヤレスでも問題なく動くように、電気は超高効率蓄電池で溜めておいている。シンクの水は、蛇口に水のec産生装置、排水口に排出物を完全消去するはたらきのある虚無パイプを設置し、完全に独立して使えるようにしてある。温水も同じ要領で作成している。ガスも似たようなものだ。

 もっと言ってしまえば、現在蓄電池に頼っている電気も、自動的に電気が補充されるような蓄電池、あるいはecで電気を産生してくれるコンセントのようなものがあれば、それらの問題は難なく解決しそうな気もするが。


 そして、冷蔵庫には電気を使っていない。それでは、どういうメカニズムで動いているのか、という話になるが、なんてことはない、普通の冷蔵外付けアイボだ。

 外付けアイボのメリットはなんだ、という話になると、どうしても、他者への収受がしやすい(特にecの収受は、書類の形での収受を除けば、ほぼ外付けecアイボでしか収受する事が出来ない)という点に目がゆきがちであるが、それ以外にも隠れたメリットとして、『実際の保存機構のシステムを流用しやすい』という事があるわけだ。

 つまり、ここで言えば冷蔵庫。冷蔵庫は、冷蔵することで日持ちを良くする、一種の保存器具だが、その再現は、普通の冷蔵アイボだけでは出来ない。やはり冷蔵庫は、扉を開けてそこから材料を探す手間があってこそだ。


 似たようなことは、他にも色々な事…例えば、理科室にある薬品庫であったり、ガソリンスタンドにある危険物倉庫であったり、はたまた食品倉庫にある冷凍室であったり…にも流用出来ると思う。

 いくら安全とはいえ、教師が自らのアイボの中に直接劇薬を入れるのは倫理上大きな問題がある。しかし、学校内の試薬の中で危険なもの、反応しやすいものは全て外付けアイボで作った薬品庫の中に突っ込めば、そういった倫理上の問題をクリアする事が出来る。そういった使い途があるのだろう。


 話を戻そう。


 つまり、あえて食品の取り出しに冷蔵庫を今使っている理由は、単に『冷蔵庫を再現したい』というものである、という事だ。

 普通の使用人の間だけの調理なら、各人が冷蔵アイボを持っていればそれだけで事足りるが、例えば冷蔵庫が一般に普及した状況で料理教室を開いたり、料理番組を作ったりする時に、各人の冷蔵アイボから取り出す方式ではどうしても敷居が高くなってしまう。そういった事を防ぐために、大多数に馴染み深い装置を使うことが有るわけだ。




 さて、そんな事を考えている間に、即席キッチンの準備が完了したようだ。

「それでは、まず私から宜しいでしょうか」

 そう切り出したのは、第七調理班の笹山さんである。そして彼女が持っているお椀には、うどんが入っていた。うどん。美味しいですよね。普通のかけうどんとの違いがあるとするならば、スープとかつゆとかいったものがここには一切なく、ただ寺納豆だけがあった。


 割り箸がついていたので、それをぱちんと割り、啜る。…うん、美味しい。普通うどんは麺つゆで食べるものだが、それを納豆で食べても美味しい。


「濃いめの調味料としての仕事は、麺つゆだけでなく寺納豆でも出来るのでは無いかと思いまして」

 なるほど、確かにそういった特徴はあるだろう。そして、その濃さが、同じくらい風味の濃いうどんと絶妙にマッチしていた。…ただ。

「…確かに美味しいですし、一口食べると二口目が欲しくなりますが、ただ…。少し濃いような気がします」

「濃い、ですか。…少し失礼します」

 そういって笹山さんがもう一つのお椀を持ち出して、要領よく割り箸を割ってうどんを啜った。一口、二口。そして四口ほど啜り終えたところで、笹山さんはお椀を机におき、こちらに向き直った。


「…確かに濃いですね。この濃さは確かに一食分食べきるのは厳しいです。運動を多くする農民の皆さんとかなら美味しく食べられるかもしれないですけど、そうすると今度は、次に食べるものの味があまり感じられなくなってしまいます。すみません、これは完全に私のミスです」

 そういって笹山さんが深く頭を下げた。

「いや、でも確かに一口目はかなり美味しかったです。色々調整さえすれば、かなり普及するやもしれません」

「そういって頂けると嬉しいです。またこの納豆うどんは研究しておきます」

 そういって笹山さんが、お椀を二つお盆に乗せて部屋の奥へと下がった。




「では、私はこれを」

 そう言いながら笹山さんに代わって前に出たのは、同じく第七調理班の池田さんである。ところで最近使用人の皆さんの容姿を全然解説していないような気もするが、まあそこは追々少しづつ解説していけば良かろう。ちなみに池田さんは目がくりっとした、実はコンタクトレンズを付けている女中さんである。

 そんな池田さんが棚から取り出したのは、アイスクリームである。そして、そのバットに入ったアイスクリームをスプーンで少々掬い取り、それを小皿に移し替える。そして納豆を乗せた。初っ端からだいぶぶっとんだレシピが来ましたね。きつそう。


「はい、これが納豆アイスクリームです。といっても納豆味のアイスクリームを用意するのでは無く、普通のバニラアイスクリームに納豆を入れただけですが。どうぞ、ご試食ください」

 そういって小さなスプーンとともに、僕の手元にその納豆アイスクリームを持ってきた。こうなってしまっては仕方がないので、恐る恐る一口入れてみる。…意外と美味しいかもしれない…というより美味しい。納豆の塩辛さがアイスクリームの甘さを引き立てている。


「案外と美味しいですね」

「実はこれ、アイスクリームに醤油をかける姿から着想を得ていまして」

 なるほど、アイスクリームに醤油、か。確かにあれは美味しい。何が美味しいかって、あれをやる事によって甘味が強まるんだよね。どうしてかは分からないけど。


「甘いものに塩を入れると、もっと甘くなりますよね」

 そう言ったのは藤塚さんである。そうそう。

「そうですね。これを味の対比効果といいます。味の効果の中には他に抑制効果や相乗効果といったものがあります」

 藤塚さんの振った話題に対して、池田さんはそう事もなげに答えた。


「対比効果…?」

 普通に対比させる効果で良いのか。まあ、それ以外に選択肢はないのだろうが。

「ええ、対面の対に比べる効果で対比効果です。違う味のものを組み合わせると引き立つ、という減少ですね。マスターのご想像された通り、例えばお汁粉にお塩を入れたり、スイカにお塩を振ったりすると甘くなる現象はまさにそれですね」

 なるほど。思った以上に、普通に対比させる効果だった。そんな事を考えていたら、もうちょっと対比効果を味わいたくなった。なので、お汁粉を作る。


[お汁粉 Lv1170-2 1杯 2300億ec

 とにかく甘いお汁粉。なんの雑味もない甘さと、そこから深い旨味が一気に押し寄せてくる。先味のガツンとした甘さは、まるで砂糖を飲んでいるかのよう。お餅は一個入っており、これもまた絶品。カロリーは普通のお汁粉の二倍ほど。]


[塩 Lv11

 新鮮な熱帯の海水を日光で干し、さらにパラっと焼き上げた焼き塩、といった成分の、美味しい食卓塩。パラパラしていて湿気らないので、天ぷらなど様々な料理に使うことが出来る。]


 さて、こうしてお汁粉と塩を作った。

 お汁粉はご丁寧に、漆椀に入っている。あんこも綺麗な小豆色で入っており、このまま料亭や和風喫茶で出されても問題ないくらいだ。


 そして出てきたお汁粉をまず一口いただく。…甘い。さすが、冊子の解説に狂いはない。


 何層にも重ねがけされた甘さの奔流が舌に押し寄せ、それを受け取った舌は、神経を掻き分けながら入ってきた情報全てを脳に押し寄せようとしている。幾度となく甘さの感覚の麻痺とそれを上回る甘さの受容を繰り返しながら、甘さの波に流されてしまう。

 そしてそのお汁粉を、一口完全に流し込んだ後は、その甘味をはるかに超える旨味が押し寄せてきた。神経は完全にショートと復活を繰り返している。脳がおかしくなってしまいそうだ。…これは危険だ。しかし、このお汁粉シリーズは、自前のec生産量で生産できるようにするために、それこそ数億杯のレベルで生産している。

 カロリーものなので神造人間の皆さんに食べて頂く訳にもいかないし、まあいつか必要になる時があると思うので、それまでは倉庫室にしまっておく事にしよう。


 さて、そんな危険なお汁粉に、塩をひとつまみかける。そして軽く箸でかき混ぜて、塩が全体に行き渡ったと感じたので、再び一口分、口にいれた。…とても甘い。

 何層にも重ねがけされた甘さの奔流はそのままに、それが何倍にも増幅されて脳に入ってくる。神経の受容量の限界などとっくに訪れているので、思わず神経が甘さの受容を、先程したように打ち切ろうとしている。しかし、わずかな塩味を探知した味蕾が、神経を閉じるのを防いでしまう。

 結果として、先程は断続的だった甘味が、今回は完全に連続的になってしまっている。強烈な甘味に狂いそうになりながらやっとの事で飲み込むと、今度は喉がとても甘い。

 喉が蠕動運動をするたびに、甘さが波を立てて襲ってくる。思わず、戻したほうが楽なのではないか、と思ったが、そんな考えとは無関係に蠕動運動は進んでいく。そもそも吐き戻す事が出来たとしても、それは甘さの奔流が、喉から舌へと戻ってくるだけだ。

 そして僕はそれから逃れようと、反射的に飲み込んでしまうだろう。そうして、何往復にもわたる甘さの奔流が押し寄せてしまったら、戻したら楽になるどころか現世の天国を見ることになってしまう。そんな事を甘さに支配される脳の中で朧げながら考えていると、今度は内臓の方から強い甘味を感じてきた。

 どうやらお汁粉が胃へと到達したらしい。しかし胃で甘味を感じるなんて、相当な話である。そもそも喉も本来は痛覚、つまり辛味しか感じないようになっているので、どれだけ甘いんだ、という話であるのだが。


 そんな事は置いといて、ものの一分で、一口分の全てを蠕動運動し終えた。その後も、後を引く甘味が内臓の中を蠕いている。

「…しかしこれは甘いですね。確かに、塩を加えた方が、味が濃くなる気がします」

「そうです、それが味の対比効果です。あと挙げた味の抑制効果は、例えて言うのであれば、珈琲に砂糖をかける事が挙げられますね。これが、珈琲と砂糖に味の対比効果があったら大変です。砂糖をかければかけるほど、珈琲が苦くなってしまうわけですから」


 うわ。確かに、そんな珈琲が無くて良かった。そんなものがあれば、断然僕珈琲においてもブラック派になっていた…というより、珈琲それ自体を飲むことはまず無かっただろう。


「なるほど。それでは、味の相乗効果、というのはどういう物なのでしょうか?なんとなく字面を見る限りだと、味の対比効果に近い物を感じますが…」

「ああ、それはですね。味の対比効果では、異なる味を加える事でその味を際立たせますよね」

 スイカに塩の例でいったら、スイカは甘味で塩は塩味。アイスクリームの例も、今しがた食べたお汁粉の例も、同じ事が当てはまるだろう。池田さんの言葉に頷く。


「それに対して味の相乗効果は、同じ味の時に見せる効果の事なんです」

「同じ味…ですか」

「ええ。例を取ると、お出汁が挙げられますね。マスターは、例えば味噌汁等でお出汁を取るとした時、どんなお出汁が好みですか?」

「ええと…個人的には舞茸のお出汁が好きだったりするのですが…でも、やはり鰹節と昆布のお出汁が一番ですかね」

 多分、多くの日本人が同様の質問に問われた時、飛び出す答えだろう。日本人で、よっぽど味噌汁とか出汁が嫌いでない限り、鰹と昆布のお出汁が嫌いな人はいない、といっても過言では無いと思う。


「そう、それなんです。何故お出汁を取る時、鰹節と昆布を一緒に取るかというと、そうする事によって旨味がより強くなる…1+1が2となるといったような単純な話でなく、5にも10にもなるからなんです。このような、同種の味を掛け合わせる事でよりその味を強くする事がある時、それを味の相乗効果と呼びます」

 そう、池田さんが説明を切った。なるほど、そういう事か。確かに、それは味の対比効果とは別の言葉が必要だ。


「つまり、こういった味の特性を上手く使う方向に、納豆を使うことが出来ないか、という話です」

「なるほど、よく分かりました。実際問題美味しかったですし、十分研究の価値はありそうです」

「そういって頂けると嬉しいです」

 そういって池田さんが頭を下げた。そして、納豆に関する一通りの試食が終わり、残りの時間は執務と雑談に費やすのであった。

いつもお読み頂き、有難うございます。

これでひとまず納豆とはお別れです。

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