28 今日は楽しいこどもの日
1512年5月5日
「今日はいよいよこどもの日ですね」
「そうですね、わかりましたから僕に兜を被せようとするのは止めてください」
平凡で、そして少しだけ特別な一日が今日も始まる。
ということで、今日はこどもの日…もとい端午の節句だ。
元々節句は、桃の節句や端午の節句の他に、元日や七夕、9月9日もそれぞれの節句が用意されていたはずだ。今は、兜を飾る棚もある、本棟84階の第一和宴会場にいて、そこで今日行われるこどもの日の催しの準備を眺めている。時刻は午前九時半。
「そういわれても、この兜、大田家の先代が子供の頃使っていたものですので」と、先程から僕に兜を被せようとしている、女中隊2807班の御崎さんが言う。…大田家?
「大田家、ってどんなところでしたっけ?」
「大田家といえば、大橋から南南西に500km、大陸西岸にある戦国大名ですね。結構律儀なところもあるのですが、狡猾な戦略で着々と勢力を強めている大名ですね。作られた年代から推定するに、現在の領主、大田政親のものでしょう。果たしてどうやってそんな貴重なものを仕入れたのかは不明ですが」
…なんて物を仕入れているんですか。そんな強い人の兜をこんな人間が被るなんて、逆に申し訳ない。というか大田家も、どうしてそんなものを手放してしまったのだろう?
「何故そんなものを、大田家は手放したんですかね?」
「どうなんでしょう?単に置き場所がなくなったからかもしれないですし、家内倹約を実行して、いらないものは売り払ったのかもしれません。はたまた、政治的な駆け引きのうちに、手放したほうが事が有利に進むと判断したのでしょうか」
その御崎さんの言葉は、まだ大田家への調査が十分に行われていない事を暗示していた。まあ、ゆっくりやってもらえば良いだろう。ついでに、そんな他愛のないご近所の世間話レベルの情報、果たして入手できるのかも分からない。
「どの線もありえそうですね。とりあえずどうであろうと、兜は謹んでお断り申し上げます」
「…むぅ。仕方ないです。これは見やすい所に飾っておきます。また、被りたくなってきたら、いつでも遠慮なく仰ってください」
こういって御崎さんは、兜を被せようとする勢いを緩め、引き下がった。ふう。
和宴会場を一旦後にし、執務室に戻り書類に目を通す。
金属の流通状況についての資料だ。鉄は当初の予定通り、順調に値段も下がり普及も見られているが、銅が今ひとつのようだ。その代わり貨幣流通量が(特に銅貨が)増えたと言うから、多分双田さん達が大量に銅を買い上げているのだろう。
まあそれはそれで構わないが、貨幣用の金属は個別に直接取引しても良いかもしれない。
「あ、亜鉛はそろそろ流通させても良いかもしれません。あれも、結構用途が広くて、電池やらメッキやらに活用できるので」と、雨沢さんが助言した。
確かに、今まで鉄や銅やニッケルは作ってきたが、亜鉛は作っていなかった。
「じゃあ、作っておきましょうかね。」
そういって錬成する。
[亜鉛 Lv1 40g 1ec
普通の亜鉛。電気陰性度が比較的低いので、電池の陰極に適する。実際ボルタ電池やダニエル電池に使用されているのはこのタイプ。]
錬成された亜鉛の塊を雨沢さんが検める。
「ええ、ごく普通の亜鉛のようですね。これは理科班と共同で研究して、活用法を考えます」
「よろしくお願い致します。後は倉橋さんに回しておくのも有効ですかね」
理科の専門家に回せば、もっと別の知見が得られるだろう。回さない理由はない。
「そうですね。早速逓信班に運ぶよういっておきます」
「よろしくお願い致します」
そういって、雨沢さんはそそくさと逓信班の方へ向かっていった。と、同時に。
「マスター、少しよろしいですか?」
来たのは、女中隊の三島さんだった。
三島さんの所属は環境管理班。環境管理といっても、森林資源の管理や、大気汚染の観測等は公務隊第二理科班が管轄しているはずなので、そこの辺りは女中隊環境管理班の出る幕では無い。
では何をしているかというと、屋敷内の住環境の管理をしている。
屋敷の住環境の管理、というとかなりふわふわした言葉であるが、ここでは空調や光量の管理などをし、快適な住環境を維持するのを目的としている。彼女達の働きによって、屋敷内の気温は、部屋ごとに最適なものと保たれている。
そんな環境管理班の三島さんが、僕が書類から目を離した時を見計らって話しかけてきた。
「屋敷内の温度設定とか、湿度設定で、気になるところはございませんか?」
うーん、と言われてもなあ。そんなに空調をあんまり気にした事、実はあまりない。というか、服装が、室内では秋服で大丈夫なことを考えると、かなり快適な温度設定といって差し支えないだろう。
「いや、今のところは特に。また気付いたらすぐに連絡をいれます」
「よろしくお願いします。温度管理の不手際で、マスターが風邪をひくなんて事態は、万が一にでもあってはならないので、何か少しでも気になることがあれば、遠慮なく仰ってください」
「分かりました、有難うございます」
「では、失礼します」
こうして三島さんが廊下の奥へと消えていった。
見送ったはいいものの、実際問題、空調はどんな感じに管理されているのだろうか?とりあえず温度計を作ってみる。水銀温度計でいいかな。でも、水銀温度計は少し不安なので…
[水銀 Lv48
常温で液体の金属。比重が水の約14倍。通常の水銀はそのままでも、水銀蒸気となっても危険。そのリスクを出来るだけ0に低減させた水銀で、たとえこれを毎日1kg食べ続けたとしても、まず観測しうる限りでは不具合は発生しない。ただし、その食物にしては高い比重から、胃腸が破れたりする事がありうるので注意されたし。]
あらかじめ安全な水銀を作成しておく事とする。そしてこれを使って…
[水銀気温計 Lv51
水銀Lv48を使用した気温計。本体も蒸気も安全なので、安全管理に気を遣う必要はほぼない。精度の高いルーペを使えば、有効数字7桁まで計測する事が出来る。400度しか測れないのが玉に瑕だが、通常の気温観測や体温観測には十分すぎるくらいの精度。]
水銀気温計を作成した。これなら、特に注意せずとも、高精度なデータが簡単に入手できる。早速この部屋の気温を計測してみる事とする。気温は、見る見るうちに20度を指していった。
念のためルーペを通して見てみる事とする。すると、ルーペを通してみても、20.00000度であった。…空調管理は完璧といって差し支えないだろう。念のため他の所も調べてみることとする。まず手始めに廊下に出てみよう。すると、これもルーペで確認しても20度だった。
寝室は少し高めで22度。その他の部屋も、概ね17度から22度の間に保たれていた。かなり均一な温度で管理されているようだ。ここまで均一だと、確かに好みの差とかは出てくるかもしれない。僕自身はその上で特に不満がないわけだが。でも例えばこれ、他の部屋だったらどうなんだろう。
そんな疑問を解決すべくやって来たのが第一浴場の脱衣所である。
ここは銭湯、それもスーパー銭湯ではなく普通の町中にある銭湯のような内装をしている。壁に富士山の書かれた、広い湯船が特徴的だ。もちろん脱衣所にはコインロッカーではなく脱衣カゴが置かれており、小型冷蔵庫のような外装、内装の冷蔵外付けアイボには、コーヒー牛乳やいちご牛乳、フルーツ牛乳などがストックされている。そんな脱衣所の気温を測ってみると…
「28.5度、ですか。あ、でも椅子の周りは22度くらいに調整されている、のかな?」
他の部屋より、明らかに高い数値が出た。よく考えれば、この温度設定は理に適っている。
何故なら脱衣所というのは基本的に裸でいるものだからだ。試しに下着姿にまで脱いでみると、廊下にいた時と変わらないくらいの肌感覚である。さすが、空調の配慮が隅々まで行き届いている。では、椅子の周りだけ22度くらいに設定されているのは何故だろうか?
「三島さん、環境管理班の三島さーん」
だれもいない脱衣所の中で、先程まで会話していた三島さんを呼ぶ。すると、1分もしないうちに三島さんがのれんをくぐってきた。
「どうかなさいましたか?マスター」
「この脱衣所の空調についてなんですけど、椅子の周りだけ温度が6度ほど低いのは何故ですか?」
「それはですね、マスター。脱衣所ってどういう時に利用するか、という話です」
「脱衣所の利用用途、ですか?その名の通り、脱衣をする場所では?後はコーヒー牛乳を飲んだり、ドライヤーで髪を乾かしたり、それから…」と、そこまで言ってある程度察しがついた。
そうか。脱衣所は脱衣をする場所、というだけではない。当然、着衣する場所である、という事だ。つまり…
「お風呂上がりに、ここで涼んでもらう事を想定しています」と三島さんが締めた。
そんな事まで考慮してあったのか。確かに、のぼせてしまった時は、どこか脱衣所に涼しい場所があった方が良かろう。
「なるほど、有難うございます。すみません、いきなり呼び出して」
「いえ滅相もない。『何か少しでも気になることがあれば、遠慮なく仰ってください』という言葉を覚えていてくださって、こちらこそ有難うございます」と三島さんが頭を下げた。
そして、恐らく室温表である、『第一小会議室 21度 第二小会議室 21.1度 第三小会議室 20.8度』と書かれている紙の余白に、熱心になにかを書き込んでいた。それがある程度書き終わった時、三島さんは顔をあげ、こちらに向き直った。
「他に、気になるところはございますか?」
「いえ、特には。ミクロ単位での温度調整、お疲れ様です。湿度も特に違和感はありませんでした」
「有難うございます。環境管理班にもそう伝えておきます。では、私はこれで失礼致します」
そういって、三島さんはのれんの奥に去っていった。
そして僕も温度計をしまい、色々準備をすませ、宴会場に戻る事にする。宴会場についた時は、もう催しの準備が完了していた。
「お待ちしておりました、マスター。こちらへどうぞ」
田名川さんの導きで、僕は扉から一番奥のところまで向かった。そして着席した所で、女中長の串岡さんが音頭をとる。
「それでは、旗ヶ野領の繁栄と、マスターのご安寧を願って、乾杯」
「「「乾杯」」」
宴会場中の人が、グラスを持ち上げ、隣の人達とそのグラスを打ち付けたその音は、Eのユニゾンだった。
「しかしこのちまき、美味しいですね」
ちまきを食べてそう呟く。ちまきといえば、竹の葉にもち米を入れたあれだ。醤油で味付けられているちまきは、もうこれだけでご飯の代わりを果たしていた。
「こどもの日といえば、やっぱりちまきですよね」
「柏餅とかもありますけどね」
ふと向こう側を見やると、公務隊の方々が柏餅を食べていた。恐らくあの柏餅は超低カロリー加工。それでいて味は同じなので、エネルギー効率が狂ったように良い神造人間にとって、娯楽という意味での貴重な食品であった。
もちろん、肉体労働をするような女中隊の電力生産シフトの人とか、迷宮隊の面々とかは通常の食事をとっているが。
「マスター、こちらのちまきもどうぞ」と、左隣に座る瀬戸さんが、ちまきをもう一つ勧めてきた。
「有難うございます」
受け取ったちまきの竹の皮を剥がしていく。そして粗方剥がし終わった後、その白くかがやく宝石にかぶりついた。
…甘い。いや、美味しいんだけど、先程まで食べていたちまきとは別物だ。そしてこのしっとりとした甘さは…
「このちまき、餡子が入っていますね」
あんこだ。あんこの中でも、これはこしあんだ。
こしあんとつぶあん、どちらが好きかは人によって分かれる所だとは思うが、僕はこしあんの方が好きだ。ただ、一時期はつぶあんの方が好きだったので、多分マイブームもあると思う。
「ええ。いわゆる京都風ちまきですね」と、瀬戸さんが返した。
京都風のちまきは、どうやら主食というより、お菓子に近いようだ。比較的おなかは溜まっていたが、それでも2つ3つはぺろりと食べきることが出来た。そしてそのまま、宴は続いていった。
ところで。
今日はもち米を作った。もち米は、主としてお餅やおこわに使うものだが、特にお餅に関していえば、あんこと組み合わせる事が少なくない。なので、今回はあんこと組み合わせると美味しいもち米を作ろうと思う。
[もち米 Lv70-3
粘り気を持ったお米。これを加工してやると、餅となる。単体で食べるとかなり淡白な味わいで、飽きる人も少なくないが、あんこと一緒に食べるとあんこの甘さと餅の旨さを極限まで引き立てる。]
自分だけでは輝け無くても、他の要素を引き立てる事が出来る、献身的なもち米だ。しかもこのもち米、あんこと一緒に食べたときにはあんこだけでなくお餅自体も美味しく感じるように設計されているので、最後に報われるような展開になるのが良い。
そんなもち米とあんこの物語に思いを馳せつつ、少しだけ特別な一日が、今日も終わる。
いつもお読み頂き有難うございます。
次回更新は6/30を予定しています。




