35 柿氏訪問への同行
1512年6月1日
「柿氏に行くんだけど、ついてくる?」
「行きます行きます」
平凡な一日が始まる。
さて、今回は旗ヶ野ではなく大橋の大橋城からお送りしている。眼前にいるのは、大橋領領主、双田さんだ。
大橋城に到着した時、双田さんは既に出発の準備をしていた。これはさすがに雑談も出来まいと引き返そうとしたら、ついてくるかと聞かれたのが冒頭の場面であり、今に繋がる。
「柿氏においた代官が、ちゃんと仕事をしているか、確認をね。もちろん、普段の報告を信頼はしているけど、地方を任せている代官レベルになると、定期的に顔を合わせていたほうが都合が良かったりするからね」と双田さんが説明した。
さすが人身掌握術に優れている。定期的に顔を合わせて会話するだけで忠誠心を強固にすることが出来るのは、双田さんの特権である。
「馬は乗れる?普段領内の移動には馬を使っているんだけど、苦手な人もいるしさ」
「あ、乗れませんけど、駕籠で大丈夫ですか?」
そう言いながら、乗ってきた駕籠を指差した。
「構わないよ。やっぱり乗り慣れたものの方が楽だろうし、速さに関してもかなり信用しているから。むしろこっちは早馬といっても途中で交代させなきゃいけなかったりするから、お手柔らかにね?」
そう言って双田さんは馬に乗った。その姿は精悍といって差し支えなく、かなり様になっていた。デスクワークしかしていないように見える双田さんも、一人の武将であることを感じさせる身のこなしであった。
ただし、もちろん馬はサラブレッドでは無い。それは少し貧相にも思えるほどだった。そんな事はさておき、僕も駕籠に乗り込むとする。その姿は、恐らくお金持ちのお坊ちゃま、もしくはお嬢様に見える事だろう。そんな事を考えながら、馬は西に向かって出発していった。そして、駕籠はそれを追い越さないように出発していくこととした。
駕籠は時速20kmほどで快速にかけてゆく。そして手元の時計で50分ほど経った頃、途中襟田という村に双田さんの馬が入っていった。駕籠もそれにならって入ることとする。そして、茶屋と思しき場所に双田さんが馬を留め、そこで降りた。僕もそれに倣うこととする。
「じゃあ、ここで少し休憩ね。とりあえず四半刻(30分)くらいを見ておいて」
双田さんの一言で、双田さんの付き人の皆さんが一斉に茶屋に入った。双田さんも、僕とともに茶屋に入っていった。
「はい、こんにちは。ご注文はいかがなさいます?」と、愛想の良さそうな女性が応対した。
「お茶はいいやつを。それから、みたらしを。暖ちゃんと、付き人さん達は、どうする?」
「では、僕は同じやつで。あなたがたは…」そういって秘書の面々の方を見やると、それぞれ皆首を振った。
「じゃあ、これで注文打ち止めでお願いします」
「すみません、お一人様一点の注文をお願いします」
外の物は高カロリー過ぎて食べられない使用人達への注文をやめようとするが、それは駄目、と店員さんに止められてしまう。うーん、どうしたものか…
「これで何とかお願いできませんか?」と、瀬戸さんが一文銭を20枚ほど店員さんに握らせた。
ああ、なるほど。その手があったか。店員さんが止めたのは、あくまで回転率だったり、客単価の問題を危惧しての事だ。それなら、注文せずとも客単価を上げれば良い。席料、と言い換えても良いのかもしれないが。
「あ、有難うございます…それではごゆっくり」
店員さんは掌中を見ると、すぐに引き下がった。どうやら瀬戸さんの企みは成功したようだ。
「いつも柿氏に行く時は、ここで休んでいるんですか?」
「ええ。こんな速度でこんな長距離を走り続けると、人はもちろん、馬も疲弊してしまうからね」
そういって双田さんが、出てきたお茶を一口飲んだ。それにつられて僕も湯呑みをとった。…うん、美味しい。そしてこれは恐らく我が家のec産品ではなかろうか。とりあえず鶯屋の番茶でなくて、ほっとした。
「ところで、先程走らせていた馬は、かなり体力があるようですね。早足で1時間、25km/hもの速度で走り続ける事は、少なくともこの在来馬では中々厳しいはずです。なかなかの名馬とお見受けします」
大塚さんがそう言って双田さんの馬を褒めた。
確かに、あの少し貧相に見える馬が、ここまで全速力の自転車と同じくらいのスピードで、しかも双田さんを乗せたまま走り続けるなんて考えがたい。
「ああ、それはですね。まず、誤解なきよう言っておくと、この在来馬は、別に遅い訳じゃないんです。もちろん最高速度も持久距離もサラブレッドと比べて遅れをとっていますけど、粗食に耐えて、山道にも強いので、こういう業務用で使うには最高の馬と言えましょう。しかも、それに加えて」
「それに加えて?」
大塚さんが聞き返す。
「それに加えて、この馬は南ちゃんに頼んで、迷宮の中で乗り回してもらった馬なんです。迷宮で人が訓練すると、飛躍的に強くなることはご存知ですよね?」
「まあ、知識としては。我々神造人間は特に訓練をしなくてもこの星を壊しかねないくらいの力をデフォルトで持っているので、そういった事を意識したことはあまりありませんね」
「ああ、そういう事か、少し羨ましいね、それはそれで。まあ、とにかく飛躍的に強くなるわけです。実際南ちゃんとか、今大橋領内の誰よりも強いと思いますし、例えば蝶野班の精鋭部隊は本当に強い訳です。そして、この強化はあらゆる生物にも適用されるらしいんです」
強化があらゆる生物にも適用される。それは犬や猫、イワシにゴキブリといったものに加えて…
「つまり、馬も適用範囲内ということですね。そしてその中で訓練をさせる事で、馬も耐久力が高まるという解釈で宜しいでしょうか」
「そういう解釈で間違ってないです。馬が迷宮内で魔物を倒す事で、戦闘力だけでなく、他の体力や耐久力も高まる、という訳です」
そんな話を聞きながら、みたらし団子を一つ食べる。…醤油を焦がしたような風味で、とても美味しい。今まで食べた中で一番、という訳ではないが、その素朴な味わいは、少し減っていたお腹を満足させるには十分だった。
「美味しいですね、このみたらし団子」
「そうでしょ。巴坂から柿氏の間のお店の中では、ここが一番美味しいと思うよ。本当は馬を休憩させなくてもいけるんだけど、あえて襟田で休憩させているのはそういう理由もあるわけ」
そういって双田さんがはにかむ。なるほど、あえて寄っているのか。もちろん、それだけが理由ではないとは思う。まず、おつきの人はずっと走っている。
彼らを休ませるためには、この休憩は必要不可欠だろう。疲れた体を休める事にもなるし、万が一ペースダウンしてしまって追いつけなくなったとしてもこの30分間の休憩で襟田までなら追いつく事が出来る。後は、領内の都市の視察、という面もあるのだろう。柿氏だけでなく、ついでに襟田の様子もざっと見てしまおう、と考えているのではないか。
「なるほど。美味しかったです。お代はいくらですか?」
「いいよ、こちらで持っておくから」
団子代を支払いするために、双田さんに値段を聞くが、それを止められてしまう。確かに領主にとっては端金かもしれないし、そもそもこの出費は交通費、交際費として落ちるのかもしれないが、とりあえず払っておきたかった。
「いえ、こちらで食べた分はこちらで出します。むやみに借りを作りたくないので」
「借り、ね。まあ外交交渉で借りを作っているのはマイナス材料にしかならないからね。良いでしょう。6文だよ」
その言葉を聞いて、僕は自分のポケットからがま口を取り出し、一文銭を6つ双田さんに渡した。それを受け取った双田さんは、店員さんを呼び、団子代を支払った。
店を後にすると、既に休憩を終えたおつきの人たちが集まっていた。そして僕は駕籠に、双田さんは馬に乗り、再出発する。
そしてさらに40分経った頃である。ふと停車したので外を見ると、既に街に入っていた。恐らくここが柿氏であろう。
そして完全に停車し、降りると、どうやらそこは代官の屋敷のようだった。屋敷といっても大庭園等を抱えているわけではなく、むしろ蔵や他の建物などが立ち並ぶ、各市町村に一箇所はあるような、プチ官公庁街といった様相だった。
「はい、ここが柿氏の代官、柿生氏の屋敷兼役所兼奉行所ってところだね」
そう双田さんが案内した後、守衛さんに話しかけた。そして二言三言会話をしたであろうか、屋敷の前門まで駕籠が横付けされた。
一階には窓口らしきものがある。どうやらここで陳情の受付や税の払い込みをしているらしい。そして二階は奉行所。ここでは警察署と裁判所が連結しているらしく、奉行所の人間が操作して逮捕して送検して裁判をしているようだ。
「双田さん、これって三権分立…というより、警察と裁判の分立が出来てないですよね」
「ところがどっこい、そうでもないんだね。実は、施設こそ同じ奉行所だけど、逮捕までの担当と裁判からの担当は完全に分離しているんだ。責任者で言うと、逮捕までは澄ちゃん、裁判からは空ちゃんの担当なわけ。これらの人員は、まあたまに人事交流こそするけど、基本的には完全に指示系統も別なわけ。ただ、弁護制度に関してはまだ整ってないから、もし整えるとしたら雪ちゃんにやって貰うことになるかな」
「なるほど。…弁護制度が整っていないって中々司法としては厳しくないですか?」
「まあ、『疑わしきは罰せず』の精神で奉行を行うよう通達しているので、そうそう不利な判決も出づらいとは思うけど…そういった専門の法知識を持っている人が、大方奉行の方に割かれてしまうから、弁護士どころか検察官すら満足に用意出来ないわけ。つまり、原告と被告の主張を基に奉行が判決を判断している感じ、とでも言えば良いのかな。そういった人材の育成も、将来的には公営寺子屋でやっていきたいところ」
なるほど。どうやらここ大橋領内でも、基本的な裁判システムは江戸時代とそう代わりないようだ。まあ近代的な陪審員システムとかがあったらそれはそれでびっくりだし、このシステムだと奉行の権限が比較的広く取られているので、人情味あふれるような一幕を見ることが出来るのも魅力の一つではありそうだ。
「三審制とかはどうなってます?やはり奉行所一本勝負だったりします?」
「いや、判決に不服があって、その不服を奉行所が受理すれば、最高奉行所でもう一度だけ裁判が出来る。その時の奉行は空ちゃんだから、法判断に狂いはないはず。そんな感じで、不十分ではあるけれど再審制度は一応用意してある」
なるほど、二審制とでも言おうか。実際奉行所の数も、カバー範囲も狭そうだし、二審制で十分とも言えるのだろう。そんな風に納得しつつ、階段を登る。
三階にまで昇り、どうやらここがお屋敷としての玄関のようだ。守衛さん、というか門番さん、というべき武士の方に一礼して、双田さんの後をついていく。迷いない足取りの果てには、髷を結った一人の中年男性の姿があった。多分40はまわっていると思う。
「わざわざお越しいただき有難うございます。お待ちしておりました」
そういってその中年男性は恭しく双田さんに頭を下げた。
「針義殿、お疲れ様。楽にして良いよ」
双田さんの一言で、針義さん…おそらくこの人が、柿氏に置いた代官である柿生針義さんなのであろう…が、少し姿勢を楽にした。そして、針義さんが双田さんと僕に椅子を進め、また自らも着席した。
「早速だけど、柿氏の様子はどう?」
「良好といって良いでしょう。山菜のとれが良くて、最近食糧事情が少しだけ改善してきています。島木屋から購入したとされる珍しい食材も少しづつ、富裕層を中心に流通してきています。それに伴って犯罪数も減少してきていますね。最近日差しが強いので日射病で倒れる人が多いのが少し気がかりですが」
「…それはそれは。塩はあとで手配しておく。日射病で倒れた人が屋敷に運ばれたら、指定の割合で薄めた塩水、まあ生理食塩水っていうんだけど、を飲ませてやって。本当に重篤なら砂糖も少しだけ手配しておくから、それを使って」
「お気遣い、いたみ入ります」
そういって針義さんは恭しく頭を下げた。
この短い一幕の中にも、双田さんが領民を大切にしていて、それを針義さんが代官としてサポートしている姿が見て取れる。でも、欲を言えば針義さんがその対策を立案して提案したほうが、双田さんの負担も減ると思うが…生理食塩水なんていう概念はまず出てこないか。ならば仕方あるまい。
「あと、他には…近隣の村の作柄とかはどう?」
「そうですね…お米が今年もうまくいきそうです。雑穀も平年並みといったところでしょうか。ああ、先月収穫したお茶が蒸しあがりましたので、どうぞお収めください。お茶の作柄も良かったので、そろそろここ柿氏やその周辺に流通する頃合いでしょう。まあ、作柄が良いと言っても作付面積がそもそも少ないので、大量に流通させる事は出来ませんが」
お茶か。お茶の販売に関しては、現在、旧来からの大商家である鶯屋と、茶販売としては新規参入にあたる島木屋が現在激しく競り合っている。
激しく競り合っているといっても殆ど島木屋が勝負を持っているような感じもするが、このお茶のルートをどちらが押さえるかで勝負がもしかしたらひっくり返るかもしれない。まあ島木屋さんの事だし、収穫から一月たってなお動きが全くないというのは考えづらいし、実際前回の訪問でもそれをほのめかしていたし。
「そう、それは良かった。じゃあ、今日はこれで失礼するとしようかな」
こうして双田さんが立ち上がり、僕がそれに続く。そして階段を下り、双田さんは馬に乗る。僕も駕籠に乗り、針義さんはその姿を見送っていた。
そして、帰りの休憩に時間は飛ぶ。
「…という訳で、こういう過程で公布されるんです」
「なるほど、実に効率的なシステムですね」
青木さんが、双田さんと談笑をしている。帰りも同じ襟田で休憩をした。注文はお茶だけで、さながら雑談それ自体がお茶請け、といった具合だ。
「高札はどのような形式で書かれるのでしょうか?かな書きと漢字書きの札、どちらも見かける事がありますが」
「それはですね。原則として、比較的教養のある人が住む武士街では漢字書きを、読み書きは出来るけど…みたいな人が住む下町ではかな書きを、それぞれ掲示しています。もちろん原則ですので、厳密にこうしている、という訳ではないですが。この間下町に漢字書きの高札を掲示したら、中々好評でして。次回から、下町の中でも漢字書きとかな書きの高札を併用しようと思います」
双田さんが朗々と説明した。高札の分立か。端から聞いていても面白い話である。そして青木さんがそれに興味を引かれたように、身を乗り出した。
「なるほど。確かに、漢字を読める人にとっては、漢字で書いてあったほうが読みやすいですしね。といっても、漢字を読むのに時間がかかったり、そもそも漢字を読めない人にも周知させる必要がある以上は、かな書きの高札の維持は大切なんですよね」
「そこなんです。ご老人からお子さんに至るまで、全ての人に法律というものは知らしめる必要があるわけですから…っと、もうこんな時間ですか。あと5分といった所ですね」
「そうですね。そろそろ準備をしないといけません。ところで」
そういって、青木さんは立ち上がり、改めて双田さんの方に向き直った。
「どうかしました?」
向き直られた双田さんは、何が始まるのか、といった表情で青木さんの目を見つめる。
「いや、我々は、蓮葉様の使用人ですので、別に丁寧語をつけなくて構いませんよ。構いませんよね、マスター?」
そういって僕の方に目配せする。何で僕に確認するのか、と一瞬思ったが、この作業を挟むことで、『主人を軽く見ている』と思われないようにしているのか。もちろん、これに反対する理由はない。
「え、はい」
「それでは決まりですね。どうぞ、部下の方や蓮葉様に話すような感覚で、お話ください」
「わかりま…わかったよ。これからもどうぞよろしく」
そう言って双田さんが丁寧語を抜いた。この、『タメでいいよ』みたいな会話が成立した瞬間というものを、初めて見た気がする。
「あ、ところで」
今度は僕からである。そういえばすっかり言い忘れていた事があった。
「?どうしたの、暖ちゃん」
双田さんがこちらに目を向ける。そうそう、貴方に話があるんです。
「実は、今度から島木屋さんの他に、こちらで直営店を営業したいと思うんですけど…」
そういって、商務係の川口さんから渡された資料を渡した。彼、用意の良いことに、双田さんへの説明用資料まで作っている。直営店展開するメリット等を簡潔にまとめた物だ。そして、全てを見終えると、双田さんが軽く息をついた。
「うん、良いんじゃない?但し、最初に約束した関税は必ず支払うこと。土地はこちらでは手配出来ないから、自力で調達する事。良いね?」
思ったより寛大な条件を引き出す事が出来た。確実にこの方針、各地の商業に悪影響を及ぼすんだけどな。
「有難うございます」
さて、こうして柿氏訪問は、思わぬ成果をもたらして終了した。
「マスターも、我々使用人に対して、ゴミに話しかけるような口調で話して頂いて全く構わないんですよ?」
「謹んでお断りします」
そもそも、ゴミには話しかけない。
そんなやり取りがありつつ、平凡な一日が、今日も終わる。
いつもお読み頂き有難うございます。




