34 だし入り味噌、5月の商談
1512年5月20日
「毎月定例の」
「島木屋訪問ですね、分かります」
平凡な一日が始まる。
さて、今回も島木屋さんの訪問を進める事とする。
この一ヶ月間、様々なものが生産されてきた。実はお茶っ葉もこっそり改良していたりするが、これを投入するのは憚られる。時期がきたら投入するのはアリかもしれない。
「今回はどういったものを持っていきましょうかね。とりあえず基本的な物品は持っていくことにしましょうか」
「そうですね。野菜に肉、魚はもちろんですけど、もっと現代的な商品を入れてもよいかもしれませんね。例えば」
そういって田名川さんが取り出したのは、味噌だった。
「味噌ですか?確か味噌ならすでに販売していたような」
その発言に、田名川さんが少し首を振った。
「実はこれ、出汁が入っているんです。いわゆるだし入り味噌ですね」
なるほど、だし入り味噌か。現代日本ではかなりポピュラーなタイプの味噌だろう。
「でも、この時代においては、味噌は何も味噌汁だけに使うわけではないですよね。そうすると出汁が邪魔になっちゃう場面も多いような…」と、大塚さんが危惧した。
確かに味噌単体で使いたい時もあるだろう。というより、だし入り味噌の使い時なんて味噌汁の時くらいしかないような…
「いえ、そうとも限りませんよ」
そう言って扉が開いた。顔を見ると、女中長にして調理班長の串岡さんだった。肩書きは重めなのに、出番があんまり無いような気も。
「確かに、味噌単体で使い時も山ほどあります。しかし、だし入り味噌の本領は味噌汁だけではありません。今すぐに調理をする事は出来ないので、お夕食にお出ししようと思いますが…とにかく、意外と有能なんです、だし入り味噌」
串岡さんの力説を聞くに、だし入り味噌はやはり有能なのだろう。生産しても悪くないかもしれない。保存状況に関しても、外付けアイテムボックスが島木屋に導入されている現状、特に問題ないだろうし。
「じゃあ、だし入り味噌も少し持っていくことにします」
田名川さんが取り出しただし入り味噌を基に、錬成する。
[だし入り味噌 Lv1
だしの風味が豊かな、普通のだし入り味噌。お湯にそのまま入れれば、もうそれだけで立派な味噌汁。]
こんな、何の変哲もないだし入り味噌が完成した。既にパック詰めしてあるので、これに商品名でもラッピングすれば、すぐにスーパーに出せそうである。
「だし入り味噌繋がりだと、あれはどうでしょう。だし入り醤油」
そういって大塚さんが取り出したのは、瓶入りの醤油である。それを田名川さんがてのひらに少量出したので、それを舐めとる。
そして、舌に載った瞬間、だしの香りが広がった。これは昆布だしだろうか。
「これは良いですね。刺身とかに重宝しそうです」
「お刺身ですか、良いですね。沿岸部だと地場の魚を使ったお刺身が食べられていたりするので、そういった所に需要はありそうです。後は島木屋さんも生魚を扱っているので、大橋市中でもこれからお刺身が根付いていく…かもしれません」
「そうですね。お刺身が島木屋で売っている以上、一定の需要は認められます。持っていくべきかと」と、赤川さんが言った。じゃあ、持っていく事にするか。
「では、こんな感じで行きますか。後は定番商品と、今月作ったec産品を持っていく事にします」
「そんな感じで宜しいかと。では、出発しましょう」
赤川さんの号令に合わせて、駕籠が出発した。
さて、駕籠の力というのは凄まじく、あっという間に美流に到着してしまう。
「毎度はるばる有難うございます。申し訳ありませんが紺原は少し席を外しておりますので、どうぞお掛けになってお待ち下さい」
そして島木屋の総務部に入ると、紺原さんの部下の方が応対した。
そうか、紺原さんは出かけているのか。定例訪問の日にちは決まっているのに出かけているとは、余程忙しいのだろう。
最近成長中の商店の総務部長ともなれば、その忙しさも納得だ。出ているお茶をすすりながら待つこととする。事務所の一角を改装したであろうこの和室風の応接間は、外から来たお客さんを和ませるのには十分だった。こうやってリラックスした気分にされたお客さんは、いつのまにか自らに不利な条件で契約を結ばされているのかもしれない。…怖。
そんな事を考えているうちに、紺原さんが息を切らしてドアを開けて、部屋に入室した。
「ごめんごめん、少し取引が長引いちゃって。早速で悪いけど、商談を始めちゃって良い?」
「構いませんよ」
商談、開始。
「では、まずいつものようにリストを見て頂きますかね」
そういって、青木さんが紺原さんにリストを手渡した。今回のリストは、特集ページを除けば、先月と大して変わっていない。
変わった所を触れるとするならば、まずは冬物の野菜の値段変更だろうか。冬物の野菜は、今月から少し値段を高くした。もちろんec産品に旬という概念はないし、いつでも栄養価の高い野菜を摂ることが出来るのだが、やはり店頭には旬を感じていて欲しいからだ。
もちろん将来的には旬以外の食材も通年で大量に卸すつもりではあるが、大橋領内でビニールハウス栽培とかが現れるまでは、この価格設定で行きたいと思う。逆に言えば、温室栽培は今なら儲かる。
そして、冬物の野菜の値段変更に伴い、夏物の野菜を少し安くした。
春物も現在最低値クラスで推移させているが、来月以降は値段の見直しが必要となってくるだろう。そろそろ秋物にもメスを入れないといけないかもしれない。あとはあれだ。今回、小麦粉を少しだけ高くしてみた。ここに商機を感じ取ってくれる人、いるかな。
そんなこんなでリストを受け取った紺原さんは、リストをぱらぱらと捲り、また熱心にメモを取り出した。
「うんうん、前回に比べて少しだけ値段設定に見直しが入ってるね。後はだし入り醤油、だし入り味噌、すし酢といっただし入り調味料が今回ラインナップとして豊富だけど、これも中々便利そう」
さっそく紺原さんが、特集ページにあるだし入り調味料に食いついた。
そう、だし入り調味料のメインテーマは、『便利』だ。だし入り味噌を使えば、だしを取ること無く味噌汁を作ることが出来る。すし酢はこれをご飯に混ぜるだけですし飯を作る事が出来る。他にも、ミックススパイスや合わせ調味料等を多数そろえておいてある。
「あと、野菜や魚も少し値段が変わってる?今先月の冊子を持ってないから、断言は出来ないけど」
さすが、紺原さんは先月の価格データをある程度覚えていたようだ。
「さすが、素晴らしい記憶力ですね」
「ありがとう。でも、実は記憶力だけじゃなくて、能力を少し使ってたりもするわけ」
「能力」
先月は需要量を完全に予測し切る能力を目の当たりにしたが、今回もそんな、商業に便利な能力が出てくるのだろうか。出てくるのだろうな、きっと。
「そう、能力。具体的に言えば、『その時々の相場を把握する能力』、あるいは『購入価格を逐一記録する能力』ってところかな。前者の方が特に便利だけど、今回役立ってるのは後者の方かもしれない。後者は、いつどこで何をいくらで分かるのかを把握できる能力だね。10年間研磨を続けてるけど、まだざっくりとしか分からないから、細やかな数字に関しては帳簿に頼るしか無いけど」
何それ便利そう。
僕も、日本にいた時はよくスーパーやドラッグストアに言って買い物していたが、時々相場が分からなくなっていた。キャベツとか塩鮭、豚の細切れにマヨネーズといった普通の食材はもう感覚で覚えてしまうのだが、それ以外のもの…たとえば焼肉のたれとか、石鹸とか…は、果たしてこれが本当に安いのかを迷う時が何度もあった。
それが検証出来る能力とは、もの凄いものがある。…でも、
「あれ?でも、後者の能力って、前者で大体代替出来ません?前回の値段を把握出来たからといって、それが高いか安いかは、それだけでは判定できないと思うんです。それなら、最初から『その時々の相場を把握する能力』を使って判定したほうが楽ですし、正確なのでは?」
そんな疑問が生じたので、思わず紺原さんに質問する。
能力は、いわば商業活動を効率化するために神様が与えたようなものなのだろう。それが、素人目に見ると、少し非効率的な能力の与え方な気がする。後者をあえて授けた理由は、どういったものなのだろうか?
「ああ、それね。確かに、『購入価格を逐一記録する能力』は、ほぼ相場通りに物を売るような商人には無意味だし、相場より高いものを売りつけてくるような商人には、その不正を告発するくらいにしか使い道がないけど、一つだけ利点がある。それは、『相場より大幅に安い価格でものを売る商人と取引する時』なわけ。つまり、暖ちゃんとの取引の時に、後者の能力は真価を発揮する」と、紺原さんが興奮気味に語った。
ああ、なるほど。僕との取引の時にか。
確かに、相場との差を判定するなら、常に「安い」で一蹴されてしまうだろう。そうでなく、恐らく紺原さんは、その商品が蓮葉の提示するレートの中でどれくらいの価格帯にあるか、を把握したいわけだ。リカードの比較生産費説を思い出す。リカードの比較生産費説がどういう物かの解説は、別に後でも良いだろう。
「なるほど、そういう事ですか。中々慎重な神様ですね」
「そうだね。自分が必要な、商業回りの能力を前もってカスタマイズしてくれてる、っていう感覚だね。転ばぬ先の杖という言葉は、この時のためにあるんだな、って感じ」
すると、これらの能力は、神様が、今後紺原さんにどんな能力が必要になるかを、ある程度予測して与えている、という事か。つくづく優秀な神様な事だ。そして紺原さんの筆が止まった。どうやら全ての注文票の書き取りが終わったようだ。
「じゃあ、これをお偉いさんに回す必要があるから、ちょっと待ってね」
そう言うや否や、控えていた紺原さんの部下が何枚かにまたがるメモを受け取り、廊下に消えていった。
そして、待ち時間の間、重要な連絡があった事をすっかり忘れていた。
「この待ち時間に、少し重要な連絡があります」
その言葉に、紺原さんは「何?」と耳を傾けた。どうやら、興味を持って貰えたようだ。
「実は、今までec産品は今まで島木屋さんにだけ販売していたのですが、この度直営店を出すことにしました」
その言葉を聞くと、紺原さんが正座しているというのにひっくり返ってしまった。
「そ、それはまたどうして?島木屋の販売手法に問題があるんだったら、いくらでも直すけど、本当にどうして?」
何を言っているのか分からない、というような、少し混乱を帯びた顔で紺原さんが聞いてきた。
まあ、この発言には発言だけ聞くと、島木屋さんを潰しかねない要素がいくつも入っている。そして、何に問題があるのかを必死に探索・聴取しようとしている紺原さんは、混乱していてもさすが商売人のそれだ。見習うべきところがいくつもある。
「いえ、島木屋さんの販売手法には、全幅の信頼をおいています。問題は、その商圏が、大橋領内一円ではない、という所です」
そう言うと、紺原さんが考え込んだ。持っている万年筆の回転速度を見るに、色々な事を考えているのだろう。
「…つまり、ec産品を大橋領内一円で販売するには、美流に一店舗を展開するのみの島木屋では不足である、と言いたいわけだね」と、紺原さんがゆっくりと、自らにも確認するように言った。
しかし、この一言だけで、問題がどこにあるのかを把握することが出来る紺原さんは、やはり商談には長けた人材なのだろう。もし島木屋さんが、密な店舗網を作り上げる事が出来るのであれば、是非そちらと取引したかったところだ。
「もの凄く簡単に言えば、そういう事です」
「なるほど…一応確認するけど、ここ美流や、例えば巴坂への出店は考えてる?」
「いいえ。少なくとも美流への出店は全く考えていません。巴坂についても、デパート形式での出店は考えていません。あくまで、現在の状況のままなら、という但し書きは付きますが」
実際、出店するメリットはない。美流は、大橋の商業の中心地だ。そんな所に販売所を作っていては、地価がかさむし、周辺の商業関係者の反感も買う。
そもそも、直営の販売所では、島木屋さんでの予想小売価格より安く販売することは基本的にはしないので、美流での販売は、島木屋さんいお願いしたほうが効率が良いわけだ。
「…有難う。それなら当面の間は問題ない、けど…これからも継続した取引を是非ともお願いしたいです」
そういって紺原さんが頭を下げた。
「では、これからも月一回の取引を、どうぞおご贔屓に」
そう事も無げに返すが、もとより島木屋さんと取引を切るつもりはない。
出店するメリットもなければ、島木屋さんと縁を切るメリットも無い。出来れば、島木屋さん…正確には紺原さんとは、蜜月を保っていたいのだ。
というのも、この世界では、僕は不老不死である。不老不死ものの小説や漫画などは読んだ事があるだろうか。それを扱った多くの作品では、不老不死の人間に親しい人物が、次々と寿命で死んでいく。そうなった時の喪失感は計り知れないだろう。勿論その摂理から僕が逃れられるはずもなく、例えば栄四郎さん一家は、これからも順調に年を重ね、そして将来的には末妹の冴ちゃんも含めて皆死んでしまうだろう。それが50年後か、70年後か、はたまた100年後かは全くわからないが、とにかく、この世界では人脈とは作り続けないとだんだん減っていき、最終的には無くなってしまうものなのだ。
その点、同じ不老不死の人間と付き合うというのはとても合理的だ。同じ人と付き合い続けると考えが硬直的になってしまうというデメリットはあるにしろ、千年一万年の単位で付き合える人というのは貴重な訳だ。そして、この世界で不老不死なのは、神造人間の皆さんの他には、日本から転移してきた10人しかいない。もしかしたらこの後増える可能性はあるが、この10人には、鏡原南中学校にいたころの記憶が共有されている。そんな旧知の友を、商売敵という理由だけで付き合いを止めてしまうのはあまりにも惜しい。そういった理由で、是非とも取引を、親交の一環として続けたいわけだ。
「ご贔屓に、って言われなくても今後とも贔屓にするつもりだよ。有難う、ではまた来月来てね」
「ええ、それではまた」
こうして、今月の島木屋訪問が終了した。
いつもお読み頂き有難うございます。




