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ec経済観察雑記  作者:
35/66

27 鯉のぼり、レモネード

1512年5月2日


「鯉のぼりをあげましょう」

「そういえばそろそろ端午の節句ですね」

 平凡な一日が今日も始まる。




 今は、本棟の屋上にいる。本棟の屋上は、地上から50kmほど離れており、宇宙空間でこそないものの、成層圏よりも高く、ややもすれば有害な紫外線で溢れかえっているくらいの場所だ。こんな場所では、本来満足に息は出来ない。

 だが、そんな時に備えて、この屋敷の天井の建材は少し工夫してある。


[木材 Lv75-4

 あらゆる劣化を防ぎ、どんなに悪条件であっても30億年は大丈夫。足に触れる感じも最高。間接照明の働きもあり、日照時に限り、周囲は柔らかな光に包まれる。この木材の敷設周囲50mは、人体に有害な紫外線が全てカットされ、また空気も窒素70%、酸素21%等といったごく普通の比率、密度となり、散逸しない。]


[漆喰 Lv56-3

 美しい白で、多くの人を魅了する。あらゆる劣化を防ぎ、どんなに悪条件であっても30億年は大丈夫。間接照明の働きもあり、日照時に限り、周囲は柔らかな光に包まれる。この漆喰の敷設周囲50mは、人体に有害な紫外線が全てカットされ、また空気も窒素70%、酸素21%等といったごく普通の比率、密度となり、散逸しない。]


[鋼鉄の柵 Lv71

 来る人を寄せ付けない、強い柵。防錆性に優れていることはもちろん、あらゆる劣化を防ぎ、どんなに悪条件であっても30億年は大丈夫。落下しようとする物体に対する吸引力も、微量ながらあわせもち、もし大事なものが落下したとしても、被害を最小限に留めることができる。]


 こんな建材を天井に使用することで、本来は危険極まりない屋上でも、安全に会話する事が出来るのだ。

 これが無ければ、酸素不足は勿論の事、紫外線によるダメージや、不慮の落下等が起こってしまうだろう。こうした事に配慮した建材は、割りとどこかに需要が有るかもしれない。

 とにかく、今回は屋上で、鯉のぼりを上げようとしていた。


「でも、わざわざこんな所であげなくても良いと思うんですけど」

 単純に設置するだけなら、もっと置き場所はあったはずだ。それこそ和庭園なんてうってつけだし、講堂でも居間でも、あるいは玄関でも、好きな所に設置すればよかったわけだ。こんな所に飾っても、誰も見えないと思う。

「やっぱり高いところで揚げたほうが、鯉たちも喜ぶと思うんです。あと、屋上だと雨も降りませんし、それでいて風も強いので、鯉のぼりを揚げるのにはうってつけなんです」と、こう言ったのは飛瀬さんである。

 なるほど。想像していたよりは合理的な理由だった。


「そうなると、比較的大きい鯉でも、強風で上がりそうですね。…ところで、肝心の鯉はどこですか?」

 すると、屋上のドアがノックを挟んで開いた。見ると、鵜飼さんが鯉のぼりと思しき布を持っていた。

「今年は、これを揚げてみたいと思います。オーソドックスな鯉のぼりですね」

 鵜飼さんがその場にいる女中の面々と協力して鯉のぼりを広げる。見ると、オーソドックスという言葉はどうやら嘘では無い、という事が分かった。

 一番大きな青、次に大きい赤、もう少しだけ小さい橙と青。他には、三色で色づけられた、鯉ではないが鯉のぼりではある、あれがあるようだ。そしてどれも中々大きい。

 かつて自宅で飾っていたものは言わずもがな、学校で飾っていたものといい勝負、いやもしかしたらこっちの方が大きいのでは無いか、と思うほどだ。


「これだけ大きいと壮観ですね…そういえば、立てるポールが見当たらないのですが」

 鯉だけあったとしても、立てる柱がなければ、鯉のぼりとして成立しない。あるいは洗濯物を干すような紐があれば、それをもって柱の代わりに出来るとは思うが、そういったものも見つからない。

「?ポールならあちらにあるではないですか」

 何を言っているのか、と鵜飼さんが指差したのは、屋上の柵だった。


「まさか柵にくくりつける気ですか?でも、それだと少々見栄えがしないと思うんです。そもそもこんな大きな鯉のぼり、あの柵にはくくりつけられないような…」

 どうもこの柵を使って鯉のぼりを立てるビジョンが見えない。

「いえ、くくりつけるのは柵ではありません。そちらの柵から下を覗いて見てください」

 鵜飼さんに言われるがまま、柵の下を覗いてみると、そこには屋敷から伸びるポールがあった。ポールはここから50階ほど下のところから、屋敷の壁と垂直(つまり地面と平行)に伸び、ある程度伸びたら、90度曲げ、今度は上に伸びていった。

 …まさかそこに吊るす気ですか。結構アグレッシブなことをしますね。

「中々冒険的な所につけますね」

「風ではためきすぎるのも問題かと思いまして。実際問題、屋上にくくり付けてもし万が一風に飛ばされてしまったとしたら、栄四郎のお家はおろか、北に約10km離れた尾親の街まで、余裕で到達出来てしまうはずです。まあ、もしそんな事があっても、回収部隊がすぐに回収出来るようになっているので、それほど問題はないかと思いますが」と、鵜飼さんが返した。

 確かに、これだけ高い所に屋上が設置されていると、あんまり高くする意味はないか。折角の鯉なのだから、上へ上へを目指して欲しい感じもするけど。

「なるほど、有難うございます。では、しばらく設置を見守る事にします」

「では、作業に入らせて頂きます。大島さん、これを」

 鵜飼さんの指示で、作業がどんどん進んでいった。




 そして5分後。

「元気に泳いでますね」

 鯉のぼりの取り付けが、無事完了した。




「マスター、お疲れ様でした。こちらをどうぞ」と、女中の新山さんがグラスを差し出した。

「有難うございます。僕は何もしてないですけどね」

 そういいつつ受け取ることにする。グラスに入っていたのは、レモネードだった。

「レモネードですか。すっきりした酸味が口に優しいですね」

「実は、このレモンを加工したものになります」

 そう言って新山さんが出したのは、少し小振りなレモンだった。

「それは…?ec産品ですか?」

 あまりにも多くの物品を作っているので、果たして自分で作ったのか、そうでないのか、判断が付かない。そんな様子を見て、新山さんが笑って手を横に振った。


「いえ、これは細浦にほど近い、軽繪けいえから仕入れたものとなります。言うなれば軽繪レモンでしょうか。といっても、これは大名用の薬味として作られているもので、当然物凄く酸っぱいです。食べてみますか?」

「いや、結構です」

 味の強い柑橘類にはうかつに手を出してはいけないと、この間のベルガモットでよく学んだので、今回はその軽繪レモンに手を出すことをやめておく。

「そうですか。まあ、とにかくその物凄く酸っぱいレモンを、たっぷりの水と砂糖、それから少量の蜂蜜で仕立てることで、こんな感じのレモネードにしてみました」と、新山さんが言った。


 酸っぱい(推定)レモンを、水と砂糖で調整してやると、こんなに美味しくなるのか。少量だと薬、多量だと毒、みたいなものだろうか。そこから、以前調理班の岸辺さんが言っていた言葉を思い出す。

 確か、彼女は、ガラムマサラに配合されている微量成分について教えて欲しいと聞いた時、「微量でも劇薬的な効果を発揮するのもあるので、そこら辺は少し公開したくないですね。何かのはずみで大量生産することになったら大変ですし」と答えていたはずだ。

 あの時は何故そんなスパイスを配合したのか、と思ったが、そういう事なのだろう。ごく微量なら有益だが、それを少しでも超えると有害になってしまうようなものなのだろう。


「普通に美味しいですね。酸っぱいレモンから、こんな美味しいものが作れるとは。でも、日本にいた時はあまり飲んだことがないような。ジュースだったらグレープとかグレープフルーツとか、あるいはアップルとかが中心だった記憶があります」

 オレンジジュースが様々なメーカーから市販されていたのとは対照的に、レモネードはほぼ一社でしか生産していなかったような気がする。恐らく、それほど需要が無かったのだろう。


「確かに、日本だと、特に炭酸抜きのレモネードはあまり一般的では無いですね。アメリカでは、『レモネードスタンド』なんていう、夏に子供が小銭稼ぎのためにレモネードを提供する露店があって、それを基にした、『レモネードデイ』なんていう小児がん支援プロジェクトもあるくらいです。この『レモネードデイ』の活動の一環としての『レモネードスタンド』、見たことありませんか?」

 新山さんに聞かれて、もう一度よく考えてみる。地域の運動会、公民館の催し、自治会の盆踊り大会、それからお寺の花祭り、それから…


「そういえば市民春まつりで見たことがあります。後は近所の高校の文化祭でも確かにレモネードスタンドを立てていたような。僕は結局買うことが出来ませんでしたが」

「それですそれです。このプロジェクトは、重度の小児がんにかかった少女自らがレモネードスタンドを運営し小児がん研究費として寄付したというエピソードに基づいたものとなりますが、ここで重要なのは、とにかくレモネードがアメリカではポピュラーな飲み物である、という事です」と、新山さんが結んだ。

 確かに、他の国では一般的でも、自国にとってはそうではない、という事は結構あるだろう。もっと話を発展させれば、異文化理解と簡単に言う事は容易だが、そこには地道な努力が必要だと言うことである。


 そんな会話をしながら、新山さんのレモネードを飲み干した後は、屋上から降り、特に何事もなく図書室で過ごした。途中軽く食べられるものをつまみながら、薬草についての本を読み漁っていたら、あっという間に一日が終わってしまった。


 ところで。


 今回はレモンを作った。正確には、レモンはある程度良いところまで既に改良してあるので、再改良といった方が良いか。で、そのある程度いいところまでのレモンは、こんな感じだ。


[レモン Lv50 1個 5ec

 甘酸っぱいレモン。レモン汁として、料理に使うと味のアクセントとなる。腐りにくく、50万年常温で放置していても朽ちる事がない。健康にも良く、またビタミンCも豊富に含まれている。1つで(普通の)レモン10個分。カロリー減少補正付き。]


 これを、甘くする方面に改良しよう。改良に改良。重ねて言って、Lv57 1020ecのレモンをさらに改良した時に、異変は起きた。


[レモネード(レモン) Lv50 1個 420ec

 甘いレモン。とにかく甘く、皮をむけばそのまま食べられる。絞ってジュースにしても美味しい。腐りにくく、50万年常温で放置していても朽ちる事がない。健康にも良く、またビタミンCも豊富に含まれている。1つで(普通の)レモン10個分。カロリー減少補正付き。]


 先程まで1020ecだったレモンが、さらに甘く改良した時に420ecにまでコストが下がってしまった。その後レモンに関する文献を漁ってみると、どうやらレモネードは実在する品種らしい。つまりどういう事だろうか。

「山本さん、これはどういう事でしょう?」

 山本さんは、公務隊農水班第三農林係に所属する、柑橘類を担当する方だ。今はレモンの受け取りと管理のため、ここにいる。


「分かりかねますが…恐らく、上位に変換した結果違う物品となった時、それが改良後よりコストが低くなる場合に限り、違う物品によってその生産が代替される、という事でしょうか」

 なるほど。そうなると、ゴリ押しで改良し続けるとすぐに効率がよくなってしまうのか。これは些か問題かもしれない。

「中々面倒な仕様ですね」

「そうですね。でも、このレモネード、美味しそうですよ。一切れいかがですか?」


 見ると山本さんがもう果物ナイフを手に取り、レモネードの皮を剥き終えていた。折角なので、一口食べてみる。すると、少し含んだだけでもう甘酸っぱさが口中に広がった。その後もすっきりとした甘さが永遠と追いかけてきた。これは癖になる。


 そんな感じで、平凡な一日が、今日も終わる。

いつもお読み頂き有難うございます。

次回更新は6/24を予定しています。

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